ジェーン・フォンダ
| Jane Fonda ジェーン・フォンダ |
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2005年・著書のサイン会にて |
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| 本名 | Jayne Seymour Fonda | ||||||
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| 生年月日 | 1937年12月21日(74歳) | ||||||
| 出生地 | ニューヨーク | ||||||
| 国籍 | |||||||
| 職業 | 女優 | ||||||
| 配偶者 | ロジェ・ヴァディム (1965-73) トム・ヘイドン (1973-1990) テッド・ターナー (1991-2001) |
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| 家族 | 父:ヘンリー・フォンダ 母:フランシス・シーモア・ブロカウ 弟:ピーター・フォンダ 姪:ブリジット・フォンダ |
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ジェーン・フォンダ(Jane Fonda, 本名 Jayne Seymour Fonda, 1937年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の女優。
父のヘンリー・フォンダ、弟のピーター・フォンダも俳優で、姪のブリジット・フォンダも女優である。
目次 |
[編集] 経歴
女優になる前は、演劇学校で学び、雑誌のモデルなどをしていた。ヴァッサー大学で絵画を学び、パリに滞在したこともある。1960年に『のっぽ物語』で映画デビュー。これまで7度のアカデミー賞候補にノミネートされ、1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、2度主演女優賞を受賞している。
私生活では1965年には映画監督のロジェ・ヴァディムと結婚したが1973年に離婚。直後に社会・政治活動家のトム・ヘイドンと再婚。1970年ごろから1975年ぐらいまでベトナム戦争に対する反戦運動に傾倒し、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた。
1982年から、エアロビクスのビデオ『Jane Fonda Workout』シリーズを発表し、ベストセラーとなる。
1989年にヘイドンと離婚。1991年にCNNの創設者でケーブルテレビチャンネル・映画制作会社オーナーのテッド・ターナーと3度目の結婚。これも2001年に離婚を迎えた。
2005年から15年ぶりに女優復帰し2本の映画に出演。
[編集] 政治活動
ベトナム戦争中のアメリカでは、作家や評論家などの文化人や、俳優や女優、歌手などの芸能人による反戦運動が盛んに行われた。フォンダは1970年のワシントンDCでの反戦集会を機に反戦運動を始めた。1971年にベトナム戦争復員軍人による反戦活動VVAWの公聴会を支援し、資金集めに全米各地で集会を行うなどした。VVAWの活動には2004年に民主党から大統領選挙に出馬したジョン・ケリーも深く関わっており後の大統領選で争点となった。この間フォンダはビラ撒きや薬物所持の容疑で数回逮捕された(薬物所持の罪状については後に取り下げられた)。
1970年5月からFBI、CIA、当局からの監視対象となり、最終的に2万ページにも及ぶジェーン・フォンダに関するファイルが作成された。
1972年に北ベトナムを訪れた際、飛来したアメリカ軍機を撃墜するために設けられた高射砲に座り、北ベトナム軍のヘルメットをかぶりポーズをとった[1]。後にこの時の写真は世界中に配信され、フォンダは「祖国への裏切り行為で自分の判断の誤りだった」と釈明したものの、「ハノイ・ジェーン(Hanoi Jane)」と呼ばれ、長年に渡り保守派のベトナム退役軍人とその家族を中心に「売国奴」、「裏切り者」として大きな批判を浴び続けた。2005年4月には自叙伝のサイン会で退役軍人から唾を吐きつけられた。
[編集] 父親との確執
幼い頃、実母が、父ヘンリーの浮気を苦にして自殺したと知って以来、父との確執が始まった。父はその後も別の女性との再婚・離婚を繰り返した。ことごとくヘンリーに背き、ヴァディムとの結婚も、父に知らせないままだった。和解したのは、フランスから帰国してからだという。「フランス行きが、私を自立させたのです。私は、父を克服しました。」とのちに語っている。
