清水エスパルス
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| 清水エスパルス | |
|---|---|
| 原語表記 | 清水エスパルス |
| 愛称 | エスパ |
| クラブカラー | オレンジ |
| 創設年 | 1991年 |
| 所属リーグ | Jリーグ |
| 所属ディビジョン | ディビジョン1(J1) |
| ホームタウン | 静岡県静岡市 |
| ホームスタジアム | アウトソーシングスタジアム日本平 |
| 収容人数 | 20,399 |
| 運営法人 | 株式会社エスパルス |
| 代表者 | 早川巌 |
| 監督 | 長谷川健太 |
| 公式サイト | 公式サイト |
清水エスパルス(しみずエスパルス、Shimizu S-Pulse)は、日本の静岡県静岡市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
[編集] クラブ概要
1991年にJリーグへ加盟。ホームタウンは静岡県静岡市(合併前は清水市)。ホームスタジアムは静岡市清水日本平運動公園球技場(日本平スタジアム、静岡市清水区村松)チーム発足当初は静岡県草薙総合運動場陸上競技場(静岡市駿河区聖一色)を準ホームスタジアムとしており、球団事務所も静岡市駿河区栗原にあった。練習場は三保グラウンドや静岡市清水総合運動場等を使用している。チーム名の「エス(S)」は静岡・清水・サッカーの頭文字で、「パルス(PULSE)」は英語で心臓の鼓動を意味する。
[編集] クラブの歴史
[編集] Jリーグ加盟前~2008年まで
1992年7月4日、大阪・長居陸上競技場にてガンバ大阪と初マッチ。公式サイトではこの日を「エスパルスの誕生日」としている。
Jリーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」のひとつ。Jリーグ屈指の強豪チームである。母体チームを持たず(厳密に言えば、Jリーグに加盟する前の結成当時は、清水FCとして静岡社会人リーグに加盟していたが、このJリーグ加盟を機に清水エスパルスへと名義変更)、静岡県出身者を中心にスカウトしてチームを編成した。当初は市民やテレビ静岡(静岡市)、中日新聞東海本社(浜松市)等が出資する会社株式会社エスラップ・コミュニケーションズにより運営されていたが、1997年に経営破綻。流通業の鈴与をはじめとした地元企業の出資により現在の運営会社、株式会社エスパルスが設立され、チームを継承した(詳細は後述)。
1991年5月設立の運営会社は資本金の約1割が市民の持ち株である。エスパルス発足、当初は地元出身の優れた選手達を補強し、特に堀池巧、大榎克己、長谷川健太の「清水東三羽烏」の地元への移籍は当時の清水サポーターを賑わせた。また、初代主将となる三浦泰年や新人選手として澤登正朗などを補強し、第1回ナビスコカップ 準優勝(1992年)を果たす。その後もナビスコカップ 優勝(1996年)、J1 2ndステージ優勝(1999年)、天皇杯優勝(2001年)など、数々のタイトルを獲得した。
2003年シーズンは11位、2004年シーズンは14位、2005年シーズンは終盤まで降格争いをし、最終的には15位で残留を決めるなど低迷期が続いた。これらの成績の主な原因として若手選手の育成に課題があった。それまでチームはユースから大量の選手を昇格させるという方針をとってきたが、これらの選手の多くが満足に結果を残してきたとは言い難かった。その為、スカウトの充実や、ユース選手だけでなく外部からの選手の補強を図ることで、チームの復活を目指した。その結果、2005年度にデビューした枝村匠馬、兵働昭弘、青山直晃ら若手選手が主力として定着し、同年の天皇杯で準優勝の成績を収める。
