西部邁

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にしべ すすむ
西部 邁
生年月日 1939年3月15日(69歳)
出生地 日本の旗 北海道
民族 日本人
ジャンル 思想家評論家
公式サイト 東京発言者塾
主な作品
『知性の構造』
『国民の道徳』

西部 邁にしべ すすむ1939年3月15日 - )は日本の評論家思想家秀明大学学頭。

目次

[編集] 人物

1980年代の大衆社会批判で保守派の論客として話題を集めた。

親米派論壇人たちがみずからの輪の中で閉塞してゆく状況にあって、姜尚中と対談したり、「週刊金曜日」の取材に応じたりと、立場の違うものとも積極的に対話しようとする姿勢は際立っている。 大学教育、雑誌刊行、雑誌論文・単行本などの執筆、全国各地での講演など、精力的に活動。

横浜国大助教授、東大教授などを経て秀明大学学頭[1]。 現在、『発言者』塾の塾長。

1994年の創刊から2005年の廃刊まで「発言者」(西部邁事務所、秀明出版会)の主幹、1997年の創刊から1998年の休刊まで英文雑誌「JAPAN CURRENTS」(日本国民文化研究所)の総合監修を務め、現在は「表現者」(イプシロン出版企画)の顧問および「北の発言」(西部邁事務所)の責任編集を担当。

西部は自分が念じること、自分の生死の意味について次のように述べている。「私の念じるのは、評論家として、次のように思いつつそして死ぬことだけである。

つまり、この人の世にあるのは言葉だけであり、自分という極微の存在は、過去のあまりにも巨大な言葉の集積のうちほんの局所を受け継ぎ、そしてそれにごく僅少の加工をほどこして、とともに、それを何処の誰とも知れぬ人に手渡す(素振をする)、私の生死の意味はそのことに尽きると思っている。」[2]

[編集] 来歴

1939年北海道生まれ。札幌南高等学校卒業。その後一年間、浪人生活を送る。東京大学に入学。

[編集] 60年安保以降

在学中、東大自治会委員長・都学連副委員長・全学連中央執行委員として60年安保闘争に参加。1964年東京大学経済学部卒業。すでに学生運動から離れていた西部は、やはりブントの活動家であった青木昌彦の勧めで東京大学大学院に進み、経済学を研究。指導教官は、嘉治元郎。同大学大学院経済学研究科理論経済学専攻修士課程修了。

横浜国立大学助教授、東大教養学部助教授を経て東大教授。当初は新古典派経済学を専攻するが、1975年出版の処女作『ソシオ・エコノミックス』では社会学などの方法論を導入して独自の新古典派経済学批判を行い注目された。その後渡米し、カリフォルニア大学バークレー校に在籍。引き続き渡英。『蜃気楼の中へ』という滞在記を発表した。帰国後、80年代から大衆社会批判を主軸とした保守論客として活躍をはじめた。

ケインズヴェブレンを取り上げた『経済倫理学序説』で1983年に吉野作造賞を受賞。社会思想についてのエッセーを集めた『生まじめな戯れ』でサントリー学芸賞を受賞。80年代の論壇の寵児として、各方面で発言を続け、書評も多く手がけた。経済学をはじめとする社会科学の細分化を一貫して批判。

大衆批判、ビジネス文明批判、親米知識人批判などを通じて保守思想を主張。社会科学の出身であることなどを生かして、体系的・理論的な叙述を行なう。みずからも受賞したサントリー学芸賞の選考委員を長く委嘱される。

1988年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手・中沢新一を東大助教授に推薦。委員会では通ったが教授会の採決で認められず、西部は一部の教官たちに抗議して、東大を辞任(東大駒場騒動、東大中沢事件)。

[編集] 東大駒場騒動以降

東大辞職後はテレビ出演も多くなり、テレビ朝日系列の討論番組「朝まで生テレビ!」の準レギュラーでもあった。1994年から真正保守思想を標榜する月刊オピニオン誌「発言者」(西部邁事務所、秀明出版会)を刊行していたが、2005年3月に財政上の理由で廃刊。現在は後継誌「表現者」(イプシロン出版企画)が刊行されており、西部はその顧問を務めている。

