ジョグジャカルタ
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| 州の標語: Tut Wuri Handayani | |
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| 州都 | ジョグジャカルタ市 |
| 知事 | ハメンクブウォノ10世 |
| 面積 | 3,185.80 km² |
| 人口 | 3,121,000人(2003年) |
| 民族 | ジャワ人 (97%) |
| 宗教 | イスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教 |
| 言語 | ジャワ語、インドネシア語 |
| 時間帯 | WIB (UTC+7) |
| 公式サイト | www.pemda-diy.go.id/ |
ヨグヤカルタ特別州 (インドネシア語:Daerah Istimewa Yogyakarta) はインドネシア共和国ジャワ島中部南岸に位置する州。州都はジョグジャカルタ市。現代の標準的なインドネシア語ではヨグヤッカルタのように聞こえる。古い綴りでは Jogjakarta であるため、他の言語ではジョクジャカルタと発音されることが多く、ジョグジャとも略される。
「平和の町」という意味で、名称に関しては『ラーマーヤナ』物語のラーマ王子の国、アヨーディヤーにあやかって付けたといわれる。タイのアユタヤも同じ由来を持つ。
目次 |
[編集] 概要
ヨグヤカルタ特別州は第1級地方自治体であり、他の州と同等な特別行政地域である。1988年パクアラム8世の死去に伴い論争の末2003年までの任期期間を副知事なしで現スルタンが知事職をにつき2008年までの任期には賛否両論の議論の末 知事に現スルタン副知事に現パクアラム候が就任した。スルタンが知事をそして副知事をパクアラム公が兼ねることは憲法上明記されており現在も変更されておらず、2008年までの知事、副知事の任期後は現スルタンは州知事に付かないことを明言していたが、政府とユドヨノ大統領の直接の交渉により三年間の特別任期延長がおこなわれた。知事制は現在、他国の立憲君主制を参考にしたりや文化や歴史も考慮してガジャマダ大学の法学者や有識者も加えて現在いろいろな角度から審議中であり知事直接選挙制度は導入は未定である。公選が実地された場合スルタンもしくはスルタンの親族が選挙に直接立候補し、また対立候補が現れ立候補することは現在のスルタン家とジョグジャカルタ住民の関係上不可能であり州民もスルタン家への愛情と尊敬の念からそれを望んでいない。保守派イスラムの2008年のポルノ禁止法にスルタン家が反対活動の前面に立ち州民共々絶対的なアラブ至上主義イスラムを文化破壊としてとらえ独自の文化と歴史を尊敬する穏健なイスラム教徒が大多数である。ジョグジャカルタの都市部の人口は約60万人。活火山のメラピ山の保水能力と肥沃な土壌によりジャワ島でも屈指の肥沃な地域である。ハイヤットホテルやシェラトンホテルなど外国資本の有名ホテルが立ち並ぶような観光都市とガジャマダ大学を中心とし多くの私立大学を有する教育学研都市がジョグジャカルタの表の顔であるがインドネシア中最低の最低労働賃金が設定されており、アジア屈指の人口密度と貧困率の高さから他島や都市部への移住者や出稼ぎまたは海外への出稼ぎ者の非常に多い地域である。ジョグジャカルタ市のほか、農村部のスレマン県、 バントゥル県、 クロンプロゴ県、 グヌンキドゥル県に分かれる。南はインド洋に面し、陸は中部ジャワ州に囲まれている。京都府とは姉妹都市関係が結ばれている。
[編集] 歴史
中部ジャワのヨグヤカルタ地域は古来、マタラムと呼ばれ、8世紀にヒンドゥー系の古マタラム王国が勃興したが、10世紀に東部ジャワのプランタス川流域に東遷した。16世紀後半、イスラム系のマタラム王国が再び勃興し強勢となったが、バタヴィアに植民したオランダ東インド会社により次第に制圧されていった。
