ヴィヴィアン・リー
| Vivien Leigh ヴィヴィアン・リー |
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| ヴィヴィアン・リー 無敵艦隊 (1937年)より |
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| 本名 | Vivian Mary Hartley | ||||||||||||||||||
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| 生年月日 | 1913年11月5日 | ||||||||||||||||||
| 没年月日 | 1967年7月8日(満53歳没) | ||||||||||||||||||
| 出生地 | |||||||||||||||||||
| 死没地 | |||||||||||||||||||
| 国籍 | |||||||||||||||||||
| 身長 | 161 cm | ||||||||||||||||||
| 職業 | 女優 | ||||||||||||||||||
| ジャンル | 舞台・映画 | ||||||||||||||||||
| 活動期間 | 1935年 - 1965年 | ||||||||||||||||||
| 配偶者 | ハーバート・リー・ホルマン (1932-40) ローレンス・オリヴィエ (1940-1960) |
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| 主な作品 | |||||||||||||||||||
| 『風と共に去りぬ』 『哀愁』 『欲望という名の電車』 |
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ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh, Lady Olivier、1913年11月5日 - 1967年7月8日)は、イギリスの女優。
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生涯 [編集]
インドのダージリン出身。本名は、ヴィヴィアン・メアリー・ハートリー(Vivian Mary Hartley)。父はイギリス人の株の仲買人であった。母ガートルード・メアリーは自らアイルランド系であると主張していたが、旧姓「ロビンソン・ヤーチ(Robinson Yackje)」のYackje(Yackjeeとも表記)から、インド人との混血である可能性が指摘されており、また、それがリーの東洋的美貌の理由であるとも言われている[1]。リーは上流階級の教育を受けさせたいという両親の希望で、6歳でローハンプトンのセイクレッド・ハート修道院に入所させられ、そこで後の女優仲間となるモーリン・オサリヴァンと出会う。その後、王立演劇芸術アカデミーを卒業した。
1932年にケンブリッジ大卒で13歳年上の法廷弁護士ハーバート・リー・ホルマンと結婚し、1933年に娘のスーザンが生まれた[2]が、リーは女優として大成功することしか考えておらず、娘の養育には殆ど興味を示さなかった。ホルマンは結婚している間、リーのマネージャーもしていたが、夫としての本音は女優を引退し家庭的な主婦になってもらうことだった。しかしそれは上昇志向が誰より強く野心のかたまりのリーには無理な注文だった。
女優としてのリーの経歴は、舞台演劇から始まった。初出演作は『緑の飾り帯 The Green Sash』であり、スターダムに押し上げた作品は『美徳の仮面 Mask of Virtue』であった。1935年に初めて映画『探しだされるもの』に出演した。しかしながら最も有名な出演作は1939年の『風と共に去りぬ』であった。ハリウッドに進出したイギリスの男優ローレンス・オリヴィエを追って渡米していた。ヒロインの決まらぬまま、撮影所ではアトランタ炎上のシーンが撮影されていた。その場でプロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックに「スカーレットがそこにいた!」と見いだされたという有名な逸話があるが、セルズニックの息子の証言によると、それはハリウッドによくある宣伝用の作り話で、実際は撮影の2日前、当時オリヴィエのマネージャーを務めていたオリヴィエの兄のマイロンに紹介でカメラテストを受けた結果、リーはスカーレットのオーディションに合格していた。そして主演・スカーレット・オハラ役でアカデミー主演女優賞を受賞した。
1940年にリーはホルマンと離婚し、オリヴィエと再婚した。オリヴィエとの出会いは1935年に、オリヴィエの舞台での勇姿を見たリーが一目ぼれをしたのがきっかけだが、オリヴィエを振り向かせるために、オリヴィエ夫妻の出入り先を調べてそこへ偶然を装って押しかけて知人同士になり、次に彼の好みや性格を良く知っている妻のジル・エズモンドにも近づき友人となり彼女を手なづけるなど、オリヴィエの愛人の地位を得るための手段を選ばなかった。そしてその交際は次第にエスカレートし人目をはばかることなく行われたが、当時オリヴィエの妻であった女優のジル・エズモンドは妊娠していた。ジルは後に男児を出産。しかし彼女もリーが人並み外れた野心的な性格を持ちながらも、その反面あまりにも美しくチャーミングな性格にも魅了されていた面もあり、レズビアンのジルは夫婦の仲を引き裂いた彼女に怒りをぶつけることはなかった。
1944年に彼女は左肺が結核に感染していると診断された。病気にもかかわらず彼女はソーントン・ワイルダー作の舞台『危機をのがれて Skin of Our Teeth』や、1946年には映画『シーザーとクレオパトラ』に出演したが、それは彼女の結核を悪化させる原因となった。そしてこの映画の撮影中に転倒してオリヴィエとの子供を流産をした。また、サー(Sir)の称号を得た、オリヴィエという偉大な俳優を夫に持った故に、同じく俳優として大成したい、オリヴィエの配偶者としてのレディー(Lady)の尊称ではなく、彼と同等に、女性の称号デイム(Dame)が欲しいという願望に、引き裂かれた。1951年に彼女は映画『欲望という名の電車』でのブランチ・デュボワ役で2度目のアカデミー賞を受賞した。
