スティーヴン・スピルバーグ

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スティーヴン・スピルバーグ
Steven Spilberg
Steven Spilberg
2011年7月
本名 Steven Allan Spielberg
生年月日 1946年12月18日(68歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州シンシナティ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
民族 ユダヤ系アメリカ人
職業 映画監督
映画プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1969年 -
活動内容 1969年:テレビ脚本初執筆
1971年:テレビ映画初監督
1974年:劇場映画初監督
1975年:『ジョーズ』でブレイク
1993年:アカデミー賞受賞
1998年:アカデミー賞受賞
配偶者 エイミー・アーヴィング (1985 - 89)
ケイト・キャプショー (1991 - )
著名な家族 ジェシカ (1976 - ) 現妻の連子
マックス (1985 - ) 前妻との実子
セオ (1988 - ) 現妻の連子
サーシャ (1990 - ) 実子
サイヤー (1992 - ) 実子
ミカエラ (1996 - ) 養子
デストリー (1996 - ) 実子
主な作品
ジュラシック・パーク』シリーズ
ジョーズ
E.T.
シンドラーのリスト
『インディ・ジョーンズ』シリーズ
プライベート・ライアン
備考
アンブリン・エンターテインメント及びドリームワークスの共同創業者

スティーヴン・アラン・スピルバーグ: Steven Allan Spielberg, 1946年12月18日 - ) は、アメリカ合衆国映画監督映画プロデューサーアメリカ映画アカデミー会員。大英帝国勲章 (KBE) 受章。

経歴[編集]

オハイオ州シンシナティウクライナ系ユダヤ人[1]の家庭に生まれ、アリゾナ州に育つ。古い資料では1947年生まれとなっているが、これはスピルバーグが長年1947年生まれと偽ってきたためで、1946年生まれが正しい。Spielberg(シュピールベルク)というドイツ語の姓は直訳すると「芝居山」という意味で、祖先が17世紀に居住していたオーストリアの町の名前に由来する。英語訳では「Playmount」となり、彼が若い頃の映画製作の社名にしていた。父のアーノルド・スピルバーグ (1917 - ) は電気技師、母のリア・アドラーはコンサートピアニスト(後に、レストラン経営者となり、ロサンゼルスで“The Milk Way”というユダヤの乳製品料理のレストランを始める)であった[2]

父の仕事の都合上、引っ越しが多かったという。ユダヤ人であったほか、ディスレクシア(失読症もしくは難読症、学習障害の一種)のために同級生より読み書きを修得する速度が遅く、このためいじめも受けたこともあった[3]。両親は離婚しており、これが後の作品に大きな影響を及ぼすことになる。

初めて観た映画は5歳の頃に鑑賞した『地上最大のショウ』。幼い頃から8ミリカメラで自主的に映画を製作する。きっかけは13歳の頃、家族旅行の際に父親から8ミリカメラを渡され撮影係を頼まれたためだという。スタンリー・キューブリックデヴィッド・リーン黒澤明アルフレッド・ヒッチコック、『ゴジラ』など様々な映画の影響をうけるが、特にディズニー映画は初期の彼の作品にさまざまな影響を与えている。彼自身、雑誌のインタビューで「ウォルト・ディズニーこそ僕の生みの親で、テレビは育ての親だ」と語っている。

17歳の時、アリゾナに住んでいたスピルバーグはカリフォルニアに遊びに来た際、ユニバーサル・スタジオをバスで回るツアーに参加。ツアーの途中でトイレに隠れてバスが去ってからスタジオ内を探索するという大胆な行動を行った。スタジオで映像保管係をしていたスタッフと知り合うと、3日間の通行証を作ってもらったためその3日間で人脈を作り、スタジオには顔パスで入れるようになり、通行証なしで出入りできるようになったという[4]。この頃、映画監督のジョン・フォードと出会う。