18世紀には三次にわたるジャワ継承戦争が続き、オランダの保護下に入ったマタラム王国は1755年に分割されてヨグジャカルタ王国とスラカルタ王国が成立した。後にパクアラム家がクロンプロゴの領有を認められた。 初代ヨグヤカルタ国王はハメンクブウォノ1世である。20万人の死者を出したジャワ戦争で中部ジャワは荒廃し土着支配層に依拠しこれに余禄を与える強制栽培制度が導入され王国はオランダの下僕となりオランダの植民地時代を通じて植民地支配を支える土着支配官吏として土侯国として存続した。 イスラム近代改革組織ムハマディアの発祥地区であり現在でもその活動組織の中心である。 オランダ植民地公教育に抵抗する民族教育を目的にし多くの民族主義者を生み出したタマンシスワ発祥の地である。 インドネシア独立戦争時期、ヨグヤカルタはオランダの支配に抵抗するインドネシア共和国の臨時首都となった。インドネシア建国後、オランダに協力的でありオランダ政庁の教育組織を卒業しその官吏となっていた他土侯国は廃止されたが、ジョグジャカルタのスルタン、ハメンクブウォノ9世(1912年-1988年)は国際情勢の趨勢を読み独立に協力したため、特別行政地域としてスルタン領の存続を認められた。しかし誕生したばかりで非常に不安定で多くの問題を抱えたインドネシアにとって伺候国の存続は共和国制または近代民主主義観点から反することであるが国際社会に対して早急な内政安定の面から封建制を逆に当時受け入れなければならない歴史上の側面も持つ。ジョグジャカルタ出身のスハルトとはスハルトが軍人時代より盟友でありゴルカル党の中心人物としてスハルト政権を支え副大統領にもなり、また財務相や国防相も務めた。
スルタンは特別州の知事でありパクアラム公は副知事である。1988年にハメンクブウォノ9世が死去すると、息子の10世が継承した。 10世は男子の嫡子がおらず継承問題が懸念されている。
[編集] 2006年の地震
詳細は「ジャワ島中部地震」を参照
2006年5月27日に、ヨグヤカルタ近郊でマグニチュード6.4(一説には6.2〜6.3)の地震が発生した。
死者5,800人以上。ほとんどがレンガ造りの家屋が倒壊したことによる圧死と思われる。
2004年12月のスマトラ島沖地震の後であり、津波発生のデマが飛び交うなどパニックとなった。一方、コミュニティが発達していたこともあり、被害状況の把握が容易だったとされる。
[編集] 文化
ヨグヤカルタ市はインドネシアの古都として独自の文化を残す著名な観光地であり、クラトンと呼ばれる王宮には今もスルタンが住むが、一般に公開されている。ガムラン音楽や影絵芝居でも有名。また、中部ジャワ州のボロブドゥール寺院遺跡群(市中心部から北西40キロ)、プランバナン寺院群(市中心部から東へ18キロ)のふたつの世界遺産は、ヨグヤカルタ市からのアクセスが一般的である。ブランバナン寺院群の近くには野外劇場があり、ラーマヤーナバレーが行われる。
伝統産業としてはジャワ更紗(バティック)が名高い。周辺の農村部は米の三期作が行われる穀倉地帯である。 農民の約90パーセントは刈り取り専門を含めた小作零細農家であり五月から九月までの乾季の農閑期にはグヌンキドゥル県からのべチャ(輪タク)やお手伝い 乞食などの都市部インフォーマルセクターへ流入が社会問題として長く提起されている。
[編集] 教育
ヨグヤカルタ市北部にはガジャ・マダ大学を始め、ネゲリ・ジョグジャカルタ大学やムハマディア大学など高等教育機関が集中する。 以前から学生の町としてインドネシア国内では有名であるが、学生のほとんどが他州の出身者で占められていたため現在地域の高等教育機関の開発や経済危機以降の影響などにより4つの国立大学を除いた人口や都市の規模に合わない乱立した私立大学は定員を満たすことができなくなるなど経営の改革をせまられ学術教育都市としては将来的に影を落としつつある。 ガジャ・マダ大学は1949年に創立された国立総合大学で、18学部、学生数約4万人を有する。多くの著名人や有名人が輩出され政治経済多岐にわたる分野で活躍している。レンドラは文学部 アミエンライスは社会政治学部出身である。 文学部には日本語学科もある。
[編集] 交通
ヨグヤカルタ国際空港は首都ジャカルタ国際空港やインドネシア各地と結ばれる。その他、鉄道・道路網も発達している。
[編集] 関連項目
- Yogyakarta (ヨグヤカルタ) インドネシアのポップグループクラプロジェクト(KLa Project)中部ジャワ州マグラン出身のカトゥンが一観光客または訪問者として感じて作ったヒット曲。この曲のヒットにより、ハメンクブウォノ10世の表彰を受ける。
[編集] 外部リンク
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