風と共に去りぬ (映画)

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風と共に去りぬ
Gone with the Wind
監督 ヴィクター・フレミング
脚本 シドニー・ハワード
原作 マーガレット・ミッチェル
製作 デヴィッド・O・セルズニック
出演者 ヴィヴィアン・リー
クラーク・ゲーブル
音楽 マックス・スタイナー
撮影 アーネスト・ホーラー
レイ・レナハン
編集 ハル・C・カーン
ジェームズ・E・ニューカム
製作会社 セルズニック・インターナショナル
配給 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
公開 アメリカ合衆国の旗 1939年12月15日
日本の旗 1952年9月10日
日本の旗 1975年10月8日(「水曜ロードショー」で初放送)
日本の旗 1988年1月1日(「金曜ロードショー」で初放送)
上映時間 222分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $3,900,000
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風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、原題: Gone with the Wind)とは、1939年に公開されたヴィクター・フレミング監督作のアメリカ映画

原作のマーガレット・ミッチェルの世界的ベストセラー小説『風と共に去りぬ』を映画化。全編で3時間42分という大長編であるにもかかわらず、当時空前の大ヒットを記録した。

概要[編集]

メトロ・ゴールドウィン・メイヤーセルズニック・プロダクションが製作したテクニカラー方式による叙事詩的大作ドラマであり、製作費や宣伝費に大金を注ぎ込む嚆矢となった作品でもある。

原作小説の『風と共に去りぬ』には、人種問題や奴隷制の描写について問題になると思われる部分が多々あったため、映画化に際してそのような箇所は大きく省かれ、登場人物についても何人かの黒人奴隷が省略されている。デヴィッド・O・セルズニックは、「ぼくはどんな反ニグロ映画も作りたくない。われわれの映画では、ニグロの扱いに極力、注意しなければならないんだ」と語ったという[1]

アカデミー賞では作品賞監督賞主演女優賞ヴィヴィアン・リー)、助演女優賞ハティ・マクダニエル・黒人俳優初)、脚色賞ほか特別賞を含め9部門を受賞した。

この作品がアカデミー賞を受賞することが授賞式で発表される前に新聞社が発表してしまった事件が起こったため、従来新聞社にはあらかじめ知らせてあったアカデミー賞の受賞結果は授賞式でプレゼンターが名前を読み上げる時点まで厳重に管理するようになった。

ウェード、エラ、ディルシー、ウィル、アーチは登場しない。

キャスト[編集]

スカーレット役選びは映画制作前の一大キャンペーンとして、全米各地にてオーディションが行われた。映画の舞台であるアトランタで選ばれたイヴリン・キースは、スカーレットの妹・スエレン役にキャスティングされた。またスカーレット役の有力候補にはベティ・デイヴィスキャサリン・ヘプバーン、マーガレット・サラヴァン、ノーマ・シアラーラナ・ターナー、フランシス・ディー、スーザン・ヘイワードなどがいた。カメラテストも行われポーレット・ゴダードにほぼ内定していたが、チャーリー・チャップリンと未婚のまま同居していたこともあって白紙となった。


役名 俳優 日本語吹替
ワーナー PDDVD 日本テレビ旧録版 日本テレビ新録版 テレビ東京 機内版
スカーレット・オハラ ヴィヴィアン・リー 日野由利加 栗原小巻 戸田恵子 田中美佐子 鈴木弘子
レット・バトラー クラーク・ゲーブル 大塚明夫 内田直哉 近藤洋介 江守徹 渡辺謙 仲村秀生
アシュレー・ウィルクス レスリー・ハワード 原康義 村治学 滝田裕介 荻島真一 井上倫宏 納谷六朗
メラニー・ハミルトン オリヴィア・デ・ハヴィランド 平淑恵 堀江真理子 谷育子 香野百合子 岡本茉利 沢田敏子
ジェラルド・オハラ トーマス・ミッチェル 今西正男 島香裕 神田隆 織本順吉 山野史人 池田勝
エレン・オハラ バーバラ・オニール 谷育子 宇乃音亜季 中西妙子 富田恵子 吉野佳子
マミー ハティ・マクダニエル 青木和代 桂木黎奈 中村たつ 神保共子 麻生美代子
スエレン・オハラ イヴリン・キース 田中敦子 執行佐智子 勝生真沙子   芝夏美
キャリーン・オハラ アン・ラザフォード 佐々木優子 恒松あゆみ 久住真理子 岡本茉利 さとうあい
ミード医師 ハリー・ダベンボート 大木民夫 横森久 久米明 石井敏郎
ピティパットおばさん ローラ・ホープ・クルーズ 斉藤昌 村上あかね 中村紀子子 杉田郁子 山本与志恵 秋元千賀子
フランク・ケネディ キャロル・ナイ 福田信昭 原田清人 中田浩二 小山力也 広瀬正志
ベル・ワトリング オナ・マンスン 高畑淳子 小沢寿美恵 駒塚由衣 横尾まり
ボニー・バトラー カミー・キング
ナレーター - 有本欽隆 鈴木瑞穂 横内正 若山弦蔵 麻生美代子
日本語版制作スタッフ
演出 佐藤敏夫 羽田野千賀子 小林守夫 佐藤敏夫 左近允洋
翻訳 木原たけし 原仁美 木原たけし 額田やえ子
調整 熊倉亨 山田明寛 前田仁信 小野敦志 高久孝雄
録音 鈴木喜好嗣 坂井真一
効果 芦田公雄
熊耳勉
リレーション
編集 オムニバス・ジャパン
選曲 重秀彦 東上別符精
プロデューサー 小川政弘
貴島久祐子
(ワーナー・ホーム・ビデオ)
椿淳 深澤幹彦
渡邉一仁
制作 ワーナー・ホーム・ビデオ
東北新社
ミックエンターテイメント 東北新社 テレビ東京
東北新社
電通
  • 日本語吹き替えのワーナー版は、ワーナー発売のVHSとDVD(1枚組)とBDに収録。

日本テレビ新録版は、ワーナー発売のスペシャル・エディション(4枚組)に収録。

Vivien Leigh as Scarlett OHara in Gone With the Wind trailer.jpg Clark Gable as Rhett Butler in Gone With the Wind trailer.jpg
ヴィヴィアン・リー クラーク・ゲーブル
Olivia de Havilland as Melanie Hamilton in Gone With the Wind trailer.jpg Leslie Howard as Ashley Wilkes in Gone With the Wind trailer.jpg
オリヴィア・デ・ハヴィランド レスリー・ハワード

スタッフ[編集]

監督は当初ヒューマンドラマの名匠ジョージ・キューカーだったがセルズニック側の期待していたような迫力を出せず、フレミングに交代した。さらに、映画制作終盤で一時サム・ウッドが監督になった。過労のためぴりぴりしていたフレミングにセルズニックがあれこれ口を出したためと言われる。なお、セルズニックは1944年に本作の一切の権利をMGMに売却した。現在は他のMGM作品(1985年以前)と同様タイム・ワーナーに版権がある。

またスタイナーによるテーマ曲『タラのテーマ』は、格調高いナンバーとして映画音楽の古典となっている。アカデミー作曲賞の候補にもなったが受賞は逃した。スタイナーはアカデミー作曲賞に26回ノミネートされ3回獲得しているが、もっとも有名な『風と共に去りぬ』は受賞できなかった。

受賞歴[編集]

作品賞:風と共に去りぬ
監督賞:ヴィクター・フレミング
主演女優賞:ヴィヴィアン・リー
助演女優賞:ハティ・マクダニエル
脚色賞:シドニー・ハワード
撮影賞(カラー):アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン
室内装置賞(美術賞):ライル・ウィーラー
編集賞:ハル・C・カーン、ジェームズ・E・ニューカム
特別賞:ウィリアム・キャメロン・メンジース(劇的な色彩の使用に対して)
主演男優賞助演女優賞(オリヴィア・デ・ハヴィランド)、作曲賞、特殊効果賞(視覚効果賞)、音響賞 にもノミネート)
女優賞:ヴィヴィアン・リー

アカデミー賞作品賞のオスカー像はのちに競売に出されて、マイケル・ジャクソン1999年6月に150万ドル(約1億5750万円)で落札した。ジャクソンによると「この映画のオスカー像を手に入れるのが長年の夢だった」。しかしオスカー像は「盗品」扱いとしてアカデミーが1ドルで回収した。

アメリカ合衆国での公開[編集]

1939年12月15日アトランタから公開開始。初公開時には、南北戦争の南軍兵士の生き残りが招待された(初公開を報じた当時のニュース映画にもその模様が映っている)。「二度と製作することができない豪華さ」と喧伝され、アメリカ映画協会が選出した「アメリカ映画ベスト100」では4位となったように映画史上屈指の名作の1つと評される。スカーレット役選びが難航したこと、プロデューサーのセルズニックが自らの意を通すために断行した度重なる脚本家や監督の交代劇などその製作過程には数々の逸話が残されている。

アメリカ国内での興行収入は1億9867万6459米ドルであり、チケット価格のインフレ調整を行うと第1位になる[2]

日本での公開[編集]

日本での初公開は1952年9月10日[要出典]。映画で描かれる南部の栄光と南北戦争敗北による没落から見事経済的に成功するものの精神的な幸福感を得られないヒロイン・スカーレットの姿が太平洋戦争の戦後復興の途上にありながらも大義や志を失った当時の日本の姿と一致したこともあって、高額な入場料であるにも拘らず大ヒットロングランとなった。高度経済成長以降でもたびたび各地の映画館で上映されている。さらに、2005年以降は、デジタルリマスター版での公開もなされている。

