ルイジ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ (1838-1886)

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トラーニ伯ルイジ

ルイジ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエLuigi di Borbone-Due Sicilie, 1838年8月1日 ナポリ - 1886年 パリ)は、両シチリア王国の王族。両シチリア王フェルディナンド2世とその2番目の妃のオーストリア大公女マリア・テレジアの間の長子。フランチェスコ2世の最年長の異母弟。トラーニ伯(Conte di Trani)の儀礼称号で呼ばれた。

1859年に父が死ぬと兄フランチェスコ2世が即位したが、国王に子供がないためルイジが推定相続人となった。両シチリア王国は1861年、イタリア統一運動の指導者ジュゼッペ・ガリバルディ率いる千人隊に征服されて消滅した。同じ1861年の6月5日、ルイジはバイエルン公マックス・ヨーゼフの娘マティルデと結婚した。マティルデの姉の一人マリ-が異母兄フランチェスコ2世に嫁いでおり、この縁組は両家の間の二重結婚の一環だった。またマティルデのもう一人の姉はオーストリア皇后エリーザベトであった。二人の結婚生活は失敗で、ルイジはアルコールに安らぎを求め、妻のマティルデは大勢の姉妹たちの元を転々とする生活を送った。

ルイジの死については、その時期も死に方も諸説がある。アルコール依存症となり、人生に絶望した彼は1878年にチューリヒ近郊のツーク湖で入水自殺した、という説もある。また、1886年に病気のためパリで死んだとする説もある。自殺説をとる人々は、自殺者の埋葬を許さないローマ・カトリック教会に考慮して自殺の事実が隠ぺいされたのだと主張する。またルイジの自殺の事実が明るみになれば、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の義弟の自殺として大きなスキャンダルになったためと考えられる。

子女[編集]

妻マティルデとの間に娘を1人もうけた。