Jリーグ戦でのトリプル5(5位以内・勝ち点50以上・50得点以上)の達成を目指して迎えた2006年シーズンもルーキー藤本淳吾が主力として定着し、青山直晃が日本代表に選出されるなど前年以上に若手選手が台頭。また、かつての代表である森岡隆三、市川大祐、伊東輝悦、斉藤俊秀らも復調を果たし開幕から上位につけ、最終的に4位でシーズンを終え、目標であったトリプル5も達成(4位・勝ち点60・得点60)。長年の低迷期からの脱却に成功、強豪復活の気配を見せている。また、12年ぶりに年間順位でジュビロ磐田を上回った。シーズン終了後には藤本淳吾が新人王を獲得する一方で森岡隆三が出場機会を求めて移籍するなど、世代交代を象徴するシーズンであった。
(※)フジテレビが資本参加していたことからJリーグ創設当初の数年間国立霞ヶ丘陸上競技場でも主催試合を一部行っていた。2006年の鹿島アントラーズとの対戦でも使われた。
[編集] 2009年
新戦力として横浜FCから太田宏介が、浦和レッズから永井雄一郎が、名古屋グランパスからヨンセンを獲得。さらにコンサドーレ札幌に期限付き移籍していた平岡康裕も復帰した。
[編集] チームのエピソード
[編集] ヤマハ発動機サッカー部との統合案
Jリーグ創設期の1991年、静岡県では本田技研工業サッカー部(本拠地・浜松市/当時JSL1部)が、Jリーグへの参加を早々と見送ったことにより、ヤマハ発動機サッカー部(本拠地・磐田市/当時JSL1部/現・ジュビロ磐田)と、清水FC(本拠地・旧清水市/現・エスパルス)の2チームが、Jリーグの初年度参加資格を争うことになった。
ヤマハ発動機サッカー部は、大手国際企業を母体とし、当時国内最高峰であったJSL1部に於いて無敗優勝を成し遂げる等、豊富な資金力や高い実績・ノウハウを持っていた。これ対し、清水FCは発足したばかりであった為、資金も実績も乏しく、当時は非常に不利な状況に置かれていた。しかし、ヤマハ発動機サッカー部が本拠地とする磐田市には、Jリーグの基準を満たす高規格のスタジアムが存在しなかった。故に同サッカー部は、非公式で隣接する大都市の浜松市を本拠地化する方向で動いた。だが、浜松市内にはヤマハ発動機のライバル企業である、上記ホンダサッカー部、スズキの本社等がある為、地元行政は中立公平の立場から「特定の企業のために公共施設を改修・建設はできない」とする頑な姿勢を示し、ヤマハ発動機側は浜松本拠地化構想を断念した。
その頃、清水FC側は内外に向け、清水市がサッカーの町であることを積極的にアピールし、当時Jリーグ理事長であった川淵三郎の理解を得た。しかし川淵は、実業団でクラブ運営の経験がない清水FCに対して、現実的な不安を拭いきれず、「静岡県に2つのプロクラブが並存することは時期尚早」という論理付けの下、ヤマハ発動機サッカー部と清水FCを統合し、清水市を本拠地とすることを両クラブ関係者に提案した。しかし、この提案はヤマハ発動機サッカー部には到底受け入れることができないものであった。その理由は、ヤマハ発動機サッカー部が本拠地とする磐田市は浜松市を中心とした県西部で、清水FCが本拠地とする旧清水市は静岡市を中心とした県中部であり、県の面積が広く常日頃、東部・中部・西部を分けて考えることが多く、時にはライバル視することもある静岡県では、文化圏・地域経済圏が異なっていたからである。故に、ヤマハ発動機側にとって川淵の提案は、資金やノウハウを清水FC側に無償提供するだけで、地元には大きなメリットは見込めないものに映った。
このような経緯から、企業の論理を嫌う川淵は、「市民クラブ」の理念の下で発足した清水FCに初年度参加資格を与えた。一方、落選したヤマハ発動機サッカー部は、主力選手が次々と他チームに引き抜かれる最悪の状況に追い込まれ、一時期は社内会議で解散まで議論した。しかし、この際に現場関係者や支援者がチームの存続を強く訴え、社有地の東山グラウンド(磐田市)を改修して自社スタジアムを建設し、一年遅れでJリーグに参戦し、以後毎年エスパルスと熱い戦いを繰り広げている。
[編集] 経営危機とクラブ再生
