サウンド・オブ・ミュージック (映画)

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サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music
監督 ロバート・ワイズ
脚本 アーネスト・レーマン
原作 ハワード・リンゼイ
ラッセル・クローズ
製作 ロバート・ワイズ
ソウル・チャップリン
出演者 ジュリー・アンドリュース
クリストファー・プラマー
エリノア・パーカー
リチャード・ヘイドン
ペギー・ウッド
音楽 リチャード・ロジャース
オスカー・ハマースタイン二世
アーウィン・コスタル
撮影 テッド・マッコード
編集 ウィリアム・レイノルズ
配給 20世紀フォックス
公開 アメリカ合衆国の旗 1965年3月2日
日本の旗 1965年6月19日
上映時間 174分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $8,200,000
興行収入 $158,671,368[1]
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サウンド・オブ・ミュージック』(: The Sound of Music)は、同名のミュージカルサウンド・オブ・ミュージック』を原作とするミュージカル映画1965年公開。20世紀フォックス提供。

ストーリー[編集]

オーストリアザルツブルク1938年ドイツによるオーストリア併合及び第二次世界大戦の前夜。映画の冒頭にジュリー・アンドリュースが山々に囲まれた緑の大地の上で歌い踊る≪歌:サウンド・オブ・ミュージック≫。出演者などの字幕の最後に「オーストリア 1930年代 最後の黄金の日々」という字幕が出る。

マリアは修道女見習い。お転婆で周囲の修道女にからかわれていた≪歌:マリア≫[2]。ある日、修道院長に、トラップ大佐の7人の子供たちの家庭教師をするように勧められ、トラップ邸へ向かう≪歌:自信を持って≫[3]

ゲオルク・フォン・トラップ大佐(ゲオルク)はオーストリア=ハンガリー帝国海軍の退役軍人で数年前に妻を亡くして以来、子供たちの家庭教師がどれも長続きせず困っていた。ゲオルクは、子供たちを軍隊的に厳しくしつけているが、子供たちはいたって快活。早速カエルをマリアのポケットに忍ばせて悪戯をする。

夕食。子供たちの悪戯で席に置かれた松かさの上に知らずに座ったマリアは悲鳴をあげるが、父ゲオルクには「持病のリウマチの発作で」と誤魔化し、子供たちに朗らかに「歓迎の意」のお礼を述べる。

やがてゲオルクに電報が届き、翌日からウィーンに出かけることになる。長女リーズルは電報配達のロルフと密かな恋仲であり、夕食途中で席を立ちロルフに会いに行く。ふたりは互いの愛を確かめ合い、甘やかなひとときを過ごす≪歌:もうすぐ17才≫[4]。だが、時を忘れてしまい家から締め出されたリーズルは、マリアの部屋の窓からそっと家に戻る。外は雷鳴が音高く轟き、雷を怖がる弟妹たちも次々にマリアの部屋に集まってきた。雷鳴と雷光におびえる子供たちにマリアは、「哀しいときやつらいときは楽しいことを考えましょう」と教える≪歌:私のお気に入り[5]。すっかり打ち解けたマリアと子供達だったが、就寝時間を守らなかったことで父ゲオルクにたしなめられる。

マリアは海軍の制服のような子供たちの衣服をかわいそうに思い、部屋のカーテンで遊び着を作って山に遠足に出かける。子供たちが悪戯や悪さをするのは父ゲオルクの気を引きたいからだと聞かされたマリアは、歌を歌って気を引いてはどうかと提案するが、母を亡くしてから長く家に音楽がなかったため知っている歌はひとつもないと聞き驚く。そこでマリアは子供たちに歌を基礎の基礎、ドレミの階名から教える≪歌:ドレミの歌[6]

数日してマリアと子供たちが川遊びをしているところに、ゲオルクが婚約者のエルザ・シュレーダーと友人マックス・デトワイラーを連れて戻る。奇妙な遊び着を着ていることでゲオルクは激昂するが、マリアは子供達に目を向けて欲しい、寂しさに応えてあげて欲しいと必死で訴える。取りつく島もなくゲオルクはマリアに解雇を言い渡すが、子供たちの合唱する声に吸い寄せられ、自らも長い間忘れていた歌を歌う≪歌:サウンド・オブ・ミュージック≫[7]。自分の教育方針は独りよがりだったとゲオルクは詫び、マリアは引き続き家庭教師としてトラップ邸に留まるよう依頼される。