1950年代の初めに彼女は二度流産し、結核で体力も衰えていた。さらに彼女は双極性障害に暫くの間悩まされた。双極性障害は彼女の快復の障害の大きな要因と考えられた。彼女は普段は礼儀正しく温和であったが、躁病のときはヒステリーを起こし意味不明な言動で周りを振り回したり、暴言を吐いて暴れることが度重なり(映画巨象の道の強制降板は、このヒステリー発作が出たため)、また性的関係が乱脈になり手がつけられない状態になり(ゴシップとして騒がれた例はオリヴィエの後輩俳優のピーター・フィンチとの浮気など)夫婦関係がすっかり破綻してしまい、オリヴィエが家を出てしまい、1960年に彼女とオリヴィエは合意の上離婚した。「レディー・オリヴィエは、オリヴィエのためなら何でもしてあげます。」と、離婚に同意したという。彼女は後に恋人の俳優ジョン・メリヴェールと同居している間でさえ、周りの人たちに離婚前と同様に自分をレディ・オリヴィエと呼ぶように頼み、ベッドサイドのテーブルに額に入ったオリヴィエの写真を飾っていた。
二度目の結婚のせいで、ホルマンと娘スーザンを捨てたかたちになっていたが、彼女は二人と連絡を取り合っていた。スーザンが初めて出産したとき、祖母になった彼女は、生まれて間もない孫を抱くことができた。女優のジュリエット・ミルズの名付け親である。他に素晴らしい孫3人にも恵まれた。またオリヴィエの先妻ジルとの関係が良好だったので、彼らとの間の息子とも親しく交際していた。
リーは慢性的な結核の末、1967年にロンドンの自宅アパートで喀血によって気管を詰まらせて死去した。葬儀委員長は前夫のオリヴィエが務め、生前のヴィヴィアンの希望通り遺体は火葬され、遺灰はロンドンのサセックス、ブラックボーイズの近くにあるティッカレジ・ミル湖にまかれた。
リーはその生涯をイギリスで閉じたが、ハリウッドの人々は彼女の女優としての功績を称え、ハリウッド大通り6773番地のハリウッド名声の歩道に、彼女の名を刻んだ星型のタイルを埋め込んだ。
主な出演作 [編集]
| 公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1935 | 紳士協定 Gentleman's Agreement |
フィル・スタンリー | |
| 見つめて笑え Look Up And Laugh |
マージョリー | ||
| 探しだされるもの Things Are Looking Up |
少女 | クレジットなし | |
| 田舎紳士 The Village Squire |
ローズ | ||
| 1937 | 無敵艦隊 Fire Over England |
シンシア | |
| 間諜 Dark Journey |
マデリーン | ||
| 茶碗の中の嵐 Storm in a Teacup |
ヴィッキー | ||
| 1938 | 響け凱歌 A Yank at Oxford |
エルザ | |
| セント・マーティンの小径 St. Martins Lane |
リビー | ||
| 1939 | 風と共に去りぬ Gone with the Wind |
スカーレット・オハラ | アカデミー主演女優賞 受賞 |
| 1940 | 21日間 Twenty-One Days |
ワンダ | |
| 哀愁 Waterloo Bridge |
マイラ | ||
| 1941 | 美女ありき That Hamilton Woman |
エマ・ハミルトン | |
| 1945 | シーザーとクレオパトラ Caesar and Cleopatra |
クレオパトラ | |
| 1947 | アンナ・カレニナ Anna Karenina |
アンナ・カレニナ | |
| 1951 | 欲望という名の電車 A Streetcar Named Desire |
ブランチ・デュボア | アカデミー主演女優賞 受賞 ヴェネチア国際映画祭 女優賞 受賞 英国アカデミー賞 主演女優賞 受賞 |
| 1955 | 愛情は深い海の如く The Deep Blue Sea |
ヘスター | |
| 1961 | ローマの哀愁 The Roman Spring of Mrs. Stone |
カレン・ストーン | |
| 1965 | 愚か者の船 Ship of Fools |
メアリー・トレッドウェル |
受賞歴 [編集]
アカデミー賞 [編集]
英国アカデミー賞 [編集]
ゴールデングローブ賞 [編集]
- ノミネート
- 1953年 主演女優賞 (ドラマ部門):『欲望という名の電車』
ニューヨーク映画批評家協会賞 [編集]
ヴェネツィア国際映画祭 [編集]
トニー賞 [編集]
- 受賞
- 1963年 ミュージカル主演女優賞:『Tovarich』
脚注 [編集]
- ^ “What ethnicity is Leigh?” (英語). Answers. 2013年3月12日閲覧。
- ^ “Vivien Leigh Profile”. TCM. 2012年10月13日閲覧。
- ^ なお、この式典にリー本人は出席しておらず、代理人としてグリア・ガーソンが受賞している。
日本語文献 [編集]
外部リンク [編集]
- ヴィヴィアン・リー - allcinema
- ヴィヴィアン・リー - KINENOTE
- Vivien Leigh(英語)
- Vivien Leigh - AllMovie(英語)
- Vivien Leigh - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- IVC 淀川長治『アンナ・カレニナ』 解説ページ
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