シドニー・ルメット

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シドニー・ルメット
Sidney Lumet
Sidney Lumet
2007年トロント国際映画祭にて
本名 Sidney Lumet
生年月日 1924年6月25日
没年月日 2011年4月9日(満86歳没)
出生地 ペンシルバニア州フィラデルフィア
死没地 ニューヨーク州ニューヨーク
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 映画監督演出家俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1939年 - 2007年
配偶者 リタ・ガム(1949年 - 1955年)
グロリア・ヴァンダービルト(1956年 - 1963年)
ゲイル・ルメット・バックリー[1](1963年 - 1978年)
メアリー・ギンベル(1980年 - 2011年)
家族 バルーク・ルメット(父)
エイミー・ルメット(長女)
ジェニー・ルメット(次女)
主な作品
十二人の怒れる男
セルピコ
狼たちの午後
ネットワーク
評決

シドニー・ルメットSidney Lumet, 1924年6月25日 - 2011年4月9日)は、アメリカ合衆国映画監督演出家ニューヨークを舞台に硬派な社会派映画作品を撮り続けた。リアリズムに徹した骨太な演出が特徴[2]

女優・脚本家のジェニー・ルメットは3番目の妻ゲイルとの間に生まれた2人の娘の2人目。

経歴[編集]

子役時代のルメット

シドニー・ルメットは1924年6月25日ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれた。彼の両親はポーランドユダヤ人で、イディッシュ劇場の演劇人だった。なお、父のバルーク・ルメット (Baruch Lumetは息子が監督した『質屋』(1964年)と『グループ』(1966年)の2作品に出演している。幼少の頃一家でニューヨークに移り住み、以後そこを拠点にすることになる。

ルメットは4歳で子役としてラジオドラマに出演。5歳でイディッシュ芸術劇場の舞台を踏み、10代から子役としてブロードウェイの舞台に立った。1939年には映画にも出演している。1942年コロンビア大学に入学するが、同時に陸軍に入隊し第二次世界大戦に従軍した。終戦後はオフ・ブロードウェイイーライ・ウォラックユル・ブリンナーたちと俳優グループを結成。このグループはのちにアクターズ・スタジオの母胎となったという。

俳優活動に飽きたらなくなったルメットは、1950年代に演出家に転向する。CBSで黎明期のテレビドラマの制作に手腕を発揮し、売れっ子演出家となった。この頃のルメットは5年間に約500本の作品を演出したという。テレビ局を辞めたあと、1957年に初の劇場映画『十二人の怒れる男』の監督を務める。ルメットはこの作品でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞、一躍人気監督の仲間入りを果たす。テレビ演出家から転じた映画監督としては草分け的存在であり、同時に非ハリウッド系の映画勢力であるニューヨーク派の旗手としての活躍が始まる。

1960年代のルメットは『夜への長い旅路』(1962年)や『質屋』(1964年)など、主に文芸作品の映画化で力を発揮した。『未知への飛行』(1964年)は冷戦時代に於ける核戦争の危機の本質を鋭く描いた作品である。1970年代には『セルピコ』(1973年)、『オリエント急行殺人事件』(1974年)、『狼たちの午後』(1975年)と次々に話題作を発表、名実共にアメリカ映画界を代表する巨匠となる。『ネットワーク』(1976年)ではゴールデングローブ賞 監督賞にも輝いた。

ルメットは1980年代も精力的に映画を製作するが、1990年代においてはやや精彩を欠いた。特に『グロリア』(1999年)は主演女優のシャロン・ストーンゴールデンラズベリー賞にノミネートされるなど駄作の烙印を押され、ルメット自身も終わった監督だと見なされる。しかし、最後の作品となった『その土曜日、7時58分』(2007年)では往年の緊張感溢れる演出が復活、批評家たちからも傑作と評価されルメット健在を印象付けた。

ルメットはアカデミー監督賞に4度、英国アカデミー賞監督賞に3度、カンヌ国際映画祭パルム・ドールに4度ノミネートされたが、これらはいずれも受賞には至らなかった。しかし2005年にはその生涯における業績を評価され、アカデミー名誉賞を贈られた。

2011年4月9日リンパ腫のためニューヨークの自宅で死去[3]。86歳没。

監督作品[編集]

左から製作年度、映画の邦題、原題の順に記述する。

受賞歴[編集]

アカデミー賞[編集]

受賞
2005年 アカデミー名誉賞
ノミネート
1958年 アカデミー監督賞:『十二人の怒れる男
1976年 アカデミー監督賞:『狼たちの午後
1977年 アカデミー監督賞:『ネットワーク
1982年 アカデミー脚色賞:『プリンス・オブ・シティ
1983年 アカデミー監督賞:『評決

ゴールデングローブ賞[編集]

受賞
1977年 監督賞:『ネットワーク
ノミネート
1958年 監督賞:『十二人の怒れる男
1976年 監督賞:『狼たちの午後
1982年 監督賞:『プリンス・オブ・シティ
1983年 監督賞:『評決
1989年 監督賞:『旅立ちの時

脚注[編集]

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  1. ^ 女優レナ・ホーンの娘。
  2. ^ 百科事典『マイペディア』の「シドニー・ルメット」の項目より
  3. ^ 米映画監督 シドニー・ルメット氏死去 「十二人の怒れる男」 産経新聞 2011年4月10日閲覧

外部リンク[編集]