カーク・ダグラス
| カーク・ダグラス Kirk Douglas |
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| 本名 | Izzy Demsky | ||||||
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| 別名 | Issur Danielovitch | ||||||
| 生年月日 | 1916年12月9日(95歳) | ||||||
| 出生地 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 職業 | 俳優 映画製作者 | ||||||
| 活動期間 | 1942年 - | ||||||
| 配偶者 | 元妻:ダイアナ・ダグラス | ||||||
| 家族 | 長男:マイケル・ダグラス 次男:ジョエル・ダグラス 三男:ピーター・ダグラス 四男:エリック・ダグラス |
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| 主な作品 | |||||||
| ファイナル・カウントダウン スパルタカス 突撃 OK牧場の決斗 |
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カーク・ダグラス(Kirk Douglas, 1916年12月9日 -)は、アメリカ合衆国の俳優・映画プロデューサー。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
帝政ロシア(現ベラルーシ共和国)ホーメルからの移民、ダニエロヴィッチ夫妻の子としてアメリカ合衆国アムステルダム (ニューヨーク州)に生まれた。 夫妻は先に渡米していた兄が身元引受人となって移住した際にその兄に倣って”デムスキー”という苗字を名乗っており、カークも”イジー・デムスキー”として育つ。 貧民街に暮らし、家計を扶けるために少年時代は新聞配達から露天商、庭師など多くの職を転々としつつ、学業に勤しんだ。 学費を借金で賄いセントローレンス大学 en:St. Lawrence Universityへ進み、その返済のために件のアルバイト生活の他にボクシングの試合に臨み、ファイトマネーを稼いだりしたこともある。
高校の時に、自分の夢は役者になることだということを改めて認識し、その夢を叶えるべくアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツへ入学し、その才能を開花させ、特別奨学生ともなった。ローレン・バコールはこの時の同窓生。1941年に徴兵されそのまま第二次世界大戦中は海軍に従軍したが1944年に負傷のため除隊している。
[編集] キャリア
1941年、卒業公演として行われた『春よ再び』(原題:Spring Again)で歌うメッセンジャーボーイを演じブロードウェイデビューを果たした。 除隊後、ニューヨークでラジオドラマを中心とする仕事に就き、舞台へも出演してたが、ローレン・バコールに薦められて1946年、映画『呪いの血(原題:en:The Strange Love of Martha Ivers)』で銀幕のデビューを果たす。このことが転機となり、1949年にブロードウェイでもチェーホフの『三人姉妹』でアンドレイ役での出演 を果たしたが、ダグラスはその活躍の場をハリウッドへ移す。 後年の硬派なイメージは8本目の出演作品『チャンピオン』以降であり、当初は内向的な性格俳優というようなイメージが強い。 『チャンピオン』はアカデミー編集賞とゴールデングローブ撮影賞を受賞し、カーク本人もアカデミー主演男優賞にノミネートされた。そして、西部劇映画『死の砂塵:(原題::en:Along the Great Divide)』へ出演しスターダムへと登りつめた。
その後、1955年には母の名に因んだ独立プロダクション『ブライナカンパニー』を興し、1960年には自らが主演・製作総指揮を執って製作費1200万ドルの大作『スパルタクス』をプロデュース。
シリアスな役柄が似合うイメージの傍ら、『海底二万哩』で見せた軽妙な演技や創世記のテレビ番組『ジャック・ベニーショー』でのミュージカルパフォーマンス等、多彩なタレント性を持つ。
1973年には西部劇映画『明日なき追撃』でメガホンを執りつつ主演をこなしたが、西部劇自体の衰退期にあったこともあって大きな評価は得られなかった。また、同年にはテレビミュージカル版『ジキルとハイド』(作曲:ライオネル・バート)にも主演している。
2009年3月、カークは自伝的ワンマンショー『備忘録』(原題:Before I Forget )をカリフォルニア州、カリバーシティのセンターシアターで演じ、この映像記録は2001年1月に公開されている。
2011年1月現在、マイスペースにブログ[1]を掲載する最高齢のハリウッドスターであり、健脚で、2010年秋にも息子のマイケル・ダグラスをアン夫人と見舞う姿を、パパラッチに撮影されている。 2011年2月、第83回アカデミー賞授賞式で助演女優賞のプレゼンターとしてコダックシアターの舞台に立った。ジョークを交えた暖かいプレゼンターぶりは大いに会場を沸かせた。
[編集] 私生活
