日光市

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にっこうし
日光市
NikkoYomeimon5005.jpg
Flag of Nikko, Tochigi.svg
日光市旗
Symbol of Nikko, Tochigi.svg
日光市章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県
団体コード 09206-1
面積 1,449.87km²
総人口 88,383
推計人口、2012年2月1日)
人口密度 61人/km²
隣接自治体 栃木県宇都宮市鹿沼市那須塩原市塩谷町
群馬県沼田市みどり市片品村
福島県檜枝岐村南会津町
日光市役所
所在地 321-1292
栃木県日光市今市本町1番地
日光市役所
外部リンク 日光市

日光市位置図(栃木県)

― 市 / ― 町
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日光市(にっこうし)は、関東地方の北部、栃木県の北西部に位置する

目次

[編集] 概要

藤原総合支所(旧藤原町役場)

古くは鎌倉時代以降、日光権現を祀る山々が知られるようになり、江戸時代徳川家康および徳川家光の廟地となって以来、日光東照宮門前町として参拝客で賑わった。以後「日光を見ずして結構と言うこと莫れ」という言葉で日本中に観光地景勝地として知られるようになった。

明治時代に入ると、海外でも景勝地として知られていた日光東照宮中禅寺湖日光湯元温泉藤原などを外国人が訪れるようになり、外国人に対応した宿泊・滞在施設が整備され、国際観光都市としての体裁が整えられていった[1][2]

2006年3月20日には旧日光市、今市市足尾町藤原町栗山村新設合併し、現在の日光市が発足した。市役所本庁は旧今市市役所(今市本町)である。全国の市では高山市浜松市に次いで全国第三位、栃木県全体の約22%を占める広大な面積を有している。「四季の彩りに風薫るひかりの郷」を掲げ、国際観光都市としての振興を図っている。

市内の観光地・景勝地としては、旧日光[3]日光の社寺や、エリアとしての日光[4]日光連山男体山大真名子山小真名子山女峰山赤薙山太郎山など)、中禅寺湖華厳滝竜頭滝戦場ヶ原湯滝湯ノ湖日光湯元温泉、そして行政地域としての現日光市域の鬼怒川温泉川治温泉湯西川温泉、鬼怒沼湿原、龍王峡足尾銅山などがある。1999年には「日光の社寺」が世界遺産に登録された。

また、建築家丹下健三芦原義信隈研吾アントニン・レーモンド等)による近・現代建築が多数存在する地域でもある。

[編集] 地理

栃木県の北西部に位置する。

従来の「日光」市街は、鬼怒川支流の大谷川中流に在る渓谷の左右河岸、標高600メートル前後の平坦地に形成されている。大谷川をさらに遡ると馬返に達し、ここで平坦地は終了する。馬返の西側は峻険地で、いろは坂を境としてその西側に堰止湖である中禅寺湖沿岸部に標高1,200メートル前後の平坦地が存在するほか、やはりかつての堰止湖で現在は戦場ヶ原と呼ばれる湿原である標高1,400メートル前後の平坦地、さらに同じく堰止湖である湯ノ湖沿岸部に標高1,600メートル前後の平坦地が存在する。

[編集] 気候

年間降水量は1,600 - 2,100mm程度で、うち約2/3は6 - 9月の降水であり、冬季(12 - 2月)の降水量は合計100 - 180mm程度と少ない。湿度は夏季が85 - 90%と非常に蒸すのに対し、冬季は65%程度と乾燥する。気候は、山間部では冬季に最大30 - 70cmの積雪を呈するものの、おおむね夏季に多雨で高湿となり冬季に少雨で乾燥するという、典型的な太平洋側気候を呈している。

神橋

[編集] 歴史

江戸時代以前、日光は日光山門前町修験道の道場であり山岳信仰の聖地であった。鎌倉時代には日光権現として知られていた。その後、徳川家康が覇権を握ると家康に仕えその深い信頼を得ていた慈眼大師天海が家康の力により日光山貫主となり、家康の死後はその進言により家康の神号が権現となり廟所も日光東照宮となった。日光が参詣客(物見遊山)で賑わうようになったのはこの頃からである。日光参詣のために、日光街道を初め、日光西街道(壬生通り)、日光例幣使街道、日光北街道、会津西街道など、多くの参拝路が整備された。

明治時代に入ると富国強兵の国策のもと、海外からお雇い外国人が渡航するようになり、当時海外にも広く知られていた景勝地日光を訪れる外国人が増えた。イザベラ・バードフランツ・フェルディナント大公日光滞在中の出来事を手記として残し、当時の日光の様子を知る貴重な文献として知られている。こうした外国人が日光に快適に滞在・宿泊するため、ホテルなどの施設が整備され、以後、国際観光都市として広く世界に知られるようになった。

江戸時代まで
明治維新以後

[編集] 人口

Demography09206.svg
日光市と全国の年齢別人口分布(2005年) 日光市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 日光市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
日光市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 99,415人
1975年 96,404人
1980年 97,515人
1985年 96,634人
1990年 96,859人
1995年 99,988人
2000年 98,143人
2005年 94,291人
2010年 90,064人
総務省統計局 / 国勢調査