アカデミー賞と無縁だったヘンリー・フォンダが、アカデミー特別功労賞を受賞したとき、「私の人生の一番のハイライトです。」と語ったものの、本当の胸の内は、現役俳優として主演男優賞が欲しいと願っていたことを、ジェーンは知っていた。ブロードウェイで人気を博した家庭劇の佳作「On Golden Pond」の映画化権をジェーンは買い取り、主人公をヘンリー、主人公の妻役をキャサリン・ヘプバーンが演じた。夫婦愛と親子の和解がテーマであるこの作品で、ジェーンは主人公の娘役で出演。「黄昏」は完成し、アカデミー賞で主演男優・主演女優両賞を獲得した。
[編集] 主な出演作品
- 荒野を歩け Walk On The Wild Side ((1962)
- 逃亡地帯 -The Chase (1966)
- 水曜ならいいわ Any Wednesday (1966)
- 獲物の分け前 La Curee (1966)
- 世にも怪奇な物語 Tre Passi Nel Delirio (1967)
- 裸足で散歩 Barefoot in the Park (1967)
- バーバレラ Barbarella (1968)
- ひとりぼっちの青春 They Shoot Horses, Don't They? (1969)
- コールガール Klute (1971)
- 万事快調 Tout Va Bien (1972)
- ジュリア -Julia (1977) - キネマ旬報ベスト・テン 第2位
- 帰郷 Coming Home (1978)
- 出逢い The Electric Horseman (1979)
- チャイナ・シンドローム The China Syndrome (1979)
- 9時から5時まで 9 to 5 (1980)
- 華麗なる陰謀 Rollover (1981)
- 黄昏 -On Golden Pond (1981) - キネマ旬報ベスト・テン 第4位
- ビル・コスビーのそれ行けレオナルド Leonard Part 6 (1987)
- アイリスへの手紙 Stanley & Iris (1989)
- 私が愛したグリンゴ Old Gringo (1989)
- デブラ・ウィンガーを探して Searching for Debra Winger (2002)
- ウェディング宣言 Monster-In-Law (2005)
- 幸せのルールはママが教えてくれた Georgia Rule (2007)
[編集] 受賞歴
[編集] アカデミー賞
- 受賞
- 1972年 アカデミー主演女優賞:『コールガール』
- 1979年 アカデミー主演女優賞:『帰郷』
- ノミネート
- 1970年 アカデミー主演女優賞:『ひとりぼっちの青春』
- 1978年 アカデミー主演女優賞:『ジュリア』
- 1980年 アカデミー主演女優賞:『チャイナ・シンドローム』
- 1982年 アカデミー助演女優賞:『黄昏』
- 1987年 アカデミー主演女優賞:『モーニングアフター』
[編集] 英国アカデミー賞
- 受賞
- 1979年 主演女優賞:『ジュリア』
- 1980年 主演女優賞:『チャイナ・シンドローム』
[編集] ゴールデングローブ賞
- 受賞
- 1962年 有望若手女優賞
- 1972年 主演女優賞 (ドラマ部門):『コールガール』
- 1973年 ヘンリエッタ賞
- 1978年 主演女優賞 (ドラマ部門):『ジュリア』
- 1979年 主演女優賞 (ドラマ部門):『帰郷』
- 1979年 ヘンリエッタ賞
- 1980年 ヘンリエッタ賞
- ノミネート
- 1963年 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門):『Period of Adjustment』
- 1966年 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門):『キャット・バルー』
- 1967年 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門):『水曜ならいいわ』
- 1970年 主演女優賞 (ドラマ部門):『ひとりぼっちの青春』
- 1980年 主演女優賞 (ドラマ部門):『チャイナ・シンドローム』
- 1982年 助演女優賞:『黄昏』
- 1985年 女優賞 (ミニシリーズ・テレビ映画部門):『The Dollmaker』
[編集] ニューヨーク映画批評家協会賞
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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