大田弘子

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日本の旗 日本の政治家
大田 弘子
おおた ひろこ
大田弘子
2008年7月の講演にて
生年月日 1954年2月2日(58歳)
出生地 鹿児島県鹿児島市
出身校 一橋大学社会学部卒業
前職 政策研究大学院大学
大学院政策科学研究科教授
現職 政策研究大学院大学大学院政策科学研究科教授
称号 社会学士(一橋大学・1976年
公式サイト 大田 弘子

内閣 福田康夫内閣
任期 2007年9月26日 - 2008年8月2日

日本の旗 内閣府特命担当大臣
(経済財政政策担当)
内閣 安倍内閣
安倍改造内閣
任期 2006年9月26日 - 2007年9月26日
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大田 弘子(おおた ひろこ、1954年2月2日 - )は、日本経済学者公共経済学経済政策)。政策研究大学院大学教授

政策研究大学院大学副学長・教授、内閣府政策統括官(経済財政分析担当)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)などを歴任した。

目次

[編集] 概要

鹿児島県出身。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1976年一橋大学社会学部卒業、株式会社ミキモト入社。その後1981年から財団法人生命保険文化センター研究員、1993年から大阪大学経済学部客員助教授を務め、経済学研究を行う。1996年から政策研究大学院大学(1996年当時は埼玉大学大学院政策科学研究科)で教授等を務め教鞭を執る。

活動は研究のみにとどまらず、現場での政策立案作業にも携わる。

2002年には大学を離れ行政官に転進し、内閣府参事官に就任。翌2003年には女性初、民間出身者としては2人目の内閣府政策統括官に昇格した。経済財政政策を担当した。2005年に内閣府政策統括官を退任。後任の政策統括官も民間出身のエコノミスト・高橋進

2006年から2008年まで安倍内閣安倍内閣改造内閣及び福田康夫内閣民間人閣僚として経済財政政策担当大臣を務めた。政策は竹中平蔵のものをほぼ踏襲。

2008年に大臣を退任し、政策研究大学院大学教授に復帰。2009年4月政策研究大学院大学副学長に就任。国立大学法人政策研究大学院大学特別顧問会議委員・研究教育評議会委員。2011年副学長退任。

[編集] 人物・交友関係

大阪大学教授(当時)の本間正明とも仕事上親しい。

酒豪としても知られ、焼酎派であるとともに、フルボディの赤ワインを好む。

[編集] 物価安定政策会議

東京のタクシー運賃改定に際し物価安定政策会議を開催するが、2007年同会議では国土交通大臣冬柴鐵三が改定に賛成したのに対し、大田が反対したため、結果的に物価安定政策会議が2度も開催されてしまうという前例のない事態になった。

[編集] 法人減税論者 

大田弘子は経済財政担当相在任中の2008年7月25日、都内で行われたセミナーで、日本は法人税の引き下げを含め、企業のコストを下げる必要があるとの認識を示した。

[編集] 語録

2008年1月18日衆議院本会議における経済演説において、「残念ながら、もはや日本は『経済は一流』と呼ばれる状況ではなくなった」と述べた[1]。厳しい現状分析をすることで、国民の危機意識を煽り、高い国際競争力を挽回しようという叱咤激励の意図があったとされる。しかし、発言の重大さにもかかわらず、大田大臣及び福田内閣がそのような状況を打破するような経済対策を示せなかった。

[編集] 経歴

[編集] 著作・編著

[編集] 論文

  • 「税制改革の基本的考え方」連合総研報告書『財政改革の論点』、1998
  • 「住宅関連税制のあり方」宅金融普及協会『住宅問題研究』Vol.15、1999

[編集] 脚注

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  1. ^ 大田経財相「もはや経済一流でない」、国会演説で言及 - 読売新聞、朝日新聞、他 2008年1月18日
  2. ^ 大田 弘子 政策研究大学院大学、2008年。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
与謝野馨
特命担当大臣(経済財政)
2006年 - 2008年
次代:
与謝野馨
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