ブダペスト
| ブダペスト Budapest |
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|---|---|---|---|---|---|
左上から、ドナウ川、セーチェーニ鎖橋、英雄広場、国会議事堂、漁夫の砦、聖イシュトバーン大聖堂、ブダ城 |
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| 位置 | |||||
| 座標 : 北緯47度28分19秒 東経19度3分1秒 / 北緯47.47194度 東経19.05028度 | |||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 首都 | ブダペスト | ||||
| 市長/都知事 | Tarlós István[1] (フィデス=FIDESZ-KDNP) |
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| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 首都域 | 525.16km2(202.8mi2) | ||||
| 標高 | 102m | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2008年現在) | ||||
| 市域 | 1,702,297人 | ||||
| 都市圏 | 2,475,740人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) | ||||
| 夏時間 | 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) | ||||
| 郵便番号 | 1011–1239 | ||||
| 市外局番 | (+36) 01 | ||||
| 公式ウェブサイト : http://english.budapest.hu/ | |||||
ブダペスト/ブダペシュト(Budapest)は、ハンガリー共和国の首都で、産業、商業、交通におけるハンガリーの中心都市。中央ヨーロッパ有数の世界都市である。
人口は1980年代半ばの207万人が最高で、それから若干減少し現在は180万人である。ドナウ川の両岸に広がった都市で、右岸(西側)のブダとオーブダ、左岸(東側)のペシュト(ペスト)の3地区からなる。これらの地区はもともと別々の町であり、1873年に合併されてブダペスト市が形成された。両岸の地区を結ぶ代表的な橋がセーチェニ鎖橋である。北緯47度29分57秒、東経19度2分38秒。
目次 |
[編集] 歴史
記録の残されている限りでは、ブダペストの歴史は89年頃ローマ帝国が、もともとケルト族が定住していた現在のオーブダ地区の近くに建設した都市アクインクムに始まり、アクインクムは106年から4世紀の終わりまで、ローマ帝国のパンノニア州の州都であった。ドナウ川の対岸にあたる現在のペシュト地区は、コントラ・アクインクム(「アクインクムの反対側」という意味)と呼ばれていた。
900年に今日のハンガリーの主要民族であるマジャル人がアールパードに率いられ、パンノニアと都市を占領し、1世紀後にハンガリー王国を形成した。ハンガリー王国における重要都市となったペシュトは、1241年にモンゴル帝国のバトゥの征西軍の侵入を受ける。ベーラ4世の下で、すぐに復旧されたが、1361年にハンガリーの首都となったのはオーブダの少し南に位置し、1247年以来王宮所在地であったブダであった。
16世紀に入ると、オスマン帝国がハンガリーのほとんどを征服すると、首都の座を失ったブダペストの発展は一時停滞した。ペシュトはモハーチの戦いによってハンガリー王国がほぼ壊滅した1526年にオスマン帝国によって侵略された。1541年にはブダが占領され、ハンガリー中央部を支配するオスマン帝国属領としてブダ州が設置されて、ブダがオスマン帝国の総督の駐留地となった。一方のペシュト地区はこの時期ほとんど見捨てられていた。1526年以降、名目だけにはなっていたが、オーストリア大公のハプスブルク家がハンガリー王を兼ねていた。ハプスブルク家は1686年に王国領を奪回した。
1723年、王国の行政組織が置かれたペシュトは、18世紀から19世紀に急速な成長を遂げ、ブダペスト全体の発展の大部分に貢献するようになった。ブダとオーブダの合計より多かったペシュト地区の人口は、この世紀の間に20倍の600,000人に増え、ブダとオーブダの5倍になった。