他チームのように経営母体を持たない市民クラブとして誕生した清水エスパルスだったが、1997年、運営会社エスラップ・コミュニケーションズが経営破綻、クラブ消滅の危機に陥る。しかしサッカー処清水のプロクラブを失くしてはならないとの願いから多くの市民、サポーターがクラブ存続の署名活動や募金活動を実施。また、その声に応えるように地元企業が資金援助を行った結果存続危機を乗り切り、翌1998年「株式会社エスパルス」として新生するに至る。なおクラブ消滅の危機に陥った際、アルディレス監督が率先垂範して契約更新を行い主力選手の他クラブへの流出を防いだことも知られている。
[編集] 日本代表選手の輩出
清水は、チーム創設以来多くの日本代表選手を輩出している。
長年、日本代表の不動の右サイドバックとして活躍した堀池巧や、現在でも国際Aマッチ最年少出場記録を持つ市川大祐、トルシエ監督時代に長らく主力で活躍した森岡隆三や伊東輝悦を初め、伝統的に優秀なDFやMF(特にボランチ)の選手が多い。 また、若年層世代では、黒河貴矢、山本海人、武田洋平など何人もの優秀なGKを輩出している。
W杯日本代表
DF:斉藤俊秀 MF:伊東輝悦
DF:森岡隆三(※ベルギー戦でキャプテン) MF:戸田和幸 MF:市川大祐 MF:三都主アレサンドロ
【補足】
- ドーハの悲劇となった1994年アメリカ大会の最終予選では、長谷川、堀池、三浦、澤登が選出されている。
- 1998年フランス大会では市川が最終候補まで残った。その後、チームには帯同している。
- 2002年日韓大会では、大会前まで伊東輝悦が主力として活躍していたが、大怪我からの復帰直後により選出されなかった。
- 2002年日韓大会の清水からの選出人数4人は、鹿島の6人に次ぐ数字である。また、市川や戸田は本来DFの選手であるが、この大会はMF登録で扱われた。
- 2002年日韓大会で、戸田和幸が全試合でフル出場を果たしている。
- 日本代表以外も含めると1994年アメリカ大会ではブラジル代表にロナウド・ロドリゲス・デ・ジェズス、2006年ドイツ大会には曹宰榛が選出されている。
DF:白井博幸 MF:伊東輝悦 FW:松原良香
DF:森岡隆三(※キャプテン)(※オーバーエイジ枠)
GK:黒河貴矢
GK:山本海人 MF:本田拓也 FW:岡崎慎司
DF:青山直晃(※バックアップメンバー)
【補足】
- 1992年バルセロナオリンピックのアジア最終予選では、澤登(当時、東海大学)がキャプテンとしてチームを牽引していた。
- 1996年アトランタオリンピックで、清水からの選出人数3人は、横浜マリノス(当時)、ジュビロ磐田、サンフレッチェ広島と並び、最多タイである。
- 1996年アトランタオリンピックのグループリーグ初戦のブラジル戦で、伊東輝悦が決勝ゴールをあげた(マイアミの奇跡)
- 2000年シドニーオリンピックでは、市川大祐と戸田和幸が予備登録メンバーに残っている。
- 2008年北京オリンピックで、清水からの選出人数3人は全チーム中で最も多い。また、本大会出場は叶わなかったが、枝村匠馬が予備登録メンバーに残り、岩下敬輔、平岡康裕、武田洋平なども代表合宿に招集を受けていた。
- 2008年北京オリンピックで、チーム結成~最終予選まで主力として活躍し、最終予選では最多出場を誇り選出確実と見られていた青山直晃が、まさかの本登録メンバー落選となった。
DF:戸田和幸
GK:黒河貴矢 DF:池田昇平
GK:山本海人
GK:武田洋平
【補足】
- 1995年のカタール大会の代表には、後に清水に移籍する森岡隆三、安永聡太郎、山西尊裕がいた。
- 1997年のマレーシア大会、1999年のナイジェリア大会の代表には、後に清水に移籍する永井雄一郎がいた。
- 1999年のナイジェリア大会では、市川大祐が大会直前で疾病にかかり、本登録メンバーから外れている。
- 2005年オランダ大会で、山本真希が飛び級ながら最終候補まで残った。
- 2007年カナダ大会の予選を兼ねた2006年のAFCユース選手権には、山本真希が10番を背負い出場している。
- 2007年カナダ大会の代表には、後に清水に移籍する太田宏介(当時、横浜FC)がいた。
DF:高山純一(※清水エスパルスユース)
MF:杉山浩太(※清水エスパルスユース)(※バックアップメンバー)(※第3戦で追加登録)
【補足】
