清水エスパルス
| 清水エスパルス | |
|---|---|
| 原語表記 | 清水エスパルス |
| 愛称 | エスパルス |
| クラブカラー | オレンジ[1] |
| 創設年 | 1991年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン1 |
| クラブライセンス | J1・J2 |
| ホームタウン | 静岡県静岡市[1] |
| ホームスタジアム | IAIスタジアム日本平[1] |
| 収容人数 | 20,281[1] |
| 運営法人 | 株式会社エスパルス[1] |
| 代表者 | 竹内康人[1] |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 本社所在地 | 〒424-0901[1] 静岡県静岡市清水区三保2695-1[1] |
| 設立 | 1998年[1] |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営 |
| 代表者 | 竹内康人 |
| 資本金 | 5億5,500万円 (2012年1月期)[2] |
| 売上高 | 31億1,800万円 (2012年1月期)[2] |
| 経常利益 | ▲6,400万円 (2012年1月期)[2] |
| 営業利益 | ▲7,300万円 (2012年1月期)[2] |
| 純利益 | ▲7,700万円 (2012年1月期)[2] |
| 純資産 | 4億700万円 (2012年1月期)[2] |
| 総資産 | 10億9,300万円 (2012年1月期)[2] |
| 決算期 | 1月期 |
| 主要株主 | 鈴与ホールディングス 他 |
| 外部リンク | http://www.s-pulse.co.jp |
| 特記事項:1998年2月1日、エスラップ・コミュニケーションズより営業権譲受 | |
清水エスパルス(しみずエスパルス、Shimizu S-Pulse)は、日本の静岡県静岡市をホームタウンとする日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
概要 [編集]
1991年にJリーグへ加盟。ホームタウンは国内屈指のサッカー王国である静岡県静岡市(合併前は清水市)[1]。ホームスタジアムはIAIスタジアム日本平[1]、練習場はエスパルス三保グラウンドである[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。チーム名の「エス(S)」は「サッカー、清水、静岡」の頭文字で、「パルス(PULSE)」は英語で心臓の鼓動を意味する[1]。
クラブマスコットは、パルちゃん(名前の由来はエスパルスとサポーターを結ぶ「友達(パル)」より。耳の羽は現代版羽衣を表す)[1]、パルちゃんの恋人で2012年7月に誕生した[3]ピカルちゃん(名前の由来は勝ち星およびタイトル獲得を示 す星より)[1]、パルちゃんの妹的な存在に当たる[4]こパルちゃん[1]である。なお、パルちゃんは「サッカーに要求される速さ、強さ、賢さをもち、かつ現代的で品格がある可愛く元気のよいキャラクター」と位置づけられ[4]、Jリーグのマスコットの中で屈指のパフォーマーとエスパルス公式サイトでは紹介されている[3]。
歴史 [編集]
Jリーグ加盟前 - 2008年まで [編集]
地元のサッカー少年団である「清水フットボールクラブ」のOBが中心となって結成された静岡社会人リーグ所属の「清水FC」が母体であり、1991年のJリーグ加盟時に清水FCエスパルスと名称を定めた(1996年に清水エスパルスへ名称を変更)。Jリーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」の一つである。1992年のJリーグカップで7月4日に大阪市長居陸上競技場にてガンバ大阪と初試合。公式サイトではこの日を「エスパルスの誕生日」としている。
当初は市民やテレビ静岡(静岡市)[注 1]、中日新聞東海本社(浜松市)、フジテレビジョンなどが出資する株式会社エスラップ・コミュニケーションズにより運営されていたが、1997年に経営破綻。その後、鈴与をはじめとした地元企業が出資する株式会社エスパルスが1998年2月にエスラップ社より営業権を譲り受けた(詳細は後述)。
1991年5月設立の運営会社は資本金の約1割が市民の持ち株である。エスパルス発足当初は、堀池巧、大榎克己、長谷川健太の「清水東三羽烏」などの地元出身の選手や、初代主将となる三浦泰年や新人選手として澤登正朗などを獲得。第1回ナビスコカップ 準優勝(1992年)を果たす。その後もナビスコカップ優勝(1996年)、J1 2ndステージ優勝(1999年)、天皇杯優勝(2001年)などのタイトルを獲得して、国内屈指の強豪クラブとしての地位を確立した。