1965年からカリフォルニア州立大学ロングビーチ校にて映画を専攻。この頃になると、スピルバーグは大学に通う一方で休みになるとユニバーサルへ潜り込むようになり、ついには空き部屋だった掃除小屋を自分のオフィスとして使用してユニバーサルに居候を始め、ハリウッドを出入りするようになる。その後、21歳のときに、オープニングタイトルとオプチカル効果の会社を経営しているデニス・ホフマンと知り合い、映画製作資金を提供してもらうこととなり、最初の作品「アンブリン」を完成させる。この映画がユニバーサルテレビ部門の責任者シドニー・シャインバーグの目に止まり、ユニバーサルと7年契約することとなる。

しかし、上記の契約のため大学の卒業は困難になり、1969年にカリフォルニア州立大学は中退した。後に再度入学し卒業、2002年にB.A.(学士号)を取得。なお、1999年にブラウン大学から名誉博士号を授与されている。

キャリア[編集]

1970 - 1980年代[編集]

1972年に、テレビ映画として撮った『激突!』が評判を呼び、海外では劇場公開され、スピルバーグの名前が世界に知られるようになる。1974年に『続・激突! カージャック』で、劇場用映画監督に進出。

1975年に公開された『ジョーズ』はそれまでの『ゴッドファーザー』の記録を破り1977年に『スター・ウォーズ』に抜かれるまで世界歴代興行収入1位を記録する大ヒットとなり一流監督の仲間入りを果たす。その他ヒット作に『未知との遭遇』、『インディ・ジョーンズ』シリーズなど多数存在し、1982年の『E.T.』では2度目の世界歴代興行収入1位を記録し、1997年に『タイタニック』に破られるまで続いた。

初期の頃は、娯楽映画で評価を得ていたが、やがて様々なジャンルの映画を手がけるようになる。

また、1980年頃より、自ら監督を務めない作品でも、プロデューサーとして名を連ねることが多くなった。ただし、必ずしも製作指揮をとっていたわけではなく、製作資金を確保するために名前を貸したケースも多い(詳細は#主な製作総指揮作品を参照)。

1990 - 2000年代前半[編集]

1993年には『ジュラシック・パーク』を大ヒットさせ、同年のアカデミー賞では『シンドラーのリスト』で作品賞監督賞を受賞する。スピルバーグは、この作品の製作に意欲的で報酬を断っている。

1994年ドリームワークスを設立。1998年に『プライベート・ライアン』で、2度目のアカデミー監督賞を受賞する。1999年4月に南カリフォルニア大学のロバート・ゼメキス・センターに50万ドルを寄付した。2001年英国王室エリザベス2世)より、ナイト爵を授与された。

2000年以降[編集]

ドリームワークスの経営者としての活動が多くなり、監督作品を出すペースもやや遅くなりつつある一方でプロデューサー(製作総指揮)としての活動が盛んになり、『トランスフォーマー』や『イーグル・アイ』で大ヒットを飛ばす。3年ぶりの監督作であり19年ぶりの続編となる『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』では興行的には成功したものの、ゴールデンラズベリー賞最低リメイク及び続編賞を受賞する不名誉な結果となった。

近年では、パラマウント映画との関係が悪化するなどで契約上のトラブルが多くなり、長年温めている企画であるエイブラハム・リンカーンの映画も制作に取り掛かるまでに時間を要したが、2011年秋にようやく撮影開始となった。その後は2年間で監督作3作品を公開し、その内2作品が2年連続でアカデミー作品賞にノミネートされるなどの活躍を見せている。

2013年2月には第66回カンヌ国際映画祭の審査委員長に就任し、5月15日から26日の間で審査員長を務めた。「映画が世界共通の言語であることを長年に渡って証明し続けてきた、最も権威ある映画祭の審査委員長を務めることを大変光栄に思っている」と語っている。

2012年1月には旧約聖書に記される古代イスラエルのモーゼを描く映画『Gods and Kings』(原題)の監督にほぼ決定したと報じられたが[5]、2013年3月に降板が決定した[6]。2013年5月にはアメリカの狙撃手の実話を映画化する「American Sniper(原題)」の監督に就任したと報じられたが、8月に降板したと、Deadlineで報じられた[7]

人物[編集]

