ナポリ

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ナポリ
Napoli
ナポリの風景
ナポリの旗 ナポリの紋章
紋章
行政
イタリア国旗 イタリア
Flag of Campania.svg カンパニア州
Provincia di Napoli-Stemma.svg ナポリ
CAP(郵便番号) 80100
市外局番 081
ISTATコード 063049
識別コード F839
分離集落
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 961,106 [1](2012-01-01)
人口密度 8195.7 人/km2
文化
住民の呼称 napoletani
守護聖人 San Gennaro
祝祭日 9月19日
地理
座標 北緯40度50分0秒 東経14度15分0秒 / 北緯40.83333度 東経14.25000度 / 40.83333; 14.25000座標: 北緯40度50分0秒 東経14度15分0秒 / 北緯40.83333度 東経14.25000度 / 40.83333; 14.25000
標高 17 (0 - 457) [2] m
面積 117.27 [3] km2
ナポリの位置(イタリア内)
ナポリ
ナポリの位置
ナポリ県におけるコムーネの領域
ナポリ県におけるコムーネの領域
Flag of Italy.svg ポータル イタリア
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ウンベルト1世のガッレリア
19世紀の建築で、高さ58mのガラス天井を備える
ナポリから眺めたヴェスヴィオ火山
ナポリの街並みとナポリ湾
セバスチァーノ通り
ヌォーヴォ城 13世紀の建築

ナポリ: Napoli ( 聞く) ; ナポリ語: Napule)は、イタリア南部にある都市で、その周辺地域を含む人口約96万人の基礎自治体コムーネ)。カンパニア州の州都であり、ナポリ県の県都でもある。ローマミラノに次ぐイタリア第三の都市で、南イタリア最大の都市である。都市圏人口は約300万人。

ナポリ湾に面した港湾都市である。風光明媚な景観から「ナポリを見てから死ね」(日本のことわざでいうところの「日光を見ずに結構と言うな」)と言われ、温暖な気候から観光都市としても知られる。旧市街地は「ナポリ歴史地区」として世界遺産に登録されている。ナポリ周辺にも、ヴェスヴィオ火山やポンペイの遺跡、カプリ島などの観光地を有する。

名称[編集]

「ナーポリ」とも表記される。

地元で話されるナポリ語での名称はナプレ(Napule)。

ラテン語名はNeapolis(ネアポリス)、英語名はNaples(ネイプルズ)。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

ナポリ湾の北岸に位置する。

ナポリ県概略図

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。

歴史[編集]

ナポリ市は、紀元前6世紀古代ギリシア人(特にアテネ人)の植民活動によって建市されたと考えられている。「ナポリ」の語源はギリシア語の「ネアポリス」(新しいポリス)であり[4]、最初に建設された植民都市パルテノペから数キロはなれた場所に新しく建設された町という意味である。その後、ナポリは長くローマ帝国の支配下にあったが、476年西ローマ帝国滅亡後、南イタリアは東ゴート族ランゴバルド族の支配が及ぶなど流動的な状況となった。6世紀になると、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のユスティニアヌス1世がイタリアの再征服に乗り出し、イタリア半島はラヴェンナを首府とする東ローマ帝国の属州となった。ナポリ市には660年に東ローマ系の公国が設置されている。

11世紀にはノルマン人が南イタリアに到来し、イスラム教徒が支配するシチリア島を征服してシチリア王国オートヴィル朝)を建国するが、ノルマン人の支配は南イタリアでも拡大され、ナポリ公国も1140年ノルマン人の手に落ちた。12世紀にはシチリア王国は婚姻関係によってホーエンシュタウフェン家神聖ローマ皇帝の支配に移った。1224年には異色の皇帝フェデリーコ2世(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)がナポリ大学を設立した。

フランスの王族シャルル・ダンジューによりホーエンシュタウフェン家のシチリア支配が断絶すると、ローマ教皇クレメンス4世1266年、シチリア王国をシャルル・ダンジューにあてがい、アンジュー家は王国の首都をパレルモからナポリに遷都した。しかし1284年シチリアの晩鐘事件を契機にシチリア島で反乱が起こると、アラゴン王ペドロ3世がシチリアを占領するが、ナポリを中心とする南イタリアはアンジュー家が依然として押さえていたので、王国は2つに分割された。2つの王国は共に「シチリア王国」を公称していたが、この時にナポリ王国が成立したと見ることができる。

