みずほフィナンシャルグループ

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株式会社みずほフィナンシャルグループ
Mizuho Financial Group, Inc.
Mizuho Bank logo.svg
種類 株式会社持株会社
市場情報
東証1部 8411
NYSE MFG
略称 みずほFG、MHFG
本社所在地 日本の旗 日本
100-8333
東京都千代田区大手町一丁目5番5号
大手町タワー
北緯35度40分48.1秒 東経139度45分47.5秒 / 北緯35.680028度 東経139.763194度 / 35.680028; 139.763194
設立 2003年1月8日(FG)
2000年9月29日(HD)
業種 銀行業
事業内容 子会社の経営管理・戦略統括
広報,採用
代表者 佐藤康博(取締役社長)
資本金 2,254,972百万円(連結)
2,254,972百万円(単体)
(2013年3月31日現在)
売上高 2,913,005百万円(連結)
262,180百万円(単体)
(2013年3月31日現在)
総資産 177,411,062百万円(連結)
6,202,149百万円(単体)
(2013年3月31現在)
決算期 毎年3月31日
主要子会社 みずほ銀行
みずほ信託銀行
関係する人物 西村正雄 (みずほHD初代会長)
杉田力之 (みずほHD初代社長)
山本恵朗 (みずほHD初代会長)
前田晃伸 (初代社長)
杉山清次 (初代副社長)
外部リンク www.mizuho-fg.co.jp
特記事項:経営指標はいずれも2010年3月期決算・連結[1]
社長は、2011年6月21日付で就任
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初代本社所在地の丸の内センタービル
二代目の本社所在地のみずほ銀行大手町本部ビル
(旧富士銀行本店、2009年に解体)
3代目本社が入居していた丸の内二丁目ビル(旧・文部科学省ビル)

株式会社みずほフィナンシャルグループ英称Mizuho Financial Group, Inc.)は、東京都千代田区に本社を置く日本銀行持株会社。略称はMHFG。

概要[編集]

かつての第一勧業銀行富士銀行日本興業銀行およびその関連企業を合併・再編したことによって2000年に発足したみずほホールディングス(現・みずほフィナンシャルストラテジー)の子会社として2003年1月に発足し、同年3月に親子関係を逆転して、みずほグループの統括企業となった(同時に、現在のみずほ信託銀行が合併により発足している)。

また、同社を親会社とするみずほ銀行みずほ信託銀行みずほ証券の金融関係の企業からなる企業グループのことも指す。グループ全体によるブランドスローガン2013年から、「One MIZUHO」が設定されている。各事業子会社を通じて銀行信託証券・資産運用・クレジットカードなどの業務を提供しており、法人融資先は10万社超、個人預金口座数は2,600万口座に上り、総資産154兆円を抱える[2]

三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)、三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)とともに、3大メガバンクの一角を占める。2007年現在、総資産預金量時価総額などの点で、SMFGに次ぐ日本第3位の金融グループであり[3]、世界的な銀行の中では、総資産・時価総額で第10位にランクインしている[4]フォーブス世界企業総合番付2007(Forbes Global 2000)では、トヨタ自動車、MUFG、NTTに次ぐ日本第4位(世界59位)となった[5]

米格付け会社ムーディーズは2010年2月に入り、りそなホールディングス傘下の3行(りそな銀行、埼玉りそな銀行、近畿大阪銀行)の財務格付けを、従来の「Dプラス」から「Cマイナス」に引き上げた。これにより、ムーディーズの財務格付けで、りそながみずほフィナンシャルグループ傘下の3行(いずれもDプラス)を上回ることになった[6]

2013年7月1日、傘下行であるみずほコーポレート銀行がみずほ銀行を吸収合併し、行名をみずほ銀行に改称した[7]

歴史[編集]

年表[編集]

発足以前の歴史は第一勧業銀行富士銀行日本興業銀行の各項を参照。

母体行[編集]

2001年3月期連結決算(単位億円)[10]
行名 第一勧業銀行 富士銀行 日本興業銀行
粗利益 7,582 9,343 3,820
純利益 848 800 619
総資産 528,336 625,768 447,751
預金残高 338,831 372,901 87,828
貸出金残高 315,509 373,817 230,817
不良債権額 16,598 12,271 13,086
公的資金注入額 9,000 10,000 6,000
設立 1971年(合併) 1880年 1902年
行員数 14,714 12,940 4,414
国内拠点数 363 306 24

第一勧業銀行(第一勧銀)、富士銀行日本興業銀行(興銀)の3行を主たる前身とする。他の邦銀同様、バブル景気崩壊後の1990年代にあって、いずれも1兆円を超す不良債権を抱えていた。

富士銀行は、融資先の芙蓉グループ各企業が弱体化、親密な山一證券が破綻し、丸紅日産自動車の経営不安が囁かれ、ゼネコン会社更生法申請が相次いだ。公的資金の注入額は銀行最多の1兆円に達した。1998年には系列の安田信託銀行の救済にあたって第一勧銀の協力を得ており、また傘下の勧角証券の大株主だったこともあり、かねてから「合併の第一候補としてはまず第一勧銀」(山本惠朗頭取)と公言していた[11]

一方、第一勧銀1997年野村證券などとともに総会屋事件への関与が発覚し、外資系金融機関と提携してリテールでの活路を模索していた。だが、投資信託販売を巡ってJPモルガンとの交渉が難航し、先行きは不透明なものになっていた。富士銀行の送る秋波は第一勧銀にとっても利害が一致する点はあったものの、「業務内容に大差がない都銀合併では効果が薄い」としており、法人部門の競争力で外資系にやがて競り負ける危惧があった[11]