- 2001年トリニダード・トバゴ大会の代表には、後に清水に加入する藤本淳吾(当時、桐光学園高校)がいた。
[編集] 年度別成績
| 年度 | ステージ | リーグ | 順位 | 成績 |
|---|---|---|---|---|
| 1993年 | サントリー | J | 4位 | 10勝8敗 |
| ニコス | J | 2位 | 14勝4敗 | |
| 1994年 | サントリー | J | 2位 | 16勝6敗 |
| ニコス | J | 6位 | 11勝11敗 | |
| 1995年 | サントリー | J | 12位 | 10勝16敗 |
| ニコス | J | 4位 | 15勝11敗 | |
| 1996年 | 年間 | J | 10位 | 12勝18敗 |
| 1997年 | 1st | J | 7位 | 9勝7敗 |
| 2nd | J | 6位 | 10勝6敗 | |
| 1998年 | 1st | J | 2位 | 13勝4敗 |
| 2nd | J1 | 5位 | 12勝5敗 | |
| 1999年 | 1st | J1 | 3位 | 10勝4敗1分 |
| 2nd | J1 | 1位 | 12勝3敗0分 | |
| 2000年 | 1st | J1 | 3位 | 10勝5敗0分 |
| 2nd | J1 | 13位 | 5勝8敗2分 | |
| 2001年 | 1st | J1 | 4位 | 10勝5敗0分 |
| 2nd | J1 | 4位 | 9勝6敗0分 | |
| 2002年 | 1st | J1 | 7位 | 8勝4敗3分 |
| 2nd | J1 | 12位 | 6勝9敗0分 | |
| 2003年 | 1st | J1 | 11位 | 5勝7敗3分 |
| 2nd | J1 | 10位 | 6勝6敗3分 | |
| 2004年 | 1st | J1 | 11位 | 3勝5敗7分 |
| 2nd | J1 | 14位 | 4勝10敗1分 | |
| 2005年 | 年間 | J1 | 15位 | 9勝13敗12分 |
| 2006年 | 年間 | J1 | 4位 | 18勝10敗6分 |
| 2007年 | 年間 | J1 | 4位 | 18勝9敗7分 |
| 2008年 | 年間 | J1 | 5位 | 16勝11敗7分 |
| 合計 | - | J/J1 | - | 281勝211敗52分 |
[編集] 他チームとの相性と対戦成績
- 鹿島アントラーズに通算で勝ち越している数少ないチームである。ただし、近年はほとんど勝てておらず、通算対戦成績はほぼ互角である。
- 苦手としているチームは、Jリーグ開幕期と現在では異なる傾向がある。開幕当時から常に相性の悪いチームは、ジュビロ磐田、東京ヴェルディ。この2チームには、通算対戦成績でも負け越しており、黄金期のヴェルディとジュビロには、ほとんど勝つことができなかった。また、タイトルのかかった試合での対戦も多く、1992年と1993年のナビスコカップにはヴェルディに、1999年のチャンピオンシップではジュビロに敗れたりと、清水の前に立ちはだかることが多いチームである。開幕当時は相性が良かったものの、近年になって相性の悪いチームは、鹿島アントラーズ、ガンバ大阪、浦和レッズが挙げられる。ここ数年、これらの3チームの対戦成績は圧倒的に分が悪い。
- 大分トリニータとの相性が良くない。清水の低迷期と重なったこともあるが、大分が2003年にJ1に昇格して以降、2003年~2005年まで勝つことができなかった。中でも2005年のアウェイ戦では、0-5の大敗を喫したほどである。その後、2006年にようやく初勝利をあげ、清水が復調し上位に進出するようになってからは負けることは減ったが、2008年シーズンではホーム開幕戦とナビスコカップ決勝で敗退、アウェイ戦では引き分けと苦手意識が残る相手である。
- 大分以外の近年の昇格チームとの相性もあまり良いとは言えず、大宮アルディージャ、アルビレックス新潟との対戦成績は互角である。これらのチームが昇格直後の対戦は負け越していたが、現在ではほぼ五分まで持ち直している。
