ロマン・ポランスキー
| ロマン・ポランスキー Roman Polanski |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011年11月、『おとなのけんか』のパリ・プレミアにて。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 本名 | Rajmund Roman Liebling | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 生年月日 | 1933年8月18日(78歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 出生地 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 配偶者 | Barbara Lass (1959-1962) シャロン・テート (1968-1969) エマニュエル・セニエ (1989-) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロマン・ポランスキー(Roman Polanski, 1933年8月18日 - )は、ポーランドの映画監督。
目次 |
[編集] プロフィール
[編集] 生い立ち
ユダヤ教徒のポーランド人の父親とカトリック教徒でロシア生まれのポーランド人の母親の間にフランスの首都のパリで生まれる[1][2][3][4]。出生時の名前はライムント・ロマン・リープリンク(Rajmund Roman Liebling)。3歳のとき一家はポーランドのクラクフに引越し、そこで幼少期を過ごした。第二次世界大戦時はナチス・ドイツがクラクフに作ったユダヤ人ゲットーに押し込められた。ゲットーのユダヤ人が一斉に逮捕される直前、父親はゲットーの有刺鉄線を切って穴を作り、そこから息子を逃がした。父母はドイツ人に別々に連行された。母親はアウシュビッツでドイツ人に虐殺された。父親はドイツ人により採石場で強制労働をさせられ、終戦まで生き残った。
また自身も、ドイツに占領されたフランスのヴィシー政権下における「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡した。この体験がポランスキーの作品に深く影響を与えることとなった。
[編集] 俳優
第二次世界大戦終結後にポーランドへ戻り、生き延びた父親と再会した。その後は映画に興味を持ち、冷戦下の1950年代にポーランドで俳優として活動を始める。いくつかのポーランド映画に出演後、自由な表現活動を求めてフランスに移った。
[編集] 映画監督
1962年に『水の中のナイフ』で監督デビュー。共産党一党独裁体制のポーランドでは黙殺されたが西側諸国で絶賛された。その評判に惹かれるように1963年にイギリスに渡り映画『吸血鬼』などを製作する一方で、アメリカのヒューストンに居を構える。
[編集] シャロン・テートとの結婚と殺人
『吸血鬼』に出演した女優シャロン・テートと結婚(2度目の結婚)。しかし、ほどなくして1969年8月9日に、チャールズ・マンソン率いるカルト教団にテートを惨殺されるという事件に襲われる。テートは殺害された時、ポランスキーの子を身ごもっていた。
[編集] 少女への淫行容疑
ポランスキーはアメリカに絶望するが、立ち直り作品を撮り続けた。しかし1977年にジャック・ニコルソン邸で、当時13歳の子役モデルに性的行為(強姦・アナルセックス)をした嫌疑をかけられ逮捕、裁判では司法取引により法定強姦の有罪の判決(実刑 懲役50年以上という換算)を受ける。ポランスキーは法廷の外では無実を主張、これは冤罪であり本人は少女とその母親による恐喝の対象になっていたと述べている[5]。その後、保釈中に「映画撮影」と偽ってアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡した。以後アメリカへ1度も入国していない。1978年にフランスに移り市民権を取得した。79年の作品『テス』で主演をつとめることになるナスターシャ・キンスキーとは彼女が15歳の頃から性的関係を結んでいた[6][7]。1989年に女優のエマニュエル・セニエと3度目の結婚をしている。
[編集] 現在
主に1960年代から1970年代にかけて活躍したものの、それ以降は凡作が続き全盛期は過ぎたと見られていたが、2002年公開の『戦場のピアニスト』でアカデミー監督賞を受賞(上記の問題により逮捕・収監の可能性があるため授賞式には参加せず)、この受賞当時ポランスキーは69歳と7ヶ月で同賞の最年長受賞者となった。この記録はクリント・イーストウッドが74歳で受賞した2005年に破られた。
2009年9月、チューリッヒ映画祭の「生涯功労賞」授与式に出席するためスイスに滞在中、前述の少女への淫行容疑に関連してスイス司法当局に身柄を拘束された[8]。アメリカは身柄引き渡しを要求したがスイスはこれを拒否、2010年7月12日に釈放を決定した[9]。