マリアと子供たちはエルザとマックスを歓迎する会を開く。その歌のすばらしさと人形劇のおもしろさにゲオルクは大喜びする≪歌:ひとりぼっちの羊飼い≫[8][9]。マックスは子供たちを合唱団として売り込むことを提案するがゲオルクは一笑に付す。そこでマリアはゲオルクに「次はあなたの番」とギターを差し出す。ゲオルクは照れて拒むが、子供たちに押し切られる形でギターを受け取り、昔を懐かしむかのように情感をこめて≪歌:エーデルワイス[10]を歌い上げる。

エルザの提案でトラップ邸で舞踏会が開かれた。楽団がワルツを演奏して参加した人々がダンスを踊り、テラスでは子どもたちとワルツに興じるマリアであったが、やがてオーストリアの民族舞踊レントラーの曲に変わると、ゲオルクが現われてマリアと踊りだし、二人の目が合うと、マリアは「これ以上はもう忘れた」と言って踊りをやめるが、顔を赤くして立ち尽くしてしまう。二人の間に愛が生まれつつあることに気付くのであった。部屋に戻る子供たちが歌う≪歌:さようなら、ごきげんよう≫[11]。出席者の中に地元の指導者ゼラーがいて、オーストリア国旗を掲げるゲオルクに忠告するが、ゲオルクは逆に彼を批難する。一方マックスはマリアがパーティーの食事に出席するよう提案し、ゲオルクも了承する。着替えのために下がったマリアにエルザが、ゲオルクがマリアに気があるのではないかと伝える。エルザはゲオルクとマリアが互いにそれと気付かず惹かれあっていると感じており、二人の仲が進むのを危惧していた。ゲオルクの気持ちを本気にするなと言うエルザの言葉に、これ以上トラップ邸にいられないと思ったマリアは置き手紙をしてそっと修道院に戻る。【第1部 終わり】

突然のマリアとの別れを寂しがる子供たちは修道院[12]にマリアを訪ねるが、マリアは部屋にこもっていると言われ会えずに戻ることとなる。マリアは修道院長に懺悔し、一生神に仕えると述べるが、逆に院長から神の愛も男女の愛も同じだ、向き合って自分の道を見つけなさい「全ての山に登れ、全ての道を歩き、全ての虹を渡れ、自分の夢を見つけるまで、生きている限り愛を注げる夢を見つけるまで」≪歌:すべての山に登れ[13]≫と励まされ、トラップ邸に戻ることになった。修道院へ行っていたため昼食に遅れた子供たちは父親に叱責され、歌を歌って元気を出そうと歌っていると≪歌:私のお気に入り[14]、重なるようにマリアの歌声が聞こえた。

その晩、バルコニーで結婚を語り合うゲオルクとエルザだが、ゲオルクの目は夜の庭をそぞろ歩くマリアの後姿を追っていた。ゲオルクはすでに自分の心がマリアに向いていることに気づき、エルザに婚約解消を告げる。ゲオルクとマリアは、邸宅の庭で互いの愛を告白する≪歌:何かいいこと≫[15]

二人は教会で子供たちや修道女たちに祝福されて結婚式を挙げ≪歌:マリア≫、新婚旅行に出かける。

二人が新婚旅行に行っている間に、オーストリア併合に伴い進駐してきたドイツ軍ザルツブルクにも駐屯していた。コンクールが行われる日、練習を終えて出てきたリーズルがロルフを見かけたが、彼はリーズルにゲオルク宛の電報を託し、リーズルに対しどこか冷たくなっていた。ロルフはオーストリア・ナチス党の親衛隊員になっており、ナチス式敬礼をした上にゲオルクもドイツ軍人としての任務に就くよう忠告する。一方、母国の不穏な雰囲気を察して急いで新婚旅行からこの日戻ったゲオルクの家には今やドイツのみならずオーストリアの国旗となったハーケンクロイツ旗が掲げられており、激昂したゲオルクはその旗を引きずりおろす。また、マックスは子供たちを合唱団として売り込む事を諦めておらず、ゲオルクが居ない間にコンクールへの出場を決めてしまっていたが、ゲオルクはなおも反対した。リーズルから渡された電報は、有能な軍人であったゲオルクを欲するナチスドイツの海軍からの出頭命令であった。愛国者でありドイツのオーストリア併合に反対するゲオルクは、ドイツ軍の言うとおりに出頭する気はなく時代の大きな波を感じとり、命令を無視し中立国であるスイスへ一家で亡命することを決意する。

