内閣不信任決議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

内閣不信任決議(ないかくふしんにんけつぎ)は、議院内閣制における議会における議決の一つである。主に野党内閣政府)を倒す(これを倒閣という)か、弱体化させるための手段として使用する。

議院内閣制を採る国では、下院のみに与えられる権限であることが多い。

目次

[編集] 日本国憲法下

[編集] 内閣不信任決議

日本国憲法第69条に書かれている衆議院のみの権能で、日本の三権分立制の中で重要な役割を担っている。

第69条
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない

同決議は解散詔書を除く全ての議事に優先し、仮に衆議院において可決された場合、当該内閣は自分達に不信任を突きつけた衆議院を当日から9日後までに解散する、解散しない場合は内閣総辞職をすることが憲法上義務付けられており、政権と対抗する野党にとっては最後にして最大の武器である。この絶大な効力こそ、まさに「伝家の宝刀」と言われる所以である。

しかし、慣例として認められる一事不再議原則により同一会期中に1度しか提出できない上、議院内閣制の下では与党が議席の過半数を占めている事例が多く、可決した事例は4例と少ない。しかし、政権与党と対決色を示したい野党から国会会期末に提出されることが度々ある。また、不信任決議案の提出後に採決に掛ける前に内閣の方から解散をした事例、不信任決議案を提出されたら可決される事が確実な政局において内閣総辞職をした事例もある。多くは、内閣が解散を実行することが確実になった段階で、野党が呼応して内閣不信任決議案を提出し、その直後に解散を宣言したものである。

一般的に採決方法は「記名投票」(賛成なら白の、反対なら青の、自分の名が書かれた木のプレート“名刺”を議長に渡し、その総数が賛否どちらが多いかで決する)であるが、あまりにも大差であることが判明している場合は起立採決が行われる。

過去に起立採決で行なわれた事例では1975年7月3日の三木内閣不信任決議案及び1982年8月18日の鈴木内閣不信任決議案の2例(いずれも起立少数で否決)がある。

内閣総理大臣が閣僚訴追同意権を悪用する事態や法務大臣が個別事件について検事総長に対する指揮権を悪用する事態は、衆議院が持つ内閣不信任権によって抑制されることになる。

内閣提出の予算の否決や大きな修正も、内閣は施政方針で示した政策を遂行することが不可能になるので、事実上の不信任とみなされ、内閣は総辞職または衆議院の解散をするのが慣例とされている。

参議院では、法的拘束力のない問責決議が行われることがあるが、こちらは合議体の内閣に対してでなく内閣総理大臣など個別の大臣に対するものとなっている。

[編集] 内閣信任決議

内閣不信任案決議と正反対のものとして、内閣信任決議がある。こちらが否決された場合は、内閣不信任決議が可決された場合と同じ効力がある。しかし、議院内閣制での下では与党が過半数を占めている事例が多く、あえて政府が信任案を提出して決議する必要がないこと、さらに日本の場合は、国会で投票により総理大臣を指名するため、これが内閣信任決議と同じ意味をもつことから、あえて信任を決議する必要がなく、提出されることは極めて稀である。

内閣信任決議案が提出されるのは、内閣信任決議案が内閣不信任決議案に優先して審議される慣例であるため、野党から内閣不信任決議案が提出されそうなときに、与党が対抗のために提出するケースがほとんどである。あるいは国会において野党が議事妨害のひとつとして、議事の引き延ばしのために、個別の閣僚に対して不信任案を乱発することがある。その場合、閣僚の数だけ不信任案の採決を行うことが可能であるため、議事運営は引き延ばされることとなる。これに対する与党側の対抗策として、内閣信任決議を行う事がある。信任決議案の可決と不信任決議案の否決は同等の意味を持つため、信任決議を可決してしまえば、慣例として一事不再議を原則としているため、その会期中はもう不信任決議案を出しにくくなるからである。

