エリザベート (ミュージカル)

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エリザベート』(原題:Elisabeth)は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリーザベトの生涯を描いた、ウィーン発のミュージカル。脚本・作詞はミヒャエル・クンツェ、作曲はシルヴェスター・リーヴァイ

日本語の題名が『エリザベート』であるのは、日本ではその他の表記(「エリーザベト」など)に比べて、より一般的な単語として認知されているためである。

ポスターのモデルとなった肖像画

作品概要[編集]

長きにわたりヨーロッパに君臨したハプスブルク帝国末期19世紀後半のオーストリアを舞台に、ドイツ地方バイエルン公爵の娘として自由な環境で生まれ育ち、偶然にも皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から見初められ、16歳でヨーロッパ宮廷随一と謳われる美貌のオーストリア皇后となるが、伝統と格式を重んじる宮廷との軋轢の中で苦しみ、やがてウィーンを離れヨーロッパ中を流浪する日々を送り、その旅の果てに暗殺された皇妃エリザベートのベールに包まれた半生を、彼女につきまとい誘惑する「死」という架空の存在を通して迫った作品。

ブロードウェイ・ミュージカルとは違う世界観の作品を作りたい」との理念の下、グラミー賞を獲得するなどアメリカで作曲家として活躍していたハンガリー人のシルヴェスター・リーヴァイと、数々のミュージカルのドイツ語翻訳を手がけ、小説家としても成功を収めていたドイツ人のミヒャエル・クンツェが共同で制作を始める。

ミュージカルの題材として伝説的な皇妃を選んだ理由としてクンツェは、「一つの時代が終わるさまを描くと同時に、その時代に生きた人々の内面を描きたかった」と言う。そして、「古い時代を代表するハプスブルク帝国=宮廷文化、貴族社会にあって、新しい現代的な感性を持ったエリザベートはその凋落の運命を予見していた。その崩壊していく世界から逃れられないと知りながら、誰よりも自由を追い求め、それゆえに死に惹かれていく一人の女性を通して、懐古趣味ではない現代にも通じるドラマを描きたかった」と述べている。

1992年9月3日オペラ演出家として名高いハリー・クプファーの演出により、アン・デア・ウィーン劇場で初演され6年のロングランを記録する。その後、世界各地で上演されドイツ語ミュージカルとして史上最大のヒット作となった。日本においては、宝塚歌劇団による1996年の初演以来上演が続いており、2000年からは東宝版も上演されている。

登場人物[編集]

以下は宝塚歌劇団版と東宝版のみ。

  • エルマー・バチャニー - 革命家
    • エルマーを含む三人のハンガリー革命家は日本初演の雪組公演で誕生した。宝塚の若手男役のために作られた役とも、日本で馴染みの薄かったオーストリアとハンガリーの歴史を分かりやすく説明するためとも言われている。帝国劇場(東宝)版や以後の宝塚版でも登場している。

ストーリー[編集]

第一幕[編集]

オーストリア皇后エリザベートの暗殺者ルキーニは、暗殺から100年経った後も死者の世界で裁判にかけられていた。彼は皇后暗殺の動機と背後関係を問う裁判官の尋問に、「動機は愛、黒幕は死だ。なぜ殺したかって?彼女自身が望んだんだ!」と不可解な供述をする。そして証人として、未だに煉獄で自由を得られずに彷徨い続けている、エリザベートと同じ時代を生きたハプスブルク帝国の亡霊を呼び起こし、彼らはエリザベートについて語り始めるのだった。("プロローグ")

1853年、南ドイツの緑に囲まれた湖畔のポッセンホーフェン城では、エリザベートの父マックス公爵が旅に出ようとしていた。自由奔放に生きる父親の影響で、宮廷生活とは無縁の片田舎で詩や乗馬を好む少女として育ったシシィは、予定されている親戚同士の集まりから逃げだすため、父と一緒に行きたいと願い出る。("パパみたいに") 親戚の集いでは、母ルドヴィカから姉ヘレネがオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とお見合いをするとの発表がある。この縁談はルドヴィカの姉でオーストリア皇太后のゾフィーが取り持った。("ようこそみなさま") しかし、一同が縁談の話で持ちきりとなる中、興味を示さず一人で木に登り曲芸の練習をしていたシシィは、足を滑らせ高所から落下して意識を失う。その後、目を覚ました彼女は中性的な美しい姿の青年が自分を抱えベッドに連れ帰してくれたことを感じる。彼女はそれが「死」だと気づくが、彼に何にも縛られない自由な父親の面影を重ね、強い憧れを感じる。("愛と死の輪舞")

その頃、ウィーンのホーフブルク宮殿謁見の間では、若き皇帝フランツ・ヨーゼフが執務机に腰掛け書類に目を通していた。その傍らには「宮廷でただ一人の男」と呼ばれる皇太后ゾフィーの姿がある。ある死刑囚の母が陳情に訪れる。彼女は自由と叫んだだけで死刑を宣告された息子の減刑を願い出る。1848年に起こったフランス2月革命の余波で、ウィーンでも3月革命が勃発、宰相メッテルニヒが失脚、皇帝フェルディナント1世が退位する事態となった。革命は鎮圧されたものの、その影響を押さえ込むためゾフィーは当時18歳の息子フランツ・ヨーゼフを次期皇帝として即位させ、反君主制的な動きの弾圧していた。皇帝は母親の悲痛な叫びに苦悩する表情を見せるが、皇太后に促され陳情を却下する。次に、臣下よりクリミア戦争の情勢について、革命の鎮圧に手を貸してくれたロシア側について参戦すべきと進言を受ける。ゾフィーは「戦争は他家に任せておけ、幸運なオーストリアは結婚せよ」というハプスブルク家の家訓を例にして、戦争には中立の立場を取り、皇帝は縁談の席に出発するよう指示する。("皇帝の義務")

(この旧態依然の日和見的な判断によって、結果としてオーストリアはヨーロッパ大陸におけるロシアという後ろ盾を失うことになる。)

