交響曲第3番 (ベートーヴェン)

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交響曲第3番の浄書総譜表紙(ウィーン楽友協会蔵)
交響曲第3番 (ベートーヴェン)




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交響曲第3番変ホ長調英雄』(原題:: Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo 英雄交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐ)作品55は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した3番目の交響曲である。1804年に完成された。『英雄』のほか、イタリア語の原題に由来する『エロイカ』の名で呼ばれることも多い。ベートーヴェンの最も重要な作品のひとつであると同時に、器楽音楽による表現の可能性を大きく広げた画期的大作である。

概要[編集]

フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンのナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲された。しかし、完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーヴェンはナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話がよく知られている[1]

この曲は、ハイドンモーツァルトなどの古典派の交響曲や、自身の交響曲第1番第2番からの飛躍が著しい。曲の長大さや、葬送行進曲スケルツォといったそれまでの交響曲の常識からすると異質にも思えるジャンルとの本格的な融合、マーラーを先取りする「自由に歌うホルン」を取り入れたオーケストレーション、さらに英雄的で雄大な曲想などの点において革新的である。

この曲の「標題」のように用いられているエロイカ (eroica) は、男性単数名詞を形容する eroico という形容詞が女性単数名詞である sinfonia (交響曲)を修飾するために語尾変化したものである。sinfonia eroica を直訳すると「英雄的な交響曲」となる。

1817年、「自作でどれが1番出来がいいと思いますか」という詩人クリストフ・クフナードイツ語版の質問に対し、ベートーヴェンは即座に「エロイカ」と答え、「第5交響曲(運命)かと思いました」と言う言葉に対しても「いいえ、いいえ、エロイカです!」と否定している。

作曲の経緯[編集]

作曲者の「無給の秘書」シンドラーが書いた伝記によると、当時ウィーン駐在のフランス公使だったベルナドット将軍(後のスウェーデン国王カール14世ヨハン)の勧めにより作曲を始めたものとされていたが、このエピソードはシントラーの創作であるとする説が有力視されており、この交響曲の作曲に着手したきっかけはよくわかっていない。

なお、ナポレオンが皇帝に即位したという知らせを聞いたベートーヴェンが「彼もまた俗人に過ぎなかった。これから、人々の人権を踏みにじって自分の野心のためだけに奔走し、誰よりも自分が優れていると誇示する暴君になるのだろう」と激怒し、献辞が書いてある表紙を破り取ったという、弟子フェルディナント・リースの回想に基づく有名なエピソードが伝えられている。しかし実際は、ウィーン楽友協会に現存する浄書総譜には表紙を破り取った形跡はなく、表紙に書かれた「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献辞をペンでかき消した上に「シンフォニア・エロイカ」と改題され、「ある英雄の思い出のために」と書き加えられている。

ナポレオンへの献呈は取り止めになり、最終的な献呈先はロブコヴィツ侯爵に落ち着いた。この書き足された「ある英雄」が誰であるのかに関しては昔からいろいろ推測されてきたが、ごく最近『この「ある英雄」は、非公開の初演に立会い、1806年7月9日イェーナの会戦で戦死したプロイセン王子ルイ・フェルディナントフリードリヒ大王の甥で音楽的才能もあった)ではないか』という説も出てきている。

またそれゆえに、ベートーヴェンが皇帝に即位したナポレオンに激怒したという件についても、事実であるかどうか疑いが持たれている。ベートーヴェンは終始ナポレオンを尊敬しており、第2楽章が英雄の死と葬送をテーマにしているため、これではナポレオンに対して失礼であるとして、あえて曲名を変更し献呈を取り止めたという説もある[2]

演奏の歴史[編集]

初演[編集]

日本初演[編集]

編成[編集]

編成表
木管 金管
Fl. 2 Hr. 3 Timp. 一対 Vn.1
Ob. 2 Trp. 2 Vn.2
Cl. 2 Va.
Fg. 2 Vc.
Cb.

作曲当時のオーケストラの一般的な編成ではホルンは2本または4本である[3]が、この曲はホルン3本という変則的な編成を採用している。第3楽章・トリオではこの3本による演奏が行われる。

演奏時間[編集]

かつては第1楽章の繰り返しを含めて約52分程度が標準的であったが、近年はベートーヴェンのメトロノーム指定を尊重する傾向が強まり、繰り返しを含めて42分から48分ほどの演奏も増えている。

曲の構成[編集]

第1楽章の巨大な展開部と第2展開部に匹敵するコーダ。第2楽章には歌曲風の楽章の代わりに葬送行進曲、第3楽章にはメヌエットの代わりにスケルツォ(ただし、これは第1番と第2番でも既に試みられている)、そして終楽章にはロンド風のフィナーレの代わりに変奏曲が配置される。

第1楽章 Allegro con brio[編集]

変ホ長調。 3/4拍子。 ソナタ形式(提示部反復指定あり)。交響曲第1番および第2番にあったゆっくりした序奏を欠いている。ただし、主部の冒頭に(修飾がつくこともあるが)2回和音が響き、3度目からメロディーが流れていく、というリズムパターンは第1番から第4番まで共通しているのではないか、と指摘する学者もいる。シンプルな第1主題はチェロにより提示され、全合奏で確保される。その後、経過風の部分に入り、下降動機がオーボエ、クラリネット、フルートで奏される。第2主題は短く、ファゴットとクラリネットの和音の上にオーボエからフルート、第1ヴァイオリンへ受け継がれる。すぐにコデッタとなり、提示部が華やかに締めくくられる。提示部には反復記号があるが、長いので反復されずに演奏されることが多い。展開部は第1番、第2番のそれと比べても遥かに雄大で、245小節に及ぶ。ほぼ長調で押し切った提示部に対し、時間的に倍近い展開部は、短調主体で展開されるため、この楽章全体に深い雄渾さの印象をもたらしている。展開部は第1主題を中心にさまざまな変化を示して発展するが、中間、284小節目にオーボエが奏でだす憂いある旋律は、コーダにも登場し、もうひとつの主題ともいうべきコントラストと陰影を添えるなど、従来のソナタ形式を超えた構造をとっている。属7の和音がトレモロで奏されるなか、ホルンが主和音の第1主題の断片を割り込ませ再現部を導入する。再現部は第1主題がさらに劇的に再現されるなど多少の変化を伴うが、ほぼ提示部の通りに進行する。143小節に及ぶ長大なコーダは、第2の展開部とも言うべき充実を見せる。最後のクライマックスは、第1主題を1音上げて繰り返すフレーズを、ホルン→高音弦楽器群→低音弦楽器群→トランペットと移行させながら築かれ(最後のトランペットの音域の問題については下を参照)、最後に最高音域に達した第1ヴァイオリンがなおも半音階をトレモロで上って行き、力強く締めくくられる。

412小節から第1ホルンがE♭菅からF菅へ持ち替えて主題を演奏していることもこの曲の特徴の一つでもあるが、そのため前後に(前41小節、後89小節)長い休符があることから、管の差し替えに要する時間を確保しているのではないかと考えられる[4]
ベートーヴェン自身のそれ以前の作品と比較しても、格段に大規模であり、特にコーダの部分が第2の展開部といえるほど充実していることが特徴的とされる。なお、かつては汎用スコアでの、コーダの655小節からの主題をトランペットが最後まで(662小節まで)吹き通すようにしたハンス・フォン・ビューローによる改変[5]を採用する指揮者が多かった。20世紀終盤からは本来のオリジナルの形での演奏も増えている。
このコーダの主題については、オリジナルではトランペットが657小節3拍目から主題を外れ、低いB♭音を奏する(E♭管なので記譜はG音)。当時のトランペットでは、主題を通して演奏できなかったためと言われているが、実際には当時使用していたトランペットの自然倍音列でも、658小節の高いB♭音までは655小節開始時のスタイルのまま2本のトランペットが1オクターヴ差で主題を演奏することは可能であるし、659小節から662小節にかけても第1トランペットの高音域でなら倍音系列音が多いことから、唇のピッチ調整で主題を演奏することは不可能ではない(659小節3拍目で演奏される、記譜上の高いF(実音はA♭)は厳密には倍音系列音ではないが、この曲の第2楽章をはじめよく使われる音である)。このため、ベートーヴェンはトランペットの「沈黙」によって何らかの意志を示そうとしたという考え方も存在しており、第2楽章が「葬送行進曲」となっていることとの関連を指摘する者もいる[6]。ちなみに、ベーレンライター版では、ブライトコプフ旧全集では八分音符の刻みだった658小節の低いB♭音が、浄書スコアを基に付点二分音符に替わっており、658小節までは1オクターヴ下げて主題を吹くことになる。このため、657小節から658小節にかけての高いB♭音を避けたのはトランペットの高音の甲高い音色を避けるためだったのではないか、という見解もある[6]。なお、440小節から443小節の主題演奏においても、トランペットは442小節においてメロディーラインを崩されており、同様に高いB♭音は避けられている。ベートーヴェンの交響曲作品においてこの高いB♭音が使われるのはただ1回、第6番「田園」の第4楽章の雷雨の場面、85小節のみである。

