キャサリン・ヘプバーン
| キャサリン・ヘプバーン Katharine Hepburn |
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1940年 |
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| 本名 | Katharine Houghton Hepburn | ||||||||||||||||||
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| 生年月日 | 1907年5月12日 | ||||||||||||||||||
| 没年月日 | 2003年6月29日(満96歳没) | ||||||||||||||||||
| 出生地 | コネチカット州ハートフォード | ||||||||||||||||||
| 国籍 | |||||||||||||||||||
| 職業 | 女優 | ||||||||||||||||||
| ジャンル | 映画・舞台 | ||||||||||||||||||
| 配偶者 | ラドロウ・オグデン・スミス (1928年 - 1934年) | ||||||||||||||||||
| 主な作品 | |||||||||||||||||||
| 『勝利の朝』 『若草物語』 『招かれざる客』 『冬のライオン』 『黄昏』 |
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キャサリン・ホートン・ヘプバーン(Katharine Houghton Hepburn, 1907年5月12日 - 2003年6月29日)は、アメリカ合衆国の女優。ハリウッド映画史上最も特筆すべき女優の一人である。
2010年現在、オスカーを演技部門において4回受賞したただ一人の俳優。ノミネート数も、俳優としてはオスカー史上第2位の12回に上る(最多ノミネート記録はメリル・ストリープの17回)。
ヘプバーン本人は公の場を嫌い、自身がノミネートされた年度の授賞式に出席したことはただの1度もない。彼女が唯一、出席したのは1973年度、第46回授賞式のみであり、友人のローレンス・ワインガーテンにアーヴィング・G・サルバーグ賞を贈呈するためだった。黒のシンプルなパンツスーツという、ヘプバーンらしい姿と茶目っ気あるコメントで笑いを誘い、朗々たるスピーチで拍手喝采を浴びた。
目次 |
[編集] 生涯
コネチカット州ハートフォードにて生まれる。祖父は牧師で、父親のトーマス・ノーヴァル・ヘプバーンはバージニア州出身の医師、母親のキャサリン・マーサ・ホートンは婦人参政権論者という、インテリかつリベラルな環境で育った。キャサリンは活発な少女で、2歳年上の兄トムと仲が良かったという。他にも4歳年下のディック(劇作家))、6歳年下のボブ(医師)、11歳年下のマリオン、13歳年下のペグという6人兄妹の長女であり、幼い頃から演じることに熱中していた。
彼女が14歳の頃、兄のトムは他界。報道では自殺とされたが、首吊りの真似事をしていた際に起こった事故であるとされているが、真相は未だに謎のままである。
大学では心理学を学んでいたが、21歳の時にサマーストック「The Czarina」「ゆりかご泥棒」で初舞台を経験し、その後も演劇を続け、ブリン・マー卒業後にニューヨークに移ると、発声に問題があったため、フランシス・ロビンソン=ダフについて、ひたすら発声練習に励み、劇団に積極的に参加。10本以上の舞台を経て、1932年にRKOの『愛の嗚咽』で映画デビューした。当初、彼女はハリウッドに興味がなく、舞台女優としてのキャリアを確実に踏んでおり、舞台のギャランティは週給100ドルであった。映画に出演するつもりもないので、相手を驚かせるため冗談半分でRKOに週給1500ドルを要求したところ、会社側がこの条件を呑んだため、言い出した以上、出演を承諾することになったのがデビューの逸話である。
決して正統派美人女優ではないが、インテリジェンス、ゴージャス、ソフィスティケイテッドという言葉が誰よりもぴったり嵌る人物であり、的確で縦横無尽な演技力、強烈な個性とユーモア、プライヴァシーを重視し、独自のライフ・スタイルを貫き、飾らない性格も相まって、世界中から愛された。しかし、1930年代中期より『フィラデルフィア物語』が大ヒットする頃までは、ハリウッドのボックス・オフィス・ポイズン(金にならないスター)として興行主からは特に嫌われていた。が、当時、ヒットしなかったスクリューボールド・コメディは後年になり、非常に高い再評価を受けるに至っている。『フィラデルフィア物語』などのジョージ・キューカーと組んだそれらは特に有名であり、キューカーとは彼が他界するまで、生涯の親友であった。
身長が170センチ以上あり、細く長い肢体も特徴の一つであり、当時としては大柄な女優で、小柄な男優が相手役を尻込みしたとも言われる。
彼女の特異性は、当時としては珍しいパンツ・スタイルを貫いた点にある。黄金時代の映画スターであるにもかかわらず、着飾ることをせず、実用性のあるパンツ・スタイルで常に過ごしていたため、それがやがてトレンドとなった。何より男に寄りかからない、自立した女性のパイオニアとして未だに尊敬を集めている。
