スマトラ島

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スマトラ島
座標 0°00′N, 102°00′E
面積 473,600km²
海岸線長 -km
最高標高 3,805m
所在海域 インド洋マラッカ海峡
所属国・地域 インドネシア
  
スマトラ島 写真左上から右下に延びる面積世界第6位の島。水平の青線は赤道、垂直の青線は東経100度の緯線

スマトラ島 (インドネシア語Pulau Sumatera) はインドネシア共和国大スンダ列島に属する島。スマテラ (Sumatera) とも。西海岸沿いに火山活動を伴うバリサン山脈が走り、最高点はクリンチ山 (3,805m)。メダン南のトバ湖はここ200万年で地球最大の噴火が起こった跡のカルデラ湖。避暑地、観光地として有名で、湖に浮かぶサモシール島はバタク人の伝統家屋や舞踊などが楽しめる。中部高原はスマトラの人口の集中地をなすが、東海岸の大部分は湿原が展開し、人口は希薄。北部アチェ州は古くから交易が盛んで、インドネシアで最も早くイスラム教を受け入れた場所である。ほぼ中央部を赤道が走り、高温多雨。主要都市はメダンパレンバンパダン

目次

[編集] 要目

[編集] 行政区画

アチェ州北スマトラ州西スマトラ州南スマトラ州ブンクル州ジャンビ州ランプン州バンカ=ブリトゥン州リアウ州

[編集] 歴史

マラッカ海峡に臨み東西交通の要衝であるため、古代からシュリーヴィジャヤ王国などの諸王朝が興った。古くはヒンドゥー教仏教が優勢だったが、14世紀初めからイスラム勢力が進出した。15世紀には鄭和がスマトラ(蘇門答剌)に寄航している。16世紀以後ポルトガルイギリスオランダが進出。北部アチェ王国が最後まで抵抗したが、1873年1914年アチェ戦争後、オランダの支配権が確立した。パレンバンの豊富な石油資源を求めて日本1942年に占領したが1945年に撤退。

1949年のインドネシア独立後は、豊富な石油資源をもとに経済開発の中心の1つとなっている。インドネシア政府のジャワ島人口分散の一環として、1970年代以降200万人以上がスマトラに移住した。一方北部では、アチェ王国の流れをくむ武装勢力が、アチェ州の分離独立を求めてインドネシア軍と戦闘を行っている。

2004年12月26日スマトラ島沖地震特にそれに伴う津波によって、北部アチェ州を中心に10万人以上が死亡した。

[編集] 交通

[編集] 関連項目