銀行

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銀行(ぎんこう、: bank)とは、以下のようないくつかの意味がある。

  1. 最も広義には、中央銀行特殊銀行などの政策金融機関預貯金取扱金融機関などの総称。
  2. 概ね、預金の受入れと資金の貸出しを併せて行う業者として、各国において「銀行」として規制に服する金融機関。為替取引を行うことができ、銀行券の発行を行うこともある。米国や日本のように証券会社と区別する(銀証分離)国もあれば、欧州諸国のように区別しない(ユニバーサル・バンク)国もある。
  3. 日本の法令上は、広義には銀行法上の銀行(普通銀行)と長期信用銀行法上の長期信用銀行の総称であり、狭義には前者のみを指すが、この場合も、外国銀行支店を含むときと含まないときがある。いずれにせよ、日本銀行特殊銀行協同組織金融機関などは含まない。

本項では2番目の意義について解説する。

銀行の業務[編集]

銀行の業務目的は、第一義的には、市場経済の根幹である通貨の発行である。貨幣機能説によれば、通貨は通貨としての機能を果たすがゆえに通貨であり、交換手段であると同時に価値保蔵手段であり、価値尺度であるという機能をもつ。銀行の受け入れる預金は、まさにこうした通貨としての機能を果たすがゆえに経済社会において重要な預金通貨として流通している。またそれゆえに、政府当局としても、預金通貨の安定を経済政策の根幹においている。預金通貨は銀行の負債であるので、預金通貨の価値の安定のためには、銀行の資産が安定的な価値を有するものでなければならない。このため、金融庁をはじめとする銀行監督当局は、定期検査を通じて、銀行の資産は安全かという点を厳しくチェックする。

銀行業務を行うにあたっては、信用が重要な位置をしめる。そのため、経営が悪くなっても活動を続けることが出来る他の産業とは根本的に異なり、経営が悪くなれば信用がなくなり、あっという間に破綻する。 端的に言えば

「銀行の経営は信用があって成り立つか、融資する価値がないと判断されて成り立たなくなるかのどちらかだ」(モルガン・スタンレー、ローレンス・マットキン)[1]より引用

ということになる。

銀行の3大機能[編集]

資金の貸し手と借り手の仲介をすることを「金融仲介」といい、銀行は預け入れられた資金(預金)を貸し出すことでこれを行っている(→「間接金融」)。銀行から貸し出された資金はやがて再び銀行に預けられ、その預金は再度貸し出しに回される。これが繰り返されることで銀行全体の預金残高が漸増することを「信用創造」という。銀行の預金はまた、財・サービスの取引にかかわる支払いと受け取りにも利用される。A社がB社から100万円の商品を購入し、B社がA社から40万円のサービスを受けた場合、銀行の預金口座ではA社の口座からB社の口座へ差額60万円の移動が行われるだけである。こういった「決済機能」も銀行の重要な機能の1つであり、「金融仲介機能」「信用創造機能」「決済機能」の3つを総称して銀行の3大機能という。これらの機能は銀行の主要業務である「預金」「融資」「為替」および銀行の信用によって実現されている。

銀行の起源[編集]

バンクという語はイタリア語banco(机、ベンチ)に由来する。これはフィレンツェの銀行家たちによってルネサンスの時代に使われた言葉で、彼らは緑色の布で覆われた机の上で取引を行うのを常としていた。ヨーロッパ最古の銀行は1406年(または1407年)にジェノヴァで設立されたサン・ジョルジョ銀行とされている。

金融機能の起源としては両替商が古くからあり、フェニキア人による両替商が知られていた。古くはハムラビ法典には商人の貸借についての規定が詳細に記述されており、また哲学者タレスのオリーブ搾油機の逸話などで知られるように、古代から高度な金融取引・契約はいくつも存在していたと考えられるが、一方で貨幣の取り扱いや貸借には宗教上の禁忌が存在している社会があり、例えばユダヤ教の神殿では神殿貨幣が使用され、信者は礼拝のさいにローマ皇帝の刻印がされた貨幣を神殿貨幣に両替し献納しなければならなかった。ユダヤ・キリスト・イスラム教では原則として利息を取る貸付は禁止されていたので、融資や貸借は原則として無利子(売掛・買掛)であった(ユダヤでは同宗以外への利付貸付は容認されていた)。これらの社会においては交易上の利益は認められていたので実質上の利子は中間マージンに含まれていた。両替商が貨幣の両替において金額の数%で得る利益は手数料であった。