内閣信任決議案の提出には、採決に至らなかったものを含め、現在までに以下の3例がある。

  • 1956年5月1日、日本国憲法下で初となる内閣信任決議案が本会議での日程追加動議により緊急上程されたが、同動議可決後に提出者が議案を撤回したため、信任決議案そのものの採決には至らなかった。
  • 1992年6月12日(いわゆるPKO国会)、与党・自民党宮澤内閣信任決議案を提出、6月14日公明党民社党の賛成を得て可決した。
  • 2008年6月11日、野党が多数を占める参議院で福田康夫首相の問責決議が現憲法下で初めて可決されたことを受け、与党・自民党と公明党が衆議院に信任決議案を提出、翌6月12日に可決した。

[編集] 内閣不信任決議案・内閣信任決議案が本会議に提出された事例

太字は、可決された内閣不信任決議案。

回次 本会議採決日 内閣 決議案 採決 票差 備考
4 1948年 (昭和23年) 12月23日 第2次吉田内閣 不信任 可決 227 130 97 同日憲法第69条の規定により衆議院解散
馴れ合い解散
詔書は第69条及び第7条併記

内閣不信任決議が記名投票で可決された歴代最大の票差
7 1950年 (昭和25年) 5月1日 第3次吉田内閣 不信任 否決 143 256 113 2案上程、一事不再議により2案目審議不要
13 1952年 (昭和27年) 6月26日 第3次吉田内閣 不信任 否決 113 234 121 2案上程、一事不再議により2案目審議不要
15 1953年 (昭和28年) 3月14日 第4次吉田内閣 不信任 可決 229 218 11 同日憲法第69条の規定により衆議院解散
バカヤロー解散
詔書は第7条解散