新しい歴史教科書をつくる会に参加し理事の任を引き受けたものの、当初から会の運動とは一定の距離を置いており、理事会などへは出席しなかった。参加の経緯は『反米という作法』(小学館)によると、「発言者」のパーティーに参加していた小林よしのりを、西部が西尾幹二と引き合わせ、その場で西尾が「つくる会」への参加を頼み、小林が許諾したものの、小林は「西部さんがいると思ったのに・・・」と話し、追って西部も参加したというエピソードが語られている。しかし、その小林も辛そうな顔をしているし、この会と自分は合わないと判断した事から、欠席を続けたが、つくる会の側が「世間体」のため、名前だけは残したというエピソードが語られている。西尾幹二著『国民の歴史』に続く形で著書『国民の道徳』(扶桑社ISBN 459402937X)を発表。『新しい公民教科書』(ISBN 4594031560)の代表執筆者でもあったが、前記の状態のため、教科書執筆を任せるか議論となった。結果的には小林よしのり、大月隆寛伊藤隆の「西部さんがいなくなると、この会のバランスがおかしくなる」という意見が受け入れられた。

西尾が台湾金美齢を批判したことを巡って西尾との間で論争に発展した。台湾独立派の金美齢は「つくる会」に協力的だった。

[編集] 親米保守派との決別以降

アメリカニズムグローバリズム、そして近代主義への批判は従来から西部の思想の中心を占めていたが、アメリカ同時多発テロ事件以降の日本の親米知識人たちのアメリカ追従姿勢に対する批判は西尾幹二や田久保忠衛らとの対立を招き、2002年、小林よしのり[3]とともに「つくる会」を脱退。以後、「産経新聞」、「正論」、「諸君!」などを中心とする日本の自称保守派の知識人たちと一線を画し、かれらを批判。 イラク戦争の大義をめぐって彼らと対立した。

現在は、雑誌「表現者」(イプシロン出版企画)や「北の発言」(西部邁事務所)などで真正保守思想を発信し続けている。

女系天皇を容認する皇室典範改正を是としたことから「左に回帰した」との批判を受けた。だが、現在も核武装徴兵制、そして防衛費倍増を主張している。

2004年12月から東京MXテレビの「談志・陳平の言いたい放だい」に出演、2005年4月からは立川談志野末陳平吉村作治、そして毒蝮三太夫の4人と談シング5(ファイブ)を結成しメンバーとなる。

[編集] 思想

西部は『発言者』塾の心得十箇条として、以下のように自らの思想の方向を要約している。

  1. 人間を「言葉の動物」と理解する。
  2. 言葉の産物としての個人および集団における意味的現象を総合的に解釈する。
  3. 意味的解釈という矛盾をはらんだ作業において平衡をとる。
  4. 人工言語に傾くものとしての概念理論自然言語に傾くものとしての思想実践とを両立させる。
  5. 人生経験、認識活動および政治行動の融合をはかる。
  6. 言葉の基礎としての歴史の英知を保守する。
  7. 戦後日本を歴史破壊的時代として懐疑する。
  8. 異世代および異国人にたいする接近と離反において中庸を守る。
  9. 大衆教育(大学)と大衆伝達(マスコミ)が、言葉・解釈・経験・実践・歴史の一切を平板化させていることにたいして、批判を差し向ける。
  10. 哲学(真)、宗教(善)、および芸術(美)への関心を絶やさないことによって、虚無主義にたいする防波堤を築く。

[編集] 受賞歴

[編集] 著書

[編集] 単著

[編集] 『知性の構造』(単行本版:1996年、ハルキ文庫版:2002年)