貸付・投資機能が高度に発達したのは中世イタリア、ヴェネツィア、ジェノヴァ、フィレンツェにおいてである。遠隔地交易が発達し、信用による売掛・買掛売買が発達し、有力商人が小口商人や船乗りの決済を代行することから荷為替あるいは小口融資が行われるようになった。中世イタリアのジェノバ共和国の議会は借金の元利支払のための税収を、投資家の組成するシンジケート(Compera)に預けた。1164年には11人の投資家によって11年を期間としたシンジケートが設定されていた。ヴェネツィア共和国の議会は1262年、既存の債務を一つの基金に整理し、債務支払いのために特定の物品税を担保に年5%の金利を支払う事を宣言したが、これは出資証券の形態を取り登記簿の所有名義を書き換える事で出資証券の売買が可能なものであった。中世イタリアの都市国家ではそれぞれの都市の基金が債務支払の担保にあてられた税を管理した。

13世紀頃の北イタリアではキリスト教徒が消費者金融から一斉に撤退し始めるがその理由ははっきりしない。この空白を埋めたのがユダヤ教徒であり15世紀にはユダヤ人金融が隆盛を極める。しかし15世紀後半にはフランチェスコ会の修道士の高利で貧民を苦しめるユダヤ人という説教により次第に衰退し、公益質屋(モンテ・ディ・ピエタ)が作られそのさいモンテ運営を擁護するために伝統的な徴利禁止論を克服する論理を生み出した[2][3]

北イタリアからバルト海にかけ、商人の経済活動が高度化してゆくなかで次第に金融に特化する商人が登場しはじめる。商業銀行と商社は業態的につながりが深いといわれており、英国ではマーチャント・バンクの伝統があり、これは交易商人たちが次第に金融に特化していったものである。日本の総合商社はマーチャントバンクに大変類似しているとも言われる[4]。現在のような形態の銀行が誕生したのは、中世末期のイギリスにおいてである。

イギリスの場合、1650年代には個人銀行の業務がロンドンの商人たちにすでに受け入れられており、満期為替手形の決済に関連した貨幣取り扱い業務の記録が見られるという[5]。彼らの主要な決済手段は(ゴールド)であった。貨幣経済の興隆に伴い商業取引が増大し、多額の金を抱える者が出てきた。金を手元に抱え込むリスクを懸念した金所有者は、ロンドンでも一番頑丈な金庫を持つとされた金細工商(=ゴールドスミス en:Goldsmith)に金を預けることにした。ゴールドスミスは金を預かる際に、預り証を金所有者に渡した(「金匠手形」)。

しばらくして、ゴールドスミスは自分に預けられている金が常に一定量を下回らないことに気付いた。これは、支払いに用いられた金を、受け取った業者がすぐに預けに来ることが原因であった。また、中にはキリのいい単位で金を預け、その預り証をそのまま取引に用いる金所有者も現れた。

ゴールドスミスは、預けられた金を運用しても預金支払い不能にならないことを知り、貸し出し運用を開始した。この過程で生まれた預り証が兌換券としての紙幣である。紙幣(預り証)は金の預金証書であり、価値の裏づけがなされているから価値を持つことが出来た(金本位制も参照)。

また、貸し出した金も再び預け入れられ再度貸し出しに回ることにより、預り証が大量発行され、貨幣経済成長の原動力となった。預り証を保証する金よりも預り証の量が多くなることを信用創造と呼び、現代の金融機関においても重要な機能である。