リテールを目指す都市銀行に対し、長期信用銀行である興銀は法人部門に経営資源を集中させ、野村證券と提携して投資銀行への転換を図った。しかし、既に同じ長信銀の日本長期信用銀行日本債券信用銀行は破綻しており、東京三菱銀行金融債の発行を停止すると発表し、ビジネスモデルでは孤立状態になった[12]

当時は財務体質が優良な東京三菱、効率経営と大和証券との提携で総合金融グループ化を図る住友銀行が都銀の勝ち組と見なされていた。これらのようには財閥グループ色が強くなく、大和銀行東海銀行あさひ銀行のように特定地域に依存することなく、かつ三和銀行のように強烈な行風でもない3行は、弱みを補完し合い、世界最大の金融グループへ一気へのし上がれるという点でも互いに理想的な相手だった。特に、合併行で自己主張に弱い第一勧銀が富士と興銀を結ぶ役割を果たした。1999年8月19日日本経済新聞が夕刊で「興銀・一勧・富士銀、世界最大金融グループに」とスクープを放った[11]

経営統合[編集]

銀座中央支店

1999年8月20日、3行の頭取らが帝国ホテルで共同記者会見を開き、経営統合の合意を発表した。総資産140兆円を超える、世界最大にして世界初の総資産1兆ドル金融グループが誕生することとなった。日本初の銀行持株会社による統合であり、当時一般にはあまり馴染みの無かったこと、合併分割による2行体制への再編、圧倒的な規模から数多くの話題を呼び、大手銀行の大再編へ先鞭を付けた[12]。前身行は第一勧銀、芙蓉、興銀各企業グループを率いており、あまりの大きさに公正取引委員会は「融資先への影響力が大きく、営業次第では不公正ともなる」という異例の公式見解を表明した[13]

その規模ゆえ発足当時は「時価総額でグローバルトップ5を目指す」とするなど調子もよく、実際にムーディーズは3行の信用格付けを統合発表後引き上げる方針だった。産業界からのコメントは「競争力向上に期待」「金融不安を正常化」など概ね好意的なものであり、金融担当大臣柳澤伯夫は「前向きな戦略を自発的に打ち出すのは素晴らしいこと」と賛辞を贈った。一方で、ウォールストリート・ジャーナルアジア版では「相撲と同様、胴回りだけでチャンピオンになれるわけではない」と冷静な分析もなされた[12]

経営統合を控えた2000年3月には旧3行が共同でキャッシュカードを発行、4月には間でCD・ATMの相互無料開放を開始し、5月には共同ベンチャーファンドを設立(当時はインターネット・バブルがピークだった)、音楽配信なども手がけるポータルサイト「エムタウン」を開設したりした[14]。また、ネット専業証券会社の設立も計画されたが、実現には至らなかった。

2000年9月、合算時価総額7兆4,115億円の共同持株会社「株式会社みずほホールディングス」が正式発足し、本社は丸の内センタービル(みずほ銀行丸之内支店(当時は第一勧業銀行丸之内支店)が入居している[注 2])に置かれ[15]証券コード8305で東京証券取引所市場第1部に上場した[16]。翌10月には「統合第1フェーズ」としてみずほ信託銀行・みずほ証券・みずほインベスターズ証券が発足。一方で2001年、富士銀行が1984年に買収した米国の金融会社ヘラーをGEキャピタルに、第一勧銀が1989年に買収した同CITをタイコに売却するなど、バブル崩壊以前に獲得した海外企業を手放している。

2002年4月、「統合第2フェーズ」として3行を合併・分割し、みずほ銀行・みずほコーポレート銀行が発足した。両行では、営業初日からATM決済でシステム障害が発生した。システム障害はみずほに先立って2002年1月に合併したUFJ銀行でも発生していたが、みずほでは個人・法人双方における金融インフラとしての規模の大きさから混乱が深刻化し、250万件の口座振替が遅延した[17]。また、原因究明の過程で、当初は第一勧銀のシステムに一本化する方針だったものが、3行の主導権争いの結果、旧システムを残したまま中継コンピュータで間に合わせる手法を採用した経緯が明らかになった。金融庁から業務改善命令を受けたこともあり、合併早々から社会的イメージが急激に悪化[18]しただけでなく、個人顧客1割を失う[19]

合わせて不良債権問題が進むにつれて、実体的にも経営状態は深刻化していった。同時に口座開設数も軒並み減少した。

不良債権処理[編集]