『知性の構造』は1996年に角川春樹事務所から出版された西部の著書。2002年にはハルキ文庫版が出版された。ハルキ文庫版では、図形が一個追加されるなど、第七章の末尾が加筆訂正されている[4]。 西部は自らの考える「日本人における言挙げの方法」[5]を本書で提示しており、西部自身の執筆活動も本書に示された方法論認識論に基づいているという。 本書について西部自身は次のように言っている。 「結局、本書によって私は自分の言説の舞台裏なり調理法なりを明かしてしまった」[6]、 「…それが自分の長所なのか短所なのか今もって判然としないが、三十歳代の半ばあたりから、自分なりの言語哲学めいたものを記号論的な傾きにおいてひそかに準備しつづけており、で、様々な言説をある程度において秩序立てて配置するための精神の分類箱が私の手許にあった…五十七歳になってその分類箱をやっと一冊の書物(『知性の構造』)として公開したとき、ひょっとしたら、俺にはもうやるべきことがないのではないかという不安にかられたものである。」[7]

[編集] 『虚無の構造』(1999年)

虚無の構造』は1999年に飛鳥新社から出版された西部の著書。 西部によると、「本書は、自分の人生のことを頭の片隅におきながら、人間の精神において「カキスト」[最悪]と「アリスト」[最良]の戦いがいかなる展開を見せているかを解釈してみたものである。まだ「」からはるかに遠い時点にいる人々に、つまり平和の時代にある若い方々に、ニヒリズムを、殺すわけにはいかないとしても、うまく手懐けてもらいたく、そのための一助になればとの心積もりで、「ニヒリズム」についての私なりの所見をしたためてみた次第である。…ニヒリズムに慣れ親しむという愚行を犯してしまった「戦後」の半世紀間にせめて清算書をつきつけておきたい、それが執筆の主たる動機なのであった。」[8]

[編集] 一覧

  • ソシオ・エコノミックス 集団の経済行動(中央公論新社、1975、後にイプシロン出版企画、2006)
  • 蜃気楼の中へ 遅ればせのアメリカ体験(日本評論社、1979、後に中央公論新社 文庫版、1985)
  • 経済倫理学序説(中央公論新社、1983、後に同社 文庫版、1991)
  • ケインズ(岩波書店、1983、後にイプシロン出版企画、2005)
  • 大衆への反逆(文藝春秋、1983、後にPHP研究所 文庫版、1991)
  • 生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い(筑摩書房、1984、後に同社 文庫版、1992)
  • 論士歴問 大衆社会をこえていく綱渡り(プレジデント社、1984)
  • 幻像の保守へ(文藝春秋、1985)
  • 大衆社会のゆくえ (日本放送出版協会、1986)
  • 六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー(文藝春秋、1986、後に洋泉社 新書版、2007)
  • 大衆の病理 袋小路にたちすくむ戦後日本(日本放送出版協会、1987)
  • 批評する精神(PHP研究所、1987)
  • 貧困なる過剰 ビジネス文明を撃つ(日本経済新聞出版社、1987、後にPHP研究所 文庫版、1991)
  • 大錯覚時代(新潮社、1987)
  • 近代経済思想(日本放送出版協会、1988)
  • 剥がされた仮面 東大駒場騒動記(文藝春秋、1988)
  • 大衆民主主義を疑う(自由民主党調査局政治資料研究会議、1988)
  • 新・学問論(講談社、1989)
  • 学者この喜劇的なるもの(草思社、1989)
  • サンチョ・キホーテの眼(文藝春秋、1989)
  • 続批評する精神(PHP研究所、1989)
  • ニヒリズムを超えて(日本文芸社、1989、後に角川春樹事務所 文庫版、1997)
  • マスコミ亡国論 日本はなぜ“卑しい国”になったのか(光文社、1990)
  • 白昼への意志 現代民主政治論(中央公論新社、1991)
  • マスメディアを撃て(PHP研究所、1991)
  • 戦争論 絶対平和主義批判(日本文芸社、1991、後に角川春樹事務所 文庫版、2002 ※文庫版での副題は 暴力と道徳のあいだ)
  • 思想史の相貌 近代日本の思想家たち(世界文化社、1991、後に徳間書店 文庫版、1997)
  • 私の憲法論 日本国憲法改正試案(徳間書店、1991、後に同社 文庫版、1999)※後に『わが憲法改正案』(ビジネス社、2004)として再編集
  • 批評する精神3(PHP研究所、1992)
  • 人間論(日本文芸社、1992、後にPHP研究所 文庫版、1996)
  • 批評する精神4(PHP研究所、1993)
  • 「成熟」とは何か 新政経学のすすめ(講談社、1993)
  • リベラルマインド 歴史の知恵に学び、時代の危機に耐える思想(学習研究社、1993)
  • 日本人の嘘 政治改革からマスコミ世論まで(光文社、1993)
  • 歴史感覚 何が保守政治の神髄か(PHP研究所、1994)
  • 歴史の復権 「文明」と「成熟」の構図(東洋経済新報社、1994)
  • 死生論(日本文芸社、1994、後に角川春樹事務所 文庫版、1997)
  • 日本とは何か日本人とは何か 正統知識人の驚くべき先見力みんなに聞いて欲しい心の物語第1巻(廣済堂出版、1995)
  • 世人に言上したきことあり(新潮社、1996)
  • 現在への証言 平成の世と切り結ぶ(廣済堂出版、1996)
  • 破壊主義者の群れ その蛮行から日本をいかに守るか(PHP研究所、1996)
  • 思想の英雄たち 保守の源流をたずねて(文藝春秋、1996)
  • 知性の構造(角川春樹事務所、1996、後に同社 文庫版、2002)
  • 「国柄」の思想(徳間書店、1997)
  • 恐慌前夜の独り言(新潮社、1998)
  • なぜ「日本売り」は起きたのか 愚かなるかな、改革論者よ(PHP研究所、1998)
  • 国家と歴史 状況の中で 発言者双書1(秀明出版会、1998)
  • 寓喩としての人生(徳間書店、1998)
  • 西部邁の論争の手引き(日刊工業新聞社、1998)
  • 虚無の構造(飛鳥新社、1999)
  • 西部邁の論争ふたたび 対米属国からぬけでる方法(日刊工業新聞社、1999)※後に『アメリカの大罪』(小学館、2003)として再編集
  • 福澤諭吉 その武士道と愛国心(文藝春秋、1999)
  • 国民の道徳(産経新聞出版社、2000)
  • ナショナリズムの仁・義(PHP研究所、2000)
  • エコノミストの犯罪 「失われた10年」を招いたのは誰か(PHP研究所、2002)
  • 保守思想のための39章(筑摩書房、2002)
  • 人生の作法(飛鳥新社、2002)
  • 獅子たりえぬ超大国 なぜアメリカは強迫的に世界覇権を求めるのか(日本実業出版社、2003)
  • アメリカの大罪(小学館 文庫版、2003)※『西部邁の論争ふたたび』(日刊工業新聞社、1999)から再編集
  • わが憲法改正案 「大切な心」を忘れた日本人(ビジネス社、2004)※『私の憲法論』(徳間書店、1991)から再編集
  • 学問(講談社、2004)
  • 人生読本(ダイヤモンド社、2004)
  • 友情 ある半チョッパリとの四十五年(新潮社、2005)
  • 無念の戦後史(講談社、2005)
  • 核武装論 当たり前の話をしようではないか(講談社、2007)
  • 教育 不可能なれども(ダイヤモンド社、2007)
  • 「日本国憲法」を読む上(イプシロン出版企画、2007)