1853年8月、オーストリアの保養地バート・イシュルではフランツ・ヨーゼフとヘレネの縁談が行われていた。ゾフィーの当初の目論みは、息子とドイツ連邦で勢力を拡大するプロイセンの王女アンナと政略結婚させることにあった。しかし、これが破断したため、友好国バイエルン王国の公女で操りやすい妹の娘に白羽の矢が立ったのである。一方、バイエルン王女の生まれでありながら身分の劣るヴィッテルスバッハ公爵家に嫁いだルドヴィカにとっても、娘と皇帝の結婚は願ってもない名誉挽回の機会であった。しかし、縁談は両家の母親の思惑通りには進まない。皇帝はお后教育を受けた礼儀正しいヘレネではなく、たまたま同行していた天真爛漫なシシィに一目ぼれをしてしまう。シシィにぞっこんの彼は、生まれて初めて母親の意向に逆らい彼女との結婚を決意する。("計画通り") 皇帝は統治者の妻として将来降りかかるであろう責任の重さをシシィに伝え、それでも私を支えてくれるかと尋ねる。彼女は婚約の証に送られたネックレスの重さに戸惑いの表情を見せるが、皇帝からの求婚を受け入れる。15歳の少女はおとぎ話のような恋に胸がいっぱいになったが、結婚生活という現実に直面する準備はできていなかった。("あなたが側にいれば")

1854年4月24日午後6時半、ウィーンのアウグスティーナ教会で、エリザベートと皇帝フランツ・ヨーゼフの結婚式が執り行われた。夕刻時という珍しい時間帯の結婚式も、災いの幕開けにはぴったりだとルキーニが野次を飛ばす。ルドヴィカとゾフィーに付き添われた新郎新婦は、大司教の前にひざまづく。「結婚はあなたの意志であるか」との問いに、エリザベートは少しためらい「はい」と返答する。すると彼女の声は教会内に何度もこだまし、結婚を祝う鐘の音が不気味に鳴り響く。この瞬間、エリザベートは滅びゆく運命にある帝国に自らの意志で嫁いだのである。("不幸の始まり")

数日後、シェーンブルン宮殿では盛大な宮廷舞踏会が催された。大広間の外では、新婦の父親と新郎の母親が結婚への不満を漏らしている。マックスは宮廷の堅苦しさがシシィを殺してしまうと心配しており、ゾフィーはエリザベートには皇后としての資質が欠けていると苛立っていた。また、舞踏会の参加者もめいめいに新婦の噂話に興じている。美しさを称える者、身分の低さを揶揄する者、狂気の血筋を危惧する者、若さや無作法を心配する者など様々である。("結婚の失敗") やがて、皇帝夫婦が広間に姿を現す。連日の行事に神経をすり減らしうんざりしていたエリザベートは、皇帝の腕の中で安堵の表情を浮かべ、無邪気にワルツを踊る。しかし、突然音楽が鳴り止むと、エリザベート以外の人間は蝋人形のように血の気を失い、彼女の前に再び「死」が現れる。彼は「お前は彼を相手に選んだが、最後にお前と踊るのは私だ(意中の異性と舞踏会で最後にダンスを踊るという意味と、人が死ぬ間際に死神と死の舞踏を踊るという中世ヨーロッパの死生観の意味)」と告げて消える。我に返り動揺するエリザベートを、まるで見せ物を見るような好奇の目で人々が見つめる。その瞬間彼女は、自分が宮廷という異質な世界に入ってしまったことを実感したのだった。("最後のダンス")

新婚の皇帝夫婦は、ウィーン郊外のラクセンブルク宮殿に居を構えた。しかし、皇帝は執務で夜遅くまで宮殿を留守にしていたため、一人取り残されたエリザベートには、姑の厳しい皇后教育が待っていた。朝5時から綿密にスケジュールが組まれ、歩き方から、お辞儀の仕方、言葉使いまで厳しく躾けられた。女官の手を借りず一人で着替えをしたり、入浴することも禁止された。自分のことは自分でする環境で育ったエリザベートにとって、耐え難いことであった。お世継ぎを作ることを催促され、何よりも好きであった乗馬も禁じられた。歯の黄ばみを指摘され、それがトラウマになり生涯歯を見せて笑うことを嫌った。("皇后の務め") 宮廷の息苦しさと孤独感に耐えかねたエリザベートは夫に助けを求めるが、「母の言うとおりにすることが君のためになる」と皇帝は母親の味方をする。彼女は自らが宮廷で孤立無援であることを悟るが、「私は誰の所有物でもない、私は私だけのもの」と、姑の言いなりとなり、宮廷に飼い慣らされることを拒否する。("私だけに")

結婚1年目、クリミア戦争の戦火拡大のため皇帝は執務室に篭ることが多く、宮殿に取り残されたエリザベートの話し相手は、皇帝からの誕生日プレゼントのオウムだけであった。結婚2年目、待望の長女が生まれるが、エリザベートは育児を許されず、名前も皇太后と同じゾフィーと決められてしまう。母親であるのに授乳も許されず、我が子に謁見できるのは皇太后の許可が出たわずかな時間だけであった。結婚3年目、次女が生まれるが、またして子供を奪われてしまう。しかし、転機が訪れる。当時ハプスブルク帝国の一部であったハンガリーで独立の気運が高まりをみせていた。皇帝は帝国の支配権の誇示のためのハンガリー訪問に皇后を同行させ、その美貌を利用してこの動きを沈静化しようと試みる。彼女は協力の見返りとして、娘を皇太后の元から引き離し旅に同行させることに成功する。宮廷でエリザベートが手にした初めての勝利であった。("結婚生活の様子") しかし、非情にも旅先で彼女を待っていたのは「死」であった。慣れない長旅に疲弊した長女ゾフィーが、旅先で病死してしまう。そして、絶望に打ちひしがれるエリザベートを前に、彼は帝国を待ち受けるさらなる不幸を警告する。("闇が広がる")

(1848年のハンガリー革命後の弾圧を主導していた皇太后ゾフィーとの不和が噂されていたこともあり、エリザベートの訪問はハンガリー国民に好意的に迎えられた。また、彼女も姑への反発や権威主義的なウィーン宮廷とは異なるハンガリーの自由な空気を気に入り、以後ハンガリーに対する抑圧を緩和する政策を皇帝に口添えするようになる。)