その晩、トラップ一家が亡命する為に屋敷を出ると、ドイツ帝国の官吏となった(もとのオーストリア人)ゼラーが待っていた。実はトラップ邸の執事でオーストリア・ナチス党員のフランツが亡命の計画を密告していたのである。ゼラーは出頭命令のもとゲオルクを新たな任務先へ護送しようとするが、ゲオルクは自身が反対していたコンクールを口実にし、ゼラーはコンクールが終わり次第護送するという条件を出して、護送の延長を許した。親衛隊の厳重な監視の下、ザルツブルクの祝祭劇場で行われたコンクールで≪歌:ドレミの歌ほか≫[16]と、オーストリアの愛国歌(これはこの作品の脚色)≪歌:エーデルワイス≫、そして≪歌:さようなら、ごきげんよう≫を歌って2~3人ずつ舞台から消えていく。審査の結果が3位、2位と発表されて最後に優勝としてトラップ一家が発表されるが舞台に現れず、その表彰式の隙にトラップ一家は劇場から逃げ出していた。

一家はマリアのいた修道院に逃げ込むが、修道院長から国境が閉じられたことが伝えられ、ゲオルクは山を越えることを決意する。やがて親衛隊が修道院に到着して車を入口において修道院内を捜索する。その中にはロルフもおり、一家が墓場に潜んでいることに気付いたロルフは銃を構えるが、リーズルとゲオルクに声をかけられ一瞬躊躇する。同行するよう説得するゲオルクに反発したロルフは大声をあげ上官に通報するが、一家は裏口から車で逃走する。親衛隊も追跡しようと止めていた車で発車しょうとしたがエンジン[要曖昧さ回避]がかからず、トラップ一家を取り逃がしてしまう。直後に修道院長に対し罪を犯したと告白する修道女たちの手には、そのエンジンから外した部品[17]が握られていた。

国境線が全て閉鎖されているため、トラップ一家は山を越えて逃亡先のスイスへと向かう≪歌:すべての山に登れ≫。【第2部 終わり】

キャスト[編集]

役名 俳優 日本語吹き替え
旧パッケージ版 DVD新録版 NETテレビ版 フジテレビ版 テレビ東京版
マリア ジュリー・アンドリュース 武藤礼子 島田歌穂 武藤礼子 新妻聖子
ゲオルク クリストファー・プラマー 金内吉男 布施明 井上孝雄 若山弦蔵 井上和彦
エルザ エリノア・パーカー 増山江威子 増子倭文江 寺島信子 藤波京子 戸田恵子
マックス リチャード・ヘイドン英語版 永井一郎 坂部文昭 中村正 真木恭介 チョー
修道院長 ペギー・ウッド英語版 京田尚子 伊集加代 中西妙子 藤波京子
リーズル シャーミアン・カー英語版 玉川砂記子 華原朋美 横沢啓子 藤村歩
フリードリッヒ ニコラス・ハモンド 松田辰也 大沼遼平 永久勲雄 代永翼
ルイーザ ヘザー・メンジース 冨永みーな 仲原舞 玉川砂記子 須藤祐実
クルト デュアン・チェイス英語版 中沢佳仁 戸野塚祐亮 松田辰也 小林翼
ブリギッタ アンジェラ・カートライト 渕崎ゆり子 石川愛梨 市原由美子 宇山玲加
マルタ デビー・ターナー英語版 土方結香 黒葛原未有 冨永みーな 諸星すみれ
グレーテル キム・カラス英語版 建田小百子 山内初音 三好由里子 松本春姫
ロルフ ダニエル・トゥルーヒット英語版 田中秀幸 岸祐二 水島裕 日野聡
ツェラー ベン・ライト英語版 大木民夫 稲垣隆史 島宇志夫 小川真司
シュミット夫人 ノーマ・ヴァーデン 島美弥子 沼波輝枝 火野カチコ
執事フランツ ギル・スチュアート 仲木隆司 小島敏彦 上田敏也 浦山迅
日本語版制作スタッフ
ソフト版 DVD新録版 NETテレビ版 フジテレビ版 テレビ東京版
演出 山田悦司 佐藤敏夫 春日正伸 木村絵理子
翻訳 森みさ 森田瑠美 森みさ
訳詞 森みさ 『ドレミの歌』:
ペギー葉山
『ドレミの歌』以外:
もりちよこ
森みさ
調整 荒木勝也 長井利親 山田太平 田中和成
録音 アートセンター
効果 PAG サウンドボックス
配給 ビデオフィルム
制作担当 山本悌嗣(東北新社)
制作 東北新社 ブロードメディア・スタジオ 東北新社/テレビ東京
  • 20世紀フォックス発売の<ファミリーバージョン>DVDとBDにはDVD新録版と旧パッケージ版の2バージョンが収録されている。