ただ、その後、リーグ戦では2003年は11位、2004年は14位、2005年は終盤まで残留争いをして、15位で残留を決めるなど低迷期が続いた。低迷した主な原因として若手選手の育成に課題があった。それまで、チームはユースから大量の選手を昇格させるという方針をとってきたが、これらの選手の多くが満足に結果を残してきたとは言い難かった。そのため、スカウトの充実や、ユース選手だけでなく外部からの選手の補強を図ることで、チームの復活を目指した。その結果、2005年度にデビューした枝村匠馬、兵働昭弘、青山直晃ら若手選手が主力として定着し、同年の天皇杯で準優勝の成績を収める。
リーグ戦でのトリプル5(5位以内・勝ち点50以上・50得点以上)の達成を目指して迎えた2006年も新人の藤本淳吾が主力として定着し、青山直晃が日本代表に選出されるなど前年以上に若手選手が台頭。また、元日本代表の森岡隆三、市川大祐、伊東輝悦、斉藤俊秀らも復調して開幕から上位につけ、最終的に4位でシーズンを終え、目標であったトリプル5も達成(4位・勝ち点60・得点60)し、12年ぶりに年間順位でジュビロ磐田を上回った。シーズン終了後には藤本淳吾が新人王を獲得する一方で森岡隆三が出場機会を求めて移籍するなど、世代交代を象徴するシーズンであった。
2009年 [編集]
横浜FCから太田宏介を、浦和から永井雄一郎を、名古屋からフローデ・ヨンセンを獲得し大型補強に成功した。札幌に期限付き移籍していた平岡康裕も復帰。その一方で、高木和道、矢島卓郎、西澤明訓などが移籍した。
開幕戦の大宮戦ではスコアレスドローに終わり、リーグ開幕戦で初めて無得点に抑えられた。それでも夏場までは、引き分けが多い(28節までに11引き分け)ものの、負けないサッカーを展開。特にホームでは負けることがなく、前年から続くリーグ戦ホーム無敗記録を20まで伸ばした(ただし、その間にナビスコカップのホームゲームで山形に敗れている)。9月29日に長谷川健太の監督続投が決定。10月3日の第28節広島戦で1対1で引き分けるも得失点差で鹿島を上回り首位に立ったが、第29節の負ければJ2降格となる大分にシーズン初の逆転負けをしたのを皮切りに、第30節にはFC東京戦ではシーズン初のリーグ戦ホームでの1対2での黒星になるなど、転がり落ちるように連敗を喫し、優勝はおろかACL出場権の得られる3位以内もなくなり、最終順位は7位。また、天皇杯は準決勝で名古屋にPK戦で敗れた。
2010年 [編集]
長谷川体制6年目。新戦力として千葉からボスナーを、VfLボーフムから、3年ぶりのJリーグ復帰となる小野伸二を獲得。柏に期限付き移籍していた杉山浩太、東京Vに期限付き移籍していた廣井友信も復帰した。また、鍋田亜人夢がユースチームから3年ぶりにトップ昇格を果たした。
戦術面では、それまでのリトリートして守りを固めてから速攻するスタイルからポゼッションを高めて主導権を握り続け、攻撃的な姿勢を貫くスタイルに変更し、3トップを基本の布陣とするシステムを採用した。FWの3人は頻繁にポジションチェンジを繰り返すためセンターとウイングの役割に違いは無く、動き回ってパスを引き出すという戦術を敷いている。
第9節の浦和戦で、鹿島、磐田に続き3チーム目のJ1通算300勝を達成した。シーズン終了後に長谷川健太が監督を退任した。
2011年 [編集]
イラン代表監督(当時)のアフシン・ゴトビが監督に就任。伊東輝悦、市川大祐(甲府へ移籍)、青山直晃(横浜FMへ移籍)、西部洋平(湘南へ移籍)、ヨンセンに戦力外通告を行い、また、日本代表である藤本淳吾(名古屋へ移籍)、本田拓也(鹿島へ移籍)、岡崎慎司(VfBシュトゥットガルトへ移籍)をはじめ、兵働昭弘(柏へ移籍)、や原一樹(浦和へ移籍)も他クラブへ移籍するなど、多くの主力選手が清水を退団した。
東京Vから高木俊幸、湘南から村松大輔、韓国Kリーグの水原から元日本代表の高原直泰、ギリシャ・スーパーリーグのイラクリスから元日本代表の小林大悟、全国高等学校サッカー選手権大会で優勝した滝川第二高校から得点王を獲得した樋口寛規、AリーグのシドニーFCからオーストラリア代表のアレックス・ブロスケを獲得した。開幕戦の柏戦で0-3で大敗したが、小野、高原などの活躍もあり、その後は6勝4分け1敗と好調を維持し上位を伺う位置につけたものの、第6節C大阪、第19節広島、第20節新潟と続く夏場のアウェー3連戦全てを0-4で大敗し3連敗。8月にオランダ北京五輪代表のDFカルフィン・ヨン・ア・ピンと元スウェーデン代表のフレドリック・ユングベリを獲得したが、上位に食い込むまでには至らず、終盤J2降格の決まっていた福岡に2点リードの状態から追いつかれて引き分けると、その後の残り3戦を3連敗と、守備に課題を残したまま、10位でシーズンを終了した。
また、9月にはGKコーチで、かつて清水の正GKだった真田雅則が死去した。
開幕直後に発生した東日本大震災によるリーグ戦の中断期間中にはJリーグクラブで唯一海外での被災者支援のチャリティーマッチを行なう為オランダに渡り、アヤックス・アムステルダムと対戦した。この試合の入場料などの収益と約2週間の募金活動で合計約600万ユーロ(約7億2600万円)が集まり、オランダ赤十字を通して義援金として寄付されている[5]。