19世紀末、ヨーロッパの東西南北の人と文化が交差するウィーンでは、没落に向かうハプスブルク帝国の混乱や陰鬱な時代背景の下で世紀末ウィーンと呼ばれる退廃的な文化の爛熟が起こっていた。今日もウィーンのカフェでは、多種多様な人々が集まり、新聞を読み、皇室や政治の話題で暇を持て余していた。カフェで一番の話題は、皇太子ルドルフの誕生である。帝国にとって待ち望まれたお世継ぎであるが、痛ましいことにまたしても息子は母親の手から引き離されてしまう。次に、当時帝国の一部であった北イタリアがフランス皇帝ナポレオン3世と組み、オーストリアに対して独立戦争を起こした話題となる。次々と領地を失い国際的に孤立する帝国の現状を「俺たちにできることは、カフェで他愛もない話をして、ただ破滅の時を待つことだけさ」とカフェの客たちは皮肉たっぷりに笑い飛ばす。("楽しい黙示録")

1865年のある夜、宮殿のエリザベートの鍵のかかった寝室の前では、皇帝が扉を開けて欲しいと妻に呼びかけている。イタリア独立戦争に敗れ、北イタリアの領地を失ったオーストリア帝国は窮地に陥っていた。帝国の各地で独立の気運が再燃し、小ドイツ主義を掲げるビスマルク率いるプロイセンは、ドイツ統一に向け虎視眈々とオーストリアとの開戦の準備を進めていた。度重なる戦争で国家財政は破綻寸前であり、そのすべての重圧が皇帝の肩に重く圧しかかっていた。彼は一晩だけでもあなたのそばで心休まる夜を送りたいと懇願する。一方、エリザベートはルドルフが臣下に虐待されていると訴え、「息子の養育を自分に任せて欲しい、さもなければ私は宮廷を出て行く」と悲壮な覚悟で夫に最後通牒を伝える。しかし、あくまで母親への忠誠心を崩さない夫の態度に彼女は絶望する。そして「死」が彼女に囁きかける。「全ての葛藤は終わる、苦しみから救ってやろう」と。しかし、エリザベートは自らの美貌を武器にして自由を手に入れると、彼の誘惑を拒絶する。("エリザベート、開けておくれ")

ウィーンの中央広場ではミルクの配給を求める市民が集まっている。何故ミルクがないのか詰め寄る市民にルキーニは、「皇后が横取りしてミルク風呂に使っているからだ」と告げる。戦費をまかなうための重税で市民生活は困窮し、皇室の求心力は著しく低下していた。市民は「子供が死んでいるんだ!」、「皇后に思い知らせてやる!」と叫び声を上げる。再びウィーンでは革命の火種がくすぶり始めていた。("ミルク") 一方宮殿では、女官がミルクを皇后の化粧室に運んでいた。彼女はミルク風呂だけではなく、オリーブ油風呂、苺や生肉のパック、仔牛の肉汁のジュースなど、効果があると思われるあらゆる美容法を実践していた。その長く美しい髪は、卵とコニャックを調合した特製シャンプーで、3週間に一度、丸一日かけて手入れをした。身長172cm、ウェスト50cm、体重50kgと言われるスタイルを維持するため、ほとんど食事は口にせず、一日の大半を体操などの運動に費やすこともあった。その力の源泉である美貌を保つため、彼女の過剰なまでの食事制限や運動を行っていたのである。("皇后の務め")

しばらくして、皇后の寝室の前に皇帝が現れる。彼は突然の訪問に驚く女官たちに下がるよう命じると、衝立越しに妻に語りかける。彼は「統治者は自らの感情を抑えなければならないが、君を失うくらいなら唯一の掟をも破れる」と、エリザベートの美貌の前に敗北を認め、母親ではなく妻を選び、要求をすべて受け入れることを決める。髪を整え、着替えを終え、衝立から姿を現したエリザベートは、「これからもあなたと生きていきます、でも私は私だけのもの」と高らかに勝利を宣言する。その姿は、美の神と称えられたかの有名なヴィンターハルターの肖像画で描かれたエリザベートそのものであった。("私だけに リプライズ")

第二幕[編集]

ブダペストの大聖堂前は、オーストリア=ハンガリー帝国の国王フランツヨーゼフと王妃エリザベートの戴冠式を祝う人々で溢れかえっていた。ハンガリー国民は大規模な自治権を認める二重帝国の実現に力添えをしたエリザベートに対して「エーヤン、エリザベート!(エリザベート、万歳!)」と歓声を送っている。("エーヤン") 一方、ルキーニは群衆の前でトランクを広げ、記念品の即売会を始める。国王夫婦の仲睦ましい姿が描かれたグラスや、王妃と息子が並び描かれた肖像画を手にして、「こんなものはキッチュ(まがいもの)だ!」と切り捨てる。彼女の死後100年間、本や映画でたびたび描かれてきた彼女の姿はどれも偽者で偶像にすぎないと彼は言う。("キッチュ") 反対するゾフィーらウィーン宮廷の多数を屈服させ、自らの希望を実現させたエリザべートは人生の絶頂の時を迎えていた。自信と威厳に溢れた表情で、「私は自分の意志で踊る、もう誰にも操られない」と「死」にさえも絶縁状を突きつける。しかし、すべてを見透かす彼は、「この満ち足りた瞬間は、すぐにより大きな生への憎しみに変わる」「なぜなら、お前は私を愛しているからだ」と不敵な笑みを浮かべ立ち去る。("私が踊る時")

ホーフブルク宮殿の寝室では、9歳になったルドルフが熱にうなされていた。真っ暗の部屋の中で一人寒さに震える皇太子は、母にそばにいて欲しいつぶやく。息子の養育権を取り戻したエリザベートは、息子に軍隊式の訓練を施していた臣下を解任して、肉体的訓練よりも精神的教育を重視するリベラルな教育係を自ら選任した。虚弱体質であったルドルフは、自由な環境を与え、苦しみから解放してくれた母への感謝の念を生涯忘れなかった。しかし反対に、姑に勝利して満足したエリザベートは徐々に息子との距離を取り始め、堅苦しいウィーンを離れ、多くの時間をハンガリーでの居城ゲデレー城で過ごすようになる。ルドルフは母親を慕っていたが、母は息子の気持ちに答えようとはしなかった。母の愛を知らずに育ったルドルフは、かつてのシシィのように「死」に母の面影を重ね、彼を友として慕うようになっていた。("ママ、どこにいるの?")

