ラゴス
| ラゴス Lagos |
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| 位置 | |||
ナイジェリアの地図 |
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| 座標 : 北緯6度27分11秒 東経3度23分45秒 / 北緯6.45306度 東経3.39583度 | |||
| 行政 | |||
| 国 | |||
| 州 | ラゴス州 | ||
| 地方行政区 (LGA) | ラゴス島 | ||
| 市 | ラゴス | ||
| 地理 | |||
| 面積 | |||
| 市域 | 787km2 | ||
| 都市圏 | 999.6km2 | ||
| 標高 | 34m | ||
| その他 | |||
| 等時帯 | 西アフリカ時間 (UTC+1) | ||
| 公式ウェブサイト : http://www.lagosstate.gov.ng/ | |||
ラゴス(英語:Lagos)はナイジェリアの南西端のベニン湾岸に位置する同国最大の大都市・港湾都市で、旧首都である。世界の有数のメガシティ。
目次 |
[編集] 概要
独立後の人口調査は2回だけだが(1972年と1991年)、その人口の推計は1000万前後と思われ、アフリカ最大級の大都会である。2011年の都市的地域の人口では1085万人であり、世界第25位、アフリカではカイロに次ぐ第2位と推計されている[1]。2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、世界第59位の世界都市に選ばれている[2]。アフリカ大陸ではカイロ、ヨハネスブルグ、ナイロビに次ぐ第4位である。
世界でも最も拡大の勢いの強い都会であり、人口1億を超えるナイジェリア全土から多数の人たちがよりよい雇用や教育機会を求め集まってくる。人口増加率、人口密度、そして失業率と犯罪の多さでもナイジェリア最大。位置は、北緯6度34分60秒、東経3度19分59秒。
ラゴスは本土側と、ラゴス・ラグーン(潟湖)を取り囲むいくつかの島からなった近代的な都市である。「ラゴス」とは、ポルトガル語で「ラグーン」の意味である。もともとはラゴス・ラグーンに浮かぶ島にあった「エコ (Eko)」という名の小さな村だったが、この潟湖が大西洋に面した数少ない良港の一つであったことから、ヨーロッパ人、主にポルトガル人との黒人奴隷貿易などの取引の場となった。このベニン湾一帯を指して「奴隷海岸」と称したこともある。ラグーンの連なりがラゴスから、西のバダグリと東のオグン州に伸びている。
ラゴスは1976年(実質的には1991年)にアブジャに首都が移るまでナイジェリアの首都だったが、いまでも経済的・文化的な中心都市である。また西アフリカを代表する大都市であり、英語が通じ教育水準の高い人材も多いため、多くの多国籍企業がナイジェリアを含む西アフリカの広い範囲をカバーする活動拠点をラゴスに置いている。
市内の中心部には多くの高層ビルが立ち並び、高速道路やバイパス道路等も整備されており、一見近代的な大都市といった様相を呈しているが、それらと同じようにして大規模なスラム街が雑然と広がっている。世界最悪の交通渋滞都市。
[編集] 市内の地理
- ラゴス島
- ラゴスの都心はラゴス・ラグーンに浮かぶラゴス島にある。もとのエコ村のあった島の西側は植民地都市となり、現在はモスク、教会、商業施設や数多くのビルが立ち並ぶ。島の反対側である東側はメイン・マーケットがあるほか、貧困な住宅が密集する。ラゴス島はエコ橋、カーター橋、第三本土連絡橋の3本の橋で本土と結ばれているが渋滞が激しく交通はマヒ状態であり、新しい道路やラグーンを渡る橋の建設が計画されている。
- イコイ島
- ラゴス島とヴィクトリア島の中間で、両方と橋で結ばれる。植民地時代のイギリス人達の邸宅地区で当時のコロニアル様式の建築物が並び、官庁、ホテル、学校、公園、ゴルフ場、高級ショッピング街などが揃う、ナイジェリアのみならずアフリカでも有数の高級住宅地。
- ヴィクトリア島
- ラグーンの一番外側の海に面した島で、イコイ島と近接しており橋で結ばれている。元はイコイ島同様の住宅街であり緑の多い島だが、ここ20年で大企業や銀行、多国籍企業の入る多数の超高層ビルが立ち並ぶ金融・ビジネスセンターとなった。繁華街でもあり、日本の領事館もある。近年渋滞がひどくなり露天商も多数出るようになった。またこの周辺のインターネットカフェなどがいわゆる「ナイジェリアの手紙」詐欺の拠点となっている。
