アンジェイ・ワイダ

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アンジェイ・ワイダ
Andrzej Wajda
Andrzej Wajda
2008年ワルシャワにて
生年月日 1926年3月6日(88歳)
出生地 スヴァウキ
国籍 ポーランドの旗 ポーランド
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画
活動期間 1954年 -
配偶者 Beata Tyszkiewicz ※離婚
Zofia Zuchowska ※離婚
クリスティナ・ザフファトヴィチ(1972年 - )
公式サイト http://www.wajda.pl/
主な作品
世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド
大理石の男』『鉄の男
ダントン
カティンの森

アンジェイ・ワイダ: Andrzej Wajda1926年3月6日 - )はポーランド映画監督

経歴・人物[編集]

1926年ポーランド東北部のスヴァウキで生まれる。父はポーランド軍大尉で対独戦中にカティンの森事件に巻き込まれて亡くなる[1]。青年時代に、浮世絵をはじめとした日本美術に感銘を受け、芸術を志す。第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加した。1946年クラクフ美術大学に進学するも、その後進路を変え、ウッチ映画大学に進学。1953年に同校を修了。

1955年、『世代』にて映画監督デビュー。1957年の『地下水道』が第10回カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞。イェジ・アンジェイェフスキの同名小説を映画化した1958年の『灰とダイヤモンド』で、反ソ化したレジスタンスを描き、象徴的表現を多用した鮮やかな描写は西側でも高い評価を受け、1959年の第20回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。これら三作品は、ワルシャワ蜂起時のレジスタンスや、戦後共産化したポーランド社会におけるその末路を描いており、「抵抗三部作」として知られている。以後、アンジェイ・ムンクイェジー・カヴァレロヴィチらと並んで、当時の映画界を席巻した「ポーランド派」の代表的存在となる。

1981年、『鉄の男』が第34回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。しかし、ポーランドの連帯運動に参加したため、同年に引かれた戒厳令で、ポーランド映画人協会長などの職を追われ、フランスなど海外での映画制作を余儀なくされる。この時期に製作されたのが『ダントン』(1983年)、『ドイツの恋』(1983年)である。1986年、『愛の記録』にてポーランド映画界に復帰している。

1987年京都賞思想・芸術部門)を受賞[2]。賞金の4500万円を基金として、クラクフに日本美術技術センターが設立された。1989年に行われたポーランド議会選挙[3]では、新たに新設された上院スヴァウキ選挙区から「連帯」候補として出馬、当選を果たした[4]

1992年の『鷲の指輪』で再びワルシャワ蜂起を問い直すなど、現在も鋭い視点に立った作品を作り続けている。2000年、世界中の人々に歴史、民主主義、自由について芸術家としての視点を示した業績により、第72回アカデミー賞にて名誉賞を受賞。2007年には、父親の死の原因となったカティンの森事件を扱った『カティンの森』を製作。翌2008年第80回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。

また、映画とともに、演劇活動も盛んに行なっている。1988年には、坂東玉三郎主演の『ナスターシャ』にて舞台演出をつとめた。この作品は、ドストエフスキーの『白痴』を舞台化したもので、1994年には、同じくワイダ監督、玉三郎主演にて映画化されている。

2010年12月6日、ポーランドを訪問中のメドベージェフロシア大統領から友好勲章を授与された[5]

作品[編集]

映画[編集]

舞台演出[編集]

ほか多数

著作(日本語訳)[編集]

  • 映画と祖国と人生と…(西野常夫監訳、凱風社、2009年)
  • アンジェイ・ワイダ自作を語る(ヴァンダ・ヴェルテンシュタイン編、工藤幸雄監訳、平凡社:20世紀メモリアル、2000年)
  • ワイダの世界 映画・芸術・人生(岩波書店・岩波ブックレット、1988年)聞き手高野悦子で、インタビュー小冊子

受賞[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Andrzej Wajda - Biography” (英語). IMDb.com. 2011年12月27日閲覧。 “In 1940, Wajda's father was killed by Stalin's agents in the Katyn massacre.”
  2. ^ アンジェイ・ワイダ Andrzej Wajda - 第3回(1987)京都賞 精神科学・表現芸術部門”. 稲盛財団. 2011年12月27日閲覧。
  3. ^ 1989年に政府と「連帯」の間で行われた円卓会議の合意に基づき、セイム(下院)全議席の35%と新たに新設されたセナト(上院)の全議席を自由選挙で選出した。
  4. ^ “ポーランド新議員 筋金入り闘士も、映画監督も”. 読売新聞: p. 4. (1989年6月24日) 
  5. ^ “ワイダ監督にロ友好勲章 メドベージェフ大統領”. 時事通信. (2010年12月7日). http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010120701000041.html 2013年4月13日閲覧。 

外部リンク[編集]