作風・監督作品の特徴[編集]

(IMDb Steven Spielberg http://www.imdb.com/name/nm0000229/bio の翻訳転載)

監督作品はアクション、ロマンス、サスペンス、コメディ等様々な要素を盛り込まれ、視覚効果も駆使したヒット作が多い。1980年代半ばからよりドラマ性の強い作風に変化している。

劇場映画初監督の『続・激突! カージャック』はテレビ映画『激突!』とは本来無関係の作品であるし、脚本の検討に時間がかかるとして『ジョーズ』続篇の映画化にはタッチせず、高い収益を上げた『E.T.』は(利益が見込める)続篇を求められても拒否した。監督作『ジュラシック・パーク』は2作目ですでにあまり乗り気ではなく、3作目は監督せずプロデュースにまわった。プロデュース作品はシリーズ化されたものも多くあり、テレビでも『ER緊急救命室』が10年以上続くなど成功しているが、目下監督を手がけるシリーズは『インディ・ジョーンズ』だけ。リメイクも『トワイライトゾーン/超次元の体験』第2話、『オールウェイズ』、『宇宙戦争』と作品数は多くない。

監督としての功績[編集]

監督としては、世界最高のヒットメーカーの一人として挙げられる。監督作品の全米生涯興行収入は2014年現在で計41億5590万1520ドル(約4155億円)に達しており、歴代1位を記録している[8]。また、プロデュース作品の同興行収入も計67億2221万5241ドル(約6876億円)を記録していて、歴代1位である[9]

撮影においてリハーサルをほとんど行わないなど、凄まじいほどの早撮りで、3時間近くある自身渾身の大作『プライベート・ライアン』は2か月で撮影を終えたという。また、このために多作である。製作費を安く抑えることでも知られ、製作費が1億ドルを越えたのは『マイノリティ・リポート』、『宇宙戦争』、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』、『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』。このことに関しては、ルーカスの助言が影響している[10]

撮影機材に精通した監督としても知られている。また、多くの監督がデジタルで撮影を行っている中、彼は未だにフィルムを使用している。『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』はモーションキャプチャによるアニメーションという形となったため、監督としては初となるデジタル撮影かつ3Dでの公開となった。『戦火の馬』でもフィルム撮影でありながら、編集はAvidを用いてデジタル作業で行われた。

ダニエル・デイ=ルイスが『リンカーン』で受賞するまで、監督作の出演者はアカデミー賞演技部門ではノミネートにとどまり受賞には恵まれなかった。その一方で『太陽の帝国』のベン・スティラークリスチャン・ベイル、『フック』のグウィネス・パルトロウなど、駆け出しの頃にスピルバーグ作品に出演して注目された例もある。

友人[編集]

同業のジョージ・ルーカスは長年の親友かつ一番のライバルであり、ルーカスの学生時代の作品『電子的迷宮/THX 1138 4EB』を観た当時は「彼が大嫌いだった、私よりずっとうまく映画を撮るから」と、純粋な対抗心を持っていたことを打ち明けている。ルーカスとは『インディ・ジョーンズ』シリーズを一緒に製作しているほか、『スター・ウォーズ』でも一部を手伝ったことがある。『レイダース』を生んだ1977年、ハワイでの休暇で、新作『スター・ウォーズ』の失敗を確信していたルーカスは自身が受け取る『スター・ウォーズ』の収益歩合と、スピルバーグが受け取る『未知との遭遇』の収益歩合を交換しようと持ち掛けスピルバーグも了承(正確には印税の2.5%を交換)。『スター・ウォーズ』は『未知との遭遇』を超える大ヒットとなり、現在になってもスピルバーグに利益をもたらしている。また、この『スター・ウォーズ』の収益のお陰でコロンビア映画は破産を免れたという。

その他にもマーティン・スコセッシフランシス・フォード・コッポラクリント・イーストウッドといった監督と長年の交友があり、トム・ハンクスハリソン・フォードリチャード・ドレイファストム・クルーズなどの俳優陣と親交が深く自身の監督作にも頻繁に起用している[11]

バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』で長男マックスが2015年の世界で『ジョーズ19』(小説版では『ジョーズ14』)を監督しているジョークがあったが、現実ではゲームソフト『メダル・オブ・オナー』製作に一部関わったり、『ターミナル』に端役で出演したりしている。『ターミナル』にはサーシャも出演。この後『ミュンヘン』と『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』にも出演した。トム・ハンクス主演の『ビッグ』で脚本を書いたアンは実妹。もう一人の妹ナンシーと学生時代のスピルバーグ作品に参加した。また父が『プライベート・ライアン』メイキングに出演している。

常連スタッフ[編集]

スピルバーグ自身が監督する作品の製作総指揮は、初期からキャスリーン・ケネディとの連名になっており、キャストのオーディションなどにも同席する。その他、自らの監督作品には作曲家のジョン・ウィリアムズ、編集のマイケル・カーンら、多くのスタッフを継続して起用する傾向がある(製作に名を連ねているだけの場合は、現場の監督らに人選を任せる)。それは、気心が知れたスタッフなら、簡単な指示を出すだけで自分の意向に沿った仕事をしてくれるため、時間と資金の節約になるからである。

カーンは、ビデオで編集したくないというスピルバーグの意向から、ノンリニア編集を使わず極力フィルムによる編集を心がけているという[12]。2013年にはアメリカ映画編集者協会(ACE)より第63回ACEエディ賞授賞式にて、監督と編集者の関係を数10年にわたって維持してきた功績を称えられ、特別賞にあたる「ACE Golden Eddie Filmmaker of the Year賞」を授与された[13]

撮影監督は1990年代からのヤヌス・カミンスキーとの作品が続いている。初期作品を支えた撮影監督はアレン・ダヴィオーであり、また2作で組んだヴィルモス・スィグモンドから受けた影響の大きさも語っている。

新技術に対する姿勢[編集]

DVDが新メディアとして登場した際、監督、プロデューサー、俳優らによるオーディオコメンタリーの録音が盛んに行われるようになったが、スピルバーグは「コメンタリー嫌い」と公言し、自身の監督作品のDVDにコメンタリーを吹き込むことは一切なく、他のスタッフやキャストによるコメンタリーも入れさせない。その代わりに、特典映像を豊富に提供するという姿勢を取っている。

ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』で全編デジタル撮影を行ったのをきっかけに、ハリウッド業界の大勢は安価で増産もしやすいデジタル化に傾いたが、スピルバーグは慎重な態度を示した。2002年末の『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』公開時点で全米に36000以上あった劇場映画用スクリーンのうち、デジタル・スクリーンがわずか100以下しか存在しなかったというのが主な理由だが、35ミリのセルロイド・フィルムの絵を好むことでも知られるスピルバーグは、自身をラッダイト運動にたとえて「デジタル映像化は進歩とはいえない。キズなどが付かない綺麗な映像は作れても、映画製作における芸術性を損なう」「映画というのは、1人でノートパソコンで見るより、知らない者同士が映画館に集まって、一緒にチカチカする映像を見るものだ」ともコメントした[14]

次世代DVD規格をめぐってBlu-rayHD DVDが競合した際、スピルバーグ作品の配給元・販売元であるパラマウント映画社は後者を支持したが、スピルバーグ自身は規格争いが終息するまで待つという構えを崩さなかった。そのため、スピルバーグ監督作品は一切、HD DVD化されなかった。

アカデミー賞とヒットメーカー[編集]

1981年に「私はアカデミー賞を獲れないだろう」と発言したスピルバーグだが、1998年の『プライベート・ライアン』でアカデミー監督賞(2度目の)受賞スピーチでは「どうしても欲しかった」と語った。

