アルバート・R・ブロッコリ

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アルバート・R・ブロッコリ
Albert R. Broccoli
生年月日 1909年4月5日
没年月日 1996年6月27日(満87歳没)
出生地 ニューヨーク州ニューヨーク
死没地 カリフォルニア州ビバリーヒルズ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 Gloria Blondell (1940-1945)
Nedra Clark (1951-1956)
Dana Natol (1959-1996)

アルバート・R・ブロッコリAlbert R. Broccoli, 本名: Albert Romolo Broccoli, 1909年4月5日 - 1996年6月27日)は、アメリカ合衆国映画プロデューサーニューヨーク州ニューヨーク出身。ファンの間ではカビー・ブロッコリの愛称で知られる。

プロフィール[編集]

ロングアイランドのイタリア系の家系に生まれる。フロリダに移るが、父親の死に伴ってクイーンズ区の祖母の元に移る。

ハワード・ヒューズ監督の『ならず者』(1941年)の下働きからスタジオに入る。第二次世界大戦勃発とアメリカの参戦によりアメリカ海軍に従軍するが、戦後ハリウッドに戻ってエージェントの仕事に就く。

アーヴィン・アレンと組んで、インディペンデント制作会社ウォーリック・フィルムズを設立して1950年代の初めにイギリスに渡り、『赤いテント』『零下の地獄』などアラン・ラッド主演の冒険映画を製作。

1962年ハリー・サルツマンとともにイオン・プロダクションを設立。イアン・フレミングの007シリーズの映画化権を所有していたサルツマンと、007の映画を共同製作するために設立したプロダクションだった。第一作『007 ドクター・ノオ』を成功させ、生涯に渡り007シリーズのプロデューサーを務めた。第十作『007 私を愛したスパイ』からは、サルツマンがイオン・プロを離れたこともあり単独のプロデューサーとなる。

1981年に映画界への功績を認められアービング・G・タルバーグ賞を受賞。プロデューサーとしてクレジットされた最後の作品は『007 消されたライセンス』。次作『007 ゴールデンアイ』は存命中の作品だったがプロデュース業からは退き、後継として娘のバーバラ・ブロッコリと、継子のマイケル・G・ウィルソンにプロデューサーの座を譲った。逝去後の『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』のエンディングに、追悼の一文が挿入されている。

プロデュース作品[編集]

ボンド映画[編集]

その他の主な作品[編集]

  • 赤いベレー (1953)
  • 零下の地獄 (1954)
  • 男の城 (1954)
  • 黄金の賞品(1955)
  • 生き残った二人(1955)
  • 熱砂の舞(1956)
  • 海の荒くれ (1957)
  • 今は死ぬ時でない (1958)
  • キリマンジャロの決斗(1959)
  • 腰抜けアフリカ博士 (1963)
  • チキ・チキ・バン・バン (1968)

「ブロッコリ」[編集]

なお、アルバート・R・ブロッコリの伯父は、食用野菜として世界的に広く食されているブロッコリリトアニアからアメリカへ持ち込んで広めた人物である。

外部リンク[編集]