2002年10月以降、竹中平蔵金融担当大臣が策定した金融再生プログラム、通称「竹中プラン」に従い不良債権処理に乗り出したが、処理損失が大幅に拡大。2003年3月期には日本企業として過去最悪の2兆3700億円の赤字決算となることが確実になる[20]。これを受け、取引先企業を引受先とする1兆2,000億円もの大規模な増資を実施した。銀行が取引先に助けを乞う格好は「奉加帳増資」「優良企業の足を引っ張る」とも言われ[21]、その規模や性格から多くの批判を集めた[22]。 1兆円増資には、引受額順に、第一生命安田生命損保ジャパン富国生命伊藤忠商事関西電力清水建設セイコーエプソン大成建設電源開発東京電力丸紅電通日動火災富士通新日本製鐵全日本空輸NTTドコモぎょうせいコクド日立製作所資生堂キヤノン九州電力コスモ石油三共新日鉱ホールディングス西武鉄道中部電力JR東海東北電力NTTJR東日本富士電機明治生命(50億円以上を抜粋)など、母体行の企業グループを中心に幅広い業種から3,436社が応じた[23]。 同時期に、みずほホールディングスは「みずほフィナンシャルグループ」を新設し、中間持株会社に転換するグループ再々編計画が出された。これは、持株会社ごとに赤字子会社と黒字子会社を振り分けることで、配当の原資を捻出する狙いが合った[24]。無配が続くと、公的資金注入で国が保有する優先株が普通株に転換され、国有化されてしまうためである(これは後にりそなホールディングスで現実のものとなる)。また、「企業再生プロジェクト」として再生専門子会社4社を設立し、不良債権を移管、日本政策投資銀行や外資系証券の協力を得て再建に乗り出した[25]。 一方、こうした再建スキームを株式市場は評価しなかった。みなし5万円額面のみずほ株は連日安値を更新し、2003年4月には額面割れ寸前の一時5万8,300円を付け[26]、破綻や公的資金による国有化も噂された[27]週刊新潮には「竹中(平蔵)失言 "みずほはシティバンクに売却"」と書き立てられたり[28]、一般各紙でもみずほに対して悲観的な見方が大勢を占めた。株式時価総額で、消費者金融大手の武富士を下回る日もあった[29]。 結果的には、1兆円増資が緩衝剤となって、経営不振の取引先への再生支援などが進展。2003年から2004年を谷として、これ以後は業績回復が続く。みずほ銀行本店ビルを外部の不動産信託中間法人に1,050億円で売却したり、みずほ銀行大手町本部ビルを隣接する大手町フィナンシャルセンタービル(みずほ銀行(旧富士銀行)と損保ジャパン(旧安田火災)が区分所有)と共に東京建物特定目的会社に総額1,450億円で売却する[30][31][注 3]など、資産の売却や劣後債なども進めて資本を積みますと同時に、傘下のみずほ銀行の勘定系システム統合や店舗の統廃合によって経費も削減された。また、「みずほダイレクト」「みずほマイレージクラブ」の新商品を開発したり、みずほインベスターズ証券との共同店舗の設営など、現在のリテール方針の基礎が整い始めるのもこの頃である。

2004年12月24日、旧興銀が住専破綻処理を巡り国税庁を相手取って提起した訴訟の上告審判決が出た。興銀は1996年に日本ハウジングローンの債権を放棄、損金処理を実施したが、国税庁はこれを認めずに追徴課税を行った。これを不服とする興銀は東京地方裁判所に提起し、一審では敗訴したものの、控訴審で逆転勝訴、最高裁まで争ってついに勝訴が確定した。総額3,180億円がみずほに還付され、予想外の利益(「クリスマスプレゼント」[32])を持ち込んだ。こうした要因が重なり、不良債権比率は劇的に縮小。2005年3月期決算では、繰延税金資産の対中核自己資本比率、貸出に占める不良債権比率は三菱東京・三井住友FGを下回り、メガバンク首位の優良な財務体質に転換した[33]。これは、竹中プランを主軸とした金融庁に抵抗し不良債権処理を遅らせ、機動的な資本政策が取れず、ついには三菱東京フィナンシャル・グループに救済される形となったUFJや、預金保険機構から多額の公的資金の注入を受け、実質国有化されたりそなとは対照的である。 上記増資の引受け企業の数からも計り知れるが、あるいは後述の通り、みずほには広い法人顧客基盤があったことが、景気後退局面での弱みであり回復局面での強みになった[21]。事実、不良債権処理の方法には、債務の放棄・売却や破産申請により貸出先との関係を清算する(最終処理)か、支援を継続して正常債権に上方遷移させるかの2通りがあるが、みずほは主に後者で対応し、2年間で90%の圧縮に成功した[33][34]

Channel to Discovery[編集]

経営が一定度安定した2005年4月には中期経営戦略を発表し、不良債権処理に伴って複雑化したグループ機構の簡素化、公的資金の早期完済、ニューヨーク証券取引所(NYSE)への上場とコンプライアンスの徹底、プライベート・バンキング社会的責任などの充実を掲げた。2006年7月4日には傘下行に注入された公的資金(総額2兆9,490億円)を完済[35]。この時期にみずほ株は100万円前後の値を付け、3年で底値から18倍近い上昇を遂げた[26]。さらに同年11月8日をもって、NYSEへ上場した[36]1989年三菱銀行に続くものであり、バブル崩壊後初の邦銀進出となった。みずほコーポレート銀行は2006年中に海外5拠点を新設し、みずほ銀行は国内で芦屋市への再進出を始めとしてみずほインベースターズ証券のみずほ銀行内拠点「プラネットブース」設置数を増加させた。こうして金利収入・非金利収入は引き続き伸長したものの、大口融資先であったオリエントコーポレーションの赤字転落に伴い、再び引当金の積み増しを迫られ、2007年3月期決算では4期ぶりの減益となった[37]。同時に、2006年3月のゼロ金利政策解除が逆風となって、利鞘収益の改善期待により上昇していた株価は失速し、70 - 80万円台で推移した[38]。一方、優先出資証券による増資で自己資本比率が12.48%に改善したこともあり[37]、ムーディーズによる格付は2006年5月7日にAaに引き上げられた[39]

サブプライムローン問題[編集]

2007年夏、米国を震源地としてサブプライム住宅ローン危機による金融市場の混乱が各国に広がった。日本企業では、海外展開や投資銀行業務での先行が裏目に出たみずほがサブプライム関連損失額で最悪となった。

