ピーター・ジャクソン
| ピーター・ジャクソン Peter Jackson |
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2009年、コミコン・インターナショナルにて |
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| 本名 | Peter Robert Jackson | ||||||||||||||||||||||||||
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| 生年月日 | 1961年10月31日(50歳) | ||||||||||||||||||||||||||
| 出生地 | プケルア・ベイ | ||||||||||||||||||||||||||
| 国籍 | |||||||||||||||||||||||||||
| 配偶者 | フランシス・ウォルシュ(1987- ) | ||||||||||||||||||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||
| 『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ 『バッド・テイスト』 『ホビット』シリーズ |
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ピーター・ジャクソン(Sir Peter Jackson, KNZM、1961年10月31日 - )は、ニュージーランド出身の映画監督、映画プロデューサー、脚本家。おなじく脚本家で映画プロデューサーのフランシス・ウォルシュとの間に2子がいる。
初監督したスプラッター・ホラーの『バッド・テイスト』が評判になり、続けて撮った『ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス』と『ブレインデッド』もヒットしカルト映画の巨匠となる。
『ロード・オブ・ザ・リング』三部作で数々の記録を打ち立て歴史的大成功を収め世界的な映画作家となった。
目次 |
[編集] 生い立ち
ウェリントン郊外、プケルア・ベイ生まれ。両親はイングランドからの移民[1][2]。
レイ・ハリーハウゼン作品とテレビシリーズ『サンダーバード』、エルジェのバンデシネ作品「タンタンの冒険」の大ファンとして少年時代を過ごす。
9歳のときにテレビで見た『キング・コング』に感動し、友人から貰った8mmカメラを使い短編映画を撮り始める。12歳の頃、ボール紙で作ったエンパイア・ステート・ビルをセットに『キング・コング』の最初のリメイクに挑戦するが、技術の未熟さを痛感し断念。しかしこの時の熱意は30年後に成就することとなる。
その後も、学生映画やアマチュア映像展にいくつかの短編を出品するも、一度も評価を得られなかった。
映画制作の専門教育は1度も受けておらず、新聞社に勤務しながら、同じように郵便局や役所で働く友人たちとスプラッター映画の自主制作を始める。ジャクソン自身が監督・脚本・主演・特撮まで手掛け、4年の歳月をかけて完成した『バッド・テイスト』が1987年にカンヌ国際映画祭で評価され、一躍カルト映画の監督として世界的に名が知れるようになる。
[編集] キャリア
1983年から4年をかけ制作した低予算映画『バッド・テイスト』で監督デビュー。同作品はカンヌ国際映画祭で上映され世界中に配給される。1989年には『ミート・ザ・フィーブルズ』を制作し、特撮を担当したクリエーターのリチャード・テイラーと知り合う。以降『ロード・オブ・ザ・リング』を含め二人の共同作業は長く続く。1993年にWETAデジタルを設立。カルトなスプラッター・ホラー映画などを製作。1994年に公開された『乙女の祈り』(英題: Heavenly Creatures)は、ジャクソン、妻のフランシス・ウォルシュ、映画プロデューサーのジム・ブーツの3人の映画制作者により作られた幻想的な映像作品。それまでのホラーコメディー作品から大きく作風を変え、ティーンエイジャーの不安定な内面を幻想的な映像表現で描いた。ジャクソンはこの映画でヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)ほか16の映画賞を受賞し、同作品に出演したケイト・ウィンスレットはこの作品がきっかけで『タイタニック』に抜擢され世界的なスターとなった。1995年には、ニュージーランドの映画制作者コリン・マッケンジーを描いたモキュメンタリー(擬似ドキュメンタリー)作品『Forgotten Silver』を発表。
1996年にロバート・ゼメキスプロダクションとマイケル・J・フォックスを起用した『さまよう魂たち』(英題: The Frighteners)を公開しハリウッド映画へ本格参入する。1995年に『キング・コング』のリメイク制作が決定していたが、同時期に公開が予定されていた『GODZILLA』や『マイティー・ジョー』など競合する特撮映画が多く、ハリウッド資本としては一作(それもR指定のホラー映画)しか実績のないジャクソンの商業的手腕に対し疑問を感じたユニバーサル映画は制作を凍結する。ジャクソンはこのころより『ロード・オブ・ザ・リング』の構想を具体化し始める。
2001年から2003年に公開されたJ・R・R・トールキンの『指輪物語』を原作とする『ロード・オブ・ザ・リング』三部作はニュージーランドで撮影を行い壮大な映像表現による映像作品を完成させる。同作品は数々の記録を打ち立て歴史的な成功を収めた。特に完結編である『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』はアカデミー賞トップタイの11部門を受賞。彼も『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』でアカデミー監督賞とアカデミー脚色賞を受賞した。これにより一躍世界的なフィルム・メーカーになる。なお、日本語版については日本のファンから戸田奈津子の誤訳の批判が多く寄せられ、テレビのインタビューでは日本語訳を別人に担当させると語った。その後、公言通り『二つの塔』では字幕翻訳を林完治に交代したが、こちらも原作の意を汲まない訳に対し観客の不評を買ったため、『王の帰還』では監修付きで再び戸田が翻訳を担当した。