(ルドルフの教師は、慣例であった聖職者や貴族という地位に囚われず、能力のある市民の知識人から選任された。結果として皇太子は、皇帝を頂点とする君主制とは相容れない自由主義的な思想に惹かれるようになり、母親と同じように父親やウィーン宮廷と対立していくこととなる。)

宮廷の義務からは逃避したエリザベートであるが、孤児院や救貧員への慰問など社会奉仕活動には積極的であった。貧民や病人の世話が幼い頃からのヴィッテルスバッハ家の伝統であり、また彼女自身も、自分が興味を持つことに関しては、偏見を持たず、相手の地位や身分にとらわれず接する人物であった。特に、彼女が生涯足しげく通ったのが精神病院であった。これは親類(祖父、妹、いとこであるルートヴィヒ2世ら)が多く精神の病を患っていたことも関係する。そして、ウィーン郊外のとある精神病院を慰問した際、エリザベートは一人の女性患者と出会う。彼女は自分こそが気高き皇后であり、エリザベートこそ狂った精神病者だと叫び、拘束具で取り押さえられる。エリザベートは、皇后というしがらみに拘束されている己を省みて、肉体は拘束されていても、何も縛られない無垢な魂を持つその女性に惹かれる。敬愛する戯曲『真夏の夜の夢』に登場する妖精ティターニアのように、周りからどんな奇異な目で見られても、自分の心のままに生きられたらどんなに素晴らしいかと。そして、ウィーン宮廷や姑との戦いに勝利しても、結局何一つ自分が望むものを手にいれられていないことに気がつく。このまま見せ掛けの人生に満足している振りを続けることが正しいのか、彼女は自問自答する。(“魂の自由”)

ホーフブルク宮殿のサロンでは、ゾフィーと近親が、皇帝を皇后から引き離すための策を話し合っていた。皇帝は、オーストリア=ハンガリー帝国のハンガリー王国の初代首相に、1848年の革命の首謀者の一人であるアンドラーシを任命した。彼はエリザベートと親しい関係にあり、後に帝国の外相も勤めることになる。これ以上皇后の介入を許すと帝国が瓦解してしまうと恐れた彼女らは、非常手段として皇帝に愛人を用意する。("我々か彼女か") しかし売春宿から連れてこられた娘は病気持ちだった。("マダム・ヴォルフのコレクション") 体操室で運動中に倒れたエリザベートは、医師から原因は過剰なダイエットではなくフランス病だと告げられる。夫の忠誠心を信じきっていた彼女は取り乱し、自ら命を絶つと口ばしる。すると、医師に扮していた「死」が現われ、最後の決断を迫る。しかし彼女は、皇帝との婚約の証を首から外すと、この裏切りをむしろ宮廷とのしがらみを絶つために夫が自分に与えた救いなのだと受け取る。そして以後、彼女はウィーンを離れ、旅から旅への流浪の生活を続ける。("微熱")

ホーフブルク宮殿では、フランツ・ヨーゼフが、エリザベートを自身から引き離す策略に対して母ゾフィーに抗議している。私は帝国のためにやったという母の言葉に、もう二度と夫婦の間に干渉はさせないと言い残し、彼は立ち去る。1848年の革命は、皇帝が退位する事態にまで発展してオーストリアは危機に陥った。その際、非情にも無能な夫フランツ・カールに帝位継承権を放棄させ、息子であるフランツ・ヨーゼフに皇帝を継がせたはゾフィーであった。息子に皇帝として必要なあらゆる教育を施し、勤勉で非の打ち所のない人物へと厳しく育て上げた。エリザベートに厳しく接したのも、すべて帝国の行く末を案じてのことであった。「義務を忘れたものは、滅ぶ運命にある」との言葉を残し、ゾフィーは息を引き取った。(“ベラリア”)

療養と称してエリザベートは、マディラ島コルフ島、ハンガリー、イギリスと1箇所に留まることなく当て所ない旅を続ける。傘と扇子を持ち、早足で山から海へと歩き続け、くたびれ果てた表情で従者たちが彼女の後を追う。一方、皇帝はウィーンに戻らない妻の体調を案じて毎日のように手紙を書いている。そして、10年が経った。皇后専属の美容師は髪を梳かした後、まっさらな櫛を彼女に見せる。櫛についた抜け毛を隠して、エリザベートを安心させるのは彼女の日課であった。しかし、ルキーニがこっそり一本抜き取ると、それは白髪であった。エリザベートはさらに旅を続けた。ハイネのように詩に没頭し、乗馬にのめりこみ、古代ギリシャに傾倒した。ハイネへの博識は専門家から相談を持ちかけられるほどで、乗馬の腕前はヨーロッパ有数の実力とまで言われた。結果エリザベートは17年間、何かを求めて走り続けた。ルキーニが彼女に鏡を差し出す。世紀の美貌と謳われた皇后にも確実に老いの影が忍び寄っていた。(“放浪の歳月”)

旅の末にエリザベートがたどり着いたのはギリシャのコルフ島であった。彼女はここに敬愛する古代ギリシャの英雄アキレウスの名を付けた別荘を建て、外界との接触を避けるように閉じこもった。崇拝する哲学者や詩人ハイネの銅像を飾り、詩作に没頭した。エリザベートはハイネの情熱的で自然溢れる詩を愛し、彼のシニカルで社会批判的な思想に共感を覚えていた。ドイツ生まれのユダヤ人として生涯国に馴染むことができず、後にドイツを追われフランスで晩年をすごした生い立ちも、彼女は親近感を感じていた。彼女はハイネを師と仰ぎ、彼の魂と繋がりがあると信じていた。ある日、エリザベートがハイネの魂に呼びかけようと試みると、父親に似た声の主が語りかけてきた。その声は、現世から目を背け魂とばかり向き合う彼女の身を案じていた。しかし、シシィはこの時代、この世界に自分の居場所はないと嘆くだけであった。そして、「さよならシシィ」という言葉を残して声の主は消えた。同じ頃、シシィの憧れであった父マックスはこの世を去った。行き着く先を失くした自由な魂は、コルフ島にも長くは留まらず、安住の地を求めて再び彷徨い始めた。("パパみたいに リプライズ")