損失の中心となったのはみずほ証券のロンドン法人で、サブプライム関連の証券化商品を組み込んだ債務担保証券を組成し投資家に販売する業務を手掛けていた[40]。 他社はハイリスクすぎて手が出せなかったというこの大量の在庫に値崩れが直撃し、売却損、与信費用、引当金などにより多額の損失が発生。銀行部門で2,080億円、証券部門で4,040億円の損失を計上した。このため、実質業務純益や預貸金利回差が改善したにもかかわらず、最終利益は前期の半分となる3,112億円にとどまった。


サブプライム問題を巡っては、日本の金融機関として唯一G7財務大臣・中央銀行総裁会議の拡大会合に招待され、各国大手と解決へ向けての協議に参加した[41]。サブプライム問題の日本代表となった形だが、社長の前田晃伸は通期決算発表で「こんなこと(サブプライム問題)で日本一になり恥ずかしい」とのコメントを残している[42]。欧米金融機関が多額の損失を出す中で、邦銀が出し抜く好機とも見られていたが、みずほはメリルリンチに1,200億円を出資するに留まっている。[40]

また、2003年の1兆円増資によって発行した優先株が2008年より普通株転換可能となることから、株式の希薄化が懸念されている。みずほでは対策として累計9,500億円にのぼる自社株買いを計画し、既に2007年度実施分で日本企業トップとなっている[43]。サブプライム問題の反面、こうした資本政策や経営透明化策のため、英金融専門誌『The Banker』による「Bank of the Year 2007」日本部門に選出され[44]、また米機関投資家情報誌『Institutional Investor』による「日本の最優秀CEO」銀行部門第1位に前田晃伸が選ばれるなどした[45]

会社の現況 (2013年3月31日現在)[編集]

株式の状況[編集]

  • 発行可能株式総数 - 52,369,512,000株
    • 発行可能普通株 - 48,000,000,000株
    • 発行可能第11種優先 - 1,369,512,000株
    • 発行可能第12種優先及び第13種優先 - 1,500,000,000株
    • 発行済普通株 - 24,164,864,477株
    • 発行済第11回第11種優先 - 914,752,000株
    • 発行済第13回第13種優先 - 36,690,000株
  • 2012年4月1日~2013年3月31日までに、第11回第11種優先株33,014,000株の取得により、普通株116,698,750株増加
    • 普通株主数 - 952,980名
    • 第11回第11種優先株主数 - 1,436名
    • 第13回第13種優先株主数 - 48名
  • 普通株主数には、単元未満株主26,443名は含まれていない

大株主(上位10企業)[編集]

株主名 株数 持株比率(%)
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 1,198,328,400 4.96
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 856,286,800 3.54
SSBT OD05 OMNIBUS ACCOUNT-TREATY CLIENTS
(常任代理人/香港上海銀行)
580,161,730 2.40
バークレイズ証券株式会社 360,000,000 1.49
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口9) 299,810,500 1.24
第一生命保険株式会社 255,691,025 1.05
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口4) 244,388,600 1.01
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口1) 232,021,500 0.96
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口6) 225,430,500 0.93
野村證券株式会社 217,296,500 0.89
  • 自己株式19,824,922株を保有しているが上位10名の株主からは除外

第11回第11種優先株(上位10名)[編集]

株主名 株数 持株比率(%)
丸紅株式会社 14,500,000 4.25
清水建設株式会社 10,000,000 2.93
電源開発株式会社 10,000,000 2.93
JFEスチール株式会社 6,000,000 1.76
全日本空輸株式会社 6,000,000 1.76
第一三共株式会社 6,000,000 1.76
キヤノン株式会社 5,000,000 1.46
九州電力株式会社 5,000,000 1.46
コスモ石油株式会社 5,000,000 1.46
株式会社資生堂 5,000,000 1.46
  • 自己株式株574,087,800を保有しているが上位10名の株主からは除外

第13回第13種優先株(上位10名)[編集]

株主名 株数 持株比率(%)
日清食品ホールディングス株式会社 6,500,000 17.71
NIPPON OIL FINANCE B.V.新日本石油子会社)
(常任代理人 株式会社みずほコーポレート銀行)
6,000,000 16.35
株式会社資生堂 5,000,000 13.62
シャープファイナンス株式会社 5,000,000 13.62
株式会社コーセー 2,500,000 6.81
株式会社大林組 2,000,000 5.45
ヤンマー株式会社 2,000,000 5.45
株式会社フジ・メディア・ホールディングス 1,000,000 2.72
倉敷紡績株式会社 500,000 1.36
コーナン商事株式会社 500,000 1.36

重要な子会社の状況[編集]

