ディアナ・ダービン

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ディアナ・ダービン
Deanna Durbin
Deanna Durbin
本名 Edna Mae Durbin
生年月日 1921年12月4日
没年月日 2013年4月20日(満91歳没)
出生地 カナダの旗 カナダマニトバ州ウィニペグ
死没地 フランスの旗 フランスヌフル・ル・シャトー英語版[1][2]
職業 女優・歌手
ジャンル 映画
活動期間 1936年 - 1948年
配偶者 ヴォーン・ポール(1941年 - 1943年) ※離婚
フェリックス・ジャクソン英語版(1945年 - 1949年) ※離婚
シャルル・ダヴィッド(1950年 - 1999年) ※死別

ディアナ・ダービンDeanna Durbin、本名:Edna Mae Durbin、1921年12月4日 - 2013年4月20日[3])は、1930年代から1940年代のハリウッド映画で活躍した、カナダ人の女優・歌手である。

経歴[編集]

デビュー[編集]

ダービンはカナダ中部のマニトバ州ウィニペグで生まれた。両親はイギリスランカシャーからの移住者で、姉が一人いる。

1935年、14歳のダービンはメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約し、名前をディアナに変えた。そして、もう一人の契約者、ジュディ・ガーランドと共演の短編映画『アメリカーナの少女(Every Sunday)』でデビューした。ところが、ダービンは間もなく、MGMとの契約を解消された。ハリウッドの伝説では次のようなことが言われている。スタジオの重役ルイス・B・メイヤーは、若く未完成な女性の歌手が二人も必要だとは思わなかったので「太った方を追い出せ」という指示を出した。部下のアーサー・フリードはダービンのことだと思い彼女をすぐクビにしたのだが、実はメイヤーが追い出すよう指示を出したのはガーランドの方だったというのである(確かに、当時ダービンより、ガーランドの方が少し太っていた)[4]

成功[編集]

ダービンはすぐにユニバーサル・スタジオと契約を結び、初の長編映画『天使の花園』(1936)に出演。この映画は大成功を収め、当時、破産寸前だったユニバーサル・スタジオを危機から救い、彼女はユニバーサルのトップスターになった。続いての主演映画『オーケストラの少女』(1937)はメガ・ヒットになり、ダービンは世界的に有名になった。この映画ではバレリーナのジェーン・バーロウがダービンの吹き替えを踊った[5]。この作品はアカデミー賞の5部門にノミネート。1938年には、1935年シャーリー・テンプルに続きミッキー・ルーニーと共にアカデミー賞特別賞を受賞した。

ダービンはおそらく、その歌声で最も知られている。彼女の歌声は、軽やかで豊か、甘くて率直、素朴だが洗練されている、形容しがたい様々な魅力を持つ、叙情的なソプラノである。ダービンはポピュラーソングからオペラのアリアまで、何でも歌いこなした。

ダービンはその歌声と愛らしさを映画で存分に発揮し、少女映画から、長じてはラブストーリーに次々と出演。マネー・メイキング・スターの10位までに入ったことは一度もないものの、キャラクター人形やグッズが売り出されるほどの人気を誇った。 ちなみに『アンネの日記』の著者アンネ・フランクが、第二次世界大戦中に隠れ家の自分の部屋の壁に女優ダービンの写真を貼っていたことでも、ダービンの世界的な人気のほどは分かる。隠れ家はそのまま保存されており、ダービンの写真は現在もそのまま貼られている。

スキャンダル[編集]

ダービンは1941年に20歳で助監督のヴォーン・ポールと結婚、1943年に離婚した。1945年にドイツ出身の脚本家で映画プロデューサーであるフェリックス・ジャクソン英語版と再婚し、娘を生んだが、1949年に離婚。

ゴシップ・コラムニストのヘッダ・ホッパーは、ダービンが俳優のジョゼフ・コットンと不倫関係にあったと発言した。しかし、このスキャンダルは、コットンが彼の自叙伝に書いたように、全くの事実無根だった。ホッパーの発言の根拠は、ダービンもコットンも仕事がらみで、別々にスタジオで一夜を明かしたことだけだった。彼らは翌朝スタジオの食堂で顔を合わせるまで、そのことを知らなかった。

コットンはホッパーのでっち上げに怒り、ハリウッドのイベントでホッパーが椅子に座ろうとした時、彼女の椅子を蹴り倒した。その光景を見た観客からは、自然に拍手が沸き起こった。