未知との遭遇』と『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で監督賞、『E.T.』で監督賞と作品賞にノミネートされたが受賞は出来ず、『カラー・パープル』では作品、脚色主演女優賞を含む10部門にノミネートされながら全て逃し、自身は監督賞にノミネートもされないという苦い思いを味わった。1980年代はスピルバーグにとって娯楽性の高い作風からシリアス路線へと移行した時期だが、アーヴィング・G・タルバーグ賞を1987年に40歳という異例の若さで受賞した際には「オスカーが獲れないのはヒット連発に対する嫉み」という噂が立つことになった[15]。『ジュラシック・パーク』を大ヒットさせた同じ年に『シンドラーのリスト』でアカデミー監督・作品賞をダブル受賞。

マイノリティ・リポート』と『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)、『宇宙戦争』と『ミュンヘン』(2005年)とシリアスな作品とより娯楽性の高い作品が同じ年に作られたが、3度目の受賞には至っていない。

逸話[編集]

親日家

親日家としても有名で、『宇宙戦争』の日本限定のCMを公開したり、自らの作品及び製作に携わった作品の予告編の前振りに出演することがある。『1941』の日本版サントラの解説によると食べ物の中で寿司が好物とのこと。ウナギの蒲焼きが大好物[要出典]とも言われる。自宅の門には日本語で「スチーブン スピルバーグ」と彫られた木製の表札が掛かっており、これは三船敏郎が『1941』に出演した際にプレゼントしたものである。2001年に『A.I.』と『鉄腕アトム』の類似性について尋ねられた際、「日本のテレビ局のインタビューを受けるまで、『鉄腕アトム』という作品の存在すら知らなかった」と答えた[16]。ただし手塚治虫とは一時親交があった。手塚治虫はテレビのインタビューで、スビルバーグ監督からもらった色紙を披露しており、そこにはサインとともに監督直筆のETが描いてあった。また手塚治虫は、自分とスピルバーグとの共通点は黒澤明監督から影響を受けていることだと述べている。

自ら監督・製作した映画への出演

通行人などとして、数秒カメオ出演することがある。

影響を受けた作品

スピルバーグが影響を受けた映画は数多く、本人曰く103本くらいあるという。また、テレビやラジオ、家族から聞いたお伽話からも影響を受けている、と語っている[17]

映画の撮影前や製作に行き詰まったときに、もの作りの原点に立ち戻るために必ず観る映画として、『捜索者』『七人の侍』『素晴らしき哉、人生!』『アラビアのロレンス』を挙げている[18]

特に『アラビアのロレンス』は、彼を最も映画監督になりたいと思わせた映画であると語っている。また、この映画は1962年に、ロイヤル・プレミアで公開された際には222分の上映時間であったが、その1か月後には約20分カットされ、以後も上映効率のためなどで次々と短くなっていった。しかし、スピルバーグやマーティン・スコセッシの働きかけにより、欠落部分を探し出し、監督のデヴィッド・リーン自身が最終的に216分にまでに編集し、1989年に〈完全版〉として再上映させることに成功した(復元には2年を費やし、費用が掛かりすぎたため、一時は完成も危ぶまれた)。その後、2001年にリリースされたDVDには、特典としてスピルバーグ自身が『アラビアのロレンス』を語るという映像を収録し、「A miracle of a film」という賛辞をDVDパッケージにコメントしている。また、『インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険』では、若きインディアナ・ジョーンズは、1908年エジプトにて、T・E・ロレンス(『アラビアのロレンス』の主人公)と実際に出会っている。ロレンスはインディにとっても、考古学者としての先輩であり、旧友であったという。

私生活[編集]

妻と子供[編集]

1985年から89年までは女優のエイミー・アーヴィングと結婚していた。1989年の離婚調停で、裁判官が弁護士無しでナプキンに書かれた婚前契約書を無効としたため、アーヴィングはスピルバーグから1億ドルを受け取った。彼らの離婚は史上3番目に高額なセレブ離婚と報じられている[19]。離婚後もスピルバーグとアーヴィングは息子のマックスの親権を共有している。

その後スピルバーグは『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』に出演した女優のケイト・キャプショーとの関係を深めていった。1991年10月12日に2人は結婚し、キャプショーはユダヤ教に改宗した[20]

スピルバーグとキャプショーの子供は以下の7名:

