ジャカルタ
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| 州の標語: Jaya Raya (Prosper and Great) | |
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| 州都 | |
| 知事 | ファウジ・ボウォ |
| 面積 | 661.52 km² |
| 人口 | 11,018,000 (2000) |
| 民族 | ジャワ人 (35%)、ブタウィ人 (28%)、 スンダ人 (15%)、華人 (6%)、 バタック族 (4%)、ミナンカバウ族 (3%) |
| 宗教 | イスラム教 (86%)、 プロテスタント(6%)、カトリック (4%)、 仏教 (4%)、ヒンドゥー教 儒教 |
| 言語 | インドネシア語、ブタウィ語、 ジャワ語、スンダ語 |
| 時間帯 | WIB (UTC+7) |
| 公式サイト | www.jakarta.go.id/ |
ジャカルタ (インドネシア語:Jakarta) は、インドネシアの首都で、同国最大の都市。東南アジア有数の世界都市である。一般には、ジャカルタという場合、ジャカルタ首都特別州 (Propinsi Daerah Khusus Ibukota Jakarta = Propinsi DKI Jakarta) を指す。植民地時代の旧称はバタヴィア (Batavia)。東南アジア諸国連合 (ASEAN) の事務局を抱える。
目次 |
[編集] 名称
ジャカルタ首都特別州は外務省の呼び名であるが、同市と姉妹都市関係を結ぶ東京都では、同州をジャカルタ特別市と呼んでいる。[1]
また、ジャカルタ行政区を含めた4地域はまとめて、ジャボデタベック (Jabodetabek) と呼ばれている。これは、ジャカルタ (Jakarta)と西ジャワ州のブカシ市(Bekasi)、ボゴール市(Bogor)、デポック市(Depok)、バンテン州のタンゲラン市(Tangerang)の頭文字を繋ぎ合わせたもので、ジャカルタ首都圏の呼称として定着している。
ジャカルタの名称の起源については、ジャヤ(幸福繁栄の意)+カルタ(都)の二つの単語からなる合成語であるという説がある。
[編集] 歴史
ジャカルタはもともと、16世紀はじめまで、西ジャワのパジャジャラン王国の港町、スンダ・クラパ (Sunda Kelapa) として発展した。14世紀に成立した中国・明朝のもとでインドネシアの海域は册封体制下におかれ、アジア域内における交易ネットワークに組み込まれていた。スンダ・クラパもまた、この海域の他の港市とともに、中国との朝貢貿易や私貿易、中継貿易で重要な港町として発展した。
スンダ・クラパをジャヤカルタ(Djajakarta = 偉大なる勝利)と改名したのは、1527年にこの地を征服したバンテン王国のスルタン、ファタフィラである。
16世紀末に、この海域でのポルトガルの香辛料独占に対抗するため進出してきたオランダは、西ジャワの王族の内紛に介入し、その一方に軍事援助を行う見返りに、ジャヤカルタを手に入れた。1619年、オランダ東インド会社総督、クーン (Jan Pieterszoon Coen) がジャヤカルタに要塞を建設し、この地をオランダの先住民バタウィにちなんで、バタヴィアと改称した。その後、オランダ東インド会社の基地として、さらに後にはオランダ領東インド国家の中心都市として発展していくことになった[2]。
第2次世界大戦では日本が東インドのほぼ全域を占領し、その間の1942年に日本軍政当局がバタヴィアをジャカルタと改称した。以後、その名称は現在に至っている[3]。
オランダとの独立戦争後、都市機能が肥大化し、地方・島嶼部の人口が大量に流入してアジアでも最大規模の都市の一つとなった。しかし他の発展途上国の首都同様、住宅など社会施設が整わず、深刻な都市問題を抱える。
1997年に起きたアジア通貨危機により景気が悪化し、1998年5月のジャカルタ暴動の引き金となる。この暴動で、多くの華人の店舗が焼かれた。
[編集] 地理
ジャワ島北西岸、チリウン川河口に位置する。北部に外港タンジョンプリオク (Tanjung Priok) を持つ。海岸に近い商業街とそれから離れた新市街に分かれる。商業都市としては重要であるが、工業は繊維工業・造船業などが行われているものの小規模である。
[編集] 行政区画
ジャカルタ首都特別州の下に5市 (kotamadya) - 43区 (Kecamatan) - 265町 (Kelurahan) - 2499町内 (Rukun Warga) - 2万8981隣組 (Rukun Tetangga) がある。また、リゾートとして知られる島嶼部 Kepulauan Seribu(千の島)がある。
[編集] 観光
[編集] 主な地区
- コタ地区 - 北部の旧バタヴィア部分
- ジャカルタ北部の旧市街地。中国人が多く居住する。
- ジャカルタ南部のデパートや商店、レストランが密集する地域。地区東にデパート・パサラヤ (Pasaraya)、地区西にショッピングモール、ブロックMプラザなどがある。 現地在住の日本人向けの商店も多いのがこの地区。 カモメスーパー、パパイヤといった二つの日本人向けのスーパーがある。また少し離れているがWijaya Center(ウィジャヤ・センター)内にはコスモという日本食スーパーマーケットもある。