3つの地区を単一の行政に統合する試みは、1849年のハンガリー革命政府によって最初に一時的に行われたが、これを鎮圧したハプスブルク帝国によって撤回され、1867年のアウスグライヒによって成立したオーストリア・ハンガリー帝国下でオーストリアから自治を獲得したハンガリー王国政府によって最終的に実現された。合併して成立したブダペスト市の総人口は、1840年から1900年に7倍となる73万人に増加した。
20世紀の人口の増加は、主に郊外で起きた。工業化による都市の発展により、ウーイペシュト(Újpest, 新ペシュト)は、1890年から1910年の間に人口が2倍以上になり、キシュペシュトは、1900年から1920年の間に5倍以上になった。第一次世界大戦の敗戦による多くの国民と国土の喪失は首都にも一時的な打撃を与えたが、オーストリアとの分離により主権国家となったハンガリーの首都になった。1930年までには、都市の人口が100万を超え、さらに郊外には40万人が住んでいた。
第二次世界大戦中の1944年のドイツ軍による占領以来、ブダペストで3番目に多いユダヤ人のうち200,000人が、ナチス・ドイツの虐殺によって死亡した。それに続くソ連軍の占領によって、さらに人口は減少し、1950年代から1960年代になるまで回復しなかった。共産主義政権(1947年 - 1989年)によって、1960年代から実用的な目的のためにいくらか都市が拡張された。1980年代からは、ハンガリー全体と同様に、移住による人口増加と人口の自然減少の釣り合いが取れている状況である。
[編集] 気候
| ブダペストの気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 最高気温記録 ℃ (°F) | 15.1 (59.2) |
19.1 (66.4) |
25.4 (77.7) |
30.2 (86.4) |
34.0 (93.2) |
39.5 (103.1) |
40.7 (105.3) |
39.0 (102.2) |
35.2 (95.4) |
30.8 (87.4) |
22.6 (72.7) |
19.2 (66.6) |
40.7 |
| 平均最高気温 ℃ (°F) | 2.1 (35.8) |
4.7 (40.5) |
10.6 (51.1) |
16.7 (62.1) |
22.0 (71.6) |
25.2 (77.4) |
27.5 (81.5) |
27.1 (80.8) |
22.6 (72.7) |
16.1 (61) |
8.3 (46.9) |
3.7 (38.7) |
15.55 (59.99) |
| 平均最低気温 ℃ (°F) | -2.7 (27.1) |
-1.3 (29.7) |
2.4 (36.3) |
6.9 (44.4) |
11.5 (52.7) |
14.6 (58.3) |
16.4 (61.5) |
15.9 (60.6) |
12.2 (54) |
7.5 (45.5) |
3.1 (37.6) |
-0.6 (30.9) |
7.16 (44.89) |
| 最低気温記録 ℃ (°F) | -21.7 (-7.1) |
-23.4 (-10.1) |
-14.1 (6.6) |
-4.6 (23.7) |
0.0 (32) |
3.0 (37.4) |
8.9 (48) |
7.0 (44.6) |
1.2 (34.2) |
-9.5 (14.9) |
-11.9 (10.6) |
-19.1 (-2.4) |
-23.4 |
| 降水量 mm (inches) | 38.5 (1.516) |
36.7 (1.445) |
37.4 (1.472) |
47.2 (1.858) |
64.5 (2.539) |
69.8 (2.748) |
50.4 (1.984) |
49.5 (1.949) |
42.7 (1.681) |
46.9 (1.846) |
59.9 (2.358) |
49.3 (1.941) |
592.8 (23.339) |
| 出典: www.met.hu 2008-09-26 | |||||||||||||
[編集] 観光名所
ブダペストには多くの歴史的建造物群が残る。特に、マルギット橋からエルジェーベト橋までのドナウ河岸、ブダ城のある王宮の丘、頂上にツィタデッラ(城塞)が残るゲッレールトの丘、アンドラーシ通りとその地下を走るブダペスト地下鉄(1号線)などは、「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の名で、ユネスコの世界遺産リストに登録されている。
[編集] 世界遺産
詳細は「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」を参照