  • ジェシカ・キャプショー(Jessica Capshaw, 1976年8月9日 - ) - 娘。ケイト・キャプショーとその前夫ロバート・キャプショーとの子。
  • マックス・サミュエル・スピルバーグ(Max Samuel Spielberg, 1985年6月7日 - ) - 息子。スピルバーグとその前妻エイミー・アーヴィングとの子。
  • セオ・スピルバーグ(Theo Spielberg, 1988年 - ) - 息子。キャプショーが結婚前に出産[21]
  • サーシャ・スピルバーグ(Sasha Rebecca Spielberg, 1990年5月4日 - ) - ロサンゼルスで生まれる[22]
  • ソーヤー・アヴェリー・スピルバーグ(Sawyer Avery Spielberg, 1992年3月10日 - )[23]
  • ミカエラ・ジョージ(Mikaela George, 1996年2月28日 - ) - 養子。
  • デストリー・アリーン・スピルバーグ(Destry Allyn Spielberg, 1996年12月1日 - )

資産[編集]

フォーブス』誌によると、2009年時点でのスピルバーグの個人資産は30億ドルである[24]

2010年2月、『ヴァニティ・フェア』誌が「2009年に最も稼いだハリウッドの稼ぎ手」のランキングを発表し、8,500万ドルを稼いで2位にランクインした。この収入はユニバーサルスタジオからの著作権料や今までの作品のDVDのロイヤリティの額が半分以上を占めている[25]。同年12月、『フォーブス』誌による「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」では、1億ドルを稼いで7位にランクインした[26]。2011年2月、『ヴァニティ・フェア』誌が「2010年にハリウッドで最も稼いだ人たち」のランキングを発表し、2010年のギャラが推定8,000万ドルになることがわかった[27]

認識[編集]

2002年、ソルトレイクシティで行われた冬季オリンピックの開会式ではオリンピック旗手の8人のうち1人を務めた。2006年、『プレミア英語版』は映画業界英語版で最も影響力のある人物の一人としてスピルバーグを挙げた。また『タイム』では20世紀の最も影響力のある100人英語版の一人に選ばれた。20世紀末、『ライフ』は彼の世代で最も影響力のある人物としてスピルバーグの名を挙げた[28]

政治的言動[編集]

スピルバーグとウィリアム・コーエン国防長官(当時)
  • 2008年2月、ダルフール紛争での中国政府の対応に不満を持ったスピルバーグは同年の北京オリンピックの芸術顧問を降板した[35]。スピルバーグは「これ以上この仕事を続けるのは私の良心が耐えられない」という声明を発表した。また、「スーダン政府には継続しているこれら犯罪行為の責任があるが、国際社会、特に中国はもっと手を打つべきだ」とも述べた[36]国際オリンピック委員会(IOC)はスピルバーグの決断を尊重したが、IOC会長のジャック・ロゲはインタビューで「(スピルバーグは)確かに創造性の面で開幕式へ多くものを提供しただろう。」と認めた[37]。スピルバーグの声明は中国当局と国営メディアから「不公平」であると批判された[38]

趣味[編集]

スピルバーグは熱心な映画ファンとして知られており、撮影を行っていない時期には「映画パーティ」を行っている[40]

熱心なコンピュータゲームプレイヤーとしても知られ、1974年に『ジョーズ』を撮っていた頃にはポンで遊んでいた。WiiPlayStation 3PlayStation PortableXbox 360を所有しており、『コール オブ デューティ4 モダン・ウォーフェア』や『メダル・オブ・オナー』といったファーストパーソン・シューティングを楽しんでいる。ゲームにカットシーン英語版を使うことに関しては批判的であり、ゲームプレイ中に自然に話の流れを作ることが今後のゲーム開発者の課題だと考えている[41]。『シェンムー』を高く評価したことで知られ、ディレクターである鈴木裕にサインを求めたことがある。また、2006年5月10日から12日にかけて開催されたE3では、ゲームデザイナーの宮本茂と『Wii Sports』のテニス対決をし、この模様は、AP通信が伝え、全世界に配信された。