2012年 [編集]
ゴトビ体制2年目。
永井雄一郎が横浜F、木島悠が大分、山本真希が札幌へ、児玉新がC大阪へ、太田宏介がFC東京へ、ボスナーが水原三星ブルーウィングス(大韓民国)へそれぞれ完全移籍、岡根直哉が山形へ、竹内涼が北九州へ期限付き移籍、昨シーズン熊本へ期限付き移籍していた長沢駿は京都へ、新潟へ期限付き移籍していた武田洋平はG大阪へ期限付き移籍、熊本に期限付き移籍している廣井友信の期限付き移籍が延長された。
補強は、大分から姜成浩、甲府から吉田豊、ROCシャルルロワ=マルシェンヌ(ベルギー)から林彰洋、FCチョルノモレツ・オデッサ(ウクライナ)からジミー・フランサが完全移籍で加入、犬飼智也、河井陽介、八反田康平、柏瀬暁、白崎凌兵、李記帝が新加入した。また、ユース登録の石毛秀樹が2種登録された。
2011年シーズンの経験と反省を活かすべく、2012年は1月から始動し、同月23日から26日、2012アジアスーパーチャレンジカップに出場[6][注 2]。
3月15日、IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)による21世紀のアジアクラブ・ランクで21位となった。これはJリーグのクラブの中ではG大阪、鹿島、浦和に次いで、第4位である。
序盤は好調を維持し、第10節終了時点で首位ベガルタ仙台と勝ち点差2の2位につける。しかし、第11節セレッソ大阪戦から第19節横浜F・マリノス戦まで9戦勝利なし(4分5敗)と失速する。第20節サンフレッチェ広島戦で逆転勝利を収めると、徐々に勢いを取り戻す。第30節終了時点で4位につけている。その後、1分け3敗と4戦未勝利で再び失速し9位となった。
ヤマザキナビスコカップの予選は、第7節で鹿島アントラーズに敗れるものの、第6節まで全勝で予選突破する。準々決勝の名古屋グランパス、準決勝のFC東京ともに、第1戦では敗戦するものの、第2戦で勝利を収め決勝に進出する。決勝では鹿島に1-2で敗れ準優勝に終わった。なお、石毛秀樹がニューヒーロー賞に選ばれている。
シーズン途中に、辻尾真二(サンフレッチェ広島)、岩下敬輔(ガンバ大阪)、枝村匠馬(セレッソ大阪)、橘章斗(松本山雅)といった生え抜き選手のほか、ジミー・フランサ(東京ヴェルディ)を期限つきで放出。小野伸二やアレックスもシーズン途中でチームを去るなどチームは混乱した。三吉聖王や金賢聖が途中加入したほか、強化指定選手として筑波大学の瀬沼優司が加入した。
成績 [編集]
詳細は「清水エスパルスの年度別成績一覧」を参照
開幕戦戦績 [編集]
| 年度 | 対戦相手 | スコア | 勝敗 |
|---|---|---|---|
| 1993年5月16日 | 横浜フリューゲルス | 2-3 | 負け |
| 1994年3月12日 | 横浜フリューゲルス | 1-0 | 勝ち |
| 1995年3月18日 | 柏レイソル | 3-2 | Vゴール勝ち |
| 1996年3月16日 | 鹿島アントラーズ | 1-4 | 負け |
| 1997年4月12日 | 柏レイソル | 1-0 | 勝ち |
| 1998年3月21日 | コンサドーレ札幌 | 4-1 | 勝ち |
| 1999年3月6日 | ヴェルディ川崎 | 3-1 | 勝ち |
| 2000年3月11日 | セレッソ大阪 | 3-2 | 勝ち |
| 2001年3月10日 | 柏レイソル | 1-2 | 負け |
| 2002年3月3日 | ヴィッセル神戸 | 1-0 | Vゴール勝ち |
| 2003年3月22日 | 名古屋グランパスエイト | 2-2 | 引分 |
| 2004年3月13日 | サンフレッチェ広島 | 1-1 | 引分 |
| 2005年3月5日 | サンフレッチェ広島 | 1-1 | 引分 |
| 2006年3月5日 | ヴァンフォーレ甲府 | 2-0 | 勝ち |
| 2007年3月3日 | ヴィッセル神戸 | 1-0 | 勝ち |
| 2008年3月8日 | 大分トリニータ | 1-2 | 負け |
| 2009年3月8日 | 大宮アルディージャ | 0-0 | 引分 |
| 2010年3月6日 | サンフレッチェ広島 | 1-1 | 引分 |
| 2011年3月5日 | 柏レイソル | 0-3 | 負け |
| 2012年3月10日 | 名古屋グランパスエイト | 0-1 | 負け |
| 2013年3月2日 | 大宮アルディージャ | 2-2 | 引分 |
タイトル [編集]
国内タイトル [編集]
- Jリーグ ディビジョン1
- 2ndステージ:1回
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回
- ヤマザキナビスコカップ:1回
- スーパーカップ:2回
- 2001、2002
国際タイトル [編集]
個人別 [編集]
-
- 1999年 アレックス
-
- 1998年 オズワルド・アルディレス
