マックス・スタイナー

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マックス・スタイナー(Max Steiner、1888年5月10日 - 1971年12月28日)は、オーストリア系のユダヤ系アメリカ人映画音楽作曲家。本名はマクシミリアン・ラオウル・ヴァルター・シュタイナー(Maximilian Raoul Walter Steiner)。

人物・来歴[編集]

祖父のマクシミリアン・シュタイナー(1839年 - 1880年)はアン・デア・ウィーン劇場の支配人で、父のガボール・シュタイナー(1858年 - 1944年)はウィーンの遊園地の経営者だった。名付け親はリヒャルト・シュトラウス。ピアノの手ほどきをヨハネス・ブラームスに受け、15歳でウィーン帝室音楽院(現在のウィーン国立音楽大学)に入学し、グスタフ・マーラーから教えを受けた。彼はその才能で4年の課程を1年で終えた。

16歳のときオペレッタ『美しいギリシア娘』を作曲した。第一次世界大戦のときはロンドンにいて、敵性外国人に分類されたが、ウェストミンスター公から出国書類をもらうことができ、1914年12月に32ドルを持ってニューヨークに到着した。

スタイナーは編曲者、オーケストレーター、ヴィクター・ハーバートジェローム・カーンジョージ・ガーシュウィンブロードウェイミュージカルの指揮者として15年働いた。

1929年、スタイナーは『リオ・リタ』の映画版の音楽を製作するために、RKOからハリウッドに招かれた。1933年の『キングコング』の映画音楽によって名声を得た。『トップ・ハット』『ロバータ』などのフレッド・アステアジンジャー・ロジャースの出演したミュージカル映画の音楽も担当した。その他、何百もの映画音楽を作曲し、ワーナー・ブラザーズの音楽部門でもっとも有名な作曲家であった。

彼は3回アカデミー作曲賞を受賞し、26回ノミネートされている。しかしもっとも有名な『風と共に去りぬ』は受賞できなかった。

主な作品[編集]

受賞歴[編集]

アカデミー賞[編集]

受賞
1935年 アカデミー作曲賞:『男の敵
1944年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『君去りし後
1942年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『情熱の航路
ノミネート
1934年 アカデミー作曲賞:『コンチネンタル
1934年 アカデミー作曲賞:『肉弾鬼中隊
1936年 アカデミー作曲賞:『バラクラヴァの戦い
1936年 アカデミー作曲賞:『沙漠の花園
1937年 アカデミー作曲賞:『ゾラの生涯
1938年 アカデミー作曲賞:『黒蘭の女
1939年 アカデミー作曲賞:『愛の勝利
1939年 アカデミー作曲賞:『風と共に去りぬ
1940年 アカデミー作曲賞:『手紙
1941年 アカデミー作曲賞(ドラマ部門):『ヨーク軍曹
1943年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『カサブランカ
1944年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『マーク・トゥエインの大冒険
1945年 アカデミー作曲賞(ミュージカル部門):『アメリカ交響楽
1946年 アカデミー作曲賞(ミュージカル部門):『夜も昼も
1947年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『ライフ・ウィズ・ファーザー
1947年 アカデミー作曲賞(ミュージカル部門):『愛国の唄
1948年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『ジョニー・ベリンダ
1949年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『森の彼方に
1950年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『怪傑ダルド
1952年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『ファチマの奇跡
1952年 アカデミー作曲賞(ミュージカル部門):『ジャズ・シンガー(1952)
1954年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『ケイン号の叛乱
1955年 アカデミー作曲賞(ドラマ&コメディ部門):『愛欲と戦場

ゴールデングローブ賞[編集]

受賞
1948年 ゴールデングローブ賞 作曲賞:『Life with Father』