ジョセフ・M・シェンク

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Joseph Michael Schenck
ジョセフ・M・シェンク
別名義 Joe Schenck
Joseph Schenck
生年月日 1878年12月25日
没年月日 1961年10月22日(満82歳没)
出生地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国 ヤロスラヴリ州ルイビンスク
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
民族 ユダヤ人
職業 映画プロデューサー実業家
ジャンル 映画
活動期間 1917年 - 1957年
活動内容 1909年 パリセイズ遊園地買収
1919年 ユナイテッド・アーティスツ社長就任
1933年 20世紀ピクチャーズ設立
1935年 20世紀フォックス設立、会長就任
配偶者 ノーマ・タルマッジ 1916年 - 1934年
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1937年のジョゼフ
Searchtool.svg en:File:Joseph Schenck.jpg - 右がダリル・F・ザナック

ジョセフ・マイケル・シェンクJoseph Michael Schenck, 1878年12月25日 - 1961年10月22日)は、アメリカ合衆国映画プロデューサー実業家である。同国の映画産業の発展の鍵を握ったパイオニアである経営者である。

人物・来歴[編集]

パリセイズ遊園地のポストカード。

1878年(明治11年)12月25日ロシア帝国(現在のロシアヤロスラヴリ州ルイビンスクユダヤ人家庭に生まれる[1]。1893年(明治26年)、14歳のころに当時幼かった弟のニコラス・シェンクとともに、家族でニューヨークに移民した。ジョゼフとニコラスの兄弟は、ニューヨークのフォート・ジョージ遊園地で使用権を経営することで、エンタテインメント・ビジネスに関わった。

エンタテインメント産業のポテンシャルを思い知り、1909年(明治42年)、30歳のころにパリセイズ遊園地を兄弟で買収し、その後、マーカス・ロウのパートナーとして映画館チェーンを経営することで、黎明期の映画産業に参入した。映画ビジネスとの関わりを通じて、1916年(大正5年)、ジョゼフはヴァイタグラフ・スタジオの若手のトップスター、ノーマ・タルマッジと結婚した。

弟とは離れて、ジョゼフは映画産業の未来が存するように思えた西海岸に移住した。わずか数年のうちに、ジョゼフは新会社ユナイテッド・アーティスツの初代社長になっていた。1933年(昭和8年)には、ダリル・F・ザナックとパートナーシップを結び、20世紀ピクチャーズを創立し、同社は1935年(昭和10年)にはフォックス・フィルムと合併した。20世紀フォックスの会長として、映画ビジネスにおける、もっともパワフルでもっとも影響力のある人物となった。

戦闘的労働組合との和平を買収するペイオフ計画で逮捕され、所得税回避の罪で有罪判決を受け、恩赦を受けるまで獄中生活を送った。釈放後、20世紀フォックスに戻り、マリリン・モンローという名の若い女優に夢中になり、モンローのキャリア開始に当たって重要な役割を担う。

映画芸術科学アカデミーの創立者のひとりとして、1952年(昭和27年)には、映画産業の発展への著しい貢献に対して、アカデミー賞特別賞を受賞した。映画における貢献に対し、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(6757 Hollywood Blvd.)にその名を刻む。

1957年(昭和32年)には引退し、そのわずか後に脳卒中に罹患し、最後まで完全には回復できなかった。1961年(昭和36年)10月22日、カリフォルニア州ロサンゼルスで死去した。満82歳没。ニューヨークブルックリン区のメイモニデス墓地に眠る。

おもなフィルモグラフィ[編集]

関連事項[編集]

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外部リンク[編集]