第2楽章 Marcia funebre: Adagio assai[編集]

ハ短調。2/4拍子。葬送行進曲。A-B-A'-C-A"の小ロンド形式。ベートーヴェンの長大楽章によく見られることだが、三部形式、あるいはソナタ形式に類するところも見られる複雑な構造を持っている。(A)は、まず「葬送行進曲」の名にふさわしい主要主題が第1ヴァイオリンで現れる。これがオーボエに移された後、対旋律が変ホ長調で提示され、やはりこれも第1ヴァイオリンからオーボエに移され、コデッタ調の経過で締められる。ここまではソナタ形式の提示部に近い。続く第1副部(B)はハ長調に転調し、伸び伸びとした旋律が木管でフーガ調に広がりながら、明るく壮大な頂点を築く。再び主要主題(A')が戻るが、これは、主要主題を第1ヴァイオリンの原型で一度示すだけで、すぐに悲痛な第2副部(C)を呼び込む。((A')はあまりに短いので、(B)と(C)の橋渡しにすぎないと考えれば、全体はA-B-C(B')-A"という三部形式に近いものともとれる)(C)は、(B)の主要旋律と類似したものがヘ短調で第2ヴァイオリンから出て、やはりフーガを形成しながら、緩徐楽章にはかつて見られなかったような金管とティンパニの威力や、不協和音の効果も交えて、クライマックスを築く。これを収束させていくリズムが刻まれるなかでソナタ形式の再現部のような(A")部に入る。主要主題、対旋律と続き、コデッタ調の経過部分では、(A)の弦で刻まれていた「ダダダ・ダン」というリズムがティンパニで繰り返される。その後、38小節に及ぶ厳かなコーダに入り、余韻を引きながら静かに終了する。 第1副部(B)の冒頭にMaggiore(長調の意、ここでハ長調に転調する)、第2主部(A')の冒頭にMinore(短調、ハ短調に戻る)と記されている。

第3楽章 Scherzo: Allegro vivace[編集]

変ホ長調。3/4拍子。複合三部形式。ベートーヴェン得意の同音による「タタタ」の速いリズムによるスケルツォの嚆矢となる楽章。総じて変拍子的な感覚が多用されている。始まりは「ソラソ・ラソラ」の反復なので「ソラ・ソラ・ソラ」と2拍子にも聴こえる。終結部では2/2拍子になる部分もあり、従来の3拍子(メヌエット)が定番であった第3楽章を改革する意気込みが感じられる。トリオ(*4楽章中間部)にホルン三重奏が見られる。特に第2ホルンはストップ奏法を多用する、当時としては難度の高いものとなっているが、緊張感のある音となるので、トリオのコーダでは大きな効果を得られる。ベートーヴェンが当時のホルンの特色を熟知していた一例であるが、音色が均質な現代のヴァルヴホルンでは逆にそういった効果は得がたい。

第4楽章 Finale: Allegro molto[編集]

変ホ長調。2/4拍子。自由な変奏曲の形式。パッサカリアであるという指摘もある[7]。主題と10の変奏による。ただし、第4、第7変奏については、ソナタ形式における展開部の様相を示すため、変奏に数えず変奏と変奏の間の間奏のような形で捉えることもある。第10変奏もコーダの様相を示すため、変奏に数えないことがある。なお、第4楽章の主題はバレエ音楽『プロメテウスの創造物』の終曲のものと同じであるばかりでなく、ベートーヴェンの他の作品(通称:エロイカ変奏曲)でも使われているが、この曲以降ベートーヴェンはこの主題を加えた曲を書いていない。

