ミゲル・アンヘル・ロティーナ

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ミゲル・アンヘル・ロティーナ Football pictogram.svg
Miguel Ángel Lotina.jpg
名前
ラテン文字 Miguel Ángel Lotina
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1957年6月18日(57歳)
出身地 ビスカヤ県,Meñaka
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミゲル・アンヘル・ロティーナMiguel Ángel Lotina Oruechebarria1957年6月18日 - )は、スペイン出身のサッカー指導者。

守備を重んじる堅実なサッカーを展開するのが特徴。

経歴[編集]

ログロニェスの下部組織で指導者としてのキャリアをスタートさせ、その後弱小クラブの監督を複数務めた。1999年に就任したオサスナでは、監督初年度にチームを1部昇格させると、その後2シーズン1部に残留させた。2002年からはセルタの監督に就任。前任者のビクトル・フェルナンデスとは対照的に守備を重んじるロティーナの就任を疑問視する声も多かった中、クラブをリーガ・エスパニョーラ4位に導き、翌年出場したCLでも16強入りさせる好成績を残した。

しかしながらCLに出場した2003-04シーズンにはチームは国内で低迷、シーズン中に解任された。2004-05シーズンはRCDエスパニョールの監督として終盤までチームにCL出場権を争わせ、リーグ戦6位と好成績を残した。2005-06シーズンにはコパ・デル・レイ優勝へとチームを導いたものの、リーグ戦での低迷もありシーズン終了後に辞任した[1]。2006-07シーズン途中よりソシエダの監督に就任。だがチームは低迷し2部に降格、シーズン終了後に辞任した。

2007-08シーズンからはアスレティック・ビルバオに移ったホアキン・カパロスの後任としてデポルティーボ・ラ・コルーニャで指揮を執った。時には5バックを使用するなど、戦力を駆使して残留を続けたが、2010-11シーズンは深刻な得点力不足に陥って18位に終わり2部降格となり、シーズン終了後に辞任した。

2012年3月19日、フアン・カルロス・ガリード監督、フランシスコ・モリーナ監督に次ぐ2011-12シーズン3人目の指揮官として、降格圏近く(17位)に低迷していたビジャレアルCF監督に就任[2][3]。しかし、結局18位でセグンダ・ディビシオン(2部)降格となり、この結果、セグンダ・ディビシオンに参戦していたビジャレアルCF Bセグンダ・ディビシオンB(3部相当)に自動降格となった。

指導歴[編集]

タイトル[編集]

  • RCDエスパニョール
コパ・デル・レイ: 2005–06
  • デポルティーボ・ラ・コルーニャ
UEFAインタートトカップ: 2008

脚注[編集]

  1. ^ UEFA.com (2006年5月15日). “エスパニョール、ロティーナ監督が辞任”. 2009年7月13日閲覧。
  2. ^ Villarreal appoint Lotina ESPN Soccernet、2012年3月19日
  3. ^ Livedoor スポーツ (2012年3月19日). “ビジャレアル、後任指揮官はロティーナ氏”. 2012年3月20日閲覧。