船田元

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日本の旗 日本の政治家
船田 元
ふなだ はじめ
生年月日 1953年11月22日(61歳)
出生地 栃木県宇都宮市
出身校 慶應義塾大学経済学部
慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学専攻修士課程
現職 船田教育会理事長
作新学院学院長
所属政党 自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
無所属→)
自由民主党(額賀派
称号 衆議院永年在職議員
社会学修士
経済学士
親族 曽祖父・元田肇
祖父・船田中
大叔父・船田享二
大叔父・藤枝泉介
父・船田譲
配偶者 妻・船田恵
公式サイト 船田元・F-Project.Net

選挙区 旧栃木1区→)
栃木1区
当選回数 11回
在任期間 1979年10月8日 - 2000年6月2日
2003年11月11日 - 2009年7月21日
2012年12月19日[1] - 現職

内閣 宮澤改造内閣
在任期間 1992年12月12日 - 1993年6月18日
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船田 元(ふなだ はじめ、1953年11月22日 ‐ )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(11期)。自由民主党憲法改正推進本部長、前裁判官弾劾裁判所裁判長。元経済企画庁長官第46代)。

衆議院議長自由民主党副総裁防衛庁長官を務めた元衆議院議員の船田中は祖父。栃木県知事参議院議員を務めた船田譲は父。妻は元NHKアナウンサー、元参議院議員で学校法人作新学院理事長の船田恵[2]

来歴[編集]

生い立ち[編集]

栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮高等学校慶應義塾大学経済学部卒業。大学卒業後、生家の船田家が創立した作新学院の副院長や総務部長を務める。1983年3月[3]慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学専攻修士課程修了。

衆議院へ出馬[編集]

1979年、祖父・船田中の地盤を引き継ぎ、第35回衆議院議員総選挙旧栃木1区(定数5)から出馬。渡辺美智雄に次ぐ得票数2位で初当選した。当時25歳で、史上最年少での当選であった。旧船田派を経て木曜クラブ(田中派)に入会し、田中派分裂の際は竹下登が結成した経世会に参加。自由民主党青年局長文部政務次官を務め、竹下派の中では早くから将来を嘱望されていた。海部俊樹政権の下では、自由民主党幹事長に就任した小沢一郎が会長の「小沢調査会」で座長を務め、湾岸戦争における国際貢献策の議論を主導し、この頃から小沢一郎の側近を自任。竹下派分裂の際は羽田孜や小沢ら、金丸信の後継会長に羽田を推す陣営に加わり、スポークスマン役を務める。小渕恵三を会長に推すグループの大先輩・橋本龍太郎を相手に討論では一歩も引かず、丁々発止のやり取りを展開し、徐々に注目されるようになった。

宮澤内閣へ入閣[編集]

1992年宮澤改造内閣経済企画庁長官に任命され、戦後日本史上最年少の39歳1ヶ月で初入閣した[4]。宮澤改造内閣成立の直後、羽田孜、小沢一郎らが改革フォーラム21(羽田派)を結成。1993年6月、宮澤内閣内閣不信任決議案国会に提出され、懸案の政治改革に後ろ向きな宮澤喜一首相の逡巡に業を煮やした羽田派は賛成投票を決定する。そのため、宮澤改造内閣の閣僚だった船田、中島衛科学技術庁長官の2人は辞表を提出し、閣僚を辞任した上で宮澤内閣不信任決議案に賛成票を投じた。結果、宮澤内閣不信任決議案は可決され、宮澤首相は衆議院を解散した。その後羽田派は自民党を集団離党し、新生党を結党。船田も新生党公認で第40回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。新生党では国会対策委員長に相当する政務幹事に就任し、新生党代表幹事の小沢一郎を補佐する。

新進党結党に参加[編集]

