アンナ・マニャーニ

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アンナ・マニャーニ
Anna Magnani
生年月日 1908年3月7日
没年月日 1973年9月26日(満65歳没)
出生地 ローマ
国籍 イタリアの旗 イタリア
配偶者 Goffredo Alessandrini (1935-1950)

アンナ・マニャーニAnna Magnani1908年3月7日 - 1973年9月26日)は、イタリア女優ローマ出身。

来歴[編集]

父親はエジプト人であると長く紹介されてきたが、実際の父親はカラブリア出身のイタリア人である。母マリーナはアンナを生んだ後、娘を実母に預けてアレクサンドリアへ渡り、裕福なオーストリア人と結婚した。アンナは、祖母の家で祖母と5人の叔母たちから育てられた。第一次世界大戦後にマリーナは帰国してアンナをフランス人修道女が運営する寄宿学校へ入れたが、短期間で終わった。その後アレクサンドリアへ戻った母を追ってアンナもエジプトへ向かうが、母から愛されなかった彼女には苦い思いしか残らなかった。15歳から大衆演芸の舞台に立つ。数多くの作品でウェイトレスや歌手という端役を務めた後、1934年映画デビュー。彫りが深い顔立ち、線の太いいかにも「イタリア女」の風貌で、ロッセリーニルノワールヴィスコンティらの作品に出演した。

第二次世界大戦中、ムッソリーニ失脚後、北イタリアはドイツ軍に占領され、ドイツ軍は占領軍使用のため、市民の自動車を徴発した。 自動車を取られたマニャーニは怒って、農家の使う大八車を持ち出し、ドイツ兵に怒鳴りながら、ヴィア・デル・コルソなどの目抜き通りを突っ走ったという。

1935年、映画監督ゴッフレード・アレッサンドリーニと結婚。1942年、一人息子のルカを生んだ。ルカの父親は、当時アンナが交際していた年下の俳優、マッシモ・セラートで、彼はアンナの妊娠を知ると即座に彼女と別れた。彼女はルカに自らの姓マニャーニを名乗らせた(奇しくも、私生児としてアンナを生んだ実母マリーナが、自らの姓を名乗らせたのと同じであった)。

1955年の『バラの刺青』でアカデミー主演女優賞ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)を受賞。

晩年に『ふたりの女』の出演以来がきたとき、マニャーニは母親役をよしとせず蹴ったところ、代役はソフィア・ローレンになり、ローレンはその演技でアカデミー主演女優賞を獲得。「私の役はみんなソフィアが持っていってしまう。」と、後輩の活躍をうらやんだという。

1973年9月、ローマの病院で、膵臓の腫瘍のため死去。晩年の彼女を支えたのは、一人息子ルカと、(一時期交際していたこともあった)ロベルト・ロッセリーニであった。

主な出演作品[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1941 金曜日のテレーザ
Teresa Venerdì
1945 無防備都市
Roma, città aperta
ピーナ
1948 アモーレ
L'Amore
女/ナンニーニ
不幸な街角
Molti sogni per le strade
リンダ
1950 噴火山の女
Vulcano
マッダレナ・ナトリ
1951 ベリッシマ
Bellissima
マッダーレナ
1952 黄金の馬車
The Golden Coach
カミーラ
1953 われら女性
Siamo Donne
本人役
1955 バラの刺青
The Rose Tattoo
セラフィナ アカデミー主演女優賞 受賞
英国アカデミー賞 主演女優賞 受賞
ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) 受賞
1957 野性の息吹き
Wild Is the Wind
ジオイア ベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞) 受賞
1959 街の中の地獄
Nella città l'inferno
エグレ
蛇皮の服を着た男
The Fugitive Kind
レディ・トランス
1962 マンマ・ローマ
Mamma Roma
マンマ・ローマ
1969 サンタ・ビットリアの秘密
The Secret of Santa Vittoria
ロサ
1972 フェリーニのローマ
Roma
本人役

参照[編集]

外部リンク[編集]