スティーヴン・スピルバーグ

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スティーヴン・スピルバーグ
Steven Spielberg

1999年 米国国防総省にて
本名 Steven Allan Spielberg
生年月日 1946年12月18日(61歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ
国籍 アメリカ合衆国の旗アメリカ
民族 ロシア系ユダヤ人
職業 映画監督
映画プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1969年 - 現在
活動内容 1969年:TV脚本家デビュー
1971年:TV映画監督デビュー
1974年:劇場映画監督デビュー
1975年:「ジョーズ」でブレイク
1993年:アカデミー賞受賞
1998年:アカデミー賞受賞
配偶者 アミー・アーヴィング(1985-89)
ケイト・キャプショー (1991 - )
家族 ジェシカ(1976-) 現妻の連子
マックス(1985-) 前妻との実子
セオ(1988-) 現妻の連子
サーシャ(1990-) 実子
サイヤー(1992-) 実子
ミカエラ(1996-) 養子
デストリー(1996-) 実子
主な作品
ジュラシック・パーク』シリーズ
ジョーズ』シリーズ
E.T.
シンドラーのリスト
インディー・ジョーンズ』シリーズ
プライベート・ライアン
A.I.
ミュンヘン
備考
アンブリン・エンターテインメント及びドリームワークスの共同創業者

スティーヴン・アラン・スピルバーグ KBESteven Allan Spielberg KBE, 1946年12月18日 - ) は、アメリカ映画監督映画プロデューサー

目次

[編集] 人物

監督としての功績
監督としては、世界最高のヒットメーカーの一人として挙げられる。撮影においてリハーサルをほとんど行わないなど、凄まじいほどの早撮りで、3時間近くある自身渾身の大作『プライベート・ライアン』はわずか3ヶ月で撮影を終えたという。また、このために多作である。製作費を安く抑えることでも知られ、製作費が1億ドルを越えたのは『マイノリティ・リポート』と『宇宙戦争』だけである。このことに関しては、ルーカスの助言が影響している[1]。撮影機材に精通した監督として知られている事も忘れてはなるまい。ちなみ彼に関する業界内のジョークとして、「3カット目と7カットをよく使う」といわれる。彼曰く、役者が一番いい演技をするのはそのあたりだそうだ。この独自の考え方が、結果的には驚異的な早撮りにも繋がっている。
ただし粘り強く時間をかけて演技を引き出すタイプでないからなのか、監督作の出演者はアカデミー賞演技部門の受賞には恵まれていない。その一方で『太陽の帝国』のベン・スティラーや『フック』のグウィネス・パルトロウなど、駆け出しの頃にスピルバーグ作品に出演して注目された例もある。
作風
昨今のリメイク映画を連発するアメリカ映画界の傾向には批判的で、新作をものにしようという意識は製作総指揮作『トランスフォーマー』にも反映されている。
劇場映画初監督の『続・激突! カージャック』はTVムービー『激突!』とは本来無関係の作品であるし、脚本の検討に時間がかかるとして『ジョーズ』続篇の映画化にはタッチせず、高い収益を上げた『E.T.』は(利益が見込める)続篇を求められても拒否した。監督作『ジュラシック・パーク』は2作目ですでにあまり乗り気ではなく3作目は監督せずプロデュースにまわった。プロデュース作品はシリーズ化されたものも多くありTVでも『ER緊急救命室』が十年以上続くなど成功しているが、目下監督を手がけるシリーズは『インディ・ジョーンズ』だけである。
家族・友人
女優のエイミー・アービングと1985年結婚、長男マックスをもうける。89年離婚。現在の妻は、女優ケイト・キャプショー
同業のジョージ・ルーカスは友人かつ一番のライバルであり、『インディ・ジョーンズ』シリーズを一緒に製作しているほか、『スター・ウォーズ』でも一部を手伝ったことがある。

[編集] 来歴

幼少~学生時代
ロシア系ユダヤ移民の3代目。Spielbergというドイツ語の苗字は直訳すると「芝居山」という意味で、祖先が17世紀に居住していたオーストリアの町の名前に由来する。英語訳では「Playmount」となり、彼が若い頃の映画製作の社名にしていた。
オハイオ州に生まれ、アリゾナ州に育つ。古い資料では1947年生まれとなっているが、これはスピルバーグが長年1947年生まれと偽ってきたためで、1946年生まれが正しい。
幼い頃から8ミリカメラで自主的に映画を製作する。スタンリー・キューブリックデヴィッド・リーン黒澤明アルフレッド・ヒッチコック、『ゴジラ』など様々な映画の影響をうけるが、特にディズニー映画は初期の彼の作品にさまざまな影響を与えている。彼自身、雑誌のインタビューで「ウォルト・ディズニーこそ僕の生みの親で、テレビは育ての親だ」と語っている。
映画学科が充実していることで知られる南カリフォルニア大学への入学を希望したが、3度にわたり入学を断られたため、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校にて映画を専攻したものの中退し、後に再度入学し卒業した。皮肉にも後に、南カリフォルニア大学の名誉教授に就任する。
1970~1980年代
1972年に、テレビ映画として撮った『激突!』が評判を呼び、海外では劇場公開され、スピルバーグの名前が世界に知られるようになる。1974年に『続・激突! カージャック』で、劇場用映画監督に進出。
初期の頃は、娯楽映画をつくることで評価を得ていたが、やがて上記のように様々なジャンルの映画を手がけるようになる。ヒット作に『ジョーズ』、『未知との遭遇』、『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『E.T.』、『ジュラシック・パーク』、『シンドラーのリスト』など多数。
1990~2000年代
1993年アカデミー賞では、『シンドラーのリスト』で作品賞監督賞を受賞する。スピルバーグは、この作品の製作に意欲的で報酬を断っている。
1994年ドリームワークスを設立。1998年に『プライベート・ライアン』で、2度目のアカデミー監督賞を受賞する。2001年英国王室より、ナイト爵を授与された。
宇宙戦争』のオリジナルCMを日本限定で公開するなど、親日家でも有名。家族と共に三鷹の森ジブリ美術館を訪れたこともある。