- 川崎フロンターレを得意としている。特にJ1では、2007年シーズンにアウェイで初めて敗北を喫するまで無敗であった。現在でもホームの日本平では負けたことがない。このことから川崎は、清水とのあまりの相性の悪さに、2009年シーズンの日本平での試合で、とうとう『「何もしない」プロモーション実施』と題した企画を行った程である(その試合の結果は清水が1-0で勝利し、日本平での無敗を守った)。
- 現在ではJ2のチームも含めると、コンサドーレ札幌、ジェフユナイテッド市原・千葉、湘南ベルマーレ、ヴァンフォーレ甲府、京都サンガF.C.、ヴィッセル神戸、サンフレッチェ広島、アビスパ福岡には比較的相性がいい。
- 対戦した試合数は少ないものの、横浜FCとヴァンフォーレ甲府には無敗である。
- 水戸、栃木、草津、富山、岐阜、岡山、徳島、愛媛、鳥栖、熊本と、リーグ戦で対戦したことはない。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 国内タイトル
- Jリーグ年間:0回(2ndステージ優勝:1回 - 1999年)
- 天皇杯:1回 - 2001年
- リーグカップ:1回 - 1996年
- スーパーカップ:2回 - 2001年※1、2002年
- フェアプレー賞・高円宮杯:1回 - 2008年※2
※1 鹿島が2000年度のJ1と天皇杯を優勝した為繰上げ出場 ※2 反則ポイントで史上初の0ポイントを達成した。
[編集] 国際タイトル
- アジアカップウィナーズカップ:1回 - 2000年※3
※3 天皇杯1998年度大会で優勝した横浜Fが横浜Mと合併したための代替枠出場
[編集] 個人タイトル
- 1999年 アレックス 最優秀選手(MVP)
- 1993年 澤登正朗
- 1996年 斉藤俊秀
- 2006年 藤本淳吾
- フェアプレイ個人賞
[編集] キャッチフレーズ
新生エスパルスとなった1998年より毎年チームのテーマを掲げたキャッチフレーズが用いられるようになった。
- 1998年 「Break Through」
- 選手一人ひとりが、そしてチームが立ちふさがる壁を「突破」し、栄光に向かって「突き進んでいく」。
- 1999年 「dream stadium 1999」
- 観る者を魅了し、夢と感動をみんなで共有できるような空間・スタジアムを創造。
- 2000年 「big mission 2000」
- 前年、2ndステージ優勝という結果を出したエスパルス。チームがさらなる成長を遂げることで、サポーターに大きな夢と感動を提供できる、それが2000年のエスパルスに与えられた使命(mission)である。
- 2001年 「Dynamic Soccer 2001」
- Dynamic Soccerで相手を圧倒する。攻守の切り替えが速い、攻撃的なサッカーを目指す。次なる目標であるリーグ優勝を目指してチーム、サポーターとが一丸となって闘う。
- 2002年 「Orange Fantasia 2002」
- オレンジの選手・サポーターたちが、ともにフェアで華麗なプレーを繰り広げ、夢舞台(Fantasia)を創りあげる。
- 2003年 「EXCITING FIELD 2003」
- 2003年新静岡市誕生という記念すべきシーズンをチームと市民とで興奮と感動を分かち合う為、最後まで激しく戦い続けることを誓う。HOME TOWNが歓喜の声に包まれる新たな歴史のスタートとする。
- 2004年 「HARD & ATTACK 2004」
- ハードなトレーニングで極限まで身体能力を高め、精神を研ぎ澄まし妥協なき攻撃的サッカーを展開。「HARD & ATTACK」を標榜し、サポーターを魅了する「戦闘集団」へと生まれ変わる。
- 2005年 「2005 かける想い」
- クラブ、チームのアイデンティティーを見つめ直し、「エスパルス」に“懸ける”想いとプライドを強く再確認、そして今シーズンに“賭ける”気持ちを、ピッチの中を勇敢に“翔ける”ことで表現し、チームの再生を目指す。サポーターへ熱いメッセージを伝えるべく、クラブとサポーター・ホームタウンとをつなぐ確かな橋を“架ける”ことを使命として取り組んでいく。