一方、気が強い性格で、ジェームズ・ディーンなどの登場には違和感を抱いたと言う様に、男が男らしくあることを求めるオールド・ファッションな側面もあり、そりの合わなかったジョゼフ・L・マンキウィッツ監督に、『去年の夏 突然に』の映画撮影終了後につばを吐きかけたという逸話がある。また、晩年、全米で最も有名なテレビ司会者のひとりであるバーバラ・ウォルターズのテレビ番組のインタヴューで「ねぇ、ケイト。どうして、スカートを履かないの?」と問われ「あなたのお葬式用にとってあるのよ」と切り替えし、名物司会者をタジタジにさせたことでも有名。
結婚は一度きりで、離婚後は再婚をしていない。元夫のスミスとは、彼が癌で他界するまで、良き友人として交流が家族ぐるみであり、また、大富豪ハワード・ヒューズとのロマンスも囁かれたが、1991年に彼女が発表した自伝の「Me」には、ヒューズとの関係も包み隠さず語られている。この自伝自体が画期的であり、ヘプバーンと言えば、私生活を語らないスターの代表であったため、全米では数百万部を売り上げる大ベストセラーになっている。
9作品で共演したスペンサー・トレイシーとは名コンビだった。初めて撮影所で顔を合わせた際、キャサリンが「私より背が低いみたいね。」と漏らすと、スペンサーが「心配ない。僕の身長に合わせて君を切ってしまうから。」と答えたという(スペンサーは165センチ程度)。ハリウッドの俳優が「ハンサムだが女性的すぎる」と物足りなさを感じていたキャサリンは、この荒々しい返答に逆に惹かれた。スペンサーは敬虔なカソリックではなかったが、宗教上離婚が出来なかったため、ふたりは結婚をせず、20年以上を共に暮らすこととなる。事実上のパートナーであり、彼女は自宅をニューヨークに持っていたが、ふたりの生活はロサンゼルスが中心であった。1968年スペンサーの死を看取ったのはキャサリンである。しかし、スペンサーの家族に配慮し、葬儀には出席しなかった。二人が共演した最後の作品『招かれざる客』でヘプバーンの姪のキャサリン・ホートンが、彼女の娘役で女優としてデビューを飾っている。
1930年代からの活躍の時期が重なる俳優ヘンリー・フォンダとは、共演したことがなかったが、フォンダの長女で映画『黄昏』のプロデューサーでもあったジェーン・フォンダは、父の相手役にと直接キャサリンに出演交渉した。『黄昏』の内容が良かったこと、父に、現役の俳優として最高の栄誉であるアカデミー主演男優賞を取らせてやりたいと願うジェーンの熱意にほだされ、出演を承諾したという。ジェーン・フォンダも、自伝でこのいきさつを詳しく述べているが、彼女の個性のきつさもあって、当初はヘプバーン自ら、名女優ジェラルディン・ペイジをフォンダの相手役に推薦したようである。
『LIFE』誌が1968年、『冬のライオン』の女王を演じるにあたって、彼女を取材した折に「演技の女王が実在の女王を演じたら誰も彼女にはかなわない」と言わしめた存在であり、米国映画協会(AFI)が1999年6月に選出した、アメリカで「最も偉大なる女優50名」では、堂々の第1位に輝いた。
『旅情』の撮影中、目が細菌に感染し、失明寸前にまで陥った。
2003年6月29日に96歳で老衰で死亡。目の感染症が完治することはなかった。
[編集] 出演作品
- 愛の嗚咽 A Bill of Divorcement (1932)
- 人生の高度計 Christopher Strong (1933)
- 勝利の朝 Morning Glory (1933) ※アカデミー主演女優賞受賞
- 若草物語 Little Women (1933)
- 野いばら Spitfire (1934)
- 小牧師 The Little Minister (1934)
- 心の痛手 Break of Hearts (1935)
- 乙女よ嘆くな Alice Adams (1935)
- 男装 Sylvia Scarlett (1936)
- スコットランドのメアリー Mary of Scotland (1936)
- 女性の反逆 A Woman Rebels (1936)
- 偽装の女 Quality Street (1937)
- ステージ・ドア Stage Door (1937)
- 赤ちゃん教育 Bringing Up Baby (1938)
- 素晴らしき休日 Holiday (1938)
- フィラデルフィア物語 The Philadelphia Story (1940)
- 女性No.1 Woman of the Year (1942)
- 火の女 Keeper of the Flame (1942)
- Stage Door Canteen - (1943)
- Dragon Seed - (1944)
- 愛はなく Without Love (1945)
- Undercurrent - (1946)
- 大草原 The Sea of Grass(1947)
- 愛の調べ Song of Love (1947)
- 愛の立候補宣言 State of the Union (1948)
- アダム氏とマダム Adam's Rib (1949)
- アフリカの女王 The African Queen (1951)
- パットとマイク Pat and Mike (1952)
- 旅情 Summertime (1955)