エリザベートが旅を続ける間に、ルドルフは青年へと成長した。一方で、ヨーロッパでは民族主義ファシズムが台頭を始めており、帝国領内の民族による複合国家であるオーストリアでも、各民族の自治や権利を求める動きが強まっていた。特に多民族都市であるウィーンでは、ドイツ人の民族的優位と権利擁護を掲げるシェーネラーなどのドイツ民族主義者が台頭しており、少数ながら経済的に恵まれていたユダヤ人はその格好の標的であった。ルドルフは、市民の権利を押さえ込み、領内の民族主義運動を弾圧することで、かりそめの結束を維持しようとする父親の古い統治方法では、帝国の崩壊を早めてしまうだけだと危機感を持っていた。彼の理想は中央ヨーロッパの各民族が対等な権利を持ち、ドナウ連邦として共存共栄を図ることにあった。しかし、匿名で新聞に投稿した体制批判の記事が暴露され政治的に追い詰められる。また、結婚生活も冷え切っており、宮廷で孤立した彼は徐々に精神を病んでいく。そんな折、母がウィーンに帰ってきた。ルドルフは自らの心情を吐露して、皇帝へ口添えし欲しいと助けを求めた。しかし、宮廷との繋がりをすべて断ち切っていたエリザベートは、息子の懇願を頑なに拒否する。絶望したルドルフは、1889年ウィーン郊外のマイヤーリンクで「死」の接吻を受け入れ、拳銃で自ら命を絶つ。彼の死を前に、エリザベートはルドルフは自分の生き写しだったことに気づく。そして、己の自由を求めるばかりに、同じように自由を欲していた息子を見殺しにしたことを悔やみ、棺の前で泣き崩れる。その悲しみはあまりに深く、彼女は息子の命を奪った忌々しき相手にさえ哀れみを乞うた。だが、「死」はその嘆きに答えようとはしなかった。

息子の死はエリザベートに大きなショックを与えた。彼女は身の回りの豪華なドレスや宝飾品はすべて譲り渡し、残りの生涯を喪服だけで過ごした。すでに父親は他界しており、事件の翌年には姉ヘレネ、そして母ルドヴィカと親しい者が次々とこの世を去っていた。無理なダイエットがたたり、神経痛に悩まされ、病気がちであった。常に傘と扇で皺の目立つ顔を隠して、それでも旅を続けるエリザベートを新聞は狂気に憑かれた皇后と書きたてた。1895年2月マルタン岬のテラス、フランツ・ヨーゼフはエリザベートの旅先を訪れ、満月の夜に二人は再会する。その苦難の人生を象徴するかのように、皇帝の髪と長く伸びた髭はすでに真っ白に染まっていた。彼は宮廷に戻らない妻を決して責めようとはせず、自分こそがあなたの帰る場所なのだと、出会いから変わらない愛を彼女に伝えた。しかし、エリザベートは自分たちを積荷も目的地も違う二艘の船に例え、海上で偶然すれ違うことはあっても、二人が完全に相容れることは今後も決してないと告げると、静かにその場を去っていった。("夜のボート")

ハプスブルク帝国は戦争で多くの領地を失い、残された地域でも独立を求める民族主義運動が激化していた。また、皇帝の弟メキシコ皇帝マキシミリアンは革命で銃殺、皇后の従兄ルートヴィヒ2世は精神を病み湖で溺死するなど、帝国の周辺では不幸な事件が続いていた。そしてある晩、皇帝は悪夢に魘され、その夢の中で「死」と対峙する。彼の手には、エリザベート暗殺の凶器のやすりが握られていた。沈みゆく帝国を模した沈没寸前の巨大船のデッキの上で、皇后は逃げようとせずに虚ろな表情で何かを待つかのように佇んでいる。皇帝は妻を救い出そうとするが、帝国の亡霊に妨げられ身動きが取れない。私が彼女を救いだすと皇帝に告げると、「死」はルキーニにやすりを手渡す。その瞬間、阿鼻叫喚の叫び声と共に、皇帝や亡霊たちは次々と光の中へと吸い込まれていった。そして、ルキーニが最後の証言を行う。("最後の証言")

(ルキーニは悲惨な人生を送った。捨て子として孤児院に入れられ、孤児院から孤児院、里親から里親へとたらいまわしにされた。定職に就けず、国から国へと渡り歩いた先のスイスで無政府主義に出会う。彼は生まれながらに特権を享受する貴族階級を憎んでいた。エリザベートを狙ったのも、偶然新聞で彼女の名前を知ったからで、主義主張はなく王族なら誰でもよかったと証言している。)

1898年9月10日ジュネーヴ、レマン湖のほとり。船の汽笛が鳴り響くと、エリザべートと侍女のスターレイ伯爵夫人が現われる。二人は蒸気船の乗り場へと向かっていた。突然、すれ違いざまに一人の男が皇后の胸をヤスリで突き刺す。男はすぐに取り押さえられた。彼女はその場に倒れこむが、すぐに起き上がり周りの者を制して桟橋へと急ぐ。船は二人を乗せ出港するが、彼女は船上で再び倒れ、そのまま息を引き取る。旅の果てに、エリザベートは終に永遠の自由を手に入れる。その18年後、皇帝フランツ・ヨーゼフも崩御する。彼の死の2年後、ハプスブルク帝国は崩壊、帝国内の各民族は独立を果たし、中央ヨーロッパに新しい時代が到来した。("エピローグ")

...私が旅に出るたびに、カモメの群れが船のあとについてきた。そのなかには必ず、ほとんど黒に近い濃い色のカモメが一羽いる。時にはその黒いカモメが、大陸から大陸へと移動する間、ずっと私に付き添っていたこともあった。その鳥は私の運命なのだと思う...

