阿久津幸彦
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あくつ ゆきひこ
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2008年10月13日、南大沢駅前にて
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| 生年月日 | 1956年6月26日(55歳) |
| 出生地 | 東京都 |
| 出身校 | ジョージ・ワシントン大学院 |
| 前職 | 国会議員秘書 |
| 現職 | 東京都総支部連合会副会長 |
| 所属政党 | (新党さきがけ→) 民主党(菅グループ) |
| 称号 | 国際政治学(修士) |
| 公式サイト | 阿久津幸彦事務所オフィシャルWebサイト |
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| 内閣 | 菅改造内閣 野田内閣 |
| 任期 | 2010年9月21日 - 2011年9月7日 |
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| 選挙区 | 東京都第24区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 2000年 - 2005年 2009年 - (現職) |
阿久津 幸彦(あくつ ゆきひこ、1956年6月26日 - )は、日本の政治家。民主党衆議院議員(3期)、内閣府大臣政務官(国家戦略・防災担当)。東京都八王子市明神町在住、家族は妻と長女。菅直人の側近[1][2][3]。八王子憲法9条の会に加盟している八王子平和市民連絡会(八平連)の呼びかけ人[4]。
目次 |
[編集] 経歴
東京都立北園高等学校、米国ジョージ・ワシントン大学、同大学院卒業。10歳のとき、ジョン・F・ケネディの伝記を読み、「弱者を救済するためには政治の力が必要」との言葉に感銘を受け政治家を志す。1984年から約10年にわたって、石原慎太郎の公設秘書となる。1993年には東京都議会議員選挙に三鷹市選挙区から無所属で立候補するも、落選。そののち、菅直人の誘いにより新党さきがけに入党し、1994年から約2年間、菅直人の片腕として政策委員として活躍。菅直人から「同じ議員の中で一番信頼できる人」と言われるほどの信頼を得た。1996年旧民主党結党に参加。2000年の第42回衆議院議員総選挙で東京都第24区(八王子市)に出馬し、民主党公認で初当選。菅「次の内閣」国土交通大臣のもと、総括副大臣に就任し、官製談合防止法の提出、あっせん利得処罰法、踏切道改良促進法の改正案などの成立に関わった。また、「ミスター年金」との異名をとる長妻昭とは同期当選で現在も政策について語り合う仲である。2003年の第43回衆議院議員総選挙で自民党の萩生田光一に敗れるも、比例代表で復活し、2期目の当選。しかし、2005年の第44回衆議院議員総選挙では、萩生田に再び敗れ、比例復活も果たせなかった。落選中は小川敏夫参議院議員の政策秘書を務めていた。2009年8月、第45回衆議院議員総選挙で萩生田に比例復活を許さないほどの大勝で、3期目の当選を果たした。
2009年10月、民主党副幹事長に就任。国会の予算審議より前に公共事業の実施場所(個所付け)を同党都道府県連に通知した行為が「夏の参院選に利用するなりふり構わぬ利益誘導政治だ」と自民党から批判を受け、前原誠司国交相も阿久津に遺憾の意を示した[5]。
2010年1月、民主党東京都連幹事長に就任。これにより、民主党東京ブロックは菅直人会長、阿久津幸彦幹事長体制になった(菅は3月に民主党東京都連会長を辞任)。
2010年6月、菅内閣の下で、内閣総理大臣補佐官(中小企業対策・地域活性化対策担当)に就任。
2010年6月15日、参院本会議で、阿久津が落選中に政党交付金の受給対象となる同党の選挙区支部長(東京24区)を務めながら、荒井聡国家戦略担当相の公設秘書(政策秘書)を兼務していたことが取り上げられ「阿久津氏は浪人中ホームページで選挙活動をしていたと記している。政策秘書の実態がないなら違法採用であり、公費の二重取りだ」と指摘された[6]。しかし、民主党はこの件に関して事実誤認で問題は無いと決定づけた[要出典]。
2010年9月、菅改造内閣の下で、内閣府大臣政務官(国家戦略、防災担当)に就任。
2011年1月 第二次改造内閣において内閣府大臣政務官に再任され、菅内閣の退陣時に「菅政権が1年3カ月で取り組んだこと」と題した29ページの文書を作成し、「菅内閣は政治主導・経済財政運営・原子力行政において極めて多くの成果を挙げた」と報告した[7][8]。2011年6月、復興担当大臣政務官となる。