- 雨を降らす男 The Rainmaker (1956)
- ロマンス・ライン The Iron Petticoat (1956)
- デスク・セット Desk Set (1957)
- 去年の夏 突然に Suddenly, Last Summer (1959)
- 夜への長い旅路 Long Day's Journey Into Night (1962)
- 招かれざる客 Guess Who's Coming to Dinner (1967) ※アカデミー主演女優賞受賞
- 冬のライオン The Lion in Winter (1968) ※アカデミー主演女優賞受賞
- シャイヨの伯爵夫人 The Madwoman of Chaillot (1969)
- トロイアの女 The Trojan Women (1971)
- A Delicate Balance -(1973)
- オレゴン魂 Rooster Cogburn (1975)
- ゆかいな風船旅行 Olly Olly Oxen Free (1978)
- 黄昏 On Golden Pond (1981) ※アカデミー主演女優賞受賞
- グレース・クイッグリーの究極の解決 Grace Quigley (1984)
- めぐり逢い Love Affair (1994)
[編集] 映画賞 受賞・候補歴
| 賞 | 年 | 部門 | 候補者 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| アカデミー賞 | 1933年[1] | 主演女優賞 | 『勝利の朝』 | 受賞 |
| 1935年[2] | 『乙女よ嘆くな』 | ノミネート | ||
| 1940年[3] | 『フィラデルフィア物語』 | ノミネート | ||
| 1942年[4] | 『女性No.1』 | ノミネート | ||
| 1951年[5] | 『アフリカの女王』 | ノミネート | ||
| 1955年[6] | 『旅情』 | ノミネート | ||
| 1956年[7] | 『雨を降らす男』 | ノミネート | ||
| 1959年[8] | 『去年の夏 突然に』 | ノミネート | ||
| 1962年[9] | 『夜への長い旅路』 | ノミネート | ||
| 1967年[10] | 『招かれざる客』 | 受賞 | ||
| 1968年[11] | 『冬のライオン』 | 受賞 | ||
| 1981年[12] | 『黄昏』 | 受賞 | ||
| カンヌ国際映画祭 | 1962年 | 女優賞 | 『夜への長い旅路』 | 受賞 |
| ヴェネツィア国際映画祭 | 1934年 | 女優賞 | 『若草物語』 | 受賞 |
[編集] 関連項目
- 世界の女優
- アビエイター - 2004年のアメリカ映画(ケイト・ブランシェットがヘプバーンを演じた)
[編集] 脚注
- ^ “The 6th Academy Awards (1934) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 8th Academy Awards (1936) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 13th Academy Awards (1941) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 15th Academy Awards (1943) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 24th Academy Awards (1952) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 28th Academy Awards (1956) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 29th Academy Awards (1957) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 32nd Academy Awards (1960) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 35th Academy Awards (1963) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 40th Academy Awards (1968) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 41st Academy Awards (1969) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
- ^ “The 54th Academy Awards (1982) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2012年2月11日閲覧。
[編集] 外部リンク
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