- 本土側
[編集] 名所
本土側が主要な住宅地区であり、地元のアフリカン・ポップ・ミュージックの演奏などを中心とした歓楽地区でもある。特にヤバとスルレレが有名である。またこれらの地区はナイジェリア国立競技場、大学の数々、北部へ向かう鉄道駅もある。
ラゴスの主要な観光地はすべてラゴス島側にある。モスク、キリスト教会、独特の造形感覚で知られるナイジェリア諸民族の彫刻を数多く収蔵するラゴス国立博物館、ナイジェリア国立劇場、戦争記念碑のあるタファワ・スクエア、超高層ビルのインディペンデンス・ハウス(1963年建設)、バログン・マーケットなど多くの市場、ブラジリアン・クオーターなどが代表的な観光地である。
ビーチ・リゾートもラゴス周辺にいくつかある。また、ラゴスは国際空港と国内空港の二つがある。ただし市内の治安はヨハネスブルグやナイロビと並ぶ悪さなので、特に夜間は十分注意すべきである。
[編集] 交通
フェリーと高速道路が都市の各部分をつなぐ。しかし、市内交通は混雑して機能していない。無数のバス、タクシー、自家用車、トラック、そして歩行者が幹線道路という道路を埋め尽くし、交差点やバスターミナルは末期的な症状を呈している。
理由は独立した島々からなる地形、爆発的な人口増加、これほどの人口を想定していなかった都市計画(ラゴスは人口300万人のケープタウン並の交通整備しかなされていない)、陥没しているなど整備の悪い道と、交通マナーの悪さなどである。
鉄道に関しては、かつては南部のポートハーコートなど各都市からの列車が発着する中央駅が機能していたが、2000年代以前にインフラが維持できず荒廃。辛うじて北部のカノ行きの旅客列車が週一便設定されているのみであるが、確実に運行されているかは定かではない。2006年からは中華人民共和国とイタリアの企業体により、改軌を中心とした近代化計画が動き始めたが、完成するのは数十年先のことである。
[編集] 政治
ラゴスには市長や独自の議会がない。もっともこれはアフリカの多くの都市に共通する特徴でもある。ラゴスの行政をつかさどるのはラゴス州政府であり、1967年以降ラゴスはラゴス州の一部として再編されている。1976年までラゴス州州都はラゴス島にあったが、その後郊外のイケジャに移っている。
ラゴス州はラゴス市の範囲を超えた広い地区を管轄するが、特にラゴス市の行政に力を入れている。州政府は道路、交通、電力、上下水道、保健衛生、教育などを担当している。
ラゴス島の古いコロニアル様式の建物にはラゴス州最高裁が拠点を置いている。
[編集] 経済
ラゴスはナイジェリアを代表する港湾である。ナイジェリア港湾局が運営するラゴス港は、ラゴス港地区、アパパ港地区、ティン・カン港地区の3つに分かれている。港には貨物鉄道も乗り入れている。
港湾は消費財・食料・自動車・機械・部品などを輸入している。輸出しているのは木材や、カカオ・ナッツなどの農産品であるが、これら農林関係の商品は1970年代以降減少し、代わって原油の輸出量が増えており、特に1997年から2000年にかけて急増している。石油と石油製品はナイジェリアのGDPの20%と外貨獲得の95%を担っている。
ラゴスはナイジェリアの商取引の中心でもある。また多くの国の銀行や金融機関が支店をラゴスにおいている。
ナイジェリアの工業生産の50%以上はラゴスの本土側の郊外にある。特にイケジャ地区は工場が多い。機械、輸送機械、電気製品、化学製品、ビール、加工食品、繊維などが生産されている。
[編集] 歴史
ラゴスは元来「エコ(Eko、「キャッサバ畑」の意味)」という名だった。村はベニン王国から来た王族、アドによって建てられた。彼はバロ、アキンセモイン、エレル・クティの3人を生んだ。エコは王宮の建てられた場所だった。エコの南の部分に入植していた元からいた人々は「イサレ・エコ(エコの底)」と呼ばれていた。
エレル・クティは王オログン・クテレを生み、その弟ショクンは王宮の裏に「オニレ・グバレ(地主がお前の土地を一掃する)」という名の族長の邸宅を与えられた。王朝はこうして始まり、王の弟は独自の族長家を王宮の裏で始めた。
