ノーマン・タウログ
| ノーマン・タウログ Norman Taurog |
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| 本名 | Norman Rae Taurog | ||||||
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| 生年月日 | 1899年2月23日 | ||||||
| 没年月日 | 1981年4月7日(満82歳没) | ||||||
| 出生地 | シカゴ | ||||||
| 死没地 | ランチョ・ミラージュ | ||||||
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ノーマン・タウログ(Norman Taurog, 1899年2月23日 - 1981年4月7日)はアメリカ合衆国の映画監督。
略歴[編集]
イリノイ州シカゴ生まれ。舞台の子役出身で、14歳の時トマス・インスの映画スタジオに加わり、1919年短編コメディを監督し始める。1960年代終わりまで40年間ハリウッドで最も忙しい監督の一人になる。
1931年の『スキピイ』は第4回アカデミー賞で作品賞、男優賞、監督賞、脚本賞の4部門にノミネートされたが、最終的な受賞は監督賞のみであったが、喜劇監督としてのタウログの地位はこの時確立された。この時はまだ32歳での獲得であるが、未だにこの記録は破られていない。また、子役出身で子供の演出がうまく『スキピイ』に主演したジャッキー・クーパー(タウログの甥っ子)は当時まだ10歳の少年にもかかわらず、ライオネル・バリモア、リチャード・ディックス、フレドリック・マーチ、アドルフ・マンジューら当時の名優たちと男優賞を争うことになった。
彼は、コメディ映画の監督として有名であったが、時々真面目な映画で成功することがあり、代表作は『少年の町』(1938年)でアカデミー作品賞でノミネートされた。さらに、彼は古典文学の中で最も元気が良くて成功した映画化でデヴィッド・O・セルズニックが1938年に制作した『トム・ソーヤ』やMGMの戦前の最後のミュージカルのショーケースである『踊るニュウ・ヨーク』 (1940)も手がけた。
タウログは、またエルビス・プレスリー(と彼のマネージャーのトム・パーカー)に気に入られ1960年から1968年まで9本の彼の正式なロックンロール映画を撮りあげた。これらは、プレスリーの映画では最も多い本数である。それに加えて彼はジェリー・ルイスとディーン・マーティンの『底抜け』シリーズなども撮った。
コメディでもドラマでも特にスタイルは無かったが、舞台出身だけにタウログは観客の泣き笑いの反応をよく知っていたため、特に子役や新入り、俳優でない者までも、素早く効率的に完成させることが知っていたためである。
主な監督作品[編集]
- スキピイ Skippy (1931)
- スーキイ Sooky (1931)
- 恋の手ほどき The Way to Love (1933)
- 当り屋勘太 Strike Me Pink (1936)
- トム・ソーヤ The Adventures of Tom Sawyer (1938)
- 少年の町 Boys Town (1938)
- 踊るニュウ・ヨーク Broadway Melody of 1940 (1940)
- 底抜け落下傘部隊 Jumping Jacks (1952)
- 底抜けやぶれかぶれ The Caddy (1953)
- 底抜けニューヨークの休日 Living It Up (1954)
- お若いデス You're Never Too Young (1955)
- 底抜け西部へ行く Pardners (1956)
- 底抜け宇宙旅行 Visit to a Small Planet (1960)
- GIブルース G.I. Blues (1960)
- ブルー・ハワイ Blue Hawaii (1961)
- ガール!ガール!ガール! Girls! Girls! Girls! (1962)
- ビキニマシン Dr. Goldfoot and the Bikini Machine (1965)
- スピードウェイ Speedway (1968)
外部リンク[編集]
- ノーマン・タウログ - インターネット・ムービー・データベース(英語)
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