フランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola, 1939年4月7日 - )は、アメリカ合衆国の映画監督・映画プロデューサー・脚本家・実業家。数々の映画賞を受賞している。父は元NBC交響楽団のフルート奏者で作曲家のカーマイン・コッポラ、妹は女優のタリア・シャイア、娘は映画監督のソフィア・コッポラ、息子は映画監督のロマン・コッポラ。甥は俳優のニコラス・ケイジ(フランシスの兄オーガストの子)、ジェイソン・シュワルツマン(タリア・シャイアの子)。
来歴 [編集]
祖父はイタリア人で、南イタリアの町ベルナルダ出身。1904年にアメリカに移住した。
コッポラはデトロイト出身、ニューヨーク郊外で育った。ホフストラ大学で演劇を学ぶ傍ら、セルゲイ・エイゼンシュテインの作品を研究する。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で学び、在学中からピンク映画や恐怖映画の演出を手がける。黒澤明のファンでもある彼は学生時代に、ノーベル文学賞を特例として黒澤に授与すべき、という旨の手紙をノーベル事務局へ送った。
ロジャー・コーマンのもとで低予算映画を製作し、キャリアをスタートした。1969年には映画制作会社アメリカン・ゾエトロープ社を設立し、ワーナー・ブラザーズと7本の映画製作の契約を結ぶが、第1作の『THX 1138』の内容をワーナー幹部に酷評され、契約を破棄される。その結果、ゾエトロープ社とその社長のコッポラは危機に追い込まれるが、1972年の『ゴッドファーザー』の世界的ヒットにより、複数の映画賞を獲得し、シリーズ化もされた。
1970年代中頃、コッポラは東映の岡田茂へ「千葉真一とアル・パチーノの共演による映画を製作したい」とオファーしていたが、岡田に断られている[1]。1979年の『地獄の黙示録』はカンヌ国際映画祭グランプリを獲得したが、続く1982年の『ワン・フロム・ザ・ハート』が興行的に失敗、経済的に苦しい立場に追い込まれて、1980年代以降には3度の破産を経験している。『影武者』の外国版プロデューサーとして参加し、資金を援助した。
カリフォルニア州ナパバレーでニバウム・コッポラ・ワイナリーを経営し、「ルビコン」ワインは世界的評価を受けた。ジョージ・ルーカスのスカイウォーカーランチと提携して「スカイウォーカー」ワインも販売している。コッポラは、このワインビジネスで多大な利益を得、アメリカでも屈指の富豪となった。
作品 [編集]
監督 [編集]
製作 [編集]
脚本 [編集]
受賞 [編集]
- アカデミー賞
- 1971年 アカデミー脚本賞 『パットン大戦車軍団』
- 1973年 アカデミー脚色賞 『ゴッドファーザー』
- 1975年 アカデミー作品賞・アカデミー監督賞・アカデミー脚色賞 『ゴッドファーザー PARTII』
- 2011年 アービング・G・タルバーグ賞
- 1973年 アカデミー監督賞 『ゴッドファーザー』
- 1974年 アカデミー作品賞 『アメリカン・グラフィティ』
- 1975年 アカデミー作品賞・アカデミー脚本賞 『カンバセーション…盗聴…』
- 1980年 アカデミー作品賞・アカデミー監督賞・アカデミー脚色賞 『地獄の黙示録』
- 1991年 アカデミー作品賞・アカデミー監督賞 『ゴッドファーザー PARTIII』
- 英国アカデミー賞
- 1980年 監督賞 『地獄の黙示録』
- 1975年 監督賞・脚本賞 『カンバセーション…盗聴…』
- 1980年 作曲賞 『地獄の黙示録』
- ゴールデングローブ賞
- 1973年 監督賞・脚本賞 『ゴッドファーザー』
- 1980年 監督賞・作曲賞 『地獄の黙示録』
- 1975年 監督賞・脚本賞 『ゴッドファーザー PARTII』、『カンバセーション…盗聴…』
- 1985年 監督賞 『コットンクラブ』
- 1991年 監督賞・脚本賞 『ゴッドファーザー PARTIII』
- ニューヨーク映画批評家協会賞
- 1973年 監督賞 『ゴッドファーザー』
- カンヌ国際映画祭
- 1974年 パルム・ドール、エキュメニカル審査員賞 特別賞 『カンバセーション…盗聴…』
- 1979年 パルム・ドール、国際批評家連盟賞 『地獄の黙示録』
- 1967年 パルム・ドール 『大人になれば…』
脚注 [編集]
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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