内閣不信任決議が記名投票で可決された歴代最小の票差
19 1954年 (昭和29年) 4月24日 第5次吉田内閣 不信任 否決 208 228 20 3案上程、一事不再議により他の2案審議不要
内閣不信任決議が記名投票で否決された歴代最小の票差
20 1954年 (昭和29年) 12月7日[* 1] 第5次吉田内閣 不信任 未決 - - - 本会議上程前に内閣総辞職
24 1956年 (昭和31年) 5月1日 第3次鳩山一郎内閣 信任 撤回 - - - 議事日程への追加動議可決後、趣旨弁明前に提案者が撤回
1956年 (昭和31年) 6月1日 第3次鳩山一郎内閣 不信任 否決 151 258 107
26 1957年 (昭和32年) 5月17日 第1次岸内閣 不信任 否決 151 249 98
28 1958年 (昭和33年) 4月25日[* 2] 第1次岸内閣 不信任 未決 - - - 本会議上程後、討論中に衆議院解散
話し合い解散
31 1959年 (昭和34年) 3月28日 第2次岸内閣 不信任 否決 142 253 111
38 1961年 (昭和36年) 6月8日[* 3] 第2次池田内閣 不信任 未決 - - - 本会議上程前に会期終了・廃案
46 1964年 (昭和39年) 6月24日 第3次池田内閣 不信任 否決 164 270 106
51 1966年 (昭和41年) 5月14日 第1次佐藤内閣 不信任 否決 144 226 82
56 1967年 (昭和42年) 8月7日 第2次佐藤内閣 不信任 否決 156 235 79
61 1969年 (昭和44年) 7月30日 第2次佐藤内閣 不信任 否決 182 250 68
67 1971年 (昭和46年) 12月24日 第3次佐藤内閣 不信任 否決 178 283 105
68 1972年 (昭和47年) 6月15日 第3次佐藤内閣 不信任 否決 159 267 108
71 1973年 (昭和48年) 9月22日 第2次田中角榮内閣 不信任 否決 190 252 62
73 1974年 (昭和49年) 7月31日 第2次田中角榮内閣 不信任 否決 197 265 68
75 1975年 (昭和50年) 7月3日 三木内閣 不信任 否決 少数 多数 不明 起立採決
76 1975年 (昭和50年) 12月19日 三木内閣 不信任 否決 194 254 60
78 1976年 (昭和51年) 11月4日[* 3] 三木内閣 不信任 未決 - - - 本会議上程前に会期終了・廃案
88 1979年 (昭和54年) 9月7日[* 2] 第1次大平内閣 不信任 未決 - - - 本会議上程後、趣旨弁明前に衆議院解散
91 1980年 (昭和55年) 5月16日 第2次大平内閣 不信任 可決 243 187 56 同月19日憲法第69条の規定により衆議院解散
ハプニング解散
詔書は第7条解散
96 1982年 (昭和57年) 8月18日 鈴木内閣 不信任 否決 少数 多数 不明 起立採決
98 1983年 (昭和58年) 5月24日 第1次中曽根内閣 不信任 否決 122 261 139
100 1983年 (昭和58年) 11月28日[* 2] 第1次中曽根内閣 不信任 未決 - - - 本会議上程後、趣旨弁明前に衆議院解散
田中判決解散
113 1988年 (昭和63年) 12月23日 竹下内閣 不信任 否決 191 286 95
123 1992年 (平成4年) 6月14日 宮澤内閣 信任 可決 326 128 198 他に不信任決議案1案提出、
一事不再議により上程不要
日本国憲法では初の内閣信任決議の採決
126 1993年 (平成5年) 6月18日 宮澤内閣 不信任 可決 255 220 35 同日憲法第69条の規定により衆議院解散
嘘つき解散
詔書は第7条解散
129 1994年 (平成6年) 6月25日[* 1] 羽田内閣 不信任 未決 - - - 本会議上程前に内閣総辞職
132 1995年 (平成7年) 6月13日 村山内閣 不信任 否決 189 290 101
141 1997年 (平成9年) 12月11日 第2次橋本内閣 不信任 否決 219 268 49
142 1998年 (平成10年) 6月12日 第2次橋本内閣 不信任 否決 207 273 66
145 1999年 (平成11年) 8月11日 小渕内閣 不信任 否決 134 354 220
147 2000年 (平成12年) 6月2日[* 2] 第1次森内閣 不信任 未決 - - - 本会議上程後、趣旨弁明前に衆議院解散
神の国解散
150 2000年 (平成12年) 11月21日 第2次森内閣 不信任 否決 190 237 47 加藤の乱
151 2001年 (平成13年) 3月5日 第2次森内閣 不信任 否決 192 274 82
154 2002年 (平成14年) 7月20日 第1次小泉内閣 不信任 否決 185 280 95
156 2003年 (平成15年) 7月25日 第1次小泉内閣 不信任 否決 178 287 109
159 2004年 (平成16年) 6月15日 第2次小泉内閣 不信任 否決 193 280 87
162 2005年 (平成17年) 8月8日[* 2] 第2次小泉内閣 不信任 未決 - - - 本会議上程後、趣旨弁明前に衆議院解散
郵政解散
165 2006年 (平成18年) 12月15日 安倍内閣 不信任 否決 134 335 201
166 2007年 (平成19年) 6月29日 安倍内閣 不信任 否決 130 330 200
169 2008年 (平成20年) 6月12日 福田康夫内閣 信任 可決 336 10 326 前日に参議院で首相問責決議を可決
記名投票における歴代最大の票差(信任が可決された歴代最大の票差)
171 2009年 (平成21年) 7月14日 麻生内閣 不信任 否決 139 333 194 同日に参議院で首相問責決議を可決
174 2010年 (平成22年) 6月16日 菅内閣 不信任 否決 153 315 162
177 2011年 (平成23年) 6月2日 菅内閣 不信任 否決 152 293 141 菅おろし

