D・A・ペネベイカー

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ドン・アラン・ペネベイカーDonn Alan Pennebaker1925年7月15日 - )は、アメリカドキュメンタリー映画監督アカデミー名誉賞受賞者。 ダイレクト・シネマ(Direct Cinema)/シネマベリテの先駆者の一人でもある。テーマとしては、パフォーミング・アート(とくにポップ・ミュージック)や政治を中心にとりあげている。

来歴・人物[編集]

1925年7月15日イリノイ州エバンストンに生まれる。

1960年代初期にペネベイカー(「ペニー」というあだ名で親しまれた)は、リチャード・リーコックロバート・ドリューとともに、「ドリュー・アソシエイツ」を設立した。しかし1963年、リーコックとペネベイカーは、自分たちのプロダクション設立のため、「ドリュー・アソシエイツ」を去る。のちにペネベイカーは、妻のクリス・ヘジダスと仕事をともにするようになる。妻と設立した会社「ペネベイカー・ヘジダス・フィルムズ」は、影響力のあるドキュメンタリーを多く製作している。

ときに“ペネベイカー・ドキュメンタリーズ”と呼ばれる彼の作品は、ハンディカメラで撮影され、出来事の「シンプル」な描写に徹している。原則的にインタビューとボイスオーバーナレーションを避けて製作された。

ゴダールとの共同製作[編集]

1960年代初期、ペネベイカーはフランスパリに滞在中、シャイヨ宮シネマテーク・フランセーズヌーヴェルヴァーグの映画作家ジャン=リュック・ゴダールと出会い、映画を共同製作する話が持ちあがった。ゴダールは即座に準備することが可能で、リーコックとペネベイカーもすぐ撮影にとりかかるつもりであったが、結局頓挫してしまった。

数年後、ゴダールのオファーで再び話が持ちあがる。今回は、アメリカの公共テレビ局PBSも出資に合意した。ヴェトナム反戦運動五月革命がパリで起きたように、カリフォルニア州でも起きるというゴダールの主張で、アメリカのバークレーニューヨークで撮影が行われた。この映画は当初、ゴダールにより『One A.M.』というタイトルがつけられた。[1]。日本では、このタイトルを訳した『ワン・アメリカン・ムービー』(日本未公開)という名で知られている。ただし日本以外では、その後に改題した『One P.M.』ないしは『1PM』というタイトルで知られている。

主な作品[編集]

出演[編集]

参考文献[編集]

  • イアン・アイケン(Aitken, Ian)編 『Encyclopedia of the Documentary Film』(Routledge刊、2005年
  • デイヴ・ソーンダーズ(Dave Saunders)著『Direct Cinema: Observational Documentary and the Politics of the Sixties』(London, Wallflower Press刊、2007年

脚注[編集]

  1. ^ ペネベイカーの公式サイトのPHF 1PMの記述を参考にした。

外部リンク[編集]