- 日本人向けのカラオケ店もブロックM内に林立し、日本人駐在員の憩いの場となっている。
- タムリン地区の東側の裏通りの通り名。バッグパッカー向けの安宿が立ち並ぶ。
- 主なビジネス街。日本や外資系会社のオフィスが立ち並ぶ町。
[編集] 主な建築物
- モナス (Monas/Monumen Nasionalの略) - 独立記念塔。ガンビル駅に隣接する独立記念広場の中心にある。高さ137メートル。
- 国立中央博物館 (Musium Pusat) - 独立記念広場に隣接。ジャワ原人の頭蓋骨を展示(ただしレプリカ)。交易時代、日本からもたらされた陶磁器なども展示されている。
- イスティクラル - 国立モスク。東南アジアで最大のモスク。
- カテドラル(大カトリック教会)
- アンチョール (Taman Impian Jaya Ancol) - 遊園地。ジャカルタの北部海岸沿いにある。
[編集] 交通
[編集] 航空
スカルノハッタ国際空港(西ジャワ州チェンカレン地区)から国際線、国内線が就航する。
[編集] 鉄道
地域内には鉄道が走っている。ジャカルタコタ駅 (Kota Station) からは、ジャワ島内の各都市(ジョグジャカルタやスラバヤなど)とを結ぶ長距離列車が主に発着する。ガンビル駅(Gambir Station)からはバンドンまでなどの中距離列車が発着する。ジャカルタ近郊部には通勤電車としてKRLジャボタベックが運行されているが、一方で地下鉄のような都市内部の大量旅客輸送は立ち遅れている状況にある。
ジャカルタ・モノレール (Jakarta Monorail) が建設中であるが、2008年7月現在、工事は完全に停止中である。
市内中心部の輸送力を増強し道路の混雑緩和を図るため、南ジャカルタのルバックブルスから中央ジャカルタのドゥクアタスの間の14.5kmにMRT(Mass Rapid Transit、都市内部の高速交通機関)の建設が決定された。2006年11月、インドネシアと日本の間で円借款の調印が行われ、2008年6月にMRT条例が可決されて、MRT会社の設立登記の準備が進められている[4]。
[編集] バス
トランスジャカルタ (TransJakarta) という専用レーンを走行するバスが7路線で運行されている。ジャカルタ特別州当局では2008年9月までにあと3路線を新設する計画で工事を進めている。当初は運賃が割高なため利用客が少なかったが、燃料費高騰の影響を受けて自家用車からバスへの転移が進み利用者が増加しつつある[4]。
トランスジャカルタ以外にも路線バスが運行されており、中型バスはメトロミニ、コパジャなどと呼ばれている。大型バスでは冷房化が進行している[4]。
[編集] タクシー
通常のタクシー以外に、オートバイのタクシーである「オジェック」や三輪車のタクシーである「バジャイ」などが運行している。ジャカルタ市内では42事業者25,019台の登録があり、それ以外に周辺都市から85事業者約16,600台が乗り入れて営業している[4]。
[編集] 日系企業の進出
日本企業が多く進出し、自動車、オートバイ、工業製品などの生産を行っている。日本企業の工場は、タンジュンプリオク、プロガドゥンなどのジャカルタ行政区内やジャカルタの東に隣接する、西ジャワ州ブカシ県、カラワン県などの工場団地に多く建設されている。
日系企業が進出している主な工業団地
- MM2100
- EJIP
[編集] 教育
ジャカルタには多数の高等教育機関が存在する。以下はその一例。
- インドネシア大学 - ジョグジャカルタのガジャマダ大学と並んで同国を代表する国立大学。
- ジャカルタ国立大学
- ジャカルタ・ムハマディヤ大学 - イスラーム団体・ムハマディヤの大学。
- インドネシア・カトリック大学
- インドネシア・クリスチャン大学
- ビナ・ヌサンタラ大学
なお、ジャカルタには在留邦人の子弟向けのジャカルタ日本人学校(SEKOLAH JEPANG JAKARTA)がある。1969年5月5日開校。ジャカルタ・ビンタロ地区に小学部と中学部、幼年部が設置されている。
[編集] 姉妹都市
ジャカルタは世界中に姉妹都市を有している。
[編集] 備考
[編集] 注脚
- ^ 東京都の都市外交-姉妹友好都市
- ^ M.C.Ricklefs, 1993, p.30-31.
- ^ M.C.Ricklefs, 1993, p.202.
- ^ a b c d 交通新聞2008年7月14日第4面
[編集] 関連文献
- Taylor, J.G., The Social World of Batavia - European and Eurasian in Dutch Asia, The University of Eisconsin Press, 1983
- Ricklefs, M.C., A History of Modern Indonesia since c.1300 2nd edition, Stanford University Press, 1993
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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