- 1999年 スティーブ・ペリマン
-
- 1993年 澤登正朗
- 1996年 斉藤俊秀
- 2006年 藤本淳吾
-
- 1996年 カルロス・サントス
-
- 最優秀選手 (MVP)
- 2000年 アレックス
その他受賞 [編集]
-
- 2002年 カルロス・サントス
- 2006年 澤登正朗
-
- フェアプレー特別賞
- 1998年
-
- フェアプレー賞 高円宮杯
- 2008年
-
- ベストピッチ賞
- 2004年 静岡市清水日本平運動公園球技場
- 2008年 静岡市清水日本平運動公園球技場
- 2009年 アウトソーシングスタジアム日本平
- 2010年 アウトソーシングスタジアム日本平
- 2011年 アウトソーシングスタジアム日本平
- 2012年 アウトソーシングスタジアム日本平
-
- 1999年 - 澤登正朗
-
- 国際サッカー歴史統計連盟世界得点ランキング 得点王
- 2009年 - 岡崎慎司
- エスパルス栄誉賞 (1999年に制定)
-
- 2011年 石毛秀樹(清水エスパルスユース)
クラブ記録 [編集]
連勝記録 [編集]
- リーグ戦
- 9試合 【1993年7月31日 NICOS第2節 対広島 - 1993年11月6日 NICOS第10節 対広島】
- 9試合 【1994年3月26日 サントリー第5節 対V川崎 - 1994年4月30日 サントリー第13節 対平塚】
連敗記録 [編集]
- リーグ戦
- 7試合 【1996年5月4日 第12節 対浦和 - 1996年9月7日 第18節 対V川崎】
連続無敗記録 [編集]
- リーグ戦
- 13試合 【2009年7月4日 第16節 対京都 - 2009年10月3日 第28節 対広島】
- リーグ戦ホーム
- 22試合 【2008年7月20日 第18節 対新潟 - 2009年10月3日 第28節 対広島】
連続未勝利記録 [編集]
- リーグ戦
- 9試合 【2012年5月12日 第11節 対C大阪 - 2012年7月28日 第19節 対横浜FM】
最多得点記録 [編集]
- リーグ戦
- 6-0 【1998年9月12日 2nd第4節 対福岡】
- 6-3 【2001年10月13日 2nd第8節 対神戸】
- 6-3 【2010年8月1日 第16節 対湘南】
最多失点記録 [編集]
- リーグ戦
- 1-6 【1995年6月24日 サントリー第19節 対横浜F】
連続得点記録 [編集]
- リーグ戦
- 21試合 【2009年5月5日 第10節 対千葉 - 2009年10月25日 第30節 対FC東京】
連続失点記録 [編集]
- リーグ戦
- 16試合 【2005年7月13日 第16節 対FC東京 - 2005年11月20日 第31節 対柏】
連続無失点記録 [編集]
- リーグ戦
- 6試合 【1993年8月4日 NICOS第3節 対横浜M - 1993年8月28日 NICOS第8節 対V川崎】 (J1リーグ記録)
個人記録 [編集]
リーグ戦通算出場記録 [編集]
※2013年4月27日現在。他チームでの出場も含む。
※現在清水に所属中、もしくは、引退時に清水に所属していた選手のみ記載。
リーグ戦シーズン最多得点 [編集]
- 22得点 - トニーニョ (1994年)
リーグ戦通算最多得点 [編集]
- 85得点 - 澤登正朗
リーグ戦無失点記録 [編集]
- 731分 - シジマール (J1リーグ記録)
リーグ戦記念ゴール [編集]
- 7500得点目 - 久保山由清 【2001年11月3日 2nd第12節 対市原】
- 15000得点目 - 辻尾真二 【2011年5月22日 第12節 対大宮】
奇しくも、背番号15を着けた2選手が記念ゴールを決めている。
ハットトリック [編集]
- 3得点
スタジアム・練習場 [編集]
IAIスタジアム日本平(旧名称:静岡市清水日本平運動公園球技場)がホームスタジアムであり、静岡県小笠山総合運動公園スタジアム(エコパスタジアム)で不定期にホームゲームを開催する。なお、過去の開催スタジアムは当項目を参照のこと。
練習場はエスパルス三保グラウンドであるが、過去は静岡市清水総合運動場等も使用していた。
年度別観客動員記録 [編集]
- 「アイスタ」:IAIスタジアム日本平(「日本平」:静岡市清水日本平運動公園球技場、「アウスタ」:アウトソーシングスタジアム日本平)、「草薙陸」:静岡県草薙総合運動場陸上競技場
「エコパ」:静岡県小笠山総合運動公園スタジアム、「国立」:国立霞ヶ丘陸上競技場、「神戸ユ」:神戸総合運動公園ユニバー記念競技場、「長崎」:長崎県立総合運動公園陸上競技場
「石川」:石川県西部緑地公園陸上競技場
| 年度 | 所属 | 合計 動員数 |
最多 動員数 |
最少 動員数 |
平均 動員数 |
ホーム 試合数 |
ホームゲーム 開催スタジアム |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1993 | J | 332,312 | 51,825 | 8,699 | 18,462 | 18 | |