公演記録[編集]

1992年9月のウィーンでの初演以後、日本(1996年2月初演)、ハンガリー(1996年8月初演)、スウェーデン(1999年9月初演)、オランダ(1999年11月初演)、ドイツ(2001年3月初演)、イタリア(2004年7月初演)、フィンランド(2005年9月初演)、スイス(2006年7月初演)、ベルギー(2009年3月初演)、韓国(2012年2月初演)、中国(2014年12月初演、ドイツ語公演)で上演された。なおイギリスでは、現イギリス王室北アイルランド問題に絡んで非常にデリケートな内容であるため上演できなかった。王室が現存するヨーロッパ諸国も一時期は公演をためらっていた。

ウィーンでは、2003年にアン・デア・ウィーン劇場で、2012年にライムント劇場で再演された。2003年の再演ではドイツ公演で追加された曲(「私が踊る時」等)が、2012年の再演では宝塚版の「愛と死の輪舞」にあたる「Rondo-Schwarzer Prinz(ロンド-黒い王子)」が追加された。

演出についてはウィーン発のミュージカルらしく、オペラのようにプロダクション毎に自由となっている。また曲目やシーンの順番などもプロダクション毎に異なる。

初演・再演・再々演版[編集]

  • 初演(1992年-1998年)初日キャスト
    • Elisabeth: ピア・ドゥーヴェス(Pia Douwes)
    • Der Tod: ウーヴェ・クレーガー(Uwe Kroger)
    • Lucheni: イーサン・フリーマン(Ethan Freeman)
    • Franz-Joseph: ヴィクトール・ジェルノ(Viktor Gernot)
    • Rudolf: アンドレアス・ビーバー(Andreas Bieber)
  • 再演(2003年-2005年)版初日キャスト
  • 再々演(2012年-2014年)版初日キャスト
    • Elisabeth: アンネミーケ・ファン・ダム(Annemieke van Dam)
    • Der Tod: マーク・ザイベルト(Mark Seibert)
    • Lucheni: クロッシュ・アバシ(Kurosch Abbasi)
    • Franz-Joseph: フランツィスクス・ハルテンシュタイン(Franziskus Hartenstein)
    • Rudolf: アントン・ツェッターホルム(Anton Zetterholm)

宝塚歌劇団版[編集]

宝塚歌劇団の演出家・小池修一郎が、1992年にロンドンで現地のミュージカル作品の音楽集で興味を惹かれるものを探していたところ、その店の店主からこの『エリザベート』を薦められた[1]。また翌年には、歌劇団に来客として訪れたイスタンブル在住の中国人の大学教授から、『エリザベート』のドイツ語プログラムを受け取ったりもしている。

これらの経緯を経て、日本では宝塚歌劇団が上演権を取得し、1996年に初めて日本に紹介。雪組で、当時トップスターだった一路真輝のサヨナラ公演として初演された。始めこそ評判はいまひとつであったが、次第にチケットが取れないほどの人気が出る。

一路の退団公演だったため「なぜサヨナラ公演で死を演じるのか?」「トップ退団公演で死はおかしい」など当時は疑問視されたが、公演開始後に徐々に批判はなくなった。また「宝塚版はウィーン版を改竄している」と熱烈なミュージカルファンから批判があったため、後述する東宝版はウィーン版に倣って制作された。

日本人には馴染みの薄い歴史を描いた演目ではあったが、成功を収め、その後も再演を繰り返し、宝塚歌劇団を代表する人気演目に成長した。また、これが原因で女性を中心に「ハプスブルク帝国ブーム」がおき、その華麗な宮廷生活への憧れなどからオーストリアウィーンへの観光客増加を惹起した。

2007年5月4日から8月12日までの雪組公演中である2007年5月24日の15時00分公演で、観客動員150万人を突破。[2]

2014年8月22日に上演800回を達成。[3]

2014年9月11日に観客動員200万人を突破。[4]

宝塚版とウィーン版の違い[編集]

このミュージカルの重要人物である Tod は、ドイツ語で「」「死神」を表す単語である。日本以外の各国の公演では、その国の言語で死を表す言葉が役名に当てられている(英訳では "Death")。これは芸術表現である「死の舞踏」や絵画『民衆を導く自由』での例のように、抽象概念(この場合は死)を擬人化するヨーロッパ諸語の慣行によったものである。

宝塚歌劇団での上演にあたって、トップの演じる役が死という設定では問題があったため、この役を「トート」という名前の「黄泉の帝王」に設定が変更された。また、ウィーン版の「死」は原則的に彼女の前にしか姿を現わさないのに対して、宝塚版のトートは大衆の面前に現れ直接民衆を扇動するなど、エリザベートの内面から離れた独立した意思を持った存在として描かれている。

加えて、男役のトップを主役に置かなければならない伝統に則り、エリザベートではなくトートが主役になるよう脚本や演出が潤色された。そのため、エリザベートと黄泉の帝王とのラブストーリーに重点を置いた宝塚版と、エリザベートと死の絡み合いをハプスブルク帝国崩壊に準えて描いたウィーンをはじめとする各国版では、同じミュージカルでありながら趣が異なった作品に仕上がっている。