犯罪被害[編集]

2001年、スピルバーグは陰謀論者で元ソーシャル・ワーカーの女からストーカー被害を受けた。女は洗脳攻撃を受けていると主張し、スピルバーグとジェニファー・ラブ・ヒューイットを非難していた。女はストーキングの罪を認める前に精神病院に予防拘禁され、その後スピルバーグとヒューイットに近づかないという条件で釈放された[42][43][44][45]

2002年の白人至上主義者によるテロ計画では攻撃対象の一人にされていた[46]

また、ジョナサン・ノーマンが1997年6月と7月の2度にわたってパシフィック・パリセーズのスピルバーグの自宅に侵入を試みたとして逮捕された。ノーマンはカリフォルニア州で25年の懲役刑に処された。スピルバーグは裁判で「ノーマンがもし実際に私に遭遇していたら、彼は私をレイプするか殺していただろう」と証言した[47][48]

発達障害[編集]

2012年10月、ディスレクシアであることを明かした[49]。その際の記事によると過去にはアスペルガー症候群との診断も受けたらしい[50]

フィルモグラフィ[編集]

メジャースタジオのうち、20世紀フォックスと版権分割以後のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM。旧ユナイテッド・アーティスツ時代を含む)では全く仕事をしていない。版権分割以前のMGMについても『ポルターガイスト』の1作品のみ。

監督作品[編集]

製作作品[編集]

製作総指揮作品[編集]

スピルバーグは多くの監督作品を手掛けているが、実際には製作総指揮作品の方が圧倒的に多い。「製作総指揮」の明確な仕事の内容は決まってはおらず、スピルバーグやジョージ・ルーカスは製作総指揮作品でも制作に参加することがある。例として、『トランスフォーマー』では主演のシャイア・ラブーフを始めとして、ほとんどのキャスティングを行い、監督をマイケル・ベイに頼んだのも彼自身である。特に、自ら経営するアンブリンやドリームワークスの制作作品は多数プロデュースしている。また、クレジットに名前は載っていないが、『ディスタービア』の監督にD・J・カルーソーを選んだのもスピルバーグである[53]

テレビシリーズ[編集]

製作総指揮を担当したテレビシリーズ作品。

脚本作品[編集]

スピルバーグは多くの作品を監督・プロデュースしているが、その一方で、脚本を行った作品は非常に少ない。また、『A.I.』はスタンリー・キューブリックの遺した原案のトリートメントを基に書いたもので、あまり“脚本家”とは肩書きされない。しかし、クレジットされていなくとも脚本の作業に参加することはあるという[54]

カメオ出演[編集]

受賞とノミネート[編集]

