ロッド・サーリング

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ロッド・サーリングRod Serling1924年12月25日 - 1975年6月28日)は、アメリカTV脚本家。TVシリーズ「トワイライト・ゾーン」の脚本を手掛け自らも出演した。

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[編集] 経歴

本名ロッドマン・エドワード・サーリング。アメリカ合衆国ニューヨーク州シラキュースに生まれ、ニューヨーク州ビンガムトンに育つ。ビンガムトン高等学校卒業。ユダヤ系だが、ユニテリアン・ユニヴァーサリズムに改宗した。

1943年1月に第二次世界大戦で出兵したが重傷を負い、名誉負傷勲章を受章。戦場では親友の死を目の当たりにした。身長162センチと小柄だったが、軍隊ではボクサーとして頭角を現した。1945年1月に除隊したが、悪夢とフラッシュバックに生涯苦しみ続けた。

除隊の前、オハイオ州イエロースプリングズのアンティオーク大学に入学。1950年に文学士の学位を得て卒業。これに先立ち、1949年、ラジオ番組『ドクター・クリスチャン』の脚本懸賞で二等に入賞。妻と共にオハイオ州シンシナティへ移り、WLWラジオ局の専属脚本家となる。

伝記作者によると、サーリングは生涯を通じて伝説的放送作家ノーマン・コーウィンに影響を受けていた。WLWから出発してCBSに落ち着いたこと、脚本に社会的なテーマを盛り込んだことなどがコーウィンとの共通点である。

1951年からThe Doctor, Fireside Theater, Hallmark Hall of Fame, Lux Video Theater, Kraft Television Theatre, Suspense, Studio Oneといった作品の脚本を書いて売れっ子の仲間入りを果たした。シンシナティの地方局WKRC(12チャンネル)のためにThe Stormという生放送のテレビシリーズの脚本を書いていたが、これはトワイライト・ゾーンの原型となった。

1955年、新旧両世代の権力闘争を描いた連続ドラマPatternsの脚本を執筆。この番組が空前の大ヒットとなる。その他、朝鮮戦争のベテラン兵士と拷問の後遺症を描いたThe RackやRequiem for a Heavyweightなどのヒットを飛ばし、中には映画化された作品もあったが、テレビ番組としてのさまざまな制約(フォードがスポンサーになった番組の脚本ではクライスラービルが除去されたこともあった)から自由になろうとしたサーリングは、自分自身の番組を創ることを決意した。

1959年CBSがトワイライト・ゾーンの放映を開始。リチャード・マシスンチャールズ・ボーモントといった彼の尊敬する書き手を起用し、自身も番組に毎週登場することによって自らのカラーを出そうと努力した。のちに彼はインタビューの中で、SFという形式を採ったのは検閲を逃れるためだったと語った。当時はまだ人種問題や軍隊などについて大っぴらに語ることが難しかったため、彼は自身の体験に基づく社会的なメッセージをSFファンタジーのヴェールにくるんで表現したのである[1]。トワイライト・ゾーンは毀誉褒貶が激しかったものの5シーズン続いた。

その後、NBCのNight Galleryを手がけたが第3シーズンを迎える頃になるとサーリングの脚本は不採用になることが多くなり、トワイライト・ゾーンほどの成功は得られなかった。この他、サーリングはSFやホラーの短篇小説も執筆した。これらの作品は、全3巻のTwilight Zone stories(1960年1961年1962年)などにまとめられている。

晩年はテレビ界から遠ざかり、映画の世界で活動した[2]。長年ニューヨーク州イサカに住み、イサカ大学で教鞭をとった。

心臓を病み、冠動脈大動脈バイパス移植術を受けたが、手術中に三度目の心臓発作を起こし、その翌日に50歳で死亡した。

[編集] 脚注

  1. ^ 同様の企画としてジーン・ロッデンベリーによる「宇宙大作戦」も良く知られている。
  2. ^ この時期、マイケル・ウィルソンと共に、映画「猿の惑星(PLANET OF THE APES,1968)」の脚本を手がけている。

[編集] 関連項目

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