1994年、新生党解党により新進党結党に参加するが、この頃から次第に小沢への反発を強めるようになり、第2回の新進党党首選挙では羽田孜陣営に参加する(羽田は小沢に敗れた)。また新党さきがけ鳩山由紀夫、船田の2人を中心に新党構想(鳩船新党)が練られ、党派を超えて改革派を結集する動きを模索するが、リベラル志向の鳩山に対して船田は新保守主義を主張し、結局鳩船新党の構想は頓挫する。結局、鳩山は新党さきがけの菅直人社会民主党の一部、新進党を離党した鳩山邦夫らを集め、旧民主党を結成した。

離党、自民への復党[編集]

1996年9月、船田は新進党を離党し、第41回衆議院議員総選挙には無所属栃木1区から出馬し当選。翌1997年1月、4年ぶりに自民党に復党した。復党後、自身は無派閥ながら山崎派の結成に奔走し、同じ栃木県選出の国井正幸参議院議員の旧渡辺派からの取り込みにも成功する。

再婚と初落選[編集]

1999年、前妻と離婚し、参議院議員畑恵と再婚。2000年第42回衆議院議員総選挙において民主党新人の水島広子に敗れ、1979年の初当選以来初めて落選した。この落選はまた、栃木県の名門・船田家の初の敗北でもあった。この選挙では都市部を中心に自民党に逆風が吹き荒れ閣僚経験者が多く落選した(1区現象)。なお落選後、山崎派を退会。

当選、落選、そして当選[編集]

2003年第43回衆議院議員総選挙では栃木1区で当選し、3年ぶりに国政に復帰した。当選後、竹下派の流れを汲む橋本派に入会。2005年第44回衆議院議員総選挙で再選。

2009年第45回衆議院議員総選挙では公明党、栃木県建設業協会の政治団体「県建設業協会政治連盟」の推薦も受け[5][6]自民党公認で出馬するが、栃木1区で比例復活もならず落選した。

2012年第46回衆議院議員総選挙では、栃木1区で当選し、国政に復帰した[7]2014年第47回衆議院議員総選挙で再選。

政策・活動[編集]

保守政治の右旋回への批判[編集]

  • かつては新保守主義を標榜し、顔ぶれがリベラルに偏る鳩山新党への参加を拒否した。しかし小泉内閣以降の自民党については右傾化していると批判的で、安倍晋三が掲げる「戦後レジームからの脱却」にも否定的な見解を示している[8]
  • 自民党が野党時代に作成した憲法改正草案における9条への国防軍の明記について「国防軍という名前は行き過ぎな感じがする。私は自衛隊のままでもいいと思っている」と述べた。また、この草案について「このまま憲法改正の原案になることは全くない。妥協をせざるを得ず、草案はほとんどズタズタになると思って結構だ」とも語った[9]

天文学の推進[編集]

国会議員としては天文学がより発展することを願い、国立天文台がハワイ島の火山(マウナ ・ケア,標高4,200m)の頂上に建設中の世界最大(口径8m)の望遠鏡「すばる」の推進を手伝う[10]

表現規制推進[編集]

  • マンガ・アニメ・ゲーム・映画の表現を規制する青少年健全育成基本法案の請願を国会に提出した[11]
  • 自由民主党の日本国憲法改正案の草案に「有害図書の出版・販売は公共の秩序に照らして制限する」という条文を盛り込んだ[12]

選択的夫婦別姓制度[編集]

選択的夫婦別姓制度導入に賛同する。「民法七百五十条は形式的には男女平等だが、ほとんどの場合は夫の姓になる。これは、間接的差別。そういう、やはり男女の差、あるいは差別に近い形がこういう社会通念の中にまだまだ入っているということがあり、そういうものを積極的に是正をしていくための法律、立法措置が必要」と述べた[13]

人物[編集]

最年少経済企画庁長官[編集]