トラスタマラ家のアラゴン王アルフォンソ5世はシチリア王を兼ねていたが、内紛続きのナポリ王国を征服して、1443年にナポリ入りし、2つの「シチリア王国」の王を兼ねた。アルフォンソはアラゴン王であるにもかかわらず、ナポリに長く滞在して統治した。1458年のアルフォンソの死後は私生児のドン・フェランテがフェルディナンド1世としてナポリ王位のみを継承するが、失地回復をめざすフランス・ヴァロワ朝シャルル8世がこれにつけ込んで、1494年にナポリを武力占領した。これに対してスペイン(カスティーリャ=アラゴン連合王国)から派遣されたコルドバ将軍は、1503年にナポリを征服し、フランス軍を南イタリアから追放した。ナポリ王家は取り潰され、スペインのナポリ総督によって支配される属州となった。

スペイン継承戦争1701年 - 1714年)のさなか、1707年にオーストリア・ハプスブルク家の軍隊がナポリに入城し、スペインの総督は追い払われた。オーストリアの支配は1734年まで続く。ポーランド継承戦争が起こると、フランス・ブルボン家スペイン・ブルボン家の支援を求め、1734年にスペイン王子でもあるパルマ公ドン・カルロスがナポリに入城してナポリ王カルロ7世として即位、シチリアも回復した。カルロスは1759年にスペイン王カルロス3世として即位した際、ナポリ王位を息子のフェルディナンド4世に譲った。この1734年をもって両シチリア王国の成立とする見方もある。ただこの時は正式名称としては使用されなかった。

ナポレオン戦争の間、ナポリ王フェルディナンドはナポリから追放され、シチリアを領有するのみとなった。ナポリは1806年から1815年にかけてナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフ、次いで妹婿のミュラを王に戴くことになる。1816年にフェルディナンドがナポリとシチリアの王として返り咲くと、間もなく国名を正式に両シチリア王国とした。1860年、両シチリア王国はジュゼッペ・ガリバルディに征服され、翌1861年に成立するイタリア王国に併合された。

1995年世界遺産(文化遺産)『ナポリ歴史地区』として登録された。

社会[編集]

社会問題[編集]

古くから過密が社会問題になっている。

イタリア以外の外国人が想像する輝く太陽と温暖な気候、陽気な人々というイタリアのイメージは、この都市が元になっている。その一方で、今日でもナポリを拠点にとするマフィアカモッラによる影響が強い都市である。

ごみ問題[編集]

2007年以降、ナポリではごみの増大に処理場の増設(1994年以降、数回造成されている[5])が追いつかず、街中に未回収のごみが散乱する状態が度々起こっている[6]

健康被害[編集]

イタリアの研究機関による調査で、ナポリ近郊では他の地域と比べてガンの発生率が上昇していることが判明した。これはカモッラが1980年代からゴミ処理ビジネスに参入し、有害物質を含むゴミを不法投棄したことが関連しているという。特にナポリ県北部はナポリ湾などの主要な観光地の近辺であるにもかかわらず、不法な焼却や投棄が続けられた結果、地元が「死の三角形」と呼ばれるほど環境が悪化している[7]

観光[編集]

ナポリのパノラマ

「世界三大美港」の一つとされることがある[8]。また、日本では「世界三大夜景」の街の一つともされる。

建築物
博物館、美術館
遺跡
自然

文化[編集]

食文化[編集]


スポーツ[編集]

サッカー[編集]

イタリアサッカーリーグのセリエASSCナポリの本拠地。かつてディエゴ・マラドーナが在籍していた。

交通[編集]

姉妹都市[編集]

ともに火山と縁の深い海沿いの都市であることから、鹿児島が「東洋のナポリ」と呼ばれていたことが縁となっている[9][8]。日本・イタリア間の姉妹都市協定としては最も古い[10]。ナポリ市内には鹿児島通り(via Kagoshima)があり、鹿児島市内にはナポリ通りがある[8]

人物[編集]

著名な出身者[編集]

ゆかりの人物[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2012 by sex and marital status” (英語). 2013年10月1日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Napoli (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年10月3日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Napoli (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年10月3日閲覧。
  4. ^ 塩野七生『ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず[上]』、新潮文庫2002年、p.149。
  5. ^ “ナポリの未回収ごみ問題、混迷極める”. AFP. (2008年1月7日). http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2333487/2504001 2011年8月22日閲覧。 
  6. ^ “ナポリでまたごみ問題 処理場不足、2千トン路上に”. 共同通信. (2011年4月9日). http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011040901000063.html 2011年8月22日閲覧。 
  7. ^ 伊ナポリのごみ不法投棄、健康被害深刻 「死の三角形」
  8. ^ a b c ナポリ市(イタリア)”. 鹿児島市. 2013年10月1日閲覧。
  9. ^ a b 姉妹(友好)提携情報”. 自治体国際化協会. 2013年10月1日閲覧。
  10. ^ 日本・イタリア間で提携された姉妹都市(リスト)”. 在イタリア日本国大使館. 2013年10月1日閲覧。
  • 澤井繁男「ナポリの肖像 血と知の南イタリア」中公新書(2001年)、書籍情報: ISBN 4-12-101609-2

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式
観光