会社名 資本金(百万円) 議決権比率(%) 事業内容
株式会社みずほ銀行 700,000 100.00 銀行業務
株式会社みずほコーポレート銀行 1,404,065 100.00 銀行業務
みずほ信託銀行株式会社 247,369 100.00 信託業務及び銀行業務
みずほ証券株式会社 125,167 95.80 証券業務
資産管理サービス信託銀行株式会社 50,000 54.00 信託業務及び銀行業務
みずほ信託投資顧問株式会社 2,045 98.70 投資信託委託業務及び投資顧問業務
DIAMアセットマネジメント株式会社 2,000 50.00 投資信託委託業務及び投資顧問業務
みずほ情報総研株式会社 1,627 91.50 情報処理サービス業務
みずほ総合研究所株式会社 900 98.60 シンクタンク・コンサルティング業務
株式会社みずほプライベートウェルスマネジメント 500 100.00 コンサルティング業務
株式会社みずほフィナンシャルストラテジー 10 100.00 コンサルティング業務
株式会社オリエントコーポレーション 150,006 24.68 信販業務
みずほ信用保証株式会社 13,281 100.00 信用保証業務
確定拠出年金サービス株式会社 2,000 60.00 確定拠出年金関連業務
みずほファクター株式会社 1,000 100.00 ファクタリング業務
みずほキャピタル株式会社 902 49.99 ベンチャーキャピタル業務
ユーシーカード株式会社 500 38.99 クレジットカード業務
みずほインターナショナル 399,809
(2,795百万スターリングポンド)
100.00 証券業務及び銀行業務
ジョイント・ストック・コマーシャル・バンク・
フォー・フォーリン・トレード・オブ・ベトナム
104,283
(23,174,170百万ドン)
15.00 銀行業務
みずほコーポレート銀行有限公司 98,410
(6,500百万人民元)
100.00 銀行業務
オランダみずほコーポレート銀行 17,107
(141百万ユーロ)
100.00 銀行業務及び証券業務
米国みずほ証券 15,658
(166百万米ドル)
100.00 証券業務
インドネシアみずほコーポレート銀行 12,838
(1,323,574百万ルピア)
98.99 銀行業務
米国みずほコーポレート銀行 9,255
(98百万ドル)
100.00 銀行業務
スイスみずほ銀行 5,268
(53百万フラン)
100.00 銀行業務及び信託業務
ルクセンブルグみずほ信託銀行 9,868
(105百万米ドル)
100.00 銀行業務及び信託業務
米国みずほ信託銀行 3,087
(32百万米ドル)
100.00 銀行業務及び信託業務
みずほキャピタル・マーケッツ・コーポレーション 0
(3千米ドル)
100.00 デリバティブ業務

主要な借入先の状況[編集]

借入先 借入金残高(百万円)
株式会社みずほ銀行 600,000
株式会社みずほコーポレート銀行 46,995

企業集団の使用人の状況[編集]

グローバルコーポレートグループ グローバルリテールグループ グローバルアセット&
ウェルスマネジメントグループ
その他
20,117 24,109 5,447 5,819
  • 使用人数は、海外現地採用者を含み、嘱託及び臨時従業員は含まれていない

みずほFG及び銀行業を営む使用人の状況[編集]

平均人数 平均年齢 平均勤続年数 平均給与月額
30,742 37年6月 14年2月 442千円
  • 平均給与月額は、3月中の税込給与平均であって、賞与は含んでいない
  • 使用人数には、嘱託及び臨時従業員は含んでいない

グループ企業[編集]

関連項目: Category:みずほフィナンシャルグループみずほグループ

みずほ銀行[編集]

One MIZUHO」スローガン設定の下、2013年7月1日、傘下行であるみずほコーポレート銀行がみずほ銀行を吸収合併し、行名をみずほ銀行に改称した[46]

UCカード[編集]

UCカード2005年10月1日付で会社分割により新設されたもので、クレジットカードのプロセシングおよび加盟店の各事業を行う。プロセシングとは、クレジットカードの決済事務処理であり、クレディセゾンおよびUCカードグループが発行するUCカードに関する業務と、国際カードを発行する権利を有しないクレジットカード会社に加盟店の開放を行い、発行されるMasterCardVISAの各ブランドのクレジットカードの売上処理等を受託している。現在、プロセシング部門はキュービタスに分割・譲渡したため、ユーシー社は加盟店部門のみを担当している。

会員事業が残された(旧)ユーシーカード株式会社は2006年1月1日クレディセゾンに吸収合併された。

みずほキャピタル[編集]

みずほキャピタルベンチャーキャピタルである。みずほ銀行、みずほコーポレート銀行などと連携し、純投資としての未上場企業への出資からコンサルティング業務までを取り扱う。13の投資事業組合を傘下に置く。2008年3月時点で、国内外の1,086社に総額460億円を投資しており、これまで748社が新規株式公開に至っている[47]

アセット&ウェルスマネジメント[編集]

グローバルアセット&ウェルスマネジメントグループ(GAWG)は、信託業務を中心として個人・法人の資産管理、運用を行う。

みずほ信託銀行[編集]

みずほ信託銀行本店
新呉服橋ビルディング

みずほ信託銀行は、富士銀行系列の安田信託銀行を主な前身とする信託銀行である。芙蓉グループに属したものの、かつては独立した信託銀行だった。1996年に不良債権問題が深刻化し、同根の富士銀行に救済子会社化され、再建処理に第一勧銀が共同であたったことから、みずほインベスターズ証券とともに経営統合の契機となった会社である[12]

旧安田信託時代から住友信託銀行とともに不動産分野に強みを持っており、不動産信託では受託残高で20%超のシェアをもち首位である[48]。また、みずほ銀行・みずほコーポレート銀行と信託代理店契約を結んでおり、顧客基盤の共有やみずほプライベートウェルスマネジメントへの紹介、証券化業務の拡大を進めている。企業融資など銀行業としての役割は他2行に移行し、自身は徐々に信託特化へ動いている。このため、利益に占める信託報酬などの手数料収入が、融資業務による資金利益の2倍近くに達しており、この比率は大手信託銀行で最も大きい[49]

資産管理サービス信託銀行[編集]

資産管理サービス信託銀行は、みずほと親密な第一生命保険朝日生命保険明治安田生命保険富国生命保険が共同で設立したマスタートラスト専門の信託銀行である。マスタートラストとは、投資信託年金基金などを受託した機関投資家が、管理機能の簡素化のため、信託財産として保有する株式を他の金融機関と共同で一本化し預託する仕組み。

2007年3月末で預り資産残高が200兆円を超え、業界トップの実績となった。みずほグループが株式の過半数(54%)を保有している。

みずほプライベートウェルスマネジメント[編集]