[編集] 共著

  • 大衆論 対談(富岡多恵子 草思社、1984)
  • 西部邁ビジネス文明批判 尾根道をたどりながら(笠井潔川村湊小阪修平竹田青嗣長崎浩 作品社、1986)
  • 烈々豪々(Let's go!)人生学(加藤尚武 理想社、1988)
  • 覚悟! 朝まで討論=<日本>(石川好 弓立社、1989)
  • 立ち腐れる日本 その病毒は、どこから来たのか(栗本慎一郎 光文社、1991)
  • 正気の保ち方 「繁栄の空虚」からいかに脱するか(新野哲也 光文社、1992)
  • 闘論息子の教育(三田誠広 プレジデント社、1994)
  • ポップコン宣言 偽りの戦後史を書き替える(秋山祐徳 光文社、1995)
  • 日本の自画像 vol.3(編:うら梅の郷会 葦書房、1995)
  • 大いなる説得われらの子と孫への提言(榊原英資飯田経夫、他 日刊工業新聞社、2000)
  • 国家と戦争(小林よしのり福田和也佐伯啓思 飛鳥新社、1999)
  • テロルと国家(福田和也、佐伯啓思、絓秀実 飛鳥新社、2002)
  • 論争教育とは何か(中曽根康弘松井孝典 文藝春秋、2002)
  • 反米という作法(小林よしのり 小学館、2002)
  • 愛国心(姜尚中、田原総一朗 講談社、2003、後に同社 文庫版、2005)
  • アホ腰抜けビョーキの親米保守(小林よしのり 飛鳥新社、2003)
  • 本日の雑談1-8(小林よしのり 飛鳥新社、2004-2005)
  • 憲法改正大闘論 「国民憲法」はこうして創る(中曽根康弘、松本健一 ビジネス社、2004)
  • 「昭和80年」戦後の読み方(中曾根康弘、松井孝典、松本健一 文春新書、2005)
  • 酒場の真剣話(宮崎学 イプシロン出版企画、2005)※雑誌(『表現者』別冊号)扱い
  • 本日の雑談9-10(弘兼憲史 飛鳥新社、2006)
  • 日本と戦う(鈴木宗男、宮崎学 講談社、2006)
  • 道義あふれる国へ 「美しい国へ」の欺瞞を撃つ(辻恵 イプシロン出版企画、2007)

[編集] 一部執筆/インタビュー書籍

[編集] 翻訳

[編集] 音声・動画著作

  • 真正保守思想を求めて2(エピック・ソニー、1989)
  • 西部邁の「反論を待つ」2(エピック・ソニー、1990)
  • 西部邁の「反論を待つ」3(エピック・ソニー、1990)
  • メディアが世界を変える 第16巻(編:中京テレビ 丸善)※参照ページ

[編集] 雑情報

  • 法哲学井上達夫駒場時代に助手であったころ西部から大きな影響を受けた。
  • 千葉大学助教授となった井上が論壇に押し上げられたのは、西部がサントリー学芸賞選考で井上を高く評価したことによる。
  • 西部は自分の好き嫌いについて次のように述べている[9]
好き 嫌い
人物 自分 自分
言葉 保守 革新
食べ物 うどん 幕の内弁当
学問 ある種の哲学 あらゆる種類の経済学
芸術 ある種の絵画 最近の文学
スポーツ なし なし
動物 人間と言いたいところだが、なし
宗教 すべての旧宗教と言いたいところだが、なし すべての新興宗教と言いたいところだが、なし
好きな国(人種) まずイタリア、次にイギリスと言いたいが、やはり日本 まずアメリカ、次に韓国と言いたいが、やはり日本
  • 1992年東京都東村山市憲法記念日の行事として市主催の講演会を開催することになり、講師を西部に依頼した。西部は快諾し、講演会開催が決まったところ、一部市民団体などが「改憲を主張する西部氏を市主催行事の講師に招くということは、東村山市が改憲を支持しているに等しい」等と抗議した。これに対し市は「西部氏は東村山市民なので依頼したのであり、市が改憲を主張しようということではない」と説明したが、市民団体などは納得しなかった。そこで市は護憲派も講師に招こうと考えたが、市内には護憲派の著名人がいなかったため、南隣の東京都国分寺市に所在する東京経済大学の教授(当時)で護憲派の色川大吉に依頼した。色川は「西部さんとは旧知で何度も議論しているので是非参加したい」と快諾。市民団体も矛を収め、講演会は無事開催されるに至った。
  • 船橋市立西図書館のある司書は2001年8月、同館所蔵の西部の多数の著書などを、廃棄基準に該当しないにもかかわらず除籍・廃棄した(船橋市西図書館蔵書破棄事件)。西部はこの件を引き合いに出して次のように言っている。「つい先だって、舟橋の市立図書館で、私の書物が一冊を除いてすべてひそかに廃棄されるという扱いを受けたが、次の焚書(ふんしょ)に当たっては、本書(『知性の構造』ハルキ文庫版)がその一冊の例外になるという名誉にあずかれればと切望する。坑儒されてみたいくらいに思っている私がなぜこんなことをいうのか。それは、本書がどこかに残っていれば、その作成に携わってくれた皆様に――単行本を物にしてくれた小山晃一氏を含めて――ささやかな返礼ができると思うからである。」[10]
  • 西部は2002年、東京西麻布の裏通りにあるイタリアン・レストラン「ゼフィーロ」の地主となった[11]。長男は元同レストランのオーナー兼支配人(建て物所有者兼店舗経営者)の西部一明。同レストランは2007年4月に閉店。