なお、第1楽章で避けられたトランペットの高いB♭音は、316小節においてこの楽章でも注意深く避けられている。381小節からは当時としては珍しく、第1ホルンが協奏曲ばりに半音階を含む主題を朗々と奏でる。

前後の作品[編集]

楽譜[編集]

ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社によって旧ベートーヴェン全集が1860年代に出版されて以来、他のベートーヴェン作品同様、旧全集やその改訂版が演奏されて来たが、研究が進むにつれてベートーヴェンが関わった原稿や初版譜の点検が行われ、旧全集の譜面との差異が明らかになり、新たな楽譜を作ろうとする動きが出て来た。

  • ベートーヴェンの生前出版された『英雄』の楽譜はパート譜が最初で、それを元にロンドンとボンの出版社からスコアが出版された。そのため両版には食い違いがみられる。自筆スコアは失われているが、ベートーヴェンの立会った演奏で実際に用いられた筆写スコアとパート譜が残っている。
  • ベートーヴェン作品の新しい全集を企画したボンのベートーヴェン研究所は、バティア・チャーギン (Bathia Churgin) の校訂で第3、4番をヘンレ社から刊行すると発表した。チャーギンは筆写スコアに残るベートーヴェンが訂正した箇所が「ほぼ全ページにある」と言い、写譜師の不注意によって逆にベートーヴェンの意図を確認できることに感謝せねば、とさえ書いている。そうした新発見が多数反映される予定だった新全集は、1996年に出版の目処がついたという報が流れた。ヘンレ社は出版準備中を告知、第4番以降も印刷作業に入り、資料評価の経緯を記した校訂報告の作成が難航、という関係者の非常に現実的な証言もあったが、実際の刊行は行われなかった。ベートーヴェン研究所の資金難と版刻師の人手不足が主な原因といわれる。交響曲の他の巻も、新資料の発見による校訂のやり直しなど様々な問題を抱えている(交響曲第5番 (ベートーヴェン)#その他も参照)。以来交響曲の巻は10年以上出版が無く、2013年にようやく再告知、4番とともに交響曲第2巻として刊行が実現した。同年末に5・6番を収録した第3巻も刊行された。
  • 新全集版が刊行停止している間に『英雄』の原典版は2種類刊行された。ベーレンライター社から、実演・録音で賛否両論を捲き起こした『第九』同様ジョナサン・デルマー校訂の原典版が刊行されている。この版は出版前にジョン・エリオット・ガーディナーなどの指揮者が試験的に採用しており、新発見が反映されただけでなく、演奏上の問題を考慮した楽譜という点でも画期的なものである。旧全集の出版社ブライトコプフ社も東西ドイツ統一直前にペータース社の原典版を準備していたペーター・ハウシルトの校訂で新版を出した。現在まで残る手稿、初版のパート譜・スコアなどあらゆる資料を参照して作成された批判校訂版となった。
  • なお、『英雄』旧全集版は当時ドレスデン宮廷楽長チェリスト作曲家指揮者として活躍していたユリウス・リーツが校訂したものである。旧全集では他に『田園』がリーツの校訂である。

楽曲が用いられた作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ バリー・クーパー監修、平野明他訳『ベートーヴェン大事典』平凡社、1997年、133頁。
  2. ^ 武川寛海著『ベートーヴェンの虚像をはぐ』音楽之友社
  3. ^ 出典:"Orchestra"の項, The Concise Grove Dictionary of Music, Oxford University Press, 1994.
  4. ^ NHK趣味講座 第九を歌おう」(1985年10月1日発行)57ページ参照
  5. ^ このことは、フェリックス・ワインガルトナーの『ある指揮者による提言 ベートーヴェン交響曲の解釈』で紹介されている。
  6. ^ a b レコード芸術』2006年9月号、24、25頁、金子建志による記事参照。トランペットの脱落を「英雄の失墜(死)」と捉えるのはニコラウス・アーノンクールである。
  7. ^ 『ベートーヴェンの音符たち 池辺晋一郎の「新ベートーヴェン考」』池辺晋一郎著 音楽之友社 2008年

外部リンク[編集]