潤色・演出
小池修一郎中村一徳(2002年花組公演、演出のみ)
公演会場
宝塚大劇場東京宝塚劇場(1998年宙組東京公演を除く)、TAKARAZUKA1000days劇場(1998年宙組東京公演)
宝塚歌劇団 本公演キャスト一覧
公演年・組 トート エリザベート フランツ・
ヨーゼフ
ルキーニ ルドルフ ルドルフ
(少年時代)
ゾフィー エルマー マダム・ヴォルフ マデレーネ
1996年雪組 一路真輝 花總まり 高嶺ふぶき 轟悠 香寿たつき(宝塚)
和央ようか(東京)
安蘭けい 朱未知留 和央ようか(宝塚)
高倉京(東京)
美穂圭子 星奈優里
1996年星組 麻路さき 白城あやか 稔幸 紫吹淳 絵麻緒ゆう 月影瞳 出雲綾 湖月わたる 鈴奈沙也 眉月凰
1998年宙組 姿月あさと 花總まり 和央ようか 湖月わたる 朝海ひかる(宝塚)
樹里咲穂(東京)
夢輝のあ[* 1]
初嶺まよ 出雲綾 夢輝のあ 夏河ゆら(宝塚)
華宮あいり(東京)
2002年花組 春野寿美礼 大鳥れい
遠野あすか[* 2]
樹里咲穂 瀬奈じゅん 彩吹真央 望月理世 夏美よう 蘭寿とむ 幸美杏奈 舞城のどか
2005年月組 彩輝直 瀬奈じゅん 初風緑 霧矢大夢 大空祐飛 彩那音 美々杏里 月船さらら 嘉月絵理 城咲あい
2007年雪組 水夏希 白羽ゆり 彩吹真央 音月桂 凰稀かなめ 冴輝ちはや 未来優希 彩那音 晴華みどり 愛原実花
2009年月組 瀬奈じゅん 凪七瑠海[* 3] 霧矢大夢 龍真咲 遼河はるひ
青樹泉
明日海りお[* 4]
羽桜しずく 城咲あい 遼河はるひ
青樹泉[* 4]
沢希理寿 蘭乃はな
2014年花組 明日海りお 蘭乃はな 北翔海莉 望海風斗 芹香斗亜
柚香光[* 4]
矢吹世奈 桜一花 瀬戸かずや 大河凜 水美舞斗
  1. ^ 樹里が数日間休演したことに伴う代役。
  2. ^ 大鳥が数日間休演したことに伴う代役。
  3. ^ 宙組より特別出演。
  4. ^ a b c 役替わり。
宝塚歌劇団 新人公演キャスト一覧
公演年・組 トート エリザベート フランツ・
ヨーゼフ
ルキーニ ルドルフ ルドルフ
(少年時代)
ゾフィー エルマー マダム・ヴォルフ マデレーネ
1996年雪組 安蘭けい 貴咲美里 汐美真帆 楓沙樹 貴城けい 初嶺まよ 未来優希 眉月凰(宝塚)
彩吹真央(東京)
愛耀子 有沙美帆
1996年星組 彩輝直 月影瞳 高央りお 朝宮真由 眉月凰 朝澄けい 羽純るい 音羽椋 久路あかり 妃里梨江
1998年宙組 夢輝のあ 南城ひかり(1幕)
久路あかり(2幕)
朝比奈慶 久遠麻耶 華宮あいり 月船さらら 梶花空未 初嶺まよ 毬穂えりな 海宝珠起
2002年花組 蘭寿とむ 遠野あすか 未涼亜希 桐生園加 愛音羽麗 華城季帆 桜一花 華形ひかる 七星きら 花野じゅりあ
2005年月組 青樹泉 夢咲ねね 真野すがた 彩那音 龍真咲 明日海りお 城咲あい 星条海斗 憧花ゆりの 紫水梗華
2007年雪組 沙央くらま 大月さゆ 大凪真生 大湖せしる 蓮城まこと 詩風翠 晴華みどり 祐輝千寿 純矢ちとせ 愛輝ゆま
2009年月組 明日海りお 羽桜しずく 紫門ゆりや 宇月颯 煌月爽矢 千海華蘭 玲実くれあ 鳳月杏 彩星りおん 麗百愛
2014年花組 柚香光 花乃まりあ 和海しょう 水美舞斗 優波慧 桜舞しおん 仙名彩世 矢吹世奈 真彩希帆 更紗那知

東宝版[編集]

日本では宝塚歌劇団が1996年よりエリザベートの上演を行ってきたが、加えて2000年から東宝により、ウィーン版を基本とした東宝版エリザベートが上演されている。東宝版では、宝塚版でカットされたシーンが加えられ、各国版と同じくエリザベートが主役となるように脚本、演出が改められた。また、一部の楽曲の歌詞はよりウィーン版に近い内容に改訂されている。一方、宝塚版のみで使われる楽曲(愛と死の輪舞)や一部設定が残されるなど、東宝版はウィーン版と宝塚版の折衷版ともいえる。

東宝版初演のエリザベート役には宝塚初演時にトートを演じた一路真輝が抜擢された。しかし男役としての歌唱力と女声としての歌唱力に大きな隔たりがある事は否めず、一路はファンから「声変わりの最中」などと揶揄された事もあるが、演技力・存在感は圧倒的で「エリザベートがそこにいる様だった」と井上芳雄(今作でルドルフ皇太子役でデビュー)が語っている。

2012年の再演では、ハンガリー版・ウィーン再演版でトート役を演じたマテ・カマラスが同役を日本語で演じて話題となった。

2015年6月から帝国劇場で、舞台美術や衣装を一新した、新キャストでの再演が予定されている。

演出・訳詞 
小池修一郎
エリザベート トート ルキーニ フランツ ルドルフ ゾフィー マックス ルドヴィカ マダム・ヴォルフ エルマー
2000年 一路真輝 山口祐一郎
内野聖陽
高嶋政宏 鈴木綜馬 井上芳雄 初風諄 寺泉憲 阿知波悟美 シルビア・グラブ 今拓哉
2001年
2004年 鈴木綜馬
石川禅
浦井健治
パク・トンハ
村井国夫 春風ひとみ 伊東弘美
2005年 浦井健治
パク・トンハ
井上芳雄
寿ひずる 藤本隆宏
2006年 山口祐一郎
武田真治
浦井健治
パク・トンハ
寿ひずる
初風諄
2007 - 2008年 涼風真世
朝海ひかる
浦井健治
伊礼彼方
寿ひずる
初風諄(帝国・梅田)
中山昇
2010年 朝海ひかる
瀬奈じゅん
山口祐一郎
石丸幹二
城田優
石川禅 浦井健治
伊礼彼方
田代万里生
寿ひずる
杜けあき
阿知波悟美
春風ひとみ
岸祐二
2012年 瀬奈じゅん
春野寿美礼
山口祐一郎
石丸幹二
マテ・カマラス
石川禅
岡田浩暉
大野拓朗
平方元基
古川雄大
今井清隆 春風ひとみ
2015年 花總まり
蘭乃はな
城田優
井上芳雄
山崎育三郎
尾上松也
田代万里生
佐藤隆紀(Le Velvets)
古川雄大
京本大我ジャニーズJr.
剣幸
香寿たつき
大谷美智浩 未来優希(2役) 角川裕明
東宝版 公演会場・回数 ※( )内の数字は各劇場での公演回数
公演年 公演会場 公演回数
2000年 帝国劇場 117 回
2001年 帝国劇場 (43)、中日劇場 (38)、梅田コマ劇場 (41)、博多座 (40) 162 回
2004年 帝国劇場 (115)、中日劇場 (42)、博多座 (38)、梅田コマ劇場 (55) 250 回
2005年 帝国劇場 40 回
2006年 日生劇場 37 回
2008年
-2009年
中日劇場 (38)、博多座 (38)、帝国劇場 (76)、梅田芸術劇場 (38) 190 回
2010年 帝国劇場 107 回
2012年 帝国劇場 (64)、博多座 (31)、中日劇場 (31)、梅田芸術劇場 (38) 164 回
2015年 帝国劇場 98回(プレビュー公演2回は含めず)

