ルドヴィカ・フォン・バイエルン
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ルドヴィカ・フォン・バイエルン(Ludovika von Bayern, 1808年8月30日 - 1892年1月26日)は、バイエルン王国の王族。全名はマリー・ルドヴィカ・ヴィルヘルミーネ(Marie Ludovika Wilhelmine)。バイエルン王マクシミリアン1世の八女で、バイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフの妃となった。
1808年8月30日、バイエルン王マクシミリアン1世とその2人目の妃であったバーデン大公世子カール・ルートヴィヒの娘カロリーネの間に第6子としてミュンヘンで生まれた。
ルドヴィカは1828年9月9日、テゲルンゼー(現バイエルン州ミースバッハ郡)で同族ヴィッテルスバッハ家傍系のバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフと結婚した。その後2人は冬はミュンヘンのヘルツォーク=マックス宮殿で、夏はシュタルンベルク湖畔のポッセンホーフェン城で暮らした。2人の間には5男5女が生まれ、次女のエリーザベトはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后となったことで知られている。
1892年1月26日、ルドヴィカはミュンヘンで肺炎のため死去した。83歳であった。遺体はテゲルンゼー城の墓地に葬られた。
子女 [編集]
- ルートヴィヒ・ヴィルヘルム (1831年 - 1920年)
- ヴィルヘルム・カール (1832年 - 1833年)
- ヘレネ・カロリーネ・テレーゼ (1834年 - 1890年、トゥルン・ウント・タクシス侯世子マクシミリアン・アントン妃)
- エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ (1837年 - 1898年、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世皇后)
- カール・テオドール (1839年 - 1909年)
- マリー・ゾフィー・アマーリエ (1841年 - 1925年、両シチリア王フランチェスコ2世妃)
- マティルデ・ルドヴィカ (1843年 - 1925年、トラーニ伯爵ルイジ妃)
- マクシミリアン (1845年12月8日 - 1845年12月8日)
- ゾフィー・シャルロッテ・アウグステ (1847年 - 1897年、アランソン公爵フェルディナン妃)
- マックス・エマヌエル (1849年 - 1893年)