  • 1992年12月、39歳1ヶ月で宮澤改造内閣において経済企画庁長官に就任し、戦後最年少で初入閣した。1990年代の政界再編では中心的な役割をにない最も将来を嘱望される存在であり、1994年には米タイム誌の「21世紀を動かす世界の100人」に、日本の政治家でただ1人選ばれた。また1996年文藝春秋が企画した「現役政治部記者が選ぶ21世紀のリーダー」では、新党さきがけの鳩山由紀夫に次ぐ2位にランクインし、3位の谷垣禎一を凌駕している。しかしながら2度にわたる落選が響き、21世紀に入ってそれぞれ首相、自由民主党総裁の座に就いた両者に船田は大きく後れを取った。殊にかつて鳩船新党を模索した鳩山が自身の落選中に首相に就任したことは政治人生における最大の痛恨事であった。

その他[編集]

  • 名前が「船田 元」(ふなだ・はじめ)であるため、フルネームの後に肩書きがついた場合「船田元衆議院議員」となり、船田「元衆議院議員」の意味に取られてしまうため、マスメディアは表記の対応に苦慮している(同様の例として中谷元がいる)。落選中は「船田元前衆議院議員」の表記がなされていたが、今後元職になった場合「船田元元衆議院議員」となり、姓のみあるいは姓名の表記でさらに事態は複雑になる。
  • 経世会時代は小沢一郎の側近であったが、その関係は新生党時代に解消した。小沢と連絡がつかなくなり、小沢の関係者に電話をつないでもらったところ、事態を察した小沢が電話口で「馬鹿野郎、何やってんだこの野郎」と復唱させ船田はすべてを悟ったという。
  • 一時は天文学者になろうと本気で考えたこともあるほどの星好き。天文への道を選ばなくとも宇宙への興味は捨てられず、双眼鏡・ 望遠鏡での天体観測、星や星雲の写真撮影、さらに宇宙に関する専門誌やSF小説を読みふけったりした[10]
  • 以前はカラオケを好んだが、今はアルトサックス奏者を目指している[10]

所属団体・議員連盟[編集]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 平成24年(2012年)12月19日栃木県選挙管理委員会告示第109号(衆議院小選挙区選出議員選挙における当選人の住所及び氏名並びに当該当選人に係る候補者届出政党の名称)
  2. ^ 「学校法人作新学院理事長に船田恵氏」下野新聞、2013年4月12日
  3. ^ [1]
  4. ^ 後に小渕優子が34歳9ヶ月で麻生内閣内閣府特命担当大臣男女共同参画少子化対策)に任命され、記録を更新した。
  5. ^ 衆院選小選挙区 自民128人推薦 2009年8月7日公明新聞
  6. ^ 毎日新聞 2009年8月10日 地方版
  7. ^ “「政界のプリンス」船田元氏返り咲き 栃木1区”. 朝日新聞. (2012年12月16日). http://www.asahi.com/politics/update/1216/TKY201212160106.html 2012年12月19日閲覧。 
  8. ^ 「日本をよくする小冊子 第一弾」、公式サイト
  9. ^ 「『国防軍は行き過ぎ』 自民憲法改正推進本部長」、日本経済新聞、2015年3月1日
  10. ^ a b c 公式プロフィール
  11. ^ 請願情報 請願名「青少年健全育成のための有害図書類・有害情報規制に関する法整備を求めることに関する請願」の情報
  12. ^ 「国防の責務」明記を提示/自民・権利小委で船田氏 SIKOKU NEWS 2005年2月10日
  13. ^ 第159回国会衆議院 - 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 - 1号 平成16年02月19日
  14. ^ 評議員、役員等”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


党職
先代:
(創設)
北村直人
船田元
新生党政務幹事
畑英次郎・吹田愰と共同
初代・第3代・第4代:1993年6月 - 1994年
次代:
北村直人
畑英次郎吹田愰・船田元
(解党)
先代:
(創設)
新生党組織幹事
初代:1993年
次代:
中西啓介
名誉職
先代:
中村喜四郎
最年少衆議院議員
1979年 - 1983年
次代:
石破茂