やがてイギリス全土に同業者が現れ、とくにドイツやオランダから商人たちが流入し決済業務を開始することがイギリスのマーチャントバンクすなわち商業銀行の母体となった。当初はそれぞれが国王から独自に特許を取り預り証を発行していたため、多種多様な紙幣が現れた。しかしフランス革命前後および19世紀初頭にかけ金融システムが混乱することが多く、また金融業者が結託して敵対する金融機関の預り証(銀行券)を蒐集し一度に持ち込み交換を要求することで敵対業者を破たんさせる手口がしばしばおこなわれるようになり、1844年ピール条例によりイングランド銀行以外での銀行券の発行が禁止されることとなった(参照:中央銀行)。それ以外の銀行は、預り証を預かる貯蓄銀行あるいは商業銀行として発展することになる。

増加した貨幣(預り証)の価値を保証しているのは、借手の返済力である。このため、借手の経営が危機に陥ると貨幣も信用を喪失した(金融危機)。そのため19世紀から20世紀初めまで、金融危機に端を発する恐慌が頻発した(1927年の日本における昭和金融恐慌など)。第二次大戦以降はケインズ政策の採用などもあり、先進資本主義国は恐慌を克服したとされていたが、近年のリーマン・ショックを端緒とする世界金融危機などが恐慌と表現されることもある。


日本でも江戸時代には両替商があり、また大商人による大名貸しなど融資業や決済代行業務を請け負った。初の商業銀行は、明治維新後に誕生した第一国立銀行第一勧業銀行を経て、現在のみずほ銀行)となっている。これは日本初の株式会社(解釈により異なる場合があるが)でもあった。なお、明治時代にバンク(bank)を銀行と訳したのは、漢語に依拠している。は漢語で店を意味し、またではなくであるのは(当時東アジアでは銀が共通の価値として通用していたため)金と銀の双方が候補で、一説によれば語呂が良いから銀行とされた[6]という。 日本の企業で、店を意味するを使っているのは銀行と洋行(貿易会社)だけであると言われている。

世界の銀行[編集]

日米のように、銀行について証券業務との兼業を禁止している国もあるが(銀証分離。次節参照。)、欧州ではこれは禁止されておらず、いわば銀行と証券会社が一体となったユニバーサル・バンクが一般的である。なお、現在の日本の銀行については、普通銀行を参照。 また、イスラム諸国にはイスラム金融に特化したイスラム銀行と呼ばれる銀行が存在する。

銀証分離について[編集]

1929年の金融大恐慌を契機に、アメリカではグラス・スティーガル法が制定され、銀行による株式保有が禁止された。これは、預金通貨を発行する銀行が、価格変動のある株式を資産として保有すると、預金通貨の安定が損なわれるためである。しかしながら、日本では、戦後の財閥解体の結果、株式持ち株会社が禁止され、便宜的に銀行が株式を保有するという変則的で異例な措置がとられた。右肩上がりの経済が続く中で、こうした株式保有のリスクは、バブル景気の崩壊まで顕在化しなかったが、平成に入って、株価が暴落を続ける中で、銀行の株式保有制限を行ってこなかった金融当局と株式保有を当然と考えていた銀行経営者は、深刻な事態に陥り、塗炭の苦しみに陥る。こうして失われた10年を通じて、日本は世界の金融界で存在感・発言権を失い、BIS規制や時価会計などを押し付けられ、金融や会計の面での敗戦国ともいうべき屈辱的な地位に甘んずることになる。(出典: 「時価会計不況」(田中弘: 新潮)「不思議の国の会計学」(田中弘: 税務経理協会)を参照)