[編集] 脚注

  1. ^ 学長は吉川幸次
  2. ^寓喩としての人生』(徳間書店)p. 238
  3. ^ 初期の小林は、西部ら保守派の「大衆は愚民」論に批判的だったが、朝生での最初の対話でやや好意的になった。佐川一政のレポート(実は、西部を不当に貶めていた内容だった)の西部の漫画批判(「漫画を読むのは家系の恥」発言)をきっかけに「流氷に乗っけてトドと一緒に北海へ流す!」「ハエたたきジジイ」などとボロクソに叩かれた(実際は、西部も「じゃりン子チエ」をよく読む漫画好きだったが、「公衆の面前で」電車で読むべきではない、と言っていたに過ぎなかった)。小林は、雑誌「噂の真相」からの批判やオウム真理教事件などに直面、口当たりの良い事を言いながら、魂をかけて正義を守る事もしない左翼知識人に失望、そして西部の意見に同意できる点があると認識。また、西部自身も、小林からの手厳しい批判に対しては、前述の事情から「しょうがないな」と諦観を持って黙っていたが、小林は「わしに叩かれて、唯一狂わなかった知識人だった」とその後も高く評価。のちに和解。単なる主義・主張のみならず、お互いの人間性を認める関係に発展した。だが2006年春、両者が再び袂を分かった事が明らかとなった。その詳しい理由については未だ不明であるが、その後もお互い批判し合う訳でも無視し合う訳でもない、部外者には奇妙な状況となっていた。だが最近、また少しづつ互いの意見を引用し始め、主張も互いに変化していないようだ。西部は小林をチェスタートンに重ね、「誇張して言えば、哲学文学科学も何も勉強したことのない人間が、全力を込めて、ある状況の中で自分の表現を引っ提げて闘い始めたら、やはり百年後に残る、ある種の古典というものを書いてしまう」と語った。
  4. ^ 西部邁(2002年)『知性の構造』ハルキ文庫、p. 270
  5. ^ 西部邁(2002年)『知性の構造』ハルキ文庫、p. 51
  6. ^ 西部邁(2002年)『知性の構造』ハルキ文庫、p. 268
  7. ^ 西部邁(1998年)『寓喩としての人生』徳間書店、p. 216
  8. ^ 西部邁(1999年)『虚無の構造』飛鳥新社、pp. 284 f.
  9. ^ 西部邁、栗本慎一郎(1991年)『立ち腐れる日本』光文社、p.225
  10. ^ 西部邁(2002年)『知性の構造』ハルキ文庫、p. 270
  11. ^ 西部邁「レストランの地主となって」『文藝春秋』平成14年6月号

[編集] 関連項目

[編集] 門下生

[編集] 雑誌

[編集] その他

[編集] 外部リンク

[編集] 新聞

[編集] 雑誌

[編集] テレビ