ジョーン・フォンテイン
| Joan Fontaine ジョーン・フォンテイン |
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『断崖』(1941) |
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| 本名 | Joan de Beauvoir de Havilland | ||||||
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| 生年月日 | 1917年10月22日(95歳) | ||||||
| 出生地 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 配偶者 | ブライアン・エイハーン (1939-1945) William Dozier (1946-1951) Collier Young (1952-1961) Alfred Wright, Jr. (1964-1969) |
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| 家族 | オリヴィア・デ・ハヴィランド(姉) デボラ・レスリー(娘) |
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| 主な作品 | |||||||
| 『レベッカ』 『断崖』 『ジェーン・エア』 『旅愁』 |
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ジョーン・フォンテイン(Joan Fontaine, 1917年10月22日 - )は、日本で生まれた米国籍の女優。ジョーン・フォンテーンの表記でも広く知られている。両親ともイギリス人。1943年4月に米国籍を取得した。オリヴィア・デ・ハヴィランドは実姉。
目次 |
生涯 [編集]
父親が東京帝国大学で教授をしていたため、姉のオリヴィアと同じく、東京・虎ノ門で生まれる。自伝『No Bed for Rose』によれば、自宅は現在のホテルオークラ別館あたりにあり、自宅はのちスウェーデン大使館として使われた。現在は大使館の敷地の一部となっている。父ウォルターの甥は、デ・ハビランド・エアクラフト創業者、ジェフリー・デ・ハヴィランド。
ジョーンは虚弱体質で、2歳のとき医師に転地療養を薦められ、母とイタリアに向かった。だが、症状が悪化し、アメリカに渡り、カリフォルニア州のサラトガで育つ。1925年、8歳のとき両親が離婚[1]。
14歳のとき父が元メイドの日本女性と再婚したため、父を訪ねて再び日本に戻り、3年間滞在。アメリカンスクール・イン・ジャパン[2]と聖心女子学院に通った。
健康を回復し、アメリカに帰国。1935年に舞台デビューし、同年にRKOと契約して映画にも出演するようになる。『風と共に去りぬ』の有名なスカーレット選びにも参加し、「スカーレットが無理ならメラニーでも」と猛烈に売り込みを図るも姉に奪われ、自殺まで考えた。[要出典]だが『レベッカ』の映画化を知り、プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックに売り込み、同作のヒロインに収まった。[要出典]
清楚な美貌とその震える肩で虐げられるメロドラマのヒロインを得意とした。しかし姉と親しかった男と結婚したり、計4度の離婚歴があるなど、エピソードにも事欠かない。1941年、アルフレッド・ヒッチコックのスリラー『断崖』でアカデミー主演女優賞を受賞した。
エピソード [編集]
- 3歳の時の知能検査ではIQ160であった[3]。
- 特許弁護士であった彼女の父親は”A, B, C of Go”と云う英語で書かれた碁の教則本を出版している。
- アカデミー賞の歴史で、姉妹で主演女優賞を受賞しているのはオリヴィアとジョーンだけである。
- 姉のオリヴィア・デ・ハヴィランドとの仲の悪さ、確執は有名である。姉が出席する会合には決して参加せず、たまたま出会っても決して口を聞こうとはしなかった[要出典]。
- 1962年(昭和37年)3月15日、来日。久々に日本の地を踏んだ。
- パイロットの免許を持ち、熱気球のチャンピオンでもあり、優れたライダーでもあり、カジキ釣りで賞をもらい、またホール・イン・ワンを経験した優れたゴルファーでもあり、一流の料理人でもあり、インテリア・デザイナーの資格も持っていた[3]。
- 現在、サンフランシスコ近郊カーメル市の養老院で余生を過ごしているが、フランス在住の姉とは違い、映画関係のイベントや会合には出席しない等、一切、映画関係者とは関係を持たずにいる[要出典]。
主な出演作品 [編集]
| 公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1935 | 男子牽制 No More Ladies |
キャリー | |
| 1937 | 偽装の女 Quality Street |
シャーロット | クレジットなし |
