ランコ・ポポヴィッチ

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ランコ・ポポヴィッチ Football pictogram.svg
名前
愛称 ポポ
カタカナ ランコ・ポポヴィッチ
ラテン文字 Ranko POPOVIĆ
キリル文字 Ранко Поповић
基本情報
国籍 オーストリアの旗 オーストリア
セルビアの旗 セルビア
生年月日 1967年6月26日(44歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ペチ
身長 183cm
体重 81kg
選手情報
ポジション DF (CB)
ユースクラブ1
クラブ
1987-88 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ブドゥチュロスト・ペチ