[編集] その他
- 日本では慣用的にポランスキーと呼ばれているがポーランド語ではPolańskiと綴り[pɔˈlaɲskʲi]とよむ。
- 1976年に香港で開催されたミス・ユニバース世界大会で、バレリーナのマーゴ・フォンテイン、女優のブリット・エクランドらと共に審査員を務めた。
[編集] 主な作品
[編集] 監督
- 水の中のナイフ Nóz w wodzie (1962)
- 反撥 Repulsion (1964)
- 世界詐欺物語 Le plus belles escroqueries du monde (1964)
- 袋小路 Cul-de-sac (1965)
- 吸血鬼 The Fearless Vampire Killers (1967)
- ローズマリーの赤ちゃん Rosemary's Baby (1968)
- マクベス Macbeth (1971)
- ポランスキーの欲望の館 What?(1972)
- チャイナタウン Chinatown (1974)
- テナント/恐怖を借りた男 The Tenant / Le Locataire (1976)
- テス Tess (1979)
- ポランスキーのパイレーツ Pirates (1986)
- フランティック Frantic (1988)
- 赤い航路 Bitter Moon (1992)
- 死と処女 Death and the Maiden (1995)
- ナインスゲート The Ninth Gate (1999)
- 戦場のピアニスト The Pianist (2002)
- オリバー・ツイスト Oliver Twist (2005)
- それぞれのシネマ To Each His Own Cinema (2007)
- ゴーストライター The Ghost Writer (2010)
- おとなのけんか Carnage (2011)
[編集] 出演
- 世代 Pokolenie (1954)
- マジック・クリスチャン The Magic Christian (1969)
- 処女の生血 Dracula cerca sangue di vergine... e morì di sete!!! (1974)
- バック・イン・ザ・USSR Back in the U.S.S.R. (1992)
- 他人のそら似 Grosse fatigue (1994)
- 記憶の扉 Pura formalità, Una (1994)
- ラッシュアワー3 Rush Hour 3 (2007)
[編集] 主な受賞
- アカデミー賞
- ゴールデングローブ賞
- 英国アカデミー賞
- 1974年度 監督賞『チャイナタウン』
- 2002年度 監督賞『戦場のピアニスト』
- セザール賞
- 1979年度 監督賞『テス』
- 2002年度 監督賞『戦場のピアニスト』
- ヨーロッパ映画賞
- 1999年度 世界的功績賞『ナインスゲート』
- 2006年度 功労賞
- カンヌ国際映画祭
- 2002年度 パルム・ドール『戦場のピアニスト』
- ヴェネツィア国際映画祭
- ベルリン国際映画祭
[編集] 脚注
- ^ The Guardian profile: Roman Polanski | The Guardian | Guardian Unlimited
- ^ The religion of director Roman Polanski
- ^ Roman Polanski | UXL Newsmakers | Find Articles at BNET.com
- ^ Crisis Magazine
- ^ Polanski, Roman (1984). Roman by Polanski. William Morrow & Co.. ISBN 978-0688026219.
- ^ Leaming, Barbera Polanski, A Biography: The Filmmaker as Voyeur, New York: Simon and Schuster (1981), p. 155.
- ^ Roman Polanski: Wanted and Desired (directed by Marina Zenovich), HBO in 2008.
- ^ “Polanski arrested in connection with sex charge”. 2009年9月27日閲覧。
- ^ “ポランスキー監督釈放、米への移送はスイス拒否” ((日本語)). 読売新聞. (2010年7月13日) 2010年7月13日閲覧。
[編集] 関連項目
- タキ・テオドラコプロス
- ブルース・リー
- 桑田佳祐(2009年開催のアクト・アゲインスト・エイズにて「映画音楽寅さん チャラン・ポランスキー監督・脚本・主演『男はしたいよ』」というタイトルのコンサートを開催)
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||||||||||||||
|
||||||||