追加曲[編集]

リチャード・ロジャースによって、以下の2曲が追加されている。

  • 自信を持って(: I Have Confidence in Me
    はじめて大佐邸をマリアが訪ねて向かうときの歌。
  • なにかよいこと(: Something Good
    マリアと大佐が互いに恋を告白したときに自分たちのしあわせを「なにかよいことをしたからか」と歌う。

受賞[編集]

受賞 人物
作品賞 ロバート・ワイズ
ソウル・チャップリン
監督賞 ロバート・ワイズ
編集賞 ウィリアム・H・レイノルズ
音楽賞 アーウィン・コスタル
録音賞 ジェームズ・P・コーコラン
フレッド・ヘインズ
ノミネート
主演女優賞 ジュリー・アンドリュース
助演女優賞 ペギー・ウッド
撮影賞 テッド・マッコード
美術賞 ボリス・レヴィン
ウォルター・M・スコット
ルディ・レヴィット
衣装デザイン賞 ドロシー・ジーキンス

豆知識[編集]

作品内でトラップ邸として使用された邸宅
  • 原作者のマリア・フォン・トラップ本人が『自信を持って』の曲中ワンシーンだけ通行人として映画に出演している。
  • エリノア・パーカーが演じたエルザは、役名がBaronessとなっており『男爵夫人』とも訳されて表現されているが、夫人では婚約相手になれないし、先立たれた未亡人かどうかは映画の中では明らかでない(劇団四季の公演では夫に先立たれた夫人という表現がある)。このBaronessの言葉には女男爵という意味もある。ただしこの役はこの作品のための架空の人物であり、正式な役名はエルザ・シュレーダーで、父が子供たちに彼女を紹介する時も、子供たちが父が婚約したことをマリアに伝える時も「バロネス・シュレーダー」と映画の中で呼んでいる。ちなみにマリアが結婚した後は「バロネス・トラップ」となるが映画の中では呼ばれる場面はない。
  • 修道女の一人、シスター・ソフィア役はマーニ・ニクソンで、映画『王様と私』におけるデボラ・カー、映画『ウエストサイド物語』におけるナタリー・ウッド、映画『マイ・フェア・レディ』におけるオードリー・ヘップバーン等の歌唱部分の吹き替えをしていた。
  • 長女リーズル役のシャーミアン・カーは将来を嘱望されていたが本作の直後に結婚出産したため女優業を引退してしまった。しかしながら今でもこの作品の思い出話などの講演依頼が途切れることはなく、それなりの副収入になっていると本人は語っている。
  • アメリカでの初公開(1965年3月2日)当時、トラップ大佐役のクリストファー・プラマーは35歳(1929年12月13日生まれ)、マリア役のジュリー・アンドリュースは29歳(1935年10月1日生まれ)。実話ではトラップ少佐(後述のように大佐ではない)はマリアより24歳9ヶ月年上であった(トラップ少佐は1880年4月4日生まれ、マリアは1905年1月26日生まれ)。また、第一子であるリーズル役のシャーミアン・カーは、当時UCLAの学生で22歳(1942年12月27日生まれ)であったが、16歳の長女役を演じた。なお、シャーミアン・カーと末子であるグレーテルを演じたキム・カラス(1958年8月4日生まれ)の年齢順はストーリーの設定・演者の生年月日と一致するが、他の子役については必ずしも一致していない(詳細は英語版の個別記事を参照の事)。
  • トラップ男爵はかつてオーストリア海軍の潜水艦隊司令官を勤めていた。第一次世界大戦中多くの戦果をあげ、その功績によりいくつかの勲章と准男爵の爵位を得ている。ドイツが男爵を引き込もうとした背景には、こういった戦歴や名声を政治的宣伝に利用する目的もあったと思われる。
  • 当時20世紀フォックス社は、巨費と歳月をかけた超大作『クレオパトラ』の失敗で倒産も囁かれていたが、この映画の空前の大成功により経営を立て直すことができた。収入はアメリカだけでも7900万ドル、これは当時の配給収入記録の最高額である。
  • 2010年12月、製作45周年記念して、HDニューマスター版:ブルーレイ・コレクターズBOX (数量限定生産)がリリース[要曖昧さ回避]された。尚、HDニューマスター版:ブルーレイ盤はDVD盤同様に、正規レンタルも行われている。