- 2006年 「かける想い S-PULSE 2006」
- 「エスパルス」に懸ける想いとプライドを強く再確認し、ピッチを勇敢に翔けることで勝負に賭ける熱い気持ちをサポーターに伝えるとともに、クラブとサポーター・ホームタウンとをつなぐ確かな橋を架けることを使命として取り組んでいく。昨季、長谷川健太監督就任の際にクラブ一丸となって掲げた「かける想い」を2年に渡って継承し、さらなる飛躍を遂げる。
- 2007年 「かける想い S-PULSE 2007」
- 「かける想い」を掲げ着実な成長を遂げてきた2シーズンを経て、3年目となる2007シーズンではさらなる高み(NEXT STAGE)への飛躍を遂げる。
- 2008年 「WE BELIEVE 2008」
- 共に戦ってきたサポーター、チームメイト、積み上げた努力、幾度となく流した涙、そして自分自身。その全てを信じ、いよいよ歓喜のときを迎えるべく、すべての人と、地域とエスパルスが一体とならなければならない。一人ひとりの信じる力が大きな後押し。どんなに困難な状況でも最後まで諦めることなく、己を信じて戦い抜く。
- 2009年 「WE BELIEVE 2009」
- 共に戦ってきたサポーター、チームメイトの存在。積み上げた努力、幾度となく流した涙。そして、自分自身。その全てを信じ、いよいよ歓喜のときを迎えるべく、すべての人と、地域とエスパルスが一体とならなければならない。一人ひとりの信じる力が大きな後押し。どんなに困難な状況でも最後まで諦めることなく、己を信じて戦い抜くことを誓う。
[編集] エスパルス栄誉賞
1999年に制定された。
[編集] ユニフォーム
[編集] チームカラー
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- 「エスパルスオレンジ」(鮮やかなオレンジ色)
- チームのホームタウンである静岡県が日本でも有数のミカンの生産地であり、また喜び・希望・若さ・前進・元気などをイメージさせる色であることがチームを象徴するにふさわしいとして定められた。
- 当初は清水市(現:静岡市清水区)が港を中心として発展してきた街であることや、市内のサッカー強豪高校が青系統のユニフォームを使用していることなどから市民には青が馴染みのある色であったため青系のチームカラーが検討されていた。しかしJリーグ創設時の10チームの中に青系統をチームカラーにしたクラブが既に多数あったことから差別化を図ることや各クラブ間の色のバランスをとるために「オレンジ」を選ぶことになった。Jリーグ開幕当時は、オレンジを採用したチームはエスパルスのみであったが、近年、Jリーグへの加入チームが増えるにつれ、アルビレックス新潟や大宮アルディージャなど、オレンジを採用するチームは増えつつある。
- チームのホームタウンである静岡県が日本でも有数のミカンの生産地であり、また喜び・希望・若さ・前進・元気などをイメージさせる色であることがチームを象徴するにふさわしいとして定められた。
[編集] ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | 鈴与 | Suzuyo | 2006年〜 | 2003年途中〜2004年までは袖 |
| 背中 | 江崎グリコ | glico | 1992年〜 | |
| 袖 | 日本航空インターナショナル | JAL | 2006年〜 | 1992年〜2005年までは胸 |
| パンツ | 山愛 | SAN-AI | 2008年〜 |
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1992年 | JAL | HONEN | glico | – | Mizuno/PUMA |
| 1993年 | JAL | HONEN | glico | – | Mizuno/PUMA |
| 1994年 | JAL | HONEN | glico | – | Mizuno/PUMA |
