エドワード・テラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エドワード・テラー(1958年、ローレンスリバモア国立研究所所長のころ)
エドワード・テラー(1958年、ローレンスリバモア国立研究所所長のころ)

エドワード・テラーEdward Teller、 もとのハンガリー名ではテッレル・エデTeller Ede)、 1908年1月15日 - 2003年9月9日)は、ハンガリー生まれでアメリカに亡命したユダヤ人核物理学者である。アメリカの「水爆の父」として知られる。

スタンリー・キューブリック監督の映画「博士の異常な愛情」の、水爆好きのマッドサイエンティスト、ストレンジラブ博士のモデルの一人とされている。

目次

[編集] 生涯

[編集] 出自

1908年オーストリア=ハンガリー帝国ブダペストで生まれた。1926年にハンガリーを去りドイツへ移住する。その原因の一つにはホルティ・ミクローシュによる支配があったとされる。ドイツで高等教育を受け、1930年にライプツィヒ大学ヴェルナー・ハイゼンベルクの元で物理学の博士号を取得、その後、ゲッティンゲン大学で2年を過ごす。

しかし1933年にドイツの政権を握ったアドルフ・ヒトラーはユダヤ人敵視政策を取る。テラーは1934年、ユダヤ人救出委員会(International Rescue Committee)の助けでドイツを離れた。一時期イングランドに滞在した後、ニールス・ボーアのいたコペンハーゲンで1年を過ごし、1935年アメリカ合衆国に移住した。

[編集] 水爆開発

1941年まで、ジョージ・ワシントン大学で教鞭を執り、そこでジョージ・ガモフに出会った。1942年ブリッグス委員会(Briggs committee)で働きながら、テラーはマンハッタン計画に参加する。第二次世界大戦中、テラーはロスアラモス国立研究所の理論物理学部門に所属し、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた超強力爆弾(水素爆弾)へと核兵器を発展させるべきだと強く主張した。1945年、ニューメキシコでの世界初の原爆実験(トリニティ実験)立ち会い、「なんだ、こんなちっぽけなものなのか」と感想を述べた。[要出典]1946年にテラーはロスアラモスを離れ、シカゴ大学の教授になる。

1949年のソビエト連邦の核爆発成功の後、1950年テラーはロスアラモスに戻り、水爆計画に携わる。テラーは水爆を「マイ・ベイビー」と呼んでいた。[要出典]テラーとスタニスワフ・ウラムが実際に作動する水爆の設計を思い付いたとき、テラーは計画の長に選ばれなかった。テラーは再度ロスアラモスを去り、1952年、新たに設立されたカリフォルニア大学放射線研究所のローレンス・リバモア支部に加わる事になる。1954年、身上調査の審問を受けた際にテラーがロバート・オッペンハイマーを非難したことが元で、テラーとオッペンハイマーとの間の溝は広がることになる。

[編集] アラスカ人工港計画

1950年代に、テラーはアラスカに核爆発を利用して大規模な人工港を作るという「チャリオット作戦Operation Chariot)」をうちあげた。アラスカは無人の荒野が広がっているという先入観があったのである。しかしアラスカはアメリカ大陸で最も古くから人類が住む土地であった。この計画によって民族意識に目覚めたエスキモーインディアンなどのアラスカ原住民を中心とする反対運動が高まり、この計画は幻と終わった。

[編集] 核開発の推進者

1958年から1960年にかけて、テラーはローレンスリバモア国立研究所の所長になり、その後カリフォルニア大学バークレー校で教える傍ら同研究所の副所長をつとめた。1975年、テラーは引退してリバモア研究所の名誉所長に指名され、またフーバー研究所のシニア研究員にも任命される。

1983年のアメリカ国家科学賞の授与式で、レーガン大統領(左)と握手するテラー(右)
1983年のアメリカ国家科学賞の授与式で、レーガン大統領(左)と握手するテラー(右)

引退後もテラーは絶えず核計画推進の主張者であり続け、実験と開発の継続を訴えた。戦略防衛構想が撤回されたときにも、テラーはその最も強力な擁護者の1人だった。1982年、レーガン大統領よりアメリカ科学界最高峰の栄誉とされるアメリカ国家科学賞が贈られた。

2003年9月、カリフォルニア州スタンフォードで亡くなった。95歳だった。水爆を開発したことに関しては、生涯肯定的な言動を行い、悔いることはなかった。

[編集] 著書

テラーの著書には次のものがある。

  • Conversations on the Dark Secrets of Physics (1991)
  • Better a Shield Than a Sword (1987)
  • Pursuit of Simplicity (1980)
  • Energy from Heaven and Earth (1979)(邦訳「エネルギーはよみがえる―天と地からのおくりもの」共立出版)
  • 回想録 (2002)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク