アフリカの女王
| アフリカの女王 | |
|---|---|
| The African Queen | |
| 監督 | ジョン・ヒューストン |
| 脚本 | ジェームズ・エイジー ジョン・ヒューストン |
| 原作 | セシル・スコット・フォレスター |
| 製作 | サム・スピーゲル |
| 出演者 | ハンフリー・ボガート キャサリン・ヘプバーン |
| 音楽 | アラン・グレイ |
| 撮影 | ジャック・カーディフ |
| 編集 | ラルフ・ケンプレン |
| 製作会社 | ホライゾン・ピクチャーズ |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 上映時間 | 105分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 英語 |
『アフリカの女王』(The African Queen)は、1951年のアメリカ・イギリス合作の映画である。
『ホーンブロワー』シリーズでつとに有名な、海洋冒険小説の大家、セシル・スコット・フォレスター(C・S・フォレスター)の同名の原作を、ジョン・ヒューストンが映画化した。
ハンフリー・ボガートは、この作品で念願のアカデミー主演男優賞を受賞した。
目次 |
ストーリー [編集]
場所は、ドイツ領東アフリカの奥地。イギリス人女性ローズ・セイヤーは宣教師の兄とともに、布教活動をしていた。しかし第一次世界大戦が勃発し、住民達は無理矢理徴収され、村は焼き払われ、そしてそのショックから兄は死んでしまう。
ローズは、おんぼろ船「アフリカの女王」の船長でのんだくれのイギリス人、チャールズに助けられる。ところが、ローズは突拍子もないことを言い出す。川下の湖に浮かぶ、東アフリカ最強とされるドイツの砲艦「ルイザ号」を、酸素ボンベと爆発性ゼラチンで作ったお手製の魚雷で攻撃、沈没させようというのだ。途中にドイツ軍の砦や航行不能の激流や大瀑布があり、自殺行為だと反対したチャールズだったが、頑固なローズを前にしぶしぶ承諾させられる。
性格がまるで正反対の2人だったが、いがみ合いつつお互いに惹かれていく。しかし、2人を待ち受けていたのは想像を絶する数々の困難だった…。はたして作戦は成功するのか。そして2人の運命は!?
キャスト [編集]
- チャールズ(チャーリー)・オルナット:ハンフリー・ボガート - 吹替:久米明
- ローズ(ロージー)・セイヤー:キャサリン・ヘプバーン - 吹替:鳳八千代
- セイヤー牧師:ロバート・モーリー
- 船長:セオドア・ビケル
スタッフ [編集]
- 監督: ジョン・ヒューストン
- 製作:サム・スピーゲル
- 原作: C・S・フォレスター
- 脚本: ジェームズ・エイジー、ジョン・ヒューストン
- 音楽: アラン・グレイ
主な受賞歴 [編集]
アカデミー賞 [編集]
- ノミネート
- アカデミー監督賞:ジョン・ヒューストン
- アカデミー主演女優賞:キャサリン・ヘプバーン
- アカデミー脚本賞:ジェームズ・エイジー、ジョン・ヒューストン
英国アカデミー賞 [編集]
エピソード [編集]
リアリズムを追求するべく、アフリカで本格的なロケを敢行したこの映画の撮影は困難を極めた。天候不順でセットが流されるやら、体調悪化や病気で倒れる出演者やスタッフが続出するやらで、撮影は長引いた。にもかかわらず監督のヒューストンは、映画そっちのけでひたすらハンティングに興じる始末だった。キャサリン・ヘプバーンはこの時の監督の態度によほど憤懣やるかたなかったか、後年『アフリカの女王とわたし』という本を出版して一矢報いた。更にこのロケに同行した脚本家のピーター・ヴィアテルまでもが、この時の体験を元に小説『ホワイトハンター ブラックハート』を書く。これはクリント・イーストウッドの監督、ヴィアテル本人も脚本に参加して映画化もされた。ヒューストンがモデルの映画監督ジョン・ウィルソンはイーストウッド自身が演じた。
パブリックドメイン [編集]
本作は作品中(オープニングタイトル、エンドロール、等)に著作権表記が無かったため公開当時の米国の法律(方式主義)により権利放棄とみなされ、米国に於いてはパブリックドメインとなった(このため、コモンズに高解像度のスクリーンショット、ウィキクオートに台詞の抜粋が収録されている)。また、日本においては著作権の保護期間が終了したと考えられることから現在、複数の会社から激安DVDが発売中。
外部リンク [編集]
- アフリカの女王 - allcinema
- アフリカの女王 - KINENOTE
- The African Queen - AllMovie(英語)
- The African Queen - インターネット・ムービー・データベース(英語)
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