みずほプライベートウェルスマネジメントは、「"Channel to Discovery" Plan」の一環で2005年に新設されたプライベートバンキング(富裕層向け資産保全・運用業務)を取り扱う。みずほ銀行やみずほ信託銀行、みずほインベスターズ証券に5億円以上の資産を預ける顧客を対象としている。みずほ銀行内幸町本部ビルに同居している。

資産運用2社[編集]

みずほ投信投資顧問DIAMアセットマネジメントの2社を指す。特に、第一生命保険との折半出資であるDIAMは、年金受託に優位性があり、2000年以降国内の資産運用会社中首位を維持している。

みずほ投信投資顧問は、第一勧業アセットマネジメントと富士投信投資顧問の2社が、2007年7月に合併したもの。2社合算の投資信託運用残高は1兆7,083億円で、日本第7位の規模である[50]

グループ戦略子会社[編集]

グループ戦略子会社は、シンクタンク事業やシステムインテグレーションなど、金融業務に付随する調査・開発を受け持つ。具体的には、第一勧銀経営センターなどのコンサルティング業務を承継したみずほ総合研究所、勘定系システムほか外部企業からの委託開発なども受け持つみずほ情報総研、中間持株会社だったみずほホールディングスが商号・業態を転換し、地方銀行へのアドバイザリーを行うみずほフィナンシャルストラテジーの3社が含まれる。

役員[編集]

2000年のみずほホールディングス発足時には、第一勧銀会長兼頭取の杉田力之が社長に、富士銀頭取の山本惠朗と興銀頭取の西村正雄が会長に就任し、対外的には3人揃って共同CEO(Co-CEO)という肩書きを名乗っていた。

杉田は2002年以降も留任する意向だったが、その在職期間中に業績が急激に悪化、株価も大幅に下落し、杉田自身も体調を崩して入院したため、退任を余儀なくされた。当初は3人を「特別顧問」の地位で残す方針もあったが、これも撤回されたのに加え、退職金も支払われなかった。経営責任の明確化、順送り人事の廃止によるコーポレートガバナンス向上を求める市場からの圧力の結果、最終的には9人の役員全員が退任した[51]

ブランディング[編集]

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コズミックブルー ホライズンレッド
瑞穂

ブランディングはインターブランドが手がけた[52]。「みずほ・みづほ(瑞穂)」は、みずみずしいの穂を意味する。この言葉は「葦原千五百秋瑞穂国」として日本書紀にも登場し、実り豊かな日本を形容した[注 4]。「日本を代表する金融グループを目指す」との願いを込めて、社員からの公募により策定[53]ブランドカラーは〈みずほコズミックブルー〉と〈みずほホライズンレッド〉。ロゴマークの赤い円弧は太陽出づる地平線を表す。

「みずほ」は、かつて存在した「さくら銀行」「あさひ銀行」と同じく平仮名大和言葉銀行であり、日本語話者に奥行きある語感を与える。特に「軽快さ」の印象が強く、次いで「鋭さ・強さ」「庶民性・適応性」「清潔・健康」「静的」な感じがあり、2003年当時の5都銀の名称中で最も訴求力に優れていると分析されている[54]

発足から間もない頃は、Mizuhoの頭文字「M」と、地球をモチーフとした円弧から成るロゴを使用していた[55]。早い段階で統合を済ませたみずほインベスターズ証券などの店舗看板に見られた時期があったが、2001年10月11日に現行のロゴを発表[56]、今では全く使用されていない。

旧財閥系の名前を残した三菱東京UFJ銀行三井住友銀行と比べてブランド力や知名度に劣るとされていたが[57]イギリスの金融専門誌「The Banker」2006年11月号による格付ではブランド価値60億9,000万ドルで、邦銀首位の第22位にランクインした[58]。なお、三菱UFJは第34位、三井住友は第35位となっている。

ブランドステートメント[編集]

Value Communication 
お客さまの夢や歓びを、お客さまとわかちあうこと。2002年 - 2005年[56]
Channel to Discovery 
より良い未来をつくる金融であるために。2005年 - 2013年
One MIZUHO 
未来へ。お客さまとともに 2011年 - 2013年(サブスローガンとして)
One MIZUHO 
未来へ。お客さまとともに 2013年 -

社会事業[編集]

近年の金融教育の高まりに合わせて、各大学への支援・協賛活動に力を入れている。

2006年3月24日早稲田大学政治経済学部を皮切りに、一橋大学商学部慶應義塾大学商学部、東京大学経済学部法科大学院京都大学経済学部に寄付講座を開設した。特に東京大学の場合は、合わせて2007年に新設される金融学科にも資金拠出を行い、東大経済学部に88年ぶりに新学科が設置される運びとなった[59]。なお、みずほグループは東大生の最多就職先でもある[60]

また、教員養成系の東京学芸大学とは、より低年齢の小中学生を対象とした金融教育で共同研究を行っている。こちらは投資手法を教えるのではなく、クレサラ問題や金融犯罪などの学習を中心としている。

このほか、旧富士銀行時代の1968年から、損保ジャパン(当時は安田火災)・明治安田生命(当時は安田生命)、第一生命と共同で、全国の小学校に入学する新1年生を対象に交通安全のための「黄色いワッペン」を配布している。ただのワッペンではなく、交通事故を対象とした有効期間1年の傷害保険付のもの(ただし、保険適用は学校が定めた通学路において登下校時に発生した事故のみ)。これまでに手にした児童は累計5,000万人を数える[61]