1943年11月2日、アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツ時代の同級生で女優のダイアナ・ダグラス[1]と結婚し、二人の息子をもうけた。長男は俳優のマイケル、次男は映画『コカイン・ブルース』等のプロデューサー、ジョエル・ダグラス[2]。ダイアナは1951年の離婚後も女優活動を続け、ベン・ケーシーやわんぱくフリッパー等のTV番組で活躍している。
1954年5月29日、カークはアン・バイデンスと結婚、再び二人の息子をもうけた。
映画『フレッチ殺人方程式』 のプロデューサー、ピーター・ヴィンセント・ダグラス[3]とTVドラマシリーズ『たどりつけばアラスカ』等に出演していた俳優のエリック・ダグラス[4]だが、エリックは、薬物過量摂取による入院や、飛行機内での揉め事による逮捕を繰り返し、2004年に自宅のアパートで死体で発見された[5][6][7]。
1991年にヘリコプターでの事故に出逢ったことがきっかけで、自らの人生を振り返りながらユダヤ主義についての思索を深めるようになった。 1996年に、脳梗塞を患い言語障害が残ったものの、2006年、卒寿の祝賀会には出席し元気な姿を見せている。 1993年、ユダヤ教の慣習に倣い、83歳で二度目のバル・ミツワーを斎った。
[編集] 日本との関わり
1960年 (昭和35年)、ブライナカンパニーの代表として、すでにアメリカに名を轟かせていた日本の特撮監督円谷英二に長編アニメーション映画の制作を依頼すべく東宝に打診するも、東宝側の判断で成立しなかった。カークは、当時『海底二万哩』への出演を通じて良好な関係にあったウォルト・ディズニーをバックに円谷本人へも直接打診したが、人的資源の確保や財務面から条件が折り合わず頓挫している[8]。
1960年代に夫人と来日し、その模様は『週刊平凡』に掲載された[9]。 1966年、FNS系列の番組『スター千一夜』に水野晴夫とのインタビューに応える形で出演し、その後1975年から1980年まで、味の素ゼネラルフーヅのコーヒー《マキシム》のCMキャラクターに起用されている。
また、1966年の大映映画『大魔神』のキャラクター《武神像》の顎に割れ目があるのはカーク・ダグラスの表情からインスパイアされたとされている[10]。
[編集] 主な出演作品
- グロムバーグ家の人々 - It Runs in the Family (2003年)
- ザ・シンプソンズ - The Simpsons (1996年) : 声の出演
- オスカー - Oscar (1991年)
- タフガイ - Tough Guys(1986年)
- 愛に向って走れ - Eddie Macon's Run (1983年)
- スペース・サタン - Saturn 3 (1980年)
- ファイナル・カウントダウン - The Final Countdown (1980年)
- フューリー - The Fury (1978年)
- 悪魔が最後にやってくる - Holocaust 2000 (1977年)
- エンテベの勝利 - Victory at Entebbe (1976年・TV映画)
- 明日なき追撃 - Posse (1975年) : 監督・製作も
- いくたびか美しく燃え - Jacqueline Susann's Once Is Not Enough (1975年)
- ザ・ビッグマン - Un Uomo da rispettare (1972年)
- 雨のパスポート - To Catch a Spy (1971年)
- カーク・ダグラスとユル・ブリンナーの 世界の果ての大冒険 - The Light at the Edge of the World (1971年)
- 大脱獄 - There Was a Crooked Man... (1970年)
- アレンジメント/愛の旋律 - The Arrangement (1969年)
- 暗殺 - The Brotherhood (1968年)
- ボディガード - A Lovely Way to Die (1968年)
- 大西部への道 - The Way West (1967)
- 戦う幌馬車 - The War Wagon (1967年)
- パリは燃えているか - Paris brule-t-il? (1966年)
- 危険な道 - In Harm's Way (1965年)
- 巨大なる戦場 - Cast a Giant Shadow (1965年)
- テレマークの要塞 - The Heroes of Telemark (1965年)
- 恋のクレジット - For Love or Money (1963年)
- 五月の七日間 - Seven Days in May (1963年)
- 秘密殺人計画書 - The List of Adrian Messenger (1963年)
- 明日になれば他人 - Two Weeks in Another Town (1962年)
- 零(ゼロ)下の敵 - The Hook (1962年)
- 脱獄 - Lonely Are the Brave (1962年)
- ガン・ファイター - The Last Sunset (1961年)
- 非情の町 - Town Without Pity (1961年)
- 逢う時はいつも他人 - Strangers When We Meet (1960年) : 製作も
- スパルタカス - Spartacus (1960年) : 製作総指揮も