史実との相違点[編集]

本作品は、あくまでマリアの自伝を「基にした」ミュージカルを「基にした」映画であり、元のミュージカルの時点から史実とは異なる点が多々ある。

  • 映画ではマリアは修道女のまま、修道院の紹介でトラップ家に家庭教師にやってくるが、史実では家庭教師になった時すでにマリアは修道院をやめている。体調を崩しての転職であった。
  • ゲオルクには前妻(名前はアガーテ)との間に子供が7人いたが、マリアが家庭教師として教えたのは最初は次女(名前は同じマリア)であり、後に長女(母と同じアガーテ)に教えていて、7人の家庭教師ではない。
  • ゲオルク・フォン・トラップの役名は、1956年と58年に西独で製作された『菩提樹』や『続・菩提樹』ではバロン・フォン・トラップであり、『トラップ男爵』と訳されている。1965年のこの作品ではキャプテン・フォン・トラップとなっていて、映画の中では『キャプテン』と呼ばれ、マリアも『キャプテン』と呼んでいる。しかし婚約していたエルザは彼を『ゲオルク』〔英語風にゲオルグ〕と呼んでいる[18]
  • この『キャプテン』を「大佐」と訳して『トラップ大佐』と日本語訳しているが、ゲオルクの戦争時の最終階級は「少佐」であり、潜水艦艦長を経て潜水艦艦隊司令を勤めている。そして第1次大戦で敗れて退役して海軍軍人ではなく水運会社を経営しており、通称で呼ばれていたとしても、役名で大佐とか、トラップ一家を大佐一家と訳すのはおかしい。オーストリアでは潜水艦や駆逐艦の艦長を務める者を略してカピテーン(Kapitän, Kap'tän, etc...)と呼ばれ、英語圏の海軍での大佐[19](Captain キャプテン)と同様の呼び方で呼ばれるために起きた誤訳である。
  • ラスト近くで「トラップ・ファミリー合唱団(シンガーズ)」の名でザルツブルグの音楽祭に出演しているが、この楽団名はアメリカに渡って戦後になってから改名したもので、この当時は「トラップ・ファミリー聖歌隊」と名乗っていた。
  • 当時の実際の合唱団にはゲオルク・フォン・トラップの7人の連れ子の他に、マリアが産んだ2人(後にアメリカで3人目が生まれた)の子どもも加わっており、ラストの1938年当時は7人の連れ子はすでに大人[20]であって、マリアが生んだ2人[21]だけが子どもであった。これは、実際に二人が結婚したのは1927年で、ラストの出国当時はそれから11年後の話であることによる。そして1956年に西独でマリア・フォン・トラップの手記を基に映画化された映画『菩提樹』で、時代設定を10年ずらして、二人が知り合い結婚してすぐに出国するストーリーにして、子どもの顔触れも変えずにしたための矛盾である。「サウンド・オブ・ミュージック」も「菩提樹」の時代設定を踏襲している。[22]
  • 音楽好きの家族で合唱団を結成して、音楽のコンクールに出ることになっているが、実際は大恐慌によりゲオルクが資産を預けていた銀行が倒産。無一文となったゲオルクに対して、マリアは神学生に下宿を貸出して金を稼ぎ、その下宿人だった神父フランツ・ヴァスナーが子供たちの音楽指導を行ったのである。実際にはマリアではない。『菩提樹』では、教会へのオルガンの寄付を依頼しにトラップ家を訪れたヴァスナー神父が子供達の歌声を聴いて飛び入りで合唱指導を始める、という設定になっている。