東京国際マラソンスポンサー2000年2001年に務めた。

アメリカ同時多発テロ[編集]

みずほフィナンシャルグループ本社前の慰霊碑

経営統合を目前にした2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件により、世界貿易センタービル(WTC)南棟に入居していた富士銀行ニューヨーク支店の23名(うち日本人行員12人)が死去・行方不明となった。旅客機が突入したのは南棟の78-85階部分であり、同支店は丁度79-82階の4フロアを占めていた。日本企業としては最悪の犠牲者数であった。第一勧銀興銀もWTCに入居していたが、死者はなかった。

9月21日には、当時のみずほホールディングスが、救援活動を支援するため、日本赤十字社に100万米ドルの寄付すると発表した。あわせて取引先等からの激励や見舞い、現地での直接の支援を受けていることに対して感謝の旨を記した[62]

事件から4年を経た2005年9月11日、みずほフィナンシャルグループ本社(旧富士銀行本店)前に、事件のメモリアルとしての追悼モニュメントが設置された。母子像を中心とするブロンズ像と、ニューヨーク消防当局から寄贈されたWTCビルの鉄骨が展示されており、その隣には犠牲者の氏名が刻まれている[63]

親密・提携関係の金融機関[編集]

生命保険・損害保険[編集]

旧興銀は第一生命保険1998年から全面提携を締結し、現在も継続されている。第一生命は損害保険ジャパンとも提携しているが、こちらも前身の旧安田火災が富士銀系、旧日産火災が第一勧銀系であり、丁度みずほFGに対応している。みずほグループの銀行・生保・損保というと、この3社が代表である[64]

第一生命との共同出資会社にDIAMアセットマネジメント、さらに損保ジャパンを加えたみずほ第一フィナンシャルテクノロジーがある。

根津財閥古河財閥の流れから第一勧銀グループに属した富国生命保険朝日生命保険とも親密である。これらは資産管理サービス信託銀行に出資している。

東京海上日動火災保険は旧日動火災が富士銀系であったが、旧東京海上は三菱グループであり、みずほグループには他にも上のような保険会社があることから関係は疎遠となっている。同じく明治安田生命保険も旧安田生命が富士銀系であったが、旧明治生命が属する三菱色が強い。ただし、いずれも芙蓉懇談会のメンバーは続けており、またそもそも三菱グループの保険会社は三菱UFJフィナンシャル・グループなど他の三菱系金融グループと必ずしも親密でなく、独立志向が強い[65]

地方銀行[編集]

富士銀の前身である安田銀行は、昭和恐慌の際に全国各地の中小銀行を積極的に救済したことから、この流れを汲んで現在も親密な地方銀行がある。戦後関係を持った地銀も含むが、ほくほくフィナンシャルグループ傘下の北海道銀行北陸銀行みちのく銀行荘内銀行千葉興業銀行四国銀行大垣共立銀行[66]などが富士銀系である[67]

みちのく銀は上杉純雄元会長が富士銀の元常務であり、部長級の役員を富士銀が派遣していたこともある[68][注 5]。特徴だったロシア業務をみずほコーポレート銀行に売却した[69]。荘銀も富士銀の米沢支店、前身安田銀行の鶴岡・酒田支店を継承しているなど戦前から関係が深い[70]。千葉興銀は旧安田系であり、芙蓉グループのメンバーでもある。経営危機の際にみずほFGから支援を受け、現在もみずほ銀・みずほコーポ銀が9.44%ずつ出資する他優先株なども保有している。肥後銀行も戦前において旧安田系であったため、稲垣精一小栗宏夫顧問は富士銀常務を経て頭取に就任している。

2008年5月、北都銀行と荘内銀行が持株会社による経営統合を発表した。この統合にはみずほによる仲介・アドバイザリーがあったという[71]

第一勧銀も、第一銀行の設立者である渋沢栄一が関わった七十七銀行[注 6]フィデアホールディングスの子会社化までの間みずほコーポレート銀行が筆頭株主であった北都銀行、会長の井手和英・頭取の佐藤清一郎が旧日本勧業銀行出身である筑邦銀行、一時期富士銀とセットで経営支援して復活に導いた千葉興業銀行などを親密先にもつ。

戦後地銀東京都民銀行は興銀の協力のもと官民一体により設立されたもので、興銀グループに属した。また、京滋の京都銀行滋賀銀行をはじめ、地銀でも興銀から資本・融資を含む何らかの支援を受けていたところもある。

第二地方銀行[編集]

きらやかホールディングス傘下だった、旧山形しあわせ銀行が富士銀系、旧殖産銀行がDKB系であった[72]

大光銀行は旧長銀や旧日債銀とともに第一勧銀と親密であり、愛媛銀行は第一勧銀・三和銀の両行と親密だったが、経営環境悪化等の理由から三和銀との株式持ち合い解消している。

また逆に、関係強化を図っていたのが現在のトモニホールディングスであり、同じく不祥事と経営環境悪化が主要因により三和銀に代わり旧勧銀からの流れで資本・融資関係を保ってきた第一勧銀との関係にシフトした香川銀行と、三和銀・第一勧銀(旧勧銀)との関係を経営統合合意直前まで両立してきた徳島銀行との両行による統合はみずほ銀行やユーシーカードグループによる後方支援があって実現に至った経緯がある。

南日本銀行は、森俊英頭取が富士銀出身である。

信用組合[編集]

第一勧業信用組合は第一勧銀の前身である日本勧業銀行の職域組合が母体となって設立されたが、1965年以降いくつかの他の信組との合併があり、一般の地域信用組合となっている。ロゴタイプ書体が第一勧銀のそれと同一である。

