グレタ・ガルボ
| Greta Garbo グレタ・ガルボ |
|||||||||||
『喜びなき街』(1925年) |
|||||||||||
| 本名 | グレタ・ロヴィーサ・グスタフソン | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 別名 | 神聖ガルボ帝国 永遠の夢の王女 スウェーデンの美のスフィンクス |
||||||||||
| 生年月日 | 1905年9月18日 | ||||||||||
| 没年月日 | 1990年4月15日(満84歳没) | ||||||||||
| 出生地 | |||||||||||
| 国籍 | |||||||||||
| ジャンル | 映画女優 | ||||||||||
| 活動期間 | 1922年 - 1941年 | ||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||
| 『肉体と悪魔』 『アンナ・クリスティ』 『グランド・ホテル』 『クリスチナ女王』 『アンナ・カレニナ』 『椿姫』 『ニノチカ』 |
|||||||||||
|
|||||||||||
グレタ・ガルボ(Greta Garbo、1905年9月18日 - 1990年4月15日)は、スウェーデン生まれのハリウッド女優。本名はグレタ・ロヴィーサ・グスタフソン(Greta Lovisa Gustafsson)。初期ハリウッドの伝説的スター。「神聖ガルボ帝国」、「永遠の夢の王女」、「スウェーデンの美のスフィンクス」と呼ばれスター街道を歩む。
目次 |
[編集] 生涯
ストックホルムの貧しい労働者階級の家庭に3兄妹の末っ子として生まれる(兄スヴェン・アルフレッド、姉アルヴァ・マリア)。13歳で初等教育を終えると、家計を助けるため理髪店で髭剃り係として働くようになる。1920年に父カールが亡くなる。その後、理髪店に客としてやって来た有名デパートPUBの創業者の息子クリスチャン・ベリストロームにスカウトされ、デパートの販売員として勤務、そのデパートの広告にモデルとして出演するようになる。デパートの宣伝用の短編映画に出演していたところをコメディアンのエーリック・ペチュレルに認められ、1922年に彼の映画『Luffar-Petter(放浪者ペッテル)』に出演。また、同年から1924年までスウェーデン王立演劇アカデミーで演技を学ぶ。在学中に映画監督のマウリッツ・スティッレルに出会い、グレタ・ガルボという芸名を与えられて、無名でありながらも彼の大作映画『イエスタ・ベルリングの伝説』の大役に抜擢される。
1925年にマウリッツ・スティッレルがハリウッドに招かれた際、彼女も随伴してメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と契約。しかし、この契約はスティッレルの強引な売り込みによるものであり、当初MGMは乗り気でなかった。当時のガルボへの評価は「太っていて不細工だ」などと批判的であった[1]。しかし、カメラを通し、映像として映し出された際の彼女の神秘的な美しさに驚愕したMGMは、彼女をスターとして売り出すことを決意、1926年に『イバニエスの激流』のヒロイン役でハリウッド・デビューさせる。一方、スティッレルはハリウッドのシステムに馴染まずにすぐにスウェーデンに戻るが、ガルボは人気スターのジョン・ギルバートの相手役に抜擢され『肉体と悪魔』『アンナ・カレニナ』などに出演、そのミステリアスな美貌で人気を博す。
トーキー時代に入り、容姿と声のギャップから人気を落とす役者が多く出る中、1930年に初めてのトーキー映画『アンナ・クリスティ』に出演したガルボは、そのハスキーボイスが評判となって更に人気を集める。その完璧な美貌と人気ぶりは「神聖ガルボ帝国」と謳われた。
「笑わない女優」と呼ばれていた時期もあったが、映画『ニノチカ』で初めて公の場で笑顔を見せたといわれている("Garbo laughs"というキャッチコピーが使われた)。
1940年代になって、以前のような人気がなくなった事を認識していた彼女は、不評だったコメディ映画『奥様は顔が二つ』を最後に36歳で引退。最終的に24本の作品を残した。マスコミを徹底的に避け、マンハッタンの自宅で暮らしていた。1954年にアカデミー名誉賞を授与されたが授賞式に出席することも無く(彼女の友人である女優ナンシー・ケリーが代理で授賞式に出席し、賞を受け取った)、亡くなるまで一度も公の場に姿を現さなかった。ロマンスの噂もあったが、生涯独身だった。
1951年2月9日にアメリカ合衆国の市民権を取得。1953年からはニューヨーク市で暮らし、晩年は腎臓病を患い人工透析を受けていたが、1990年4月15日に腎不全と肺炎により死去(84歳)。
2011年4月、スウェーデン中央銀行は2014年頃登場予定の新100クローナ紙幣に、ガルボの肖像を起用すると発表した[2]。
[編集] 主な出演映画
括弧内は製作年、製作国
- イエスタ・ベルリングの伝説 - Gösta Berlings saga(1924年、瑞)
- 喜びなき街 - Die freudlose Gasse(1925年、独)
- イバニエスの激流 -Torrent(1926年、米)
- 明眸罪あり - The Temptress(1926年、米)
- 肉体と悪魔 - Flesh and the Devil(1926年、米)
- アンナ・カレニナ - Love(1927年、米)
- 女の秘密 - The Mysterious Lady(1928年、米)
- 恋多き女 - A Woman of Affairs (1928年、米)
- 野生の蘭 - Wild Orchids(1929年、米)
- 船出の朝 - The Single Standard(1929年、米)
- 接吻 - The Kiss(1929年、米)
- アンナ・クリスティ - Anna Christie(1930年、米)
- ロマンス - Romance(1930年、米)
- インスピレーション - Inspiration(1931年、米)
- スザン・レノックス - Susan Lenox(Her Fall and Rise)(1931、米)
- マタ・ハリ - Mata Hari(1931年、米)
- グランド・ホテル - Grand Hotel(1932年、米)※1933年度キネマ旬報ベストテン第9位
- お気に召す儘 - As You Desire Me(1932年、米)
- クリスチナ女王 - Queen Christina(1933年、米)
- 彩られし女性 - The Painted Veil(1934年、米)
- アンナ・カレニナ - Anna Karenina(1935年、米)
- 椿姫 - Camille(1936年、米)
- 征服 - Conquest(1937年、米)※1947年度キネマ旬報ベスト第27位
- ニノチカ - Ninotchka(1939年、米)※1949年度キネマ旬報ベスト第17位
- 奥様は顔が二つ - Two-Faced Woman(1941年、米)
[編集] 受賞歴
[編集] アカデミー賞
[編集] ニューヨーク映画批評家協会賞
[編集] ギャラリー
[編集] 脚注
- ^ ハイビジョン特集「ガルボの恋文~坂東玉三郎 ストックホルム幻想~」(NHK BSプレミアム 2011年7月23日放送)より。
- ^ 往年の女優グレタ・ガルボ、母国スウェーデンの新紙幣でよみがえる - Bloomberg.co.jp、2011年4月6日
[編集] 関連項目
- マヌエル・プイグ - 現代アルゼンチンの作家。映画をこよなく愛した人物であったが、最晩年になって『グレタ・ガルボの眼』という名の短編集を発表している。また、彼の他の作品にもグレタ・ガルボは登場することがある。
- イングリッド・バーグマン
- 松任谷由実 - ペンネームの「呉田軽穂」はグレタ・ガルボに因んでいる。
[編集] 外部リンク
- グレタ・ガルボ - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- http://www.garboforever.com/index.htm GarboForever - The Legend Lives On](英語)
- http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo2101.html グレタ・ガルボ主演『グランド・ホテル』IVC淀川長治解説ページ]