  • 実際にはオーストリアにおいてもドイツによるオーストリア併合を支持する国民も多く、動画サイトなどではこの映画の演出と異なりドイツ国旗を振りながら喜んでドイツ軍やアドルフ・ヒトラーを迎えるオーストリア国民の群衆を見ることが出来る。ドイツ軍進駐後にドイツ政府によって行われた国民投票では97%が賛成したとされるが、ドイツ軍進駐前に国民投票を行えば合併拒否が選択されることは確実であったという見解もある。ただしヒトラー自身がオーストリア出身である。詳しくはアンシュルス#ドイツによる併合を参照のこと。『菩提樹』ではオーストリアの民衆が歓声をあげてドイツ軍を迎える様子を伝えるラジオ放送をトラップとマリアが苦々しい表情で聞いている場面がある。
  • この映画は全般的に親衛隊と突撃隊とを混同して演出している。ちなみに、突撃隊はナチス内部の権力闘争の結果この映画の舞台となった1938年にはその活動は下火になっている。ラストで追われるトラップ一家を追跡する一隊の制服は、ゼラーの副官は黒色の制服(親衛隊)だがその下の隊員(ロルフら)は褐色の制服(突撃隊)である。詳細は親衛隊突撃隊を参照。
  • トラップ一家が生まれ故郷オーストリアを離れることを決心したのは、ゲオルクの元に召集令状が届いたためだけでなく、ドイツ海軍の潜水艦艦長に就任するように要請され、また長男ルーペントがユダヤ人医師を強制収容所送りにした後の病院に勤務することも要請され、さらにヒトラーの誕生日にミュンヘンのラジオ局でトラップ一家が歌えと要請されて、いずれも断ったことで、オーストリアに留まることが危険であると判断したことと、当時ナチス党員であった執事のハンスがオーストリア国境がもうすぐ閉鎖されることを伝えたことが大きい。[23]
  • 映画ではコンクールの最中に徒歩で逃げ出してナチス親衛隊の追跡を振り切るが、史実では周囲に全く気づかれないように普段着で家の裏庭を出て、北イタリア行きの列車に乗ってイタリアの南チロルの山に逃げ、国境を越えてフランスへ列車で移動し、そしてイギリスに渡り、サウサンプトンから船でアメリカに向った。映画のようにスイスへの山越えではない。ところで何故イタリアに行ったのかについては、当時トラップ一家は戦前オーストリア領で戦後イタリア領になったトリエステで市民としてイタリアの市民権を持っていて、まだ独伊同盟が締結される前年でナチスといえどもイタリア市民権を持つ者を勝手に逮捕することが出来なかったことによる。[24]
  • オーストリアを脱出する山越えのシーンは視覚効果のためか、ザルツブルクからスイスの間を結ぶ通常のルートとは全く異なる場所で撮影された。現実のザルツブルクから歩いて山を越えると、そこはドイツ(バイエルン州)のベルヒテスガーデンである。近辺にはアドルフ・ヒトラーの別荘すら存在する。ザルツブルクはドイツとの国境が近く、その半分以上の方角がドイツとの国境である。そしてザルツブルクからスイス国境までの間は相当な距離があり徒歩で移動するには遠すぎる。地元住民の視点においては非常に不自然なラストシーンである[25]
  • 実際のマリア・フォン・トラップも活動的ではあったが、同時に勝ち気な癇癪持ちでもあり、ゲオルクの方がむしろマリアを優しくなだめる一家のまとめ役であり、音楽好きな性格であった。渡米後にトラップ・ファミリー合唱団が解散したのは、ゲオルクの死後マリアだけで子供達をまとめきれなかったのも一因とされる。
  • 伝記がミュージカル化される際、マリアは事実がフィクションとして脚色して描かれる事には寛容だったが、亡き夫ゲオルクが横暴に描かれるシーンにだけは納得しなかった。