部門 作品名 結果
アカデミー賞 1977年 監督賞 『未知との遭遇』 ノミネート
1981年 監督賞 『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』 ノミネート
1982年 監督賞 『E.T.』 ノミネート
作品賞 『E.T.』 ノミネート
1985年 作品賞 『カラーパープル』 ノミネート
1986年 アービング・G・タルバーグ賞 - 受賞
1993年 監督賞 『シンドラーのリスト』 受賞
作品賞 『シンドラーのリスト』 受賞
1998年 監督賞 『プライベート・ライアン』 受賞
作品賞 『プライベート・ライアン』 ノミネート
2005年 監督賞 『ミュンヘン』 ノミネート
作品賞 『ミュンヘン』 ノミネート
2006年 作品賞 『硫黄島からの手紙』 ノミネート
2011年 作品賞 『戦火の馬』 ノミネート
2012年 作品賞 『リンカーン』 ノミネート
監督賞 『リンカーン』 ノミネート
英国アカデミー賞 1975年 監督賞 『ジョーズ』 ノミネート
1978年 監督賞 『未知との遭遇』 ノミネート
脚本賞 『未知との遭遇』 ノミネート
1982年 監督賞 『E.T.』 ノミネート
作品賞 『E.T.』 ノミネート
1985年 アカデミー友愛賞 - 受賞
1993年 監督賞 『シンドラーのリスト』 受賞
作品賞 『シンドラーのリスト』 受賞
1998年 監督賞 『プライベート・ライアン』 ノミネート
作品賞 『プライベート・ライアン』 ノミネート
2011年 アニメ映画賞 『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』 ノミネート
カンヌ国際映画祭 1974年 パルム・ドール 『続・激突!/カージャック』 ノミネート
脚本賞 『続・激突!/カージャック』 受賞
ヴェネツィア国際映画祭 1993年 名誉金獅子賞・特別功労賞 - 受賞
2001年 Future Film Festival Digital Award 『A.I.』 受賞
放送映画批評家協会賞 1998年 監督賞 『プライベート・ライアン』 受賞
2002年 監督賞 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』、『マイノリティ・リポート』 受賞
2005年 監督賞 『ミュンヘン』 ノミネート
2011年 監督賞 『戦火の馬』 ノミネート
2012年 監督賞 『リンカーン』 ノミネート
全米映画批評家協会賞
1982年: 監督賞 / 『E.T.
1993年: 監督賞 / 『シンドラーのリスト』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
1982年: 監督賞 / 『E.T.』
ゴールデングローブ賞
1983年: 作品賞 / 『E.T.』
1993年: 監督賞・作品賞 / 『シンドラーのリスト』
1998年: 監督賞・作品賞 / 『プライベート・ライアン』
2007年: セシル・B・デミル賞(生涯功労賞)
2008年: セシル・B・デミル賞
レジオンドヌール勲章
2004年: シュヴァリエ[55]
ビジュアル・エフェクト・アワード
2008年: 生涯功労賞
アニー賞
2014年:ウィンザー・マッケイ賞[56]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ Steven Spielberg: "I'm Russian. But that doesn't explain a thing." //KP.RU
  2. ^ Steven Spielberg Biography (1947?–)”. filmreference.com. 2008年1月15日閲覧。
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  56. ^ 2014年2月3日中日新聞朝刊27面

関連文献[編集]

  • 猪狩哲郎著『スピルバーグ ハリウッド魔宮の伝説』竹書房、1986年5月、ISBN 4884750179
  • フランク・サネッロ著、中俣真知子訳 『はじめて書かれたスピルバーグの秘密』 学習研究社、1996年11月、ISBN 4-05-400714-7
  • ジョン・バクスター著、野中邦子訳 『地球に落ちてきた男 スティーブン・スピルバーグ伝』 角川書店、1998年1月、ISBN 4-04-791289-1
    • 原著: John Baxter, Steven Spielberg: The Unauthorized Biography, HarperCollins, May 1997, ISBN 0002555875, Trafalgar Square, Feb 1998
  • 橋本勝著『スピルバーグ』(『For beginnersシリーズ』88)、現代書館、2000年2月、ISBN 4768400884
    • 年譜あり
  • 筈見有弘著『スピルバーグ』(講談社現代新書)、講談社、1987年11月、ISBN 4-06-148875-9
    • スピルバーグ関係ブックガイド・フィルモグラフィ: p202 - 208
  • ダグラス・ブロード著、栗山微笑子訳『スティーブン・スピルバーグ シネマの天才』(『シネマ・スター・ライブラリー』)、シンコー・ミュージック、1995年11月、ISBN 4401615271
  • アンドリュー・ユール著、高橋千尋訳『スティーブン・スピルバーグ 人生の果実』プロデュース・センター出版局、1999年10月、ISBN 4938456540
    • 原著: Andrew Yule, Steven Spielberg: Father to the Man,Little Brown and Company, 05 Dec 1996,
      Andrew Yule, Steven Spielberg: Father of the Man: His Incredible Life, Tumultuous Times and Record-Breaking Movies, Warner Little Brown & Co Ltd, Nov 2002, ISBN 0751512907
  • アンドリュー・アルバネーゼ/ブランドン・トリスラー編 佐々田雅子訳『グラデュエーションデイ~未来を変える24のメッセージ』、2007年4月、ISBN 9784903825007
    • スピルバーグのスピーチ収録

関連項目[編集]

外部リンク[編集]