かつては人材や経営を第一勧銀に依存していたが、現在では関係は薄まり、第一勧銀出身の職員は20名程度に過ぎない[73]

証券会社[編集]

系列の証券会社は概ね(旧)みずほ証券・みずほインベスターズ証券に統合され、さらに旧興銀系の新光証券が(旧)みずほ証券と合併することで合意した。ただし、サブプライムローン問題に伴うみずほ証券の損失のため、合併は度々延期されていたが、2009年5月7日に、法人格上、新光証券が(旧)みずほ証券を吸収する形で、現在のみずほ証券が発足。さらに、2013年1月4日、同社が旧勧銀系のみずほインベスターズ証券を吸収合併した。

興銀の債券部門を源流にもつ日興コーディアルグループがあり、2004年末にはみずほ証券とエクイティ分野等で協働提携、みずほFGが資本参加していた。日興では2006年末に有価証券報告書虚偽記載問題が発覚し、先立って同社と提携関係にあったシティグループによる株式公開買い付けに応じたため、保有する全株式を売却した[74]。これにより、日興とみずほの資本関係は解消されている。

外国銀行[編集]

2005年4月、みずほ信託銀行バンク・オブ・ニューヨーク投信販売、有価証券管理分野に関する業務提携契約を締結。同じくみずほ銀行米国東部地盤のワコビア、米国西部地盤のウェルズ・ファーゴと富裕層向け資産管理で提携した。

フランスソシエテ・ジェネラルとは原油デリバティブで、オランダABNアムロ銀行とは国際CMSCash Management System)で業務提携している[75]

リース[編集]

旧第一勧銀系の東京リースセンチュリー・リーシング・システム、旧富士銀系の芙蓉総合リース、旧興銀系の興銀リースがある。再編が他のメガバンクに比べ遅れていると指摘されていたが、みすほグループの先陣を切って、2009年4月に旧第一勧銀系の二社が合併した。新社名は東京センチュリーリースに決まった。存続会社は、センチュリー・リーシング・システムであり、合併方式は吸収合併ではあるが、「両社対等な精神による合併である」とプレスリリースされている。

2006年下半期に住友グループ系、三菱UFJフィナンシャル・グループ系のリース会社による事業統合が相次いだ。今後はメガバンク主導の再編が加速すると思われる。2009年の4月に合併した旧第一勧銀系の東京センチュリーリースは、売上高ベースでは、業界のトップレベルに躍り出ることになった。 今後は、旧富士銀系の芙蓉総合リース、旧興銀系の興銀リースの再編が注目されるが、両社とも積極的にM&Aを行い地銀系やメーカー系のリース会社を子会社化するなど足並みはそろっているわけではない。

信販、クレジットカード[編集]

信販分野で、旧富士銀時代から親密であったクレディセゾンと業務提携している。オリコは2010年9月にはみずほフィナンシャルグループが筆頭株主となり、同グループの持分法適用関連会社となった。みずほ銀行のATMに掲示されている使用可能クレジットカードの表記では、UCカードやクレディセゾンと並び、他のカード会社と比較して大きく表記されている。 消費者金融のテレビCM広告について「個人的には、ちょっと目に付く」(社長の前田晃伸)と批判。グレーゾーン金利は「明らかに正常ではない」「(みずほに開設された)2,600万口座の既存顧客へのより良いサービス提供が最優先」(同)とコメントしている[76]。2005年度会社説明会でも「シナジー効果の期待できない消費者金融業界との提携は今後も検討するつもりはない」と断言した[77]。このため「みずほ銀行系キャッシング」のようなサービスは存在しない。

グレーゾーン金利撤廃により、オリコは2007年3月期決算で過払い金の返還に備える引当金を大幅に積み増す必要に迫られ、4579億円の赤字に転落することとなった。このため、みずほや伊藤忠商事を引受先とする第三者割当増資を実施、さらにみずほからの借入を株式化し、グループ化される見通し[78]。合わせてみずほと伊藤忠もUCカード事業での提携を発表し、カード分野で新たな事業展開がなされる。

脚注[編集]

  1. ^ 同年9月6日付で、みずほ証券に出資していた農林中央金庫が再度資本提携に伴い、改めて出資。
  2. ^ この地には同ビルが建つ以前、第一銀行の本店があり、第一勧銀発足後もしばらく本店所在地だった。またかつて同ビルには、第一勧銀系の勧角証券(現みずほインベスターズ証券)本店が入居していた。
  3. ^ ともに売却後もみずほ銀行が定期借家契約を締結しており、引き続き使用している。
  4. ^ なお、「みずほ」の名称を用いるものについては、瑞穂#「みずほ」表記みずほで始まる記事の一覧瑞穂で始まる記事の一覧に詳しい。
  5. ^ なお、みちのく銀は従来旧三和銀色が強かったが、近年では会長の派遣を要請したみずほFG寄りになっているとされる。
  6. ^ なお、現・頭取の氏家照彦は旧興銀出身であると同時に、創業者・初代頭取である氏家厚時の傍系(分家筋)に当たる。

参考文献[編集]

基本情報[編集]

みずほフィナンシャルグループについて[編集]

金融業界関係について[編集]

  • 野崎浩成『銀行』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2006年、ISBN 4-5321-1712-7
  • 笹島勝人『日本の銀行』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2005年、ISBN 4-5321-1075-0
  • 三神万里子『メガバンク決算』 角川書店、2003年、ISBN 4-0488-3817-2

個別の出典[編集]

先頭に「M」とあるものは、みずほフィナンシャルグループが公表した資料である。

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]