| 踊る騎士 A Damsel in Distress |
Lady Alyce Marshmorton | ||
| 1938 | 大空に賭ける Sky Giant |
メグ・ローレンス | |
| 1939 | ガンガ・ディン Gunga Din |
エミー | |
| ザ・ウィメン The Women |
ペギー・デイ | ||
| 1940 | レベッカ Rebecca |
ミセス・デ・ウィンター | |
| 1941 | 断崖 Suspicion |
リナ | アカデミー主演女優賞 受賞 |
| 1942 | 純愛の誓い This Above All |
プルーデンス・キャサウェイ | |
| 1943 | 永遠の処女 The Constant Nymph |
テッサ | |
| 1944 | ジェーン・エア Jane Eyre |
ジェーン・エア | |
| 情炎の海 Frenchman's Creek |
ドナ | ||
| 1945 | 失恋四人男 The Affairs of Susan |
スーザン・ダレル | |
| 1946 | 小さな愛の日 From This Day Forward |
スーザン・カニングス | |
| 1948 | 忘れじの面影 Letter from an Unknown Woman |
リサ | |
| 皇帝円舞曲 The Emperor Waltz |
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| 不時着結婚 You Gotta Stay Happy |
ディー・ディー | ||
| 暴れ者 Kiss the Blood Off My Hands |
ジェーン | ||
| 1950 | 旅愁 September Affair |
マリアンヌ・スチュアート | |
| 生まれながらの悪女 Born to Be Bad |
クリスタベル | ||
| 1951 | 生きるためのもの Something to Live For |
ジェニー | |
| 1952 | 黒騎士 Ivanhoe |
ロウィーナ | |
| 1953 | デカメロン夜話 Decameron Nights |
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| 熱砂の大脱走 Flight to Tangier |
スーザン・レイン | ||
| 二重結婚者 The Bigamist |
エヴァ・グラハム | ||
| 1954 | 豪傑カサノヴァ Casanova's Big Night |
フランチェスカ・ブルーニ | |
| 1956 | 条理ある疑いの彼方に Beyond a Reasonable Doubt |
スーザン・スペンサーン | |
| 愛のセレナーデ Serenade |
ケンダル | ||
| 1957 | 日のあたる島 Island in the Sun |
マヴィス・ノーマン | |
| 1958 | ある微笑 A Certain Smile |
フランソワ | |
| 1961 | 地球の危機 Voyage to The Bottom of The Sea |
スーザン・ヒラー博士 | |
| 夜は帰って来ない Tender Is the Night |
ベイビー・ウォレン | ||
| 1966 | 影なき裁き The Witches |
グゥェン・メイフィールド |
受賞歴 [編集]
| 賞 | 年 | 部門 | 作品名 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| アカデミー賞 | 1940年 | 主演女優賞 | 『レベッカ』 | ノミネート |
| 1941年 | 『断崖』 | 受賞 | ||
| 1943年 | 『永遠の処女』 | ノミネート | ||
| ニューヨーク映画批評家協会賞 | 1941年 | 主演女優賞 | 『レベッカ』 | 受賞 |
参考文献 [編集]
- 外国映画俳優全集・女優編 キネマ旬報社 1987年
参照 [編集]
- ^ Laufenberg, Norbert B. (2005). Entertainment Celebrities. Trafford Publishing. p. 233. ISBN 1-4120-5335-8.
- ^ “Prominent Alumni”. asij.ac.jp. 2011年10月6日閲覧。
- ^ a b “Biography for Joan Fontaine”. IMDb. 2012年9月24日閲覧。
外部リンク [編集]
- ジョーン・フォンテイン - allcinema
- Joan Fontaine - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- Joan Fontaine - インターネット・ブロードウェイ・データベース (英語)
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