| 1994 | 433,981 | 52,218 | 9,652 | 19,726 | 22 | ||
| 1995 | 513,425 | 43,502 | 12,611 | 19,747 | 26 | 日本平21、草薙陸2、国立2、石川1 | |
| 1996 | 194,432 | 21,931 | 7,348 | 12,962 | 15 | 日本平12、国立1、神戸ユ1、長崎1 | |
| 1997 | 158,208 | 17,756 | 6,177 | 9,888 | 16 | 日本平16 | |
| 1998 | 209,061 | 19,544 | 9,314 | 12,298 | 17 | 日本平17 | |
| 1999 | J1 | 193,246 | 20,059 | 8,237 | 12,883 | 15 | 日本平15 |
| 2000 | 186,336 | 19,539 | 7,356 | 12,422 | 15 | 日本平14、草薙陸1 | |
| 2001 | 239,596 | 52,959 | 6,375 | 15,973 | 15 | 日本平13、エコパ1、草薙陸1 | |
| 2002 | 224,443 | 19,763 | 11,258 | 14,963 | 15 | 日本平14、エコパ1 | |
| 2003 | 244,264 | 33,679 | 10,445 | 16,284 | 15 | 日本平8、草薙陸4、エコパ2、国立1 | |
| 2004 | 203,521 | 39,120 | 8,230 | 13,568 | 15 | 日本平13、エコパ2 | |
| 2005 | 216,784 | 21,730 | 7,280 | 12,752 | 17 | 日本平16、エコパ1 | |
| 2006 | 243,137 | 24,920 | 9,079 | 14,302 | 17 | 日本平15、エコパ1、国立1 | |
| 2007 | 271,180 | 20,318 | 11,460 | 15,952 | 17 | 日本平17 | |
| 2008 | 282,190 | 20,330 | 13,855 | 16,599 | 17 | 日本平17 | |
| 2009 | 304,900 | 30,851 | 9,756 | 17,935 | 17 | アウスタ16、エコパ1 | |
| 2010 | 306,017 | 38,851 | 7,117 | 18,001 | 17 | アウスタ16、エコパ1 | |
| 2011 | 268,614 | 21,524 | 10,745 | 15,801 | 17 | アウスタ16、エコパ1 | |
| 2012 | 257,054 | 23,188 | 8,710 | 15,121 | 17 | アウスタ16、エコパ1 | |
| 2013 | 17 | アイスタ16、エコパ1 |
ダービーマッチ [編集]
静岡ダービー [編集]
富士山ダービー [編集]
キャッチフレーズ [編集]
| 年度 | スローガン |
|---|---|
| 1998年 | Break Through |
| 1999年 | dream stadium 1999 |
| 2000年 | big mission 2000 |
| 2001年 | Dynamic Soccer 2001 |
| 2002年 | Orange Fantasia 2002 |
| 2003年 | EXCITING FIELD 2003 |
| 2004年 | HARD & ATTACK 2004 |
| 2005年 | 2005 かける想い |
| 2006年 | かける想い S-PULSE 2006 |
| 2007年 | かける想い S-PULSE 2007 |
| 2008年 | WE BELIEVE 2008 |
| 2009年 | WE BELIEVE 2009 |
| 2010年 | THE CONFIDENCE |
| 2011年 | Spirit Up! |
| 2012年 | 「一」 One Team,One Mission. |
| 2013年 | One team,One mission.FORWARD! |
国際大会出場選手 [編集]
- FIFAワールドカップ日本代表
- ドーハの悲劇となった1994 FIFAワールドカップの最終予選では、長谷川健太、堀池巧、三浦泰年、澤登正朗が選出されている。
- 1998 FIFAワールドカップでは市川が最終候補まで残った。その後、チームには帯同した。
- 2002 FIFAワールドカップでは、大会前まで伊東が主力として活躍していたが、大怪我からの復帰直後により選出されなかった。
- 2002 FIFAワールドカップの清水からの選出人数4人は、鹿島の6人に次ぐ数字である。また、市川や戸田は本来DFの選手であるが、この大会はMF登録で扱われた。
