ダニー・ケイ

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Danny Kaye
ダニー・ケイ
1945年10月25日、佐世保市にてアメリカ軍を慰問するダニー・ケイ
1945年10月25日、佐世保市にてアメリカ軍を慰問するダニー・ケイ
本名 デーヴィッド・ダニエル・カミンスキー
生年月日 1913年1月18日
没年月日 1987年3月3日(満74歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク州
国籍 アメリカ合衆国
民族 ユダヤ系
職業 俳優歌手、エンターテイナー
活動内容 映画、歌手
配偶者 あり
主な作品
映画
ホワイト・クリスマス
虹を掴む男

ダニー・ケイ(Danny Kaye1913年1月18日 - 1987年3月3日)は、アメリカ合衆国俳優歌手コメディアン。本名デーヴィッド・ダニエル・カミンスキー(David Daniel Kaminsky)。

目次

[編集] 略歴

[編集] 生い立ち

ニューヨーク州ブルックリンにて、ウクライナからのユダヤ系移民の親の元に生まれる。幼い頃から歌とおしゃべりが好きで、高校中退後劇団に入り下積みを経験し、1939年の『The Straw Hat Revue』でブロードウェイデビューを果たす。

[編集] 映画界入り

その後、1941年のブロードウェイ・ミュージカル『レイディ・イン・ザ・ダークLady in the Dark)』に出演し、さらにわずか39秒で50人のロシア人作曲家を早口で暗唱する『チャイコフスキー(Tchaikovsky and Other Russians)』という曲で大絶賛を浴びた。

さらに、彼の才能に注目した映画製作者サミュエル・ゴールドウィンの誘いにより映画界入りを果たし、1944年に『ダニー・ケイの新兵さん』で映画デビューを飾る。 以降、『ダニー・ケイの天国と地獄』や『虹を掴む男』、『ホワイト・クリスマス』、『五つの銅貨』等、数々の映画に出演。独特の早口で歌う様やコミカルな演技で人気を博した。

[編集] ユニセフ親善大使

1954年には国連ユニセフに参加、以後亡くなるまで親善大使として尽力する。その活動と芸達者ぶりが評価され、同年のアカデミー賞では特別賞を受賞した。

その後、活躍の舞台を映画からテレビやブロードウェイ・ミュージカルに移行。1963年にスタートしたテレビのバラエティー『ダニー・ケイ・ショー』ではその年のエミー賞を受賞。またユニセフ親善大使としては世界各国のチャリティ・ショーのステージに立ち続けた。

[編集] 指揮者

ダニーは楽譜が読めなかったが、オーケストラの指揮者としても活動し、ヨーロッパで1973年にストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団に客演した際のライヴ録音(チャイコフスキーくるみ割り人形組曲-現在BISレーベルのストックホルム・フィル75周年記念ボックスに収録。)が残されている。

本国アメリカでは、1981年9月に行なったニューヨーク・フィルハーモニックとの演奏会が語り継がれている。同楽団の常任指揮者であったズービン・メータの物真似をしたり、ハエ叩きを持ってリムスキー=コルサコフの『熊蜂の飛行』を指揮したりと、得意のコミカルな演技で聴衆を楽しませた(尚、この演奏会の模様は『ダニー・ケイとニューヨーク・フィルの夕べ』というタイトルでビデオレーザーディスクが発売されていたが、現在は廃盤であり、中古品が高値で取り引きされている)。

[編集] 死去

1981年のアカデミー賞では、長年のユニセフの活動に対してジーン・ハーショルト友愛賞を授与された。1987年、ロサンゼルスにて心臓発作で死去。74歳。ニューヨーク州ウエストチェスター郡ヴァルハラにあるケンシコ墓地(Kensico Cemetery)に埋葬された。

[編集] 主な出演作品

[編集] 関連項目

  • 山田康雄日本の俳優。ダニーの演技に惹かれて役者になろうと思ったという)
  • 谷啓(芸名の参考にした)

[編集] 外部リンク