[編集] 余談

和牛への貢献
欧米(とくにハリウッド)で和牛の普及におおいに貢献する。彼があまりに神戸ビーフを連呼したがために、和牛=神戸ビーフと呼ばれるようになってしまったという逸話がある。
オリンピックとの関係
ソルトレークシティオリンピックの開会式では、オリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めたほか、北京オリンピックの組織委員会芸術顧問を務めるなど、オリンピックとは繋がりが深い。2008年2月12日、中国政府のスーダンダルフール紛争に対する姿勢を理由に、芸術顧問を辞退することを表明した。
テレビゲーム好き
テレビゲームが好きで、特に『シェンムー』を高く評価した事で知られる。シェンムーのディレクターである鈴木裕にサインを求めた事がある。また2006年5月10日~5月12日にかけて開催されたE3では、ゲームプロデューサーである宮本茂と任天堂のゲーム機である「Wii」を使用して『Wii Sports』のテニス対決をし、大きな話題となった。この模様はAP通信が伝え、全世界に配信された。
アニメーション・漫画ファン
日本漫画のファンであり、自身の作品にもその影響が見られる。
自ら監督・製作した映画への出演
通行人などでほんのわずか出演することがある(カメオ出演)。
収入
フォーブス誌の発表によると2007年の年収は3億3200万ドル(約380億円)だった。

[編集] フィルモグラフィー

ロナルド・レーガン大統領夫妻とともに
ロナルド・レーガン大統領夫妻とともに

[編集] 主な監督作品

[編集] 公開予定の監督作品

[編集] 主な製作作品

[編集] 主な製作総指揮作品

スピルバーグは多くの監督作品を手掛けているが、実際には本人の知名度の高さ故に名義貸しの製作総指揮作品の方が圧倒的に多い。『トランスフォーマー』などにおいても、監督よりも製作総指揮である彼の名前の方が前面に押し出されて宣伝されている。製作総指揮は映画製作に実際はほとんど介入できないことが多いが、明確な仕事の内容は決まってはいない。そのため、スピルバーグは製作総指揮作品でも製作に参加することがある(例として、『トランスフォーマー』では主演のシャイア・ラブーフを始めとして、ほとんどのキャスティングを行ったという)。

[編集] カメオ出演

[編集] 関連文献

  • 猪狩哲郎著『スピルバーグ ハリウッド魔宮の伝説』竹書房、1986年5月、ISBN 4884750179
  • フランク・サネッロ著、中俣真知子訳 『はじめて書かれたスピルバーグの秘密』 学習研究社、1996年11月、ISBN 4-05-400714-7
  • ジョン・バクスター著、野中邦子訳 『地球に落ちてきた男 スティーブン・スピルバーグ伝』 角川書店、1998年1月、ISBN 4-04-791289-1
    • 原著: John Baxter, Steven Spielberg: The Unauthorized Biography, HarperCollins, May 1997, ISBN 0002555875, Trafalgar Square, Feb 1998
  • 橋本勝著『スピルバーグ』(『For beginnersシリーズ』88)、現代書館、2000年2月、ISBN 4768400884
    • 年譜あり
  • 筈見有弘著『スピルバーグ』(講談社現代新書)、講談社、1987年11月、ISBN 4-06-148875-9
    • スピルバーグ関係ブックガイド・フィルモグラフィ: p202~208
  • ダグラス・ブロード著、栗山微笑子訳『スティーブン・スピルバーグ シネマの天才』(『シネマ・スター・ライブラリー』)、シンコー・ミュージック、1995年11月、ISBN 4401615271
  • アンドリュー・ユール著、高橋千尋訳『スティーブン・スピルバーグ 人生の果実』プロデュース・センター出版局、1999年10月、ISBN 4938456540
    • 原著: Andrew Yule, Steven Spielberg: Father to the Man,Little Brown and Company, 05 Dec 1996,
      Andrew Yule, Steven Spielberg: Father of the Man: His Incredible Life, Tumultuous Times and Record-Breaking Movies, Warner Little Brown & Co Ltd, Nov 2002, ISBN 0751512907
  • アンドリュー・アルバネーゼ/ブランドン・トリスラー編 佐々田雅子訳『グラデュエーションデイ~未来を変える24のメッセージ』、2007年4月、ISBN 9784903825007
    • スピルバーグのスピーチ収録

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク