リトル・リチャード

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リトル・リチャード
Little Richard
1988年のアカデミー賞授賞式会場前のレッド・カーペットで、アーミー・アーチャードからインタビューを受けるリトル・リチャード。アラン・ライトによる撮影。}
1988年のアカデミー賞授賞式会場前のレッド・カーペットで、アーミー・アーチャードからインタビューを受けるリトル・リチャード。アラン・ライトによる撮影。
基本情報
出生名 リチャード・ウェイン・ペニマン
出生 1932年12月5日(81歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ジョージア州メイコン
ジャンル リズムアンドブルース
ロックンロール
ファンク
ソウル
ゴスペル
担当楽器 ボーカル
ピアノ
キーボード
ギター
活動期間 1951年 -

リトル・リチャード(Little Richard、1932年12月5日 - )は、アメリカ合衆国歌手ロックの創始者の一人。本名:リチャード・ウェイン・ペニマン(Richard Wayne Penniman)。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第12位[1]

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第8位。

Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第55位[2]

バイオグラフィ[編集]

ジョージア州メイコンアフリカ系アメリカ人の家庭に生まれる。同性愛者であるため、実の父親に疎んじられて白人の家庭へ養子に出される。皿洗いの仕事をしながら歌い続け、1951年から1954年にかけて、友人ジョニー・オーティスの推薦でピーコック・レコーズから数枚のシングルを出したがほとんど売れなかった。粘り強くデモテープをレコード会社に送り続け、1955年スペシャルティ・レコーズからデビュー。「トゥッティ・フルッティ」("Tutti Frutti")、「のっぽのサリー」("Long Tall Sally")、「ジェニ・ジェニ」("Jenny, Jenny")、「グッド・ゴリー・ミス・モリー」("Good Golly, Miss Molly")といったヒットを飛ばす。エネルギッシュな歌唱法で、草創期のロックに決定的な影響を与えた。激しいアクションでピアノを弾く姿も話題となった。また、映画『女はそれを我慢できない』(1956年)に主題歌を提供する一方、自らも出演した。

1957年、人気の絶頂期に突如引退を発表し、アラバマ州オークウッド大学に入学して神学を修め牧師となった。しばらくはロックを罪深い悪魔音楽として遠ざけゴスペルを歌っていたが、1962年にロック歌手として復帰。この復帰コンサートの前座を務めたのが、無名時代のビートルズである。また、この時期のサポート・ギタリストの一人に、ジミ・ヘンドリックスがいた。

1986年に、ロックの殿堂入りを果たす。『フルハウス』などテレビドラマへの出演も多い。1990年リヴィング・カラーの楽曲「エルヴィスは死んだ」にゲスト参加。1992年には、日本のギタリスト高中正義とアルバムを共作した。これを機に、同年11月14日11月15日の2日間に渡って東京ベイNKホールでの来日公演が予定されたが、告知不足でチケットが僅か50枚しか売れなかったために中止となった。[要出典]1996年アトランタオリンピック閉会式で、ピアノを演奏。

2006年にジェリー・リー・ルイスのアルバム、ラスト・マン・スタンディングにゲスト参加。

ディスコグラフィ[編集]

スペシャルティ[編集]

  • HERE'S LITTLE RICHARD (1957)
  • LITTLE RICHARD (1958)
  • THE FABULOUS LITTLE RICHARD (1959)
  • WELL ALRIGHT! (1970)

脚注[編集]

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Little Richard”. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。

外部リンク[編集]