[編集] 行政

[編集] 警察署

[編集] 消防

[編集] 図書館

  • 今市図書館
  • 日光図書館
  • 藤原図書館

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 日本国外

[編集] 日本国内

[編集] 産業

日光市は山が多く降水量もそれなりにあるので多くの水力発電所を有する。 大谷川水系の豊富な水と険しい地形による落差を利用して、水車動力を利用した紡績事業が行われていた。それらの施設は再利用され現在は水力発電が行われている。

旧日光市地域の主な産業は、観光鉱工業である。 足尾銅山産出の索道を用いて細尾峠を超えて運び込み、水力発電の電力を利用して精錬していた。アルミニウムの精錬事業も行われている。 他には、コンクリートブロックの作成なども行われている。かつては砕石業も行われていた。

中禅寺湖においてヒメマスの養殖が行われており、中禅寺湖ヒメマス(日光ヒメマス)としてブランド化されている[1]

旧今市市地域の主な産業は木工食品加工農業などである。 日光街道沿いの商店街は旧今市市のメインストリートであったが、中心的な商業施設として客足を集めていた長崎屋やいせや(現・ベイシア)が1990年代に相次いで店舗を閉鎖した時期を機に衰退を続け、2000年代後半以降は空き店舗が目立つシャッター通りと化している。

[編集] 鉱工業

[編集] 水力発電所

  • 菖蒲ヶ浜水力発電所(東京電力)
  • 日光第一発電所(東京電力)
  • 日光第二発電所(東京電力)
  • 赤沢発電所(東京電力)
  • 所野第一発電所(東京電力)
  • 所野第二発電所(東京電力)
  • 所野第三発電所(東京電力)
  • 細尾第一水力発電所 跡(古河機械金属) - 廃止
  • 馬道水力発電所(古河日光発電)
  • 細尾水力発電所(古河日光発電)
  • 今市水力発電所(東京電力) - 今市ダム栗山ダムを利用した揚水式発電。

[編集] 食品加工業

[編集] 日光市に本社を置く主な企業

[編集] 学校

[編集] 高等学校

栃木県立

[編集] 中学校

市立

  • 日光中学校
  • 東中学校
  • 今市中学校
  • 大沢中学校
  • 小林中学校
  • 豊岡中学校
  • 東原中学校
  • 落合中学校
  • 藤原中学校
  • 三依中学校
  • 足尾中学校
  • 栗山中学校

[編集] 小中併設校

市立

  • 中宮祠小中学校
  • 小来川小中学校
  • 川治小中学校
  • 湯西川小中学校
  • 川俣小中学校

[編集] 小学校

市立

  • 日光小学校
  • 安良沢小学校
  • 清滝小学校
  • 所野小学校
  • 野口小学校
  • 日光市立南原小学校
  • 猪倉小学校
  • 今市小学校
  • 今市第二小学校
  • 今市第三小学校
  • 大桑小学校
  • 大沢小学校
  • 大室小学校
  • 落合西小学校
  • 落合東小学校
  • 小林小学校
  • 小百小学校
  • 轟小学校
  • 南原小学校
  • 鬼怒川小学校
  • 下原小学校
  • 三依小学校
  • 足尾小学校
  • 栗山小学校

[編集] 交通

[編集] 鉄道路線

なお、東武鉄道・JR東日本の浅草・新宿~日光間における優等列車については、「日光」、「けごん」の項目を参照のこと。

[編集] 主な路線

(※ 旧日光市の駅、路線はこの書体で表示する。)

東日本旅客鉄道(JR東日本)
日光線文挟駅 - 下野大沢駅 - 今市駅 - 日光駅
東武鉄道
日光線下小代駅 - 明神駅 - 下今市駅 - 上今市駅 - 東武日光駅
鬼怒川線下今市駅 - 大谷向駅 - 大桑駅 - 新高徳駅 - 小佐越駅 - 鬼怒川温泉駅 - 鬼怒川公園駅 - 新藤原駅
野岩鉄道
会津鬼怒川線新藤原駅 - 龍王峡駅 - 川治温泉駅 - 川治湯元駅 - 湯西川温泉駅 - 中三依温泉駅 - 上三依塩原温泉口駅 - 男鹿高原駅
わたらせ渓谷鐵道
わたらせ渓谷線原向駅 - 通洞駅 - 足尾駅 - 間藤駅
廃止された路線
東武日光軌道線1968年廃止)
東武日光鋼索鉄道線1970年廃止)
東武矢板線1959年廃止)