| 1995年 | JAL | HONEN | glico | – | Mizuno/PUMA |
| 1996年 | JAL | HONEN | glico | – | Mizuno/PUMA |
| 1997年 | JAL | HONEN | glico | – | PUMA |
| 1998年 | JAL | HONEN | glico | – | PUMA |
| 1999年 | JAL | HONEN | glico | – | PUMA |
| 2000年 | JAL | HONEN | glico | – | PUMA |
| 2001年 | JAL | HONEN | glico | – | PUMA |
| 2002年 | JAL | 豊年 | glico | – | PUMA |
| 2003年 | JAL | 豊年/Suzuyo | glico | – | PUMA |
| 2004年 | JAL | Suzuyo | glico | – | PUMA |
| 2005年 | JAL | star☆ | glico | THE 3RD PLANET | PUMA |
| 2006年 | Suzuyo | JAL | glico | THE 3RD PLANET | PUMA |
| 2007年 | Suzuyo | JAL | glico | CRS | PUMA |
| 2008年 | Suzuyo | JAL | glico | SAN-AI | PUMA |
| 2009年 | Suzuyo | JAL | glico | SAN-AI | PUMA |
日本航空の胸ロゴは日本でのユニフォーム広告の先駆けであった。かつてはどこのクラブも胸にはクラブ名が入ったユニフォームを着用していたが、当時日本航空社員の伊沢氏が欧州サッカークラブの胸スポンサーを見て、市民球団で特定の企業イメージが無かった清水に、ユニフォーム胸部分にJALのロゴを入れるよう働きかけたのがはじまりであった。スポンサーロゴによる広告収入が魅力的であることから、その後他クラブも導入するようになった。
JALの広告の下に描かれていた世界地図(中世の世界地図がモチーフ)が清水のユニフォームのトレードマークでもあったが2007年にユニフォームサプライヤーのプーマの世界戦略モデルユニフォーム導入にともない無くなった。
- 2007シーズンはGKがフィールドプレーヤー2ndユニフォームを着て、試合に出場した事があった。
[編集] サポーターの特徴
[編集] 応援スタイル
サポーターによる応援では多くの楽器を用いてサンバを踊るなど、応援に関してはJリーグクラブの中でもかなり特徴的な応援である。特に本拠地の日本平スタジアムで大人数のサポーターが踊るサンバは非常に見ごたえがある。
[編集] 公式応援歌
「王者の旗」
- 作詞:一般公募作品
- 作曲:林哲司
- 2000年8月30日制定
ホームゲームでエスパルスが勝利した試合の後、場内に流され、サポーターが合唱する。CDでは高井治が歌っている。
[編集] 関連項目
- パルちゃん(エスパルスのマスコット)
- ちびまる子ちゃん(小学3年生の頃の長谷川監督が描かれている)
- 清水エスパルスの選手一覧
- エスパルスドリームフェリー
- エスパルスドリームプラザ
- ISSO!S-PULSE(K-MIXで、エスパルスを応援するラジオ番組)
- SBSビッグナイター(SBSラジオで、ホームゲームの一部をラジオ中継)
- 週刊サッカーマガジン
- 三浦泰年(初代主将)
- 清水東三羽烏
- 鈴木克馬(オフィシャルスタジアムDJ)
- 春風亭昇太
- 静岡ダービー
[編集] 外部リンク
- S-PULSE OFFICIAL WEB SITE
- エスパルスオフィシャルオンラインショップ
- エスパルスドリームレーシングチーム(エスパルスがオフィシャルパートナーを務めるバイクレースチーム)
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