- 2002 FIFAワールドカップのチュニジア戦で、市川が中田英寿のゴールをアシストした。
- 2002 FIFAワールドカップで、戸田が全試合でフル出場を果たしている。
- 日本代表以外では、1994 FIFAワールドカップではブラジル代表にロナウド、2006 FIFAワールドカップでは韓国代表にチョ・ジェジンが選出されており、クラブ創立以来全てのW杯本大会に代表選手を送り出している。
- 2010 FIFAワールドカップのデンマーク戦で、岡崎が、清水所属の選手として初めてワールドカップでゴールを挙げた。
- 1996年アトランタオリンピック
- 2000年シドニーオリンピック
- DF:森岡隆三 (オーバーエイジ枠)
- 2004年アテネオリンピック
- GK:黒河貴矢
- 2008年北京オリンピック
- 2012年ロンドンオリンピック
- MF:村松大輔
- 1996年アトランタオリンピックで、清水からの選出人数3人は、横浜マリノス(当時)、ジュビロ磐田、サンフレッチェ広島と並び、最多タイである。
- 1996年アトランタオリンピックのグループリーグ初戦のブラジル戦で、伊東が決勝ゴールをあげた(マイアミの奇跡)。
- 2000年シドニーオリンピックでは、市川大祐と戸田和幸が予備登録メンバーに残っている。
- 2008年北京オリンピックで、清水からの選出人数3人は全クラブ中で最も多い。また、本大会出場は叶わなかったが、枝村匠馬が予備登録メンバーに残り、青山直晃がバックアップメンバーとして選出されている。岩下敬輔、平岡康裕、武田洋平なども代表合宿に招集を受けていた。
- 2012年ロンドンオリンピックで、林彰洋が、オーバーエイジ枠でバックアップメンバーとして選出されている。
- 1999 FIFAワールドユース選手権では、市川大祐が大会直前で疾病にかかり、本登録メンバーから外れた。
- 2005 FIFAワールドユース選手権で、山本真希が飛び級ながら最終候補まで残った。
- AFCユース選手権2006(兼2007 FIFA U-20ワールドカップアジア予選)には、山本真希が10番を背負い出場。
- 2011 FIFA U-17ワールドカップ
- MF: 石毛秀樹 (清水エスパルスユース)
ユニフォーム [編集]
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チームカラー [編集]
ユニフォームスポンサー [編集]
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | 鈴与 | Suzuyo | 2006年 - | 2003年途中 - 2004年までは袖 |
| 背中 | 江崎グリコ | glico | 1992年 - | |
| 袖 | 日本航空 | JAL | 2006年 - 2010年 2013年 - |
1992年 - 2005年は胸 2011年 - 2012年はパンツ |
| パンツ | なし |
ユニフォームデザイン [編集]
- チームのホームタウンである静岡県が日本でも有数のミカンの生産地であり、また喜び・希望・若さ・前進・元気などをイメージさせる色であることがチームを象徴するにふさわしいとして定められた。
- JALの広告の下に描かれていた世界地図(中世の世界地図がモチーフ)がユニフォームのトレードマークでもあったが2007年にユニフォームサプライヤーのプーマの世界戦略モデルユニフォーム導入にともない一時消滅するも、2012年シーズンより復活した[8]。
- タイトル獲得チームであるが、タイトル獲得を表す星をユニフォームに入れていない[注 3]。
ユニフォームサプライの遍歴 [編集]
歴代ユニフォームスポンサー年表 [編集]
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1992 | JAL | HONEN | glico | – | PUMA |
| 1993 | Mizuno /PUMA |
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| 1994 | |||||
| 1995 | |||||
| 1996 | |||||
| 1997 | PUMA | ||||
| 1998 | |||||
| 1999 | |||||
| 2000 | |||||
| 2001 | |||||
| 2002 | 豊年 | ||||
| 2003 | 豊年/Suzuyo | ||||
| 2004 | Suzuyo | ||||
| 2005 | star☆ | THE 3RD PLANET |
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| 2006 | Suzuyo | JAL | |||
| 2007 | CRS | ||||
| 2008 | SAN-AI | ||||
| 2009 | |||||
| 2010 | |||||