『ロード・オブ・ザ・リング』の成功によりユニバーサル映画は再度ジャクソンに『キング・コング』の製作を依頼する。ジャクソンは長年の夢であった1933年制作の『キング・コング』[3]のリメイク権を獲得し『キング・コング』を公開する。自腹を切って製作費の一部を捻出したこの念願の作品でも成功を収めアカデミー賞3部門を受賞した。
2006年、マイクロソフトのゲーム『Halo』の映画化を自らメガホンを取ることで制作を発表したが、配給元の金銭的な理由により制作は無期限延期となった。3年後の2009年、その『Halo』の制作発表の際に集められたスタッフ及びキャストをプロデュースし『第9地区』を公開。わずか3000万ドルの製作費で北米興行収入1億ドルを突破した[4]。また、同年にはアイリス・シーボルトのベストセラー小説の映画化『ラブリーボーン』で監督に復帰。『ラブリーボーン』は英国王室主催のチャリティーイベント「ロイヤル・フィルム・パフォーマンス」2009年度招待作品に選出されロンドンで上映会が開催された。
スティーヴン・スピルバーグが監督を担当する『タンタンの冒険旅行』シリーズ第1作目『タンタンの冒険旅行/なぞのユニコーン号』ではプロデューサー、また主にWetaにてCGアニメーションの監修を担当する第一助監督として参加。きっかけは、当時実写での映像化を模索していたスピルバーグが、『ロード・オブ・ザ・リング』で用いられたモーション・キャプチャーの技術についてジャクソンに相談をもちかけたことによる。同作を実写ではなく3Dアニメーションとして製作する企画も、幼いころからタンタン・ファンであったジャクソンの発案であり、企画開発時から深く参加し、エンドクレジットには妻フランシス・ウォルシュや『ロード・オブ・ザ・リング』以降の共同脚本家フィリッパ・ボウエンも名を連ねている。シリーズ第2作では監督を務める予定である。
2008年に公式に製作がスタートした『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの前日譚「ホビットの冒険」を原作とした二部作映画『ホビット』では、監督にギレルモ・デル・トロを抜擢し、自身は脚本家・製作総指揮のみを務める予定だったが、スタジオの経営不振など相次ぐトラブルによるスケジュールの遅れでデル・トロが降板し、結局ジャクソンが監督することになった[5][6]。 その後、同作の製作は順調に進み、2012年と2013年の冬に二部作が公開される予定である。監督としてはやむなく降板したデル・トロは、共同脚本としてクレジットに名を残している。
また「指輪物語」の作者J・R・R・トールキンの友人でもあり映画ではサルマンを演じたイギリスの名優クリストファー・リーは、ジャクソンの手腕を高く買っていたのだが、『王の帰還』における自身の出演シーンを劇場版からカットした(エクステンデッド版では復活)ことに失望しジャクソンを痛烈に批判、不仲が噂された。しかし『ホビット』製作発表を受け、リーは別作品のインタビューの際に「また“中つ国”に戻りたいと思いますか?」という質問に対し「ああ、ニュージーランドだね。あの国にいるあの男の元でなら、あるいは、イエスだ」との旨を回答。2009年、ガンダルフ役のイアン・マッケランやその他のキャストと共に、サルマン役として『ホビット』への復帰が報じられた。その際、高齢でニュージーランドへの長旅が負担となるリーのために、ジャクソン始めスタッフ一同がイギリス・パインウッド・スタジオを訪れリーの場面を撮影した。
[編集] 私生活
ニュージーランド出身のクリエイターの多くが海外に活動拠点を移す一方、ジャクソンは自身のスタジオをウエリントン郊外の地元に置いている。また早くからコンピューターを用いた視覚効果技術にも精通している。『バッド・テイスト』で知り合ったシナリオライターフランシス・ウォルシュとの間に2人の子供がいる。ウォルシュはジャクソン作品の共同脚本・プロデューサーも務めており、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』ではゴラム/スメアゴルの対話シーンなどの演出も手掛けている。
自身が監督を務めた映画にはすべてカメオ出演しており、『さまよう魂たち』ではパンク・ファッションの通行人を演じたその日にテレビ・クルーの取材が入り、パンク・ファッションでインタビューを受けるジャクソンの姿が全国に放映され、それを見た両親の誤解を受けたという。また『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』などにもカメオ出演しているが、小さな役柄での出演のためクレジットタイトルに名が載ることはない。また『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』の最初のテスト映像では、ジャクソン自身がハドック船長を演じており、その姿はメイキングや「Art of The Adventure of Tintin」などで見ることができる。 また『さまよう魂たち』や『ラブリーボーン』には2人の子供たちが、『ラブリーボーン』にはジャクソン家の飼い犬もカメオ出演している。
『ロード・オブ・ザ・リング』の功績を評価され2001年にマッセー大学より名誉文学博士号を授与されている(同学位記はフランシス・ウォルシュへも授与されている)[7]。
長らく肥満体形であり、髭と眼鏡がトレードマークであったが、近年ダイエットにより30kgの減量を果たし、中肉の体型となった[8]。同時に近視を治す手術もしてトレードマークの眼鏡も外した。
2002年にエリザベス女王よりニュージーランド・メリット勲章(コンパニオン)を授与され、2009年12月31日に映画界への貢献によりニュージーランド・メリット勲章(ナイト)を授与され“サー (Sir)”の称号を得る。