イメージチェンジの失敗[編集]

1940年代半ば、ダービンはもっと洗練された役柄を求めた。そして、フィルム・ノワール『クリスマスの休暇』(1944)で本格的な人間ドラマに挑戦し、影のある女を演じた。続いて『Lady on the Train』(1945)ではミステリーにも挑戦した。しかし世間は、以前の映画での愛らしいダービンを求めた。ダービンはイメージチェンジを諦め、以降はまたラブストーリーに出演するようになった。

引退[編集]

ダービンは『Lady on the Train』のフランス人プロデューサーであるシャルル・ダヴィッドと結婚後、1950年に引退。二度と芸能界には戻らないと誓ってフランスのパリ近郊の小さな村に移住し、ダヴィッドとの間に生まれた息子を育てた。それからもダービンには多数の出演オファーが寄せられ、中にはマリオ・ランツァからの依頼も何度かあったが、彼女はマスコミから完全に姿を消した。ダービンは1983年に一度だけ受けた、映画史研究家のデヴィッド・シップマンの短いインタビューで、彼女のプライバシーの権利を断固として主張している。

2013年4月末、ダービンの息子が会報誌「the Deanna Durbin Society」で、ダービンの死去を発表した。亡くなった日付や死因については不明[6][7]。ただし、死亡日を4月20日とする資料[3]や3月31日とする資料[8]もある。

ディアナ・ダービンの名は、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星に刻まれている。

主な出演作品[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1936 天使の花園
Three Smart Girls
ペニー
1937 オーケストラの少女
100 Men and a Girl
パトリシア
1938 アヴェ・マリア
Mad About Music
グロリア
年ごろ
That Cerrtain Age
アリス・フラートン
1939 庭の千草
Three Smart Girls Grow Up
ペニー・クレイグ
銀の靴
First Love
コンスタンス・ハーディング
1940 ホノルル航路
It's a Date
パメラ・ドレイク
青きダニューヴの夢
Spring Parade
イロンカ
1943 海を渡る唄
The Amazing Mrs. Holliday
ルース
春の序曲
His Butler's Sister
アン・カーター
1944 クリスマスの休暇
Christmas Holiday
ジャッキー・ラモント/アビガイル・マーティン
1947 私はあなたのもの
I'll be Yours
ルイーズ
1948 恋ごころ
For the Love of Mary
メアリー・ペッパーツリー

参考文献[編集]

  1. ^ Claudia Luther (2013年5月2日). “Deanna Durbin dies at 91; wholesome star of Depression-era films” (英語). Los Angeles Times. http://articles.latimes.com/2013/may/02/local/la-me-deanna-durbin-20130502 2014年3月6日閲覧。 
  2. ^ “Deanna Durbin, child star from Hollywood's golden age, dies” (英語). EW.com. (2013年5月2日). http://insidemovies.ew.com/2013/05/02/deanna-durbin-child-star-from-hollywoods-golden-age-dies/ 2014年3月6日閲覧。 
  3. ^ a b Deanna Durbin” (英語). Find a Grave. 2014年3月6日閲覧。
  4. ^ この話をジュディ・ガーランドの側から見た文章としてはデイヴィッド・シップマン『ジュディ・ガーランド』(キネマ旬報社・1996年)p.69。
  5. ^ Yoshida, Yukihiko,“Jane Barlow and Witaly Osins, ballet teachers who worked in postwar Japan, and their students, Pan-Asian Journal of Sports & Physical Education, Vol.3(Sep), 2012.
  6. ^ Aljean Harmetz (2013年4月30日). “Deanna Durbin, Plucky Movie Star of the Depression Era, Is Dead at 91” (英語). The New York Times. http://www.nytimes.com/2013/05/01/movies/deanna-durbin-1930s-star-of-universal-pictures-dies-at-91.html 2014年3月6日閲覧。 
  7. ^ 井本早紀 (2013年5月1日). “『アヴェ・マリア』ディアナ・ダービンさん死去 1930年代に子役として活躍”. シネマトゥデイ. http://www.cinematoday.jp/page/N0052647 2014年3月6日閲覧。 
  8. ^ Deanna Durbin movies, photos, movie reviews, filmography, and biography” (英語). AllMovie. 2014年3月6日閲覧。

外部リンク[編集]