| 2011 | アウト ソーシング! |
JAL | |||
| 2012 | |||||
| 2013 | JAL | - |
JALによる広告掲出について [編集]
日本航空(JAL)によるユニフォームの胸部分への広告掲出(ゼッケンスポンサー)は他のチームの先駆けとなるものであったが、これには次のような逸話がある。
Jリーグ初年度参加の10チームが発表されたころ、日本航空宣伝部にいた欧州サッカー通の社員が次のようなことを考えた。
「欧州サッカーでは80年代からゼッケンスポンサーがが始まった。日本で始まるプロサーカーの中に清水FCというチームがある。他の9チームは企業チームだから胸に親企業の社名・商品名を入れるだろう。清水はどうするのか。ひょっとしたら空いているのかもしれない。空いているんだったら買いに行けば面白いんじゃないか・・・」
91年月5月、清水FC代表に了解を取り付け、チーム側営業担当と面会した。チーム側営業担当は当初は「売りもしないのに勝手に日本航空が買いに来た」と面食らったが、「こういう商売もあったのか」と興味を持ち、水面下で話は進んでいった。
しかし91年9月19日、日刊スポーツ紙に「JAL 清水エスパルスを援助」と大見出しですっぱ抜かれてしまう。 直属の上司からは「どこから漏れたのかはわからないが、漏れるような話じゃダメだな。あきらめろ」 と撤退を勧告された。またこのスクープによって「ゼッケンスポンサー」という広告の魅力に気付いた大企業は各チームとの交渉を開始した。
「日本初のゼッケンスポンサー」を考えた日航の宣伝部員は「このままではアイディアを他企業に横取りされてしまう」とノイローゼになり、退社をも考えたが、清水側の営業担当の笑顔に励まされた。 実は日刊スポーツ紙のスクープ以来、清水エスパルスには日本航空以外の企業からの売り込みがあった。しかし清水側は最初にゼッケンスポンサーの話を持ちかけた日本航空とその担当者に敬意を表し、他企業からのゼッケンスポンサーの申し出を断り続けていた。
92年2月、日航の宣伝部員は再度上司にB4判5枚にも上る企画書を提出し、カケに出る。 企画書には協賛主旨として企業利益の社会還元、継続的な露出などの他にライバル企業である全日空対策(初年度参加チームのA.S.横浜フリューゲルスの親会社)として
Jリーグにおける全日空のイメージ独占を阻止できる。「JAL」対「ANA」として注目を集める中、「清水FC」は「全日空FC」に勝てる可能性は非常に高いチーム。 プロチーム所有と比較して十分の一以下の費用。更には移籍可能性のある選手としてスーパースター三浦知良(カズ)や北澤豪の名前を勝手に盛り込んだ。
数々の障害をはねのけ、ついに努力は実を結び、92年5月16日、清水エスパルスは日本航空とのスポンサー契約を結んだ。 JALの機内ではエスパルスの勇姿がビデオに映し出され、機内誌には毎号選手紹介の特集ページが組まれ、空港には「頑張れ!エスパルス」のポスターが貼られ、各都市の繁華街にある「JALプラザ」ではJAL・エスパルスグッズが販売されるようになった。[9]
2010年1月19日にJALが会社更生法を申請した為、スポンサーを継続することが困難となったが、チーム創設以来継続して支援を行っていた事に敬意を表し、それ以降も無償で広告を提供している。
スポンサー [編集]
スポンサーについては、スポンサー一覧を参照
出資会社 [編集]
サポーターの特徴 [編集]
応援スタイル [編集]
サポーターによる応援では多くの楽器を用いてサンバを踊るなど、応援に関してはJリーグクラブの中でもかなり特徴的な応援である。静岡県は在日ブラジル人の比率が高く[注 4]、さらにサッカー少年団の遠征などでブラジルとの交流が深かったため、ブラジルの文化であるサンバが受け入れられやすい環境にあった上、清水エスパルスの発足当時は監督・コーチ・外国人選手もブラジル人が多かった[注 5]事もあり、エスパルスではサンバ応援が定着し、その後も継承された。なお、Jリーグの発足直後はヴェルディ川崎や横浜フリューゲルスでもサンバ隊による応援が行われていたが、横浜Fのサポーター有志が中心となって作られた横浜FCを最後に他のクラブではサンバによる応援が姿を消したため、Jリーグではサンバは清水独特のものとなった。
2011年からはサンバ応援の「エスパルスサンバ隊」がブログとツイッターを開始し、試合での活動やサンバ練習の予定などを公表している。一方、全てポルトガル語で歌われるサンバとは別に、日本語の歌詞が付いた応援歌やチャントも作られている。
また、日本平で試合に勝利すると公式応援歌「王者の旗」が流されるが(下記参照)、2008年からはサポーターが応援の一種であるロコロコ(通称:勝ちロコ。原曲はブラジルのサンパウロFCのサポーター“INDEPENDENTE”が歌っている)が踊るようになり、2009年以降選手・サポーター・ORANGE WAVE・パルちゃん含めて皆で踊るようになった。
公式応援歌 [編集]
- 「王者の旗」
- 作詞:一般公募作品
- 作曲:林哲司