[編集] バス路線

  • 関東自動車
    • JR宇都宮駅 - 徳次郎 - 大沢 - 今市 - 日光東照宮
    • (JR宇都宮駅 - 徳次郎 - 大沢 - 今市車庫)
    • (JR宇都宮駅 - 石那田 - 塩野室 - 佐貫 - 船生)
    • (下小林 - 塩野室 - 大室 - 東武下今市駅入口 - 今市車庫)
  • 東武バス日光
  • 日光交通
  • 藤田合同バス東武矢板線の転換バス路線)
  • しおや交通
    • (鬼怒川温泉駅 - 女夫渕)(土日のみ運行)
  • 日光市営バス
    • (日光駅~清滝~足尾銅山・双愛病院)
      合併前までは足尾町営バスとして運行されていた路線。国土交通省により、自治体が運営する路線バスは他の自治体に跨がないように指導されていたが、住民の利便性を考慮し特例として日光駅まで運行されていた。合併によってこの制限から解放され、1日2往復設定されていた日光市内の清滝折り返し便が日光駅まで直通できるようになり、日光駅発着便が4往復に増便されることとなった。ただし路線が競合する東武バスとの協議により、旧日光市内での乗降制限は継続されている。
    • (市役所~小百)(市役所~下猪倉)(市役所~大渡)(市役所~温泉保養センター)
      合併前までは今市市営バスとして運行されていた路線である。元々は関東自動車の一般路線が運行されていた区間、系統である
    • (今市車庫~行川~小来川森崎)
      合併前までは、旧日光市廃止代替バスとして運行されていた路線で、関東自動車が運行を委託されている。廃止代替バスであるが、協定により3社共通バスカードが使用出来る。
      元々は関東自動車の一般路線として、今市~小来川~板荷~鹿沼間を運行していた系統である。
    • 鬼怒川温泉駅川治温泉駅~青柳~女夫渕)
      合併前までは、栗山村営バスとして運行されていた路線である。元々は東武鉄道バスが運行していた。温泉ブームの影響等の要因が追い風となり、バス車両のサイズは大型車であった。その後しおや交通に運行委託。
  • 那須塩原市営バス
  • 関東鉄道(日光・鬼怒川温泉~JR水戸駅)

[編集] 道路

        :旧今市市(旧今市町)の道路元標は通称「相の道」入り口国道119号・旧国道121号の交点・日野爲商店前の歩道上)。


[編集] 高速道路有料道路

[編集] 一般国道

[編集] 栃木県道

[編集] 林道

[編集] 観光

「日光を見ずして結構と言うなかれ」という格言の通り、自然の景勝と歴史的建造物など、古来より変わらぬ歴史的観光資産が散在する。

[編集] 世界遺産

日光東照宮陽明門
(日光山内)

以下の二社一寺が日光の社寺として、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている。

[編集] 日光市街地

近代・現代建築

[編集] 奥日光・中禅寺湖付近

[編集] 奥日光・戦場ヶ原地区

[編集] 奥日光・湯ノ湖地区

[編集] 霧降地区

[編集] 今市地区

  • 歴史民俗資料館
  • 大笹牧場
  • 日光ワンニャン村
  • そばまつり
  • 日光街道杉並木まつり


[編集] 鬼怒川地区


[編集] 三依地区

[編集] 栗山地区

[編集] 足尾地区

[編集] 特産品

[編集] 出身有名人

[編集] 有名人来訪歴

[編集] 日光が舞台の作品

[編集] 唱歌

1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』第四集奥州磐城編は、上野駅から東北本線を経て弘前駅まで行き、常磐線経由で上野に帰るような構成となっているが、その往路にて、宇都宮駅から日光線に入り、日光にわざわざ立ち寄っている。これは、大和田の歴史好きと、日光がこの地域において外せない名所であった事が関係していると見られている。

11.いざ乗り替えん日光の 線路これより分かれたり 二十五マイル走りなば 一時半にて着くという
12.日光見ずは結構と いうなといいし諺(ことわざ)も おもいしらるる宮の様 花か紅葉か金襴か
13.東照宮の壮麗も 三大廟の高大も みるまに一日(ひとひ)日ぐらしの 陽明門は是(これ)かとよ
14.滝は華厳の音たかく 百雷谷に吼え叫ぶ 裏見霧降とりどりに 雲よりおつる物すごさ

[編集] 映画

日光市は、2007年度にフィルムコミッションを設立し、ロケ地の発掘や誘致に力を入れたいとしている。

[編集] ドラマ

[編集] 脚注

  1. ^ イザベラ・バードフランツ・フェルディナント大公の日光訪問の手記が、当時の日光を詳らかに示している。
  2. ^ 日光東照宮の雅楽奏者であった金谷善一郎はイザベラ・バードを自邸(鉢石町)に滞在させ、その後同地に日光金谷ホテルを創設した。イザベラ・バード著『日本紀行』による。
  3. ^ 明治初期の日本人にとって「日光」は鉢石町と入町であった。フランツ・フェルディナント著『日本日記』による。
  4. ^ 明治初期の日本人にとって広義の「日光」は海抜600メートル以上の火山性山地であった。フランツ・フェルディナント著『日本日記』による。
  5. ^ 図典 日本の市町村章 p70

[編集] 関連項目


[編集] 外部リンク

公式

観光

その他

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