脚注

  1. ^ a b 内閣不信任決議案が国会に提出されたが、内閣が総辞職したため、本会議へは上程されなかったもの。日付は便宜上、総辞職日とした。
  2. ^ a b c d e 内閣不信任決議案が国会に提出されたが、衆議院が解散 (7条解散) されたため、本会議での採決に至らなかったもの。日付は解散日とした。
  3. ^ a b 内閣不信任決議案が国会に提出されたが、本会議上程前に会期終了となり廃案となったもの。日付は会期終了日とした。

[編集] 記録

  • 内閣不信任決議案未採決最長記録 - 海部内閣 818日間
  • 内閣不信任決議案最多採決記録 - 吉田内閣佐藤内閣 5回
  • 組閣から内閣不信任決議案採決までの最短記録 - 菅内閣 8日後(2010年6月8日組閣・6月16日採決)
  • 総選挙直後の組閣から内閣不信任決議案採決までの最短記録 - 第4次吉田内閣 134日後(1952年10月30日組閣・1953年3月14日採決)
  • 内閣不信任決議案否決から総辞職までの最短記録 - 第3次佐藤内閣 22日後(1972年6月15日 不信任否決・7月7日総辞職)

[編集] 一事不再議との関係

国会である議案が否決された場合に、同一会期中に改めて同一の議案を提出することは原則としてできない(一事不再議の原則)とする慣例がある。当然この原則は内閣不信任決議案にも及ぶ。これを利用し、内閣信任決議を可決することにより議事妨害目的での個別閣僚の不信任決議案上程を阻止する戦術が用いられたこともあった(PKO国会)。ただし、事情変更の原則が適用される場合は一時不再議の例外となるともされる。また、衆議院において先の決議についての無効確認の議決をすることが必要かどうかについても議論がある[1]。いずれにせよ、再度提出された議案を本会議に上程するか否かの判断は通常の議案と同様に議院運営委員会において行われる。

なお、内閣不信任決議案が否決された場合でも、内閣総理大臣辞職勧告決議案については通常の国会決議として提出できる(通常の国会決議であり法的な拘束力はない)。

[編集] 大日本帝国憲法下

[編集] 内閣不信任上奏

大日本帝国憲法においては、内閣総理大臣及び国務大臣の任免権は天皇が有していたため、帝国議会衆議院には直接内閣不信任を決議する事は出来なかった。このため、天皇に対して現在の政府を信任していない旨について上奏を行う決議を行って天皇に善処を求めた。

上奏に法的な強制力は無かったが、帝国議会両院の上奏権が大日本帝国憲法第49条によって保障されている以上、何らかの対応を採る必要があり、結果的に時の内閣は総辞職か衆議院解散、もしくは天皇の詔勅による仲裁(事実上の政府側の譲歩)などの措置を取ることになった。

[編集] 諸外国の例

ドイツでは下院であるドイツ連邦議会が「内閣信任決議を否決」するか「内閣不信任決議を可決」しないと解散ができない。またドイツでは内閣不信任決議を提出する際には必ず後継首相も同時に明示しなければならない(建設的不信任 de:Konstruktives Misstrauensvotum /en:Constructive vote of no confidence)。これはワイマール共和国の時代に左派右派急進派が時の中道内閣を倒閣することのみを目的に共闘し不信任案を乱発した経験から来たもので、次の内閣を成立させることを目的としない消極的な倒閣運動、いわば倒閣のための倒閣を防止するためのものである。このため、与党がわざと内閣信任決議を出し否決して解散総選挙を行う例がある。

この制度を採用している国としてはドイツのほか、ポーランドスペインイスラエルハンガリーがある。ポーランドではイェジ・ブゼク首相下院において「連帯」の分裂により下院多数派の支持を失い少数与党に転落したにもかかわらず、野党が左右に分散し新首相についての合意ができなかったため、ブゼク政権が下院の任期満了まで継続するという出来事があった。

[編集] 脚注

  1. ^ 2011年7月23日、激論!クロスファイア

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語