世界遺産登録対象に含まれる主要建造物群は以下の通りである。
- 王宮の丘
- ゲッレールトの丘とその周辺
- ツィタデッラ
- 自由の像
- ゲッレールト温泉
- ルダッシュ温泉
- ラーツ温泉
- 橋
- マルギット橋
- セーチェーニ鎖橋
- エルジェーベト橋
- ペシュトのドナウ河岸
- 国会議事堂
- ハンガリー科学アカデミー
- ヴィガドー(コンサートホール)
- 旧市街聖堂
- アンドラーシ通り
- 英雄広場
[編集] その他の名所
- 市民公園
- 聖イシュトバーン大聖堂
[編集] ギャラリー
-
ゲッレールトの丘・ツィタデッラ(城砦跡)
[編集] 人口の推移
- 1800年: 54,200人
- 1830年: 102,700人
- 1850年: 178,000人
- 1880年: 370,800人
- 1900年: 733,400人
- 1925年: 957,800人
- 2007年: 1,696,128人
[編集] 行政
「ブダペシュト市」はいずれの県にも属さず、Budapest főváros(ブダペスト首都)から「ブダペシュト都」とも訳せる。
- ブダペストの区と街区の一覧
- ブダペシュト・アグロメレーション(市街地連担地域、ペシュト県の衛星都市の一覧)
- ブダペシュトはペシュト県に属していないが、県庁はブダペシュトに位置する。
[編集] 交通機関
ブダペストの市内公共交通機関は、BKV(ブダペスト交通公社)によって一元的に運行されている。ロンドンに次ぎ世界で2番目に営業を開始した地下鉄であるブダペスト地下鉄や、トラム、トロリーバスを運行している。4号線及び6号線のトラムは、トラム路線として世界一の利用者数で、54mの車両編成は世界最長でもある。48時間・72時間の2種類が存在するブダペストカードを購入した場合無料乗車可能である。
ハンガリー国鉄(MÁV)は、市内の主要3駅からハンガリー国内や欧州各地に列車を走らせている。
郊外電車は、HÉVにより運行されている。 他には、ブダペスト子供鉄道、王宮に上るケーブルカー(funicular)なども有名である。
- リスト・フェレンツ国際空港(旧称:フェリヘジ国際空港)
ドナウ川を利用しブラチスラヴァ経由でウイーン行きの国際航路もMAHART Passnaveにより運行されている。船着場から市の中心部へは徒歩10分ほど。
[編集] ブダペスト出身の人物
- イグナーツ・ゼンメルワイス:医者
- フランツ・フォン・ツァハ:天文学者
- ゲオルク・ド・ヘヴェシー:化学者
- テーオドール・ヘルツル:ジャーナリスト
- ルカーチ・ジェルジ:哲学者
- マイケル・カーティス:映画監督
- フリッツ・ライナー:指揮者
- アルバート・セント=ジェルジ:生理学者
- カール・マンハイム:社会学者
- ジョージ・セル:指揮者
- フェレンツ・フリッチャイ:指揮者
- レオ・シラード:物理学者
- バルトーク・ベーラ:作曲家
- ラースロー・ビーロー:発明家。ボールペンを発明。
- エドワード・テラー:物理学者
- ゲオルグ・ショルティ:指揮者、ピアニスト
- フェレンツ・プスカシュ:サッカー選手
- ケルテース・イムレ:作家
- イシュトヴァン・ケルテス:指揮者
- ジョージ・ソロス:投資家
- アンドルー・グローヴ:実業家
- ルビク・エルネー:ルービックキューブを作った人物
- ゾルターン・コチシュ:ピアニスト
- コダーイ・ゾルターン:作曲家
- ポール・エルデシュ:数学者
- ロバート・キャパ:写真家
- チチョリーナ:ポルノ女優・政治家。
- クリスティーナ・エゲルセギ:競泳選手
- タマス・ダルニュイ:競泳選手
- エディナ・ポップ:歌手
- レスリー・マンドキ:歌手
[編集] 姉妹都市
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 公式
- ブダペスト市公式サイト (ハンガリー語)(英語)
- 日本政府
- 在ハンガリー日本国大使館 (日本語)
- 観光
- ブダペスト - ウィキトラベル
- ブダペスト市観光局 (ハンガリー語)(英語)
- ハンガリー政府観光局 (日本語)
- ブダペスト情報サイト ブダペストモウラ (日本語)
- 日本語のブダペストガイド (日本語)
- Budapest on Facebook (英語)
- その他
- Google マップ
- Metro lines, suburban railway- and tramway network in Budapest
- Budapest public transport map
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