[編集] フィルモグラフィ
| 年 | 作品名 | クレジット | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 監督 | 脚本 | 製作 | |||
| 1987 | バッド・テイスト Bad Taste |
Yes | Yes | 兼出演 | |
| 1989 | ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス Meet the Feebles Just the Feebles |
Yes | Yes | Yes | |
| 1992 | ブレインデッド Braindead Dead-Alive |
Yes | Yes | ||
| 1994 | 乙女の祈り Heavenly Creatures |
Yes | Yes | ||
| Jack Brown Genius | Yes | Yes | |||
| 1996 | 光と闇の伝説 コリン・マッケンジー Forgotten Silver |
Yes | Yes | Yes (製作総指揮) |
|
| さまよう魂たち The Frighteners |
Yes | Yes | Yes | ||
| 2001 | ロード・オブ・ザ・リング The Lord of the Rings: The Fellowship of the Ring |
Yes | Yes | Yes | 兼出演 |
| 2002 | ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔 The Lord of the Rings: The Two Towers |
Yes | Yes | Yes | 兼出演 |
| 2003 | ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 The Lord of the Rings: The Return of the King |
Yes | Yes | Yes | 兼出演 |
| 2005 | キング・コング King Kong |
Yes | Yes | Yes | 兼出演 |
| 2009 | 第9地区 District 9 |
Yes | ニール・ブロムカンプ監督作品。 | ||
| ラブリーボーン The Lovely Bones |
Yes | Yes | Yes | ||
| 2011 | タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密 The Adventures of Tintin: Secret of the Unicorn |
Yes | [9] スティーヴン・スピルバーグ監督作品。 |
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| 2012 | ホビット 思いがけない冒険 The Hobbit: An Unexpected Journey |
Yes | Yes | Yes (製作総指揮) |
撮影中 |
| 2013 | ホビット ゆきて帰りし物語 The Hobbit: There and Back Again |
Yes | Yes | Yes (製作総指揮) |
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[編集] 出演のみ
- アントラージュ★オレたちのハリウッド Entourage (2007) シーズン4、ゲスト出演
- ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!- Hot Fuzz (2007) サンタの格好をした泥棒役(ノンクレジット)
[編集] 主な受賞歴
- ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(1994年)
- 英国アカデミー賞監督賞(2001年)
- ゴールデングローブ賞監督賞(2003年)
- ロサンゼルス映画批評家協会賞監督賞(2003年)
- アカデミー賞監督賞(2004年)
- アカデミー賞脚色賞(2004年)
- ニュージーランド・メリット勲章(コンパニオン(CNZM)、2002年)
- ニュージーランド・メリット勲章(ナイト(KNZM)、2009年)
[編集] 参照
- ^ http://www.filmreference.com/film/87/Peter-Jackson.html
- ^ http://www.guardian.co.uk/film/2003/nov/30/lordoftherings.features
- ^ "Peter Jackson's Labor of Love" by Stone Phillips, MSNBC, 2 December 2005
- ^ “District 9 (2009)”. Box Office Mojo. 2010年11月28日閲覧。
- ^ “映画『ホビット』の映画化が危ない!? デル・トロ監督が離脱!!”. シネマトゥデイ. (2010年5月31日)
- ^ “ピーター・ジャクソンの「ホビット」が公式に始動宣言!撮影は2011年の2月開始予定”. シネマトゥデイ. (2010年10月18日)
- ^ http://www.imdb.com/name/nm0001392/bio
- ^ "Peter Jackson's muesli diet secret", kongisking.net, 12 April
- ^ “Peter Jackson to produce the Hobbit and Sequel”. comingsoon.net. (2007年12月18日)
[編集] 外部リンク
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