オーストリアでの評価[編集]

  • 地元のザルツブルクを含むドイツ語圏ではこの映画はヒットしなかった。西ドイツではこの映画の9年前、ミュージカルが作られるより以前の1956年と1958年に同じくトラップ一家の物語を題材とした映画『菩提樹』、『続・菩提樹』が制作されており、ドイツ語圏での『サウンド・オブ・ミュージック』の不評とは対照的に『菩提樹』は「1950年代で最も成功したドイツ映画のひとつ」とも言われている[26]。そしてオーストリアではザルツブルクを除いて、ウイーンでは21世紀に入るまでこの映画は1度も上映されていない。原因はこの映画が当時のオーストリアの現実とまったく異なるものであることに起因する[27]
  • それはナチスが台頭する以前のオーストリアが自由で民主的な国であり、ゲオルク・フォン・トラップがその自由を守るシンボルとしてナチスと戦うように描かれているが、彼の立場はオーストリア・ファシズムと言われる時代の考え方を支持するものであって、1930年代初めに議会が停止されて社会民主党や労働組合が解散させられ、ナチスも抑え込まれた状況で当時のシュシュニク首相を支持していた。古い体制を支持して結局ナチスとの権力争いに敗れたのであって、映画の中のパーティ―で着た服装の首につけた徽章は古いファシズムを表す徽章であり、決して自由と戦う者とは違うものであった[28]。戦後中立を標榜したオーストリアにとって、戦前のオーストリアも自由を抑圧した体制であり、やがてナチスに迎合して合邦された苦い歴史があってトラップ一家はたんなる権力争いに敗れて亡命を余儀なくされたもので、戦前の体制を擁護する映画であると見られている[29]
  • 映画で家政婦も執事もナチス党員で監視する悪役のような描写になっているが、西独製作の「菩提樹」では史実に沿って執事が党員でありながら手引きする場面があり、長女アガーテが半世紀が過ぎた後に回想記で感謝の念を述べている。[30]
  • この映画に出てくるゼラー、ロルフ、フランツを単純な悪役にしていては当時の複雑なオーストリアを理解することは難しい。故に『サウンド・オブ・ミュージック』が日本におけるオーストリアのイメージを最も強く歪めてきたと言われている[31]
  • またゲオルクはオーストリアでは制服が軍事史博物館に展示されるほどの英雄であるが、当時の敵国であったイタリアなどではトラップ艦長は商船を攻撃した極悪人であり、それがイタリアと第二次世界大戦時に同盟国であったドイツに抵抗する英雄で格好よく描かれているという点で反感を買い、本映画の上映が禁止されている町もある。
  • 映画の冒頭に字幕で出てくる「オーストリア 1930年代 最後の黄金の日々」という時代の表現は、必ずしもオーストリアの歴史を正確に表しているものではない。

脚注[編集]

  1. ^ The Sound of Music” (英語). Box Office Mojo. Amazon.com. 2013年6月28日閲覧。
  2. ^ : Maria
  3. ^ : I Have Confidence in Me
  4. ^ : Sixteen Going on Seventeen
  5. ^ : My Favorite Things
  6. ^ : Do-Re-Mi
  7. ^ : The Sound of Music
  8. ^ : Lonely Goatherd
  9. ^ 「羊飼い」と覚えられることが多いが、これはペギー葉山が日本語詞を書く際に「山羊飼い」ではメロディーに合わないために「羊」に変えたためである。
  10. ^ : Edelweiss
  11. ^ : So Long, Farewell
  12. ^ ザルツブルクにあるノンベルク修道院
  13. ^ : Climb Ev'ry Mountain
  14. ^ : My Favorite Things
  15. ^ : Something Good
  16. ^ : Do-Re-Mi
  17. ^ 取り外した部品はイグニッションコイルディストリビューター
  18. ^ 野口祐子 編著「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 82~83P 世界思想社 2010年3月発行
  19. ^ 英語圏でもキャプテンを潜水艦や駆逐艦の館長を指す言葉として使う。
  20. ^ 7番目の女子マルティナが16歳であった。
  21. ^ ローズマリーが8歳、エレオノーレが6歳であった。
  22. ^ 野口祐子 編著「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 21P 世界思想社 2010年3月発行
  23. ^ 野口祐子 編著「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 17~18P 世界思想社 2010年3月発行
  24. ^ 野口祐子 編著「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 18~19P 世界思想社 2010年3月発行
  25. ^ 「映画になった奇跡の実話」 鉄人ノンフィクション編集部
  26. ^ de:Die Trapp-Familie
  27. ^ 図説「オーストリアの歴史」増谷英樹・古田善文著 120P 【映画『サウンド・オブ・ミュージック』のオーストリア像】 河出書房新社 2011年9月発行
  28. ^ 図説「オーストリアの歴史」増谷英樹・古田善文著 121P
  29. ^ 図説「オーストリアの歴史」増谷英樹・古田善文著 121P
  30. ^ 野口祐子 編著「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 143P 世界思想社 2010年3月発行
  31. ^ 図説「オーストリアの歴史」増谷英樹・古田善文著 120P

外部リンク[編集]