この間、アメリカを中心にした金融工学デリバティブの発達により、世界の金融界は、「統計学的分析によるリスク管理が、飛躍的なリスク管理の進歩を可能にした」という、一種の幻想に陥り、1999年の金融制度改革法の制定など、リスク軽視による規制緩和の方向に走る。これは、戦後においてモノづくりで日本に負けたアメリカが、1990年代においてITと金融自由化を重点におき、「間接金融から直接金融への転換」(金融ビッグバン)、円キャリー取引により日本から多額の資金を引き出し、世界で投機を行うことで金融覇権をめざすという、いわゆるグローバル資本主義(カジノ資本主義)の国家戦略の一環でもあった。しかしながら、そうしたリスクの商品化の結果、ブラックマンデーアジア通貨危機LTCM事件を経て、ついに2007年にはサブプライム問題が露呈し、アメリカを中心とした先進的と言われてきた金融システムが、極めて脆弱で愚かしい基盤の上に成り立っていたことが明確になり、アメリカの大手投資銀行、保険会社、住宅公社、大手地方銀行が軒並み巨額の不良債権を抱えて破綻し、欧州の銀行も、連鎖的に危機に陥り、世界は金融恐慌に陥っている。こうした中で、日本の銀行は、バブルの反省もあり、比較的傷が小さいことから、いまや国際的な地位は大きく逆転しており、日本の銀行の発言力が相対的に高まっている。(出典: 「カジノ資本主義 -- 国際金融恐慌の政治経済学」(スーザン・ストレンジ: 岩波書店)、「グローバル資本主義 - 危機か繁栄か」(ロバート・ギルビン: 東洋経済新報社)、「グローバル資本主義の暴走と民主主義の終焉」(水野和夫: 中央公論2008.2)、「2008年、連鎖する信用不安」(熊野英生: 中央公論2008.2)、「下村理論で現在を読めば財政均衡が最優先課題だ」(飯倉穣: 2008.2.12エコノミスト)、「アメリカニズムの終焉と世界不況」(佐伯啓思、堺屋太一2008.12中央公論)を参照)

いずれにせよ、銀行の基本は、一般企業のような「利益の拡大」ではなく「安定した預金通貨の発行」である。アメリカの金融システムは、リスク管理を過信すると同時に、株主資本主義の結果、自らの利益拡大を優先し、「安定した預金通貨の発行」のための「健全な資産の保有」という原則を軽視し、株式の保有やサブプライム商品、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)、またSIV(ストラテジック・インベストメント・ビークル)のような抜け道企業を通じたリスクの高い取引などを積極的に拡大した。これは「リスクなくしてリターン無し」という証券投資における現代ポートフォリオ理論にもとづく。しかし、これに経済学における完全競争市場モデルを加味すると、理論的には「リターン-リスク=ゼロ」になるまで競争は続くので「リスクをとって収益を得る」というビジネスモデルでは銀行は収益を得られず、経営は成り立たない。実際にも、過当競争の結果、理論値をさらに超えて、リターンを上回る過大なリスクをとってしまうという「リスクテイクバブル」を惹起し、これが相次ぐ欧米銀行破綻の原因となった。その意味で、今後は、取引先を適正に指導してリスクを軽減し、取引先の健全な発展のサポートをするという、「リスクの軽減」を基本とする本来の商業銀行のあり方に回帰することが必要である。今後銀行について考える際には、こうした銀行の本来業務は何かという議論が重要となるだろう。(出典: 「すべての経済はバブルに通じる」(小幡績: 光文社)、「なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか - 信用バブルという怪物」(チャールズ・R・モリス: 日本経済新聞社)、「強欲資本主義ウォール街の自爆」(神谷秀樹: 文書新書)を参照)

脚注[編集]

  1. ^ 「ベアー買収の動揺、欧州に波及 破綻の危機にある金融機関はいくつあるのか」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年3月27日付配信
  2. ^ 「中世イタリアのユダヤ人金融」大黒俊二(大阪市立大学大学院文学研究科教授2004.3.9)[1][2]
  3. ^ 「嘘と貪欲」大黒俊二[3]P.105以降に詳しい。
  4. ^ 「マーチャント・バンク」山本利久(新潟産業大学経済学部紀要 弟29号)[4]
  5. ^ 「銀行業の発展と銀行自己資本の意義」北野友士(経営研究第58巻第3号)[5][6]PDF-P.3
  6. ^ 日本銀行ホームページ/教えて!にちぎん銀行はなぜ「銀行」というのですか?
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]