アン・デア・ウィーン劇場

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アン・デア・ウィーン劇場(アン・デア・ウィーンげきじょう、Theater an der Wien)は、オーストリアウィーンにある歌劇場ミュージカルオペラを上演する劇場として、1801年の開館以来、多くの市民・観光客を集めている。ウィーン劇場協会Vereinigte Bühnen Wien)に加盟しており、運営はウィーン市の100%出資企業であるウィーン・ホールディング(Wien Holding)が担当する。

市内中心部、ウィーン6区(マリアヒルフ)のリンケ・ヴィーンツァイレ(Linke Wienzeile、ウィーン川左岸通り)沿いに位置する。劇場名の「アン・デア・ウィーン」とは「ウィーン川に面した」という意味であり、ドナウ川の支流で劇場の傍を流れるウィーン川に由来するものである。今日では、ウィーン川は劇場付近が暗渠化されており、直上はナッシュマルクトと呼ばれる市場になっている。

歴史[編集]

アン・デア・ウィーン劇場(2003年)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのオペラ『魔笛』の台本で成功したエマヌエル・シカネーダーが、1791年に皇帝の認可を受け、建築家フランツ・イェーガーによる帝政様式の設計をもとに1798年より建設を開始、1801年に落成した。当時の建物は限られた部分しか現存しておらず、ミレッカー通り(Millöckergasse)に面した「パパゲーノ門」(Papagenotor)はその一部である。これは劇場を建てたシカネーダーを記念する門であり、『魔笛』で自ら「パパゲーノ」役を演じるシカネーダーと、彼と共に出演した3人の息子たちの姿を見ることができる。

開館よりほどなくしてシカネーダーは破産し劇場を手放すものの、保持していた皇帝の認可によって芸術監督の座を守り、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを音楽監督として招聘。ベートーヴェン作のオペラ『フィデリオ』などを上演した。劇場内には、ベートーヴェンを記念する部屋が残っている。

19世紀には、劇場はヨハン・ネストロイなどに代表されるウィーン大衆演劇(Alt-Wiener Volkstheater)、その後ヨハン・シュトラウス2世フランツ・レハールカール・ミレッカーなどによるオペレッタ作品を数多く上演して、ウィーン市民の人気を博した。世紀末ウィーンとも重なるシュトラウスの時代は「オペレッタの黄金時代」、レハール・ミレッカーの時代は「銀時代」と呼ばれる。

パパゲーノ門

第二次世界大戦後、 劇場は空襲の被害を受けたウィーン国立歌劇場の代替としての役割をしばらく担った。カール・ベームの指揮で『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『魔笛』といったモーツァルトオペラ作品が上演され、その一部は録音が残されている。

しかし、国立歌劇場が移転・再オープンした1955年、劇場は安全上の理由で一時閉鎖を余儀なくされた。数年間利用がされないまま、劇場を大駐車場に転換する計画も浮上するなど、一時は閉館の危機にあったものの、結局は存続が決まり、最新の設備を導入、改装を施してミュージカル劇場として生まれ変わることになった。

1962年より、劇場は毎年5・6月に開かれる文化フェスティバル「ヴィーナー・フェストヴォッヘン」(Wiener Festwochen)のメイン会場となっている。なお、ハンス・クナッパーツブッシュがヴィーナー・フェストヴォッヘンで指揮した映像のDVDは、この劇場で収録されたものである。

ミュージカル劇場としての成功[編集]

パパゲーノ門。左下にベートーヴェンの記念プレートが見える

劇場はその後、ミュージカル公演の会場として有名になった。これは1983年より総監督を務めたペーター・ヴェックによるところが大きい。ヴェックのもと、1983年にアンドリュー・ロイド=ウェバー作『キャッツ』のドイツ語版初演がこの劇場で幕を開けた。心理学者ジークムント・フロイトの生涯を描いたエリック・ウルフソン作『Freudiana』こそ芳しくなかったものの、ミヒャエル・クンツェシルヴェスター・リーヴァイによる『エリザベート』は500万人以上の観客を集める大ヒットを記録し、全世界で史上もっとも成功したドイツ語ミュージカルとなった。2003年秋の再演の際には、オーストリア国内で記念の郵便切手が発行されている。

『エリザベート』のロングランヒット後は、同じくクンツェ・リーヴァイのコンビによるミュージカル『モーツァルト!』が1999年10月より2001年5月まで上演された。この作品は「2000年最優秀ミュージカル」に選出された。

オペラハウスの復活[編集]

1815年の劇場

モーツァルトの生誕250周年に当たる2006年、劇場は「新しいオペラハウス」(Das neue Opernhaus)を名乗り、再びオペラを上演するようになる。これにより、劇場は国立歌劇場およびウィーン・フォルクスオーパーに次いでウィーン3館目の歌劇場となった。ただし、前二者と異なり専従の歌劇団(カンパニー)は存在しない。歌劇場として復活して最初の公演は、プラシド・ドミンゴらが参加したガラ・コンサートであった。

総監督に就任したローラント・ガイヤーは、他2館のように日替わりで違った演目を用意するレパートリーシステムではなく、同じ演目を一定期間にわたって上演する形態であるスタジオーネシステムを採用。モーツァルト作品やウィーン古典のほか、バロック・オペラや現代もののオペラを主な柱に据えるとしている。オペラ公演のオーケストラはウィーン交響楽団ウィーン放送交響楽団およびウィーン・コンツェントゥス・ムジクスが務めている。

ウィーンのオペラファンの中には、規模・構造ともにウィーン古典オペラの上演に最適なこの劇場が、これまでミュージカル公演という“間違った使われ方”をされてきたと感じ、この方向転換を待ち望んでいたものも多かった。その一方で、長い伝統である「最新の、娯楽性の高い演目の初演が行なわれる劇場」としての位置づけが消えることを惜しむ声も聞かれた。

主な初演作品[編集]

本文中で触れたものも含む。

交通[編集]

  • ウィーン地下鉄 U1・U2・U4線 Karlsplatz駅下車
  • バス 59A Bärenmühldurchgang/57A Laimgrubengasse下車

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

特記のない限りドイツ語・英語対応。