福田昭夫
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ふくだ あきお
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| 生年月日 | 1948年4月17日(65歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 東北大学教育学部 |
| 前職 | 地方公務員(今市市) |
| 所属政党 | (無所属→) 民主党 |
| 称号 | 教育学士(東北大学 1971年) |
| 公式サイト | 福田あきお オフィシャルウェブサイト |
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| 選挙区 | (比例北関東ブロック→) (栃木2区→) 比例北関東ブロック |
| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 2005年9月11日 - 現職 |
| 議員会館 | 衆議院第1議員会館739号室 |
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| 当選回数 | 1回 |
| 任期 | 2000年 - 2004年 |
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今市市長
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| 当選回数 | 3回 |
| 任期 | 1991年 - 2000年 |
福田 昭夫(ふくだ あきお、1948年4月17日 ‐ )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(3期)。
総務大臣政務官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、栃木県知事(1期)、栃木県今市市長(3期)等を務めた。
目次 |
[編集] 来歴・人物
栃木県今市市(現日光市)生まれ。東北大学教育学部卒業。1971年、今市市役所に就職。1991年、財政課長を最後に市役所を退職し、今市市長選に出馬して初当選。以後3期9年間今市市長を務め、この間全国青年市長会会長も務めた。
2000年に今市市長を辞職し、栃木県知事選挙に出馬。この知事選は保守分裂選挙であり、また福田が政党の推薦・支持を得ていなかったため無党派ブームに乗る形で支持を拡大し、栃木県知事に当選。ダム事業の見直しを掲げ、栃木県鹿沼市の東大芦川ダム建設の中止(今はダム中止顕彰碑が建っている)、南摩ダム建設推進を決定。また行財政改革にも取り組み、2年連続で栃木県の財政の黒字化を図った。2004年の栃木県知事選に再選を目指して出馬したが、宇都宮市長を辞職して立候補した福田富一に敗れ、落選。
2005年、第44回衆議院議員総選挙に民主党公認で栃木県第2区から出馬。選挙区では自由民主党の森山眞弓元法務大臣に敗れたが、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、当選。民主党新人議員勉強会の初代会長を務める。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、自民党の西川公也を比例復活を許さぬ大差をつけて破り、栃木2区で再選。2010年1月、石川知裕代議士の逮捕を考える会を設立し、同会会長に就任。
2011年9月、野田内閣で総務大臣政務官に任命される。2度の内閣改造においても再任されたが、2012年6月、消費税増税を含む税・社会保障一体改革関連法案の衆議院本会議における採決では投票を棄権し、総務大臣政務官を辞任した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、栃木2区で自民党の西川公也に敗れたが、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、3選。
[編集] エピソード
- 2010年1月、政治資金規正法違反の容疑で逮捕され、2月に起訴された石川知裕衆議院議員は当選同期であり、石川の逮捕後は民主党内で石川知裕代議士の逮捕を考える会の結成を呼びかけ、自ら同会会長に就任した。2010年2月11日、栃木県日光市内で開いた自身の政治資金パーティーにおいて石川に対する東京地検特捜部の捜査について、「明らかに検察の暴走だ。別件逮捕だ。あくまでも逮捕をして、自白を強要させる、そういう取り調べはもうやめるべきだ」と述べ、検察当局を批判した[1]。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 浜田和幸・逢坂誠二・森田高 |
主濱了・森田高と共同 →加賀谷健・森田高と共同 2011年 - 2012年 |
次代: 稲見哲男・加賀谷健・森田高 |
| 先代: 渡辺文雄 |
民選第15代:2000年 - 2004年 |
次代: 福田富一 |
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