2011年9月2日に発足した野田内閣でも内閣府大臣政務官(国家戦略、防災担当)に再任されたがわずか5日後の9月7日に退任した。
[編集] 硫黄島における遺骨帰還のための特命チーム
2010年、阿久津は「硫黄島における遺骨帰還のための特命チーム」のチームリーダーに指名される。硫黄島における遺骨収集は安倍内閣時代から進められ、麻生内閣で硫黄島の滑走路を引きはがして遺骨収集する計画を決定した[9]が、鳩山由紀夫内閣によって中断されていた。自民党は森喜朗元首相や新藤義孝衆院議員が菅直人総理大臣に事業の継続を要請し、菅直人は自民党に謝意と事業の継続を約束し[10]、阿久津が米国に派遣された。
阿久津はアメリカ国立公文書記録管理局を訪問し、摺鉢山付近に日本兵の集合埋葬地があることなどの記録を確認。さらに、米国国防総省の捕虜・行方不明者調査局を訪問し、調査への協力を確認した[11]。
硫黄島は中心部に軍事基地があるため、2009年に麻生内閣時代が島中央での発掘作業を決定するまでは、発掘作業は島の外側で行われており、収集できた遺骨は約8700柱に留まっていた[12]。2010年8月、阿久津の持ち帰った資料を基づいた試掘が行われたが遺骨の発見はできなかった。そのため、厚生労働省がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書の再調査を行い、10月の再試掘で滑走路の西部や摺鉢山麓に大規模な集団埋葬地を発見することに成功した[13]。2010年12月、阿久津は菅総理をはじめとする超党派の議員団と供に硫黄島に向かった。尚、この模様は後日、菅総理の官邸ブログ(12/24更新)にて動画が公開された。
[編集] 政策
- 総理大臣による靖国神社参拝を否定しているが[14]、菅総理大臣の名代として、米国のアーリントン国立墓地を訪問し、公式に献花を行っている。
- 0才から中学卒業まで1人当たり月額2万6000円(年額31万2千円)の子ども手当を支給し、高校生には、年額約12万円程度(私立高校の場合、年収500万円以下の世帯は24万円)を支給することによって、授業料を実質的に無償化することを約束している[15]。
- 自公政権による年間2200億円(5年間で1.1兆円)の社会保障費削減方針を撤回し、崩壊しかかっている医療を建て直すために十分な予算を確保することや、後期高齢者医療制度は廃止し、廃止に伴う国民健康保険の財政負担は国が支援することを約束している[16] 。
- 高速道路を無料化することを約束している。高速道路無料化による経済効果は7.8兆円で、高速道路の維持・管理費の約2倍に匹敵すると見積もっている[17]。
- ガソリン税、軽油引取税などの暫定税率を廃止して2.5兆円の減税を実施することを約束している、一世帯当たりの減税額は全国平均で約5万円になると見積もっている[18]。
[編集] 脚注
- ^ 中国新聞 (2010/12/30) 『首相の会食、身内ばっかり 「情報不足」に拍車』 [1]
- ^ 首相夕食『身内』と息抜き 1位は補佐官、次いで夫人(東京新聞 2010年12月8日 朝刊)
- ^ 読売新聞 2010年12月8日10時02分『情報過疎の一因?首相、面会・会食は側近ばかり』 [2]
- ^ 八平連呼びかけ人.八王子平和市民連絡会(2011年10月11日閲覧)
- ^ 大臣会見:前原大臣会見要旨 - 国土交通省 [3]
- ^ 産経新聞 ”公費を二重取り?民主・阿久津氏を追及 参院本会議”2010.6.15 21:30 [4]
- ^ 時事通信 8月25日(木)20時21分配信 菅政権の成果を自賛=側近が作成
- ^ 退陣前に菅政権が自画自賛の冊子作成 鳩山前政権に責任転嫁も 産経新聞 2011.8.25 21:57 [5]
- ^ 朝雲ニュース 2009/1/29日付 硫黄島基地 滑走路移設を検討 路面下の遺骨収集に協力”[6]
- ^ 産経新聞 「菅首相、森元首相と官邸で会談 硫黄島の遺骨収集めぐり約30分」(2010.12.8 12:46)[7]
- ^ 首相官邸ホームページ "阿久津内閣総理大臣補佐官による米国公文書館等調査について"[8]
- ^ 首相官邸ホームページ "硫黄島における遺骨収集等の現状" [9]
- ^ 首相官邸ホームページ "硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム 第3回会合"[10]
- ^ 阿久津幸彦ホームページ 今日の一言 2006年8月20日
- ^ 阿久津幸彦 衆議院議員 阿久津幸彦事務所オフィシャルWebサイト [11]
- ^ 衆議院議員 阿久津幸彦事務所オフィシャルWebサイト [12]
- ^ 衆議院議員 阿久津幸彦事務所オフィシャルWebサイト [13]
- ^ 衆議院議員 阿久津幸彦事務所オフィシャルWebサイト [14]