ウィーン版の日本公演[編集]

2007年には、ウィーンで上演されているドイツ語のオリジナル版が、オーストリア大使館後援のもと、梅田芸術劇場メインホールで初上演された。エリザベート役は最多出演のマヤ・ハクフォート、トート役はマテ・カマラスが演じた。これに続いて新宿コマ劇場でもコンサート形式で上演された。東京公演がコンサート形式になったのは、ウィーンの舞台装置や演出を再現することが困難だったためである。

2012年10月には、『ウィーン版ミュージカル エリザベート20周年記念コンサート~日本スペシャルヴァージョン~』(梅田芸術劇場メインホール、東急シアターオーブ)が上演された。エリザベート役のマヤ・ハクフォートは、この公演をもってエリザベート役から引退した[5]

セットリスト[編集]

曲順・曲目は公演によって異なる。下記曲順は2005年にウィーン再演されたものを元にしたもの。曲名は「ドイツ語名 / 英語名 / 日本語名」の順で表記。

  • 第一幕
    1. Prolog - Alle Tanzten mit dem Tod - Elisabeth / Prologue - All of them danced with death - Elisabeth / プロローグ - 我ら生絶えし者ども - エリザベート
    2. Wie Du / Like you / パパみたいに
    3. Schön, Euch alle zu sehn / Nice to see you all here / ようこそみなさま
    4. Kein Kommen ohne Gehen (Rondo - Schwarzer Prinz) / Every path is a maze / 愛と死の輪舞
    5. Jedem gibt er das Seine / He's the just distributor / 皇帝の義務
    6. So wie man plant und denkt... / That's how life goes / 計画通り
    7. Nichts ist schwer / Nothing is difficult / あなたが側にいれば (宝塚版は「嵐も怖くはない」)
    8. Alle Fragen sind gestellt / All the questions have been Asked / 不幸の始まり
    9. Sie passt nicht / She is unsuitable / 結婚の失敗
    10. Der letzte Tanz / The final dance / 最後のダンス
    11. Eine Kaiserin muss glänzen / It's the duty of an empress / 皇后の務め
    12. Ich gehör nur mir / I belong to Me / 私だけに
    13. Die Schatten werden länger / The shadows grow longer / 闇が広がる
    14. Die fröhliche Apokalypse / The merry apocalypse / 退屈しのぎ
    15. Kind oder nicht / Child or not / 子供の養育は (オランダ版より追加)
    16. Elisabeth, mach auf mein Engel - Elisabeth, sei nicht verzweifelt / Elisabeth, don't despair / エリザベート(愛のテーマ)
    17. Milch! / Milk! / ミルク
    18. Uns're Kaiserin soll sich wiegen / Our empress should pamper herself / 皇后の務め
    19. Ich will Dir nur sagen - Ich gehör nur mir / I belong to me / 私だけに 〈リプライズ〉
  • 第二幕
    1. Kitsch / Kitsch / キッチュ
    2. Wenn ich tanzen will / When I want to dance / 私が踊る時 (ドイツ・エッセン版より追加)
    3. Mama, wo bist Du / Mama, where are You / ママ、何処なの?
    4. Nichts, nichts, gar nichts / Nothing, nothing at all / 魂の自由(1993年より追加)
    5. Wir oder sie / Her or us / 皇后の勝利
    6. Nur kein Genieren / Don't play the prude / マダム・ヴォルフのコレクション
    7. Maladie - Die letzte Chance / The maladie - The last chance / マラディ(病)
    8. Zwischen Traum und Wirklichkeit / Between dream and reality / 夢とうつつの狭間に (東宝版初演のみ使用)
    9. Bellaria / Bellaria / ゾフィーの死 (オランダ版より追加)
    10. Rastlose Jahre / She is always restless - Mirror, mirror - Hunt / 一時も休まない - 年月は過ぎる - 狩り("狩り"については日本では当初から未使用・2005年のウィーン再演版において削除され、以降は使用せず)
    11. Die Schatten werden länger / The shadows grow longer / 闇が広がる(リプライズ)
    12. Wie Du / Like you (reprise) / パパみたいに 〈リプライズ〉
    13. Hass! / Hatred! / 宝塚版では未使用
    14. Wenn ich dein Spiegel wär / If I were your mirror / 僕はママの鏡だから
    15. Mayerling-Walzer / Mayerling Waltz / 死の舞 (ウィーン・オリジナル版CDでは "Totentanz")
    16. Totenklage / Dirge / 死の嘆き
    17. Mein neues Sortiment / My new range / 新しいウィーン土産 〈キッチュ・リプライズ〉
    18. Boote in der Nacht / Ships in the night / 夜のボート
    19. Alle Fragen sind gestellt / All the questions have been asked / 悪夢
    20. Epilog - Der Schleier fällt / The veil descends / エピローグ - 愛のテーマ

関連メディア[編集]

DVD
日本で発売されているDVDはNTSC規格だが、ヨーロッパで発売されているDVDはPAL規格のため、日本のDVDプレイヤーでは再生できない(パソコンのDVDドライブでの再生は可能)。このため日本では、宝塚クリエイティブアーツからNTSC方式のDVDが発売されている。
2005年発売のDVDでは、フリッツ・シュミット(Fritz Schmid)がルドルフ役を演じている。
CD
日本国内公演、日本国外公演ともにライヴ録音盤が発売されている。
2004年発売のCDでは、ルカス・ペルマン(Lukas Perman)がルドルフ役を演じている。

脚注[編集]

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  1. ^ この時、かなりの高値で売られたらしく、小池は「果たしてどんなものなのか、皆目見当がつかないまま、購入してしまった」旨を、2000年の帝国劇場初演版プログラムに記述している。
  2. ^ 沙央くらまは強運のスター! ベルばらのオスカルに続き2度目の新人公演主演(スポニチ、2012年5月26日)
  3. ^ 兵庫)宝塚「エリザベート」上演800回朝日新聞、2014年8月23日)
  4. ^ 宝塚歌劇の代表作「エリザベート」、200万人動員を達成(スポニチ、2014年9月11日)
  5. ^ 梅田芸術劇場│ウィーン版ミュージカル エリザベート20周年記念コンサート~日本スペシャルヴァージョン~

外部リンク[編集]