- 悪魔の弟子 - The Devil's Disciple (1959年)
- ガンヒルの決斗 - Last Train from Gun Hill (1959年)
- OK牧場の決斗 - Gunfight at the O.K. Corral (1957年)
- 将軍ベッドに死す - Top Secret Affair (1957年)
- 突撃 - Paths of Glory (1957年) : 製作総指揮も
- バイキング - The Vikings (1957年)
- 炎の人ゴッホ - Lust for Life (1956年)
- 赤い砦 - The Indian Fighter (1955年)
- 星のない男 - Man Without a Star (1955年)
- 海底二万哩 - 20000 Leagues Under the Sea (1954年)
- スピードに命を賭ける男 - The Racers (1954年)
- ユリシーズ - Ulisse (1954年)
- 想い出 - Un acte d'amour (1953年)
- 三つの恋の物語 - The Story of Three Loves (1953年)
- 悪人と美女 - The Bad and the Beautiful (1952年)
- 果てしなき蒼空 - The Big Sky (1952年)
- 地獄の英雄 - Ace in the Hole (1951年)
- 死の砂塵 - Along the Great Divide (1951年)
- 探偵物語 - Detective Story (1951年)
- ガラスの動物園 - The Glass Menagerie (1950年)
- 三人の妻への手紙 - A Letter to Three Wives (1949年)
- 情熱の狂想曲 - Young Man with a Horn (1949年)
- チャンピオン - Champion (1949年)
- 過去を逃れて(日本未公開作品)- Out of the Past (1947年)
[編集] 表彰
- アメリカ国家芸術賞 en:National Medal of Arts- (2001年)
- アカデミー名誉賞 - (1996年)
- アメリカ映画協会生涯功労賞 - (1991年)
- レジオンドヌール勲章- (1985年)
- 大統領自由勲章- (1981年)
- ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門) - (1956年)
- ニューヨーク映画批評家協会賞主演男優賞『炎の人ゴッホ』 - (1956年)
カークは過去、アカデミー主演男優賞に『チャンピオン』(1949)、『悪人と美女』(1952)、『炎の人ゴッホ』 (1956年)、3作品でノミートされたがいずれも受賞に至っていない。
また、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム、6263 Hollywood Blvdに星が埋め込まれ祀られており、2004年10月にはパームスプリングス国際映画祭がカーク・ダグラスに敬意を表して大通りに『Kirk Douglas Way』の名を冠した。
[編集] 脚注
- ^ Diana Douglas - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- ^ Joel Douglas - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- ^ Peter Douglas - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- ^ Eric Douglas - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- ^ “カーク・ダグラスの末息子、遺体で発見”. シネマトゥデイ. (2004年7月7日) 2009年8月20日閲覧。
- ^ Edemariam, Aida (2004年7月9日). “The lost son” (英語). guardian.co.uk 2009年8月20日閲覧。
- ^ “Kirk Douglas's youngest son dies” (英語). BBCニュース. (2004年7月7日) 2009年8月20日閲覧。
- ^ 鈴木和幸著『特撮の神様と呼ばれた男』アートン社刊
- ^ (マガジンハウス刊「スタアの40年 平凡 週刊平凡 秘蔵写真集」にも写真掲載有。
- ^ 小野俊太郎著『大魔神の精神史』角川書店刊 角川oneテーマ21
[編集] 参考文献
- 金丸 美南子 訳 『カーク・ダグラス自伝―くず屋の息子〈上・下巻〉』 早川書房刊
- カーク・ダグラス著『さぁ 見てくれ!(原題:Let's face it)』John Wiley & Sons社刊 邦訳版未刊行
- スキップ・プレス著『マイケルとカーク(原題:Michael and Kirk Douglas)Silver Burdett Press刊』邦訳版未刊行
[編集] 外部リンク
- Kirk Douglas - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- カーク・ダグラス本人のブログ:[2]