なお、太平洋戦争の緒戦において、日本軍による被占領地となった上海シンガポールマニラなどで、主に軍隊関係(陸軍中野学校出身者)の日本人がこの作品(他、ディズニー・アニメ映画「ファンタジア」)を見る機会を得たが、「こんな映画を作る国と戦争しても勝てない」と衝撃を受けたという。小津安二郎徳川夢声もシンガポールでこの映画を観ている。その評判が噂を呼んで、東京にフィルムを空輸して軍関係者のみの試写会が行われた[3]東京大学でも上映会があり、学生時代の江崎玲於奈が観たという[4]。終戦直前に桃井真がこの映画を観ている。

日本では1966年に世界で初めて舞台化された。さらに1975年10月8日10月15日日本テレビの『水曜ロードショー』で前後編に分けて「永遠の超大作完全放送『風と共に去りぬ』」の題名で世界で初めてテレビで放映され(「世界初TV放送」を宣伝文句にしていた)、33.0%の視聴率を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)[5]。日本テレビは放送権を6億円で購入したとされる[5]。その後、1979年10月3日10月10日に同枠で「いま甦る永遠の超大作『風と共に去りぬ』」の題名で再放送された。また1988年1月1日金曜日)には、『金曜ロードショー』(『水曜ロードショー』の後身)の正月特別企画および「日本テレビ開局35年記念特別番組」の一環として吹き替えを新録し、18:00 - 22:51枠で放送された[6]

スカパー262chのシアター・テレビジョンで、字幕版が再放映。シネマティック・ビューティー #11 『風とともに去りぬ』

エピソード[編集]

  • 「世界中で必ずどこかの町で常に上映されている」という伝説があるが、これはそれくらい大ヒットし現在でも人気があるという比喩である。
  • 有名なヒロインの最後のセリフは「After all, tomorrow is another day.(結局、明日は別の日なのだから)」である。従来はこれを「明日は明日の風が吹く」と訳すことが多かったが、最近ではより原文に近い「明日という日がある」と訳されることが多い。しかし当のアメリカでより有名なセリフは、この直前にレットが去り際に吐く捨てゼリフである。スカーレットに「これから私はどうしたらいいの?」と聞かれたレットは、「Frankly, my dear, I don't give a damn.(知らないね、勝手にするがいい)」と振り向きざまに言う。字幕や吹き替えではそれほどきついセリフではないものの、英語の「damn」は実際は強い罵りの言葉で製作当時は映画において使うべきではない言葉(いわゆる禁止用語)と考えられていた。しかし原作のセリフを一言も変えないというセルズニックの強い意向によってそのまま盛り込まれた。2005年、アメリカ映画協会はこれを「最も記憶に残る映画のセリフ」に選んでいる。また、ザッツ・エンターテインメントpartIIの名画の名シーンセクションにこのセリフを言う場面が登場する。
  • 『それいけ!アンパンマン』の原作者であるやなせたかしは、本作品を、いくつかのキャラクターの下敷きとした(詳細は、それいけ!アンパンマンの記事を、参照のこと)。
  • 1992年には、原作(新潮文庫全5巻)と同じ装丁で、『写真集 「風と共に去りぬ」』(ジュディ・キャメロン/ポール・J・クリストマン、高橋良平訳)が、刊行されているが短期間で品切となった。

版権とDVD[編集]

本作は作品中(オープニングタイトル、エンドロールなど)に著作権表記が無かったため公開当時の米国の法律(方式主義)により権利放棄とみなされ、米国に於いてはパブリックドメインとなった(このためコモンズに高解像度のスクリーンショット、ウィキクオートにセリフの抜粋が収録されている)。1989年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

ワーナー・ホーム・ビデオから発売されたVHS版は日本でのリリースが米国に先行する形となり日本語字幕版を逆輸入するケースが相次いだため、本国でのリリースが前倒しになった。またこの件の影響もあり、DVDは北米と日本でリージョンをわけられることになった。

日本においては著作権の保護期間が完全に終了したことから(公開後50年と監督没後38年の両方を満たす)、複数の会社から激安DVDが発売されている。正規盤DVDは通常版と限定版があり、レンタル店などに置かれている通常版は両面1層なので再生中に裏返す必要がある。セルのみの流通になっている限定版は4枚組の構成で、本編2枚と特典2枚。特典の内容は『風と共に去りぬ・幻のメイキング 史上最大の名画はこうして生まれた』と題されたメイキング映像である。また、それらの特典は付いていないが正規盤BDは片面2層でディスクを裏返したり入れ替えたりせずに見ることができる。

脚注[編集]

  1. ^ 青木冨貴子 『「風と共に去りぬ」のアメリカ ―南部と人種問題』 (岩波新書、1996年)
  2. ^ BOX OFFICE MOJO
  3. ^ 小林信彦『映画×東京とっておき雑学ノート』P.72
  4. ^ 小林信彦『映画×東京とっておき雑学ノート』P.97及び『日本経済新聞2007年1月10日付け
  5. ^ a b 引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、130頁。ISBN 4062122227
  6. ^ 「完璧版 テレビバラエティ大笑辞典」(白夜書房)79頁(同本では11 - 81頁で昭和元日の新聞ラ・テ欄を掲載) 2003年

外部リンク[編集]