セシル・B・デミル

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セシル・B・デミル
Cecil B. DeMille
Cecil B. DeMille
セシル・B・デミル
本名 Cecil Blount DeMille
生年月日 1881年8月12日
没年月日 1959年1月21日(満77歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 映画監督映画プロデューサー
家族 ウィリアム・C・デミル(兄)

セシル・B・デミルCecil Blount DeMille, 1881年8月12日 - 1959年1月21日)は、アメリカ合衆国映画監督20世紀前半の映画創世記に最も成功した映画製作者のひとり。

目次

[編集] プロフィール

[編集] 生い立ち

デミルの両親は脚本家であったが、デミルが12歳のときに父親が亡くなった為、デミルの母親は生計を立てるために女子のための学校と、劇団を設立した。デミルは演劇学校で演技を学び、1900年に舞台俳優としてデビュー。その後の12年間は俳優として、また母親の劇団のマネジメントを手がけた。

兄のウィリアムも同じく映画界で脚本家・映画監督として活躍した。

[編集] 監督デビュー

1920年代の人気が訪れるよりも前に、1913年以降の監督第1作ほか、数多くのサイレント映画の短編作品を監督した。エジソンの作った映画特許会社MPPC(→スタジオ・システム)の手から逃れるためにハリウッドで映画製作をしたのである。

1913年には、プロデューサーのジェシー・L・ラスキーらが設立した映画会社にて、ハリウッド初の長編映画(80分以上)である「スコウマン」を監督し人気を呼んだ。

[編集] 人気監督

1920年代のデミルは、第一次世界大戦後の好況期における大衆の享楽志向を捉えヒット作を連発、デミルはハリウッド映画の創生期の実力者にのし上がる。デミルの成功の秘訣は、たとえ男性客を喜ばすようなシーンであっても、女性も画面に釘付けになるように演出を仕組むことにあった。

例えばバスルームのシーンではバスローブもネグリジェも最高の品を用意させ、女優たちが身につける豪勢なジュエリーなどの宝石類はすべて本物で撮影した。誰もが目を奪われるほどの絢爛豪華な衣装はデミルの映画の代名詞ともなり、多くのファンをうっとりさせた。このようなに糸目をつけない派手な演出は多くの集客に効果をみせ、夫やボーイフレンド連れの女性らがデミルの映画を見に劇場へ通うようになった。

しかし、このような演出で撮影された作品群に、保守派や宗教団体らが黙っているわけはなかった。デミル自身、一斉に自分の映画が世論からボイコットされる予感もしていた。

[編集] 「デミル王国」

次にデミルの作風が転換するのは、『十誡 』(1923年)前後であろう。旧約聖書という固い主題の作品を扱えば、そのような世論の動きが鎮まるのではないかと映画製作へ踏み切った。しかし、デミルの豪華主義は相変わらずで、映画会社の製作資金を湯水のようにつぎ込んだ。劇中の3千人ものエキストラや、何千頭もの家畜を動員して撮影した、紅海分割シーンの派手さは後々までの語りぐさとなるほどであった。

予想に反してこの映画がヒットし制作費を超える収益をあげたデミルは、続けて『キング・オブ・キングス』 (1927年)、『暴君ネロ』(1932年)、『クレオパトラ』(1934年)などを一連の歴史ものを制作し、次々と成功を収めていく。社内で大勢の側近を従え、シルクシャツ乗馬用のブーツをはき(写真参考)気障に決めたスタイルのデミルを、マスコミはデミルの所属するパラマウント・スタジオを「デミル王国」とも呼んだ。

次にデミルの作風が転換したのは、西部開拓史を撮り始めたころである。スケールの大きい、『平原児』(1937年)や『大平原』(1939年)などの作品では、アジアヨーロッパにおける戦雲たれ込める中、揺れ動くアメリカの世情を反映した、アメリカ国民の愛国心を鼓舞する作品群とも解釈できる。また、還暦を控えたデミルの製作姿勢の変化がうかがえる。

[編集] 晩年

第二次世界大戦後の晩年には、時代の趨勢によりテレビに押された「映画」の復権をめざすようになった。デミルにとって映画は自らの人生を懸けた王国であり領域であった。この頃の監督作品である『地上最大のショウ』(1952年)はアカデミー賞作品賞を獲得し監督賞にノミネートされるという快挙を得ている。また、ビリー・ワイルダーの名作・『サンセット大通り』(1950年)に本人役でカメオ出演し、健在ぶりを見せた。

より多くの集客をめざし、大作映画に見せ物的要素を加えるなどの工夫をこらした。最晩年の75歳になってもかつての自分の作品『十戒』(1956年)を新たに撮り直し、完成させた執念には驚くべきものがある。1959年に死亡し、カリフォルニア州ハリウッドのハリウッド共同墓地に埋葬された。

[編集] エピソード

[編集] 主な監督作品

[編集] 出演作品

[編集] 受賞歴

[編集] アカデミー賞

受賞
1950年 アカデミー名誉賞:(それまでの37年間の功績に対して)
1953年 アカデミー作品賞:『地上最大のショウ
1953年 アービング・G・タルバーグ賞
ノミネート
1953年 アカデミー監督賞:『地上最大のショウ』
1957年 アカデミー作品賞:『十戒

[編集] ゴールデングローブ賞

受賞
1952年 セシル・B・デミル賞:
1953年 ゴールデングローブ賞 監督賞:『地上最大のショウ』

[編集] 外部リンク

[編集] 関連項目

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