- 2000年8月30日制定
ホームゲームでエスパルスが勝利した試合の後、場内に流され、サポーターが合唱する。CDでは高井治が歌っている。
また、サポーターズソングとしてribbonが歌う「"S"ENSATIONAL WIND」が存在していた。
関連施設 [編集]
- エスパルスドリームフィールド (フットサル施設)
- エスパルスドリームフィールド清水
- エスパルスドリームフィールド静岡
- エスパルスドリームフィールド富士
- エスパルスドリームフィールド藤枝
- エスパルスドリームフィールド駿東
- エスパルスドリームハウス (オフィシャルショップ)
- エスパルスドリームハウス清水
- エスパルスドリームハウス静岡葵
- エスパルスドリームハウス静岡駿河 (エスパルスドリームフィールド静岡併設)
- エスパルスドリームハウス駿東 (エスパルスドリームフィールド駿東併設)
- エスパルスドリームハウス藤枝 (エスパルスドリームフィールド藤枝併設)
- エスパルスドリームハウス富士 (エスパルスドリームフィールド富士併設)
- エスパルスドリームハウス静岡駅 (静岡駅ビルパルシェ内)
注釈 [編集]
- 注釈
- ^ 初代運営会社の経営破たん後、SUTは経営から手を引いたが、その後もホームゲーム会場での広告幕のスポンサーは継続しているほか、テレビ中継や、スカパー!「Jリーグ中継」でもSUTと関連会社「富士テレネット」が製作に携わっている
- ^ 2012アジアスーパーチャレンジカップは、香港(香港スタジアム)で開催の東アジアのクラブによるトーナメント戦。1回戦は清水エスパルス(日本)とサウス・チャイナ(香港)、広州富力(中国)と城南一和(韓国)がそれぞれ12月23日に対戦し、その結果のもと、1月26日に決勝戦と3位決定戦を行う[7]。
- ^ 他のタイトル獲得経験のあるJリーグチームではFC東京が挙げられる。湘南ベルマーレは2012年まで星を入れていなかった
- ^ 近年は日系ブラジル人の減少が指摘されているが、2009年でも静岡県には約4万2千人の在日ブラジル人がいるとされる。これは静岡県全体の人口の約1.1%に当たり、日本全体(約0.2%)の5倍を超える比率となる。ただし、その居住者は静岡市よりも県西部の浜松市などに多いともされる。「在日ブラジル人」の項目も参照。
- ^ 当時清水の選手だった向島建の回想によると、三浦泰年・知良兄弟の伯父である納谷聖司(当時の私設応援団「シャペウラランジャ」代表)がブラジルからプロのサンバ隊を清水に招き、日本人にサンバの基本を教えたとされる[10]。
出典 [編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r クラブガイド:清水エスパルス Jリーグ公式サイト
- ^ a b c d e f g 2011年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
- ^ a b “スタジアムイベント”. 清水エスパルス公式サイト. 2013年4月12日閲覧。
- ^ a b “マスコット紹介”. 清水エスパルス公式サイト. 2013年4月12日閲覧。
- ^ 清水がオランダで慈善試合 義援金は約7億円 スポーツナビ 2011.4.14
- ^ スポニチ Sponichi Annex (2012年1月25日13:34). “清水新オプションは“4トップ” 高原「成熟させたい」”. 2012年1月25日閲覧。
- ^ 静岡新聞 SBS (2011年12月22日07:54). “エスパルス - 1月に香港の大会に参加”. 2012年1月25日閲覧。
- ^ 清水6年ぶり「地図柄」復活 クラブW杯出場見据え - スポーツニッポン、2011.11.18
- ^ 田中孝一著 清水エスパルス Jリーグへの挑戦 第5章 情熱のゼッケンスポンサー「日本航空です。胸のスポンサードに興味があります」
- ^ 「サポーターの存在」 川崎フロンターレ公式サイト「TATSURU'S CHECK」2004年9月16日付
- 以下 清水エスパルス公式情報(S-PULSE OFFICIAL WEB SITE)より
関連項目 [編集]
- ISSO!S-PULSE (K-MIXで、エスパルスを応援するラジオ番組)
- SBSビッグナイター (SBSラジオで、ホームゲームの一部をラジオ中継)
- LOCO!エスパルス (テレビ静岡で、エスパルスを応援するテレビ番組)
- 鈴木克馬 (オフィシャルスタジアムDJ)
外部リンク [編集]
- 公式ウェブサイト
- 清水エスパルス/SHIMIZU S-PULSE - Facebook
- 清水エスパルス 公式 (spulse_official) - Twitter
- SHIMIZU S-PULSE CHANNEL - 公式YouTubeチャンネル
- 静岡新聞・清水エスパルス
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