今日のラゴスは16世紀にポルトガル人によって建設され、1851年まで奴隷貿易の一大中心地となった。1807年、イギリスが奴隷制の禁止をかかげて西アフリカ沿岸の奴隷貿易港湾を襲い、ラゴスもその手に落ち、1861年公式にイギリス植民地として併合された。今日のナイジェリアの残る部分は1886年に征服され、直轄の植民地であったラゴスと保護領だった南北ナイジェリアが1914年に一つの保護領として成立し、ラゴスがその首都となった。ラゴスはナイジェリア独立後の1960年代からビアフラ戦争に先立つ1970年代前半に掛け、石油生産を中心とした経済好況の結果、急速な発展を遂げ高層ビルが立ち並んた。
1976年、対立しあう北部と南部の中間にあるアブジャにナイジェリアの首都が移転することになった。しかし、ほとんどの政府機関(特に国家の中枢)は、アブジャが十分に開発されていないとの理由でラゴスに残ることとなった。アブジャはアメリカ合衆国のワシントンD.C.やブラジルのブラジリアのような人工的な首都であり、元から街のある通常の首都とは異なり荒地の上に新たに建設されたため、長い間街とはいえないような状態だったからである。1991年、国家の中枢とその他の政府機関がついに新しくできた首都に移り、行政機関とその関係者の大移動が起こった(多くの情報源では、1991年をラゴスが首都でなくなった年としているが、公式には1976年から首都ではなかった)。この変化は、ラゴスからいくらか権威と経済的な影響力を削ぐことになった。しかし、ラゴスが今でも国内最大の都市で経済の中心であるという重要性に変わりはない。
1980年代以降、クーデターが相次ぎ情勢は混乱し、政権は中央から地方まで腐敗したため、石油生産があるにもかかわらずナイジェリア経済は苦しくなった。ラゴスの失業率も高まり、大企業に勤務し邸宅に住むエリートと粗末なスラムに住む人々との格差は大きい。また犯罪率やエイズ感染率も高く、ラゴスの治安はアフリカ最悪級とされバックパッカーやビジネスマンたちの間でも悪名高い。現在は経済再建の途にある状態であるが、拡大し続ける大都市ラゴスの混雑や貧困を解決する余裕はしばらくなさそうである。
[編集] 文化
ラゴスは音楽・ファッション・映画などアフリカ有数の大衆文化の中心地である。また古代以来様々な文明のブロンズなどの彫刻は独特の造形感覚で知られており、20世紀美術に与えた影響も大きい。音楽、舞踊、現代美術など、伝統文化・現代文化でもアフリカの中心の一つである。
ポップ・ミュージックでは、ハイライフなどアメリカや中南米の影響が強い音楽が盛んだが、1970年代以降アメリカの最新のブラック・ミュージックとナイジェリアの各部族の音楽などを融合させた、非常に政治的メッセージの強いアフロ・ビートやアフロ・ファンクなど独自のポップスが広がった。フェラ・クティ、キング・サニー・アデらは世界に影響を与えたミュージシャンである。現在はこれらに加え、ヒップホップが流行しているほか、フジ、ジュジュといった独自のポップスも盛んである。
ファッションでは男女ともゆったりとした衣服に、帽子またはスカーフの伝統的な衣装が主流だが、これにもイスラムや西洋の衣服の影響が大きい。特に女性の衣装の刺繍や染織、プリント布などの装飾性やカラフルさは印象的であり、様々なデザインがラゴスで開発されている。布を自力で大量生産するほどの強力な繊維産業は少なく、布地は近隣諸国やインド・中国からの輸入に頼る面が大きい。
映画製作では、ラゴスは「ノリウッド」と呼ばれアフリカの映画製作中心地となっている。特にビデオテープやビデオCD、DVDといった形態でナイジェリア映画は流通している。
[編集] 姉妹都市
アトランタ、アメリカ合衆国
ブリュッセル、ベルギー
ブカレスト、ルーマニア
コトヌー、ベナン
大邱、大韓民国
モンテゴ・ベイ、ジャマイカ
ニューカッスル・アポン・タイン、イギリス
ニュルンベルク、ドイツ
オリンピア、ギリシャ
ポートオブスペイン、トリニダード・トバゴ
ラーナナ、イスラエル
リオデジャネイロ、ブラジル
サルセド、ドミニカ共和国
ザルツブルク、オーストリア
台北、台湾
トビリシ、グルジア
トゥールーズ、フランス
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- ラゴス州
- ナイジェリア
- バンド・オン・ザ・ラン - Band on the Run - ラゴスでレコーディングされた。
- ライオット・イン・ラゴス(坂本龍一) - ラゴスで起きた暴動を元に作られた曲
[編集] 外部リンク
政府と経済
新聞
教育
- ラゴス大学(英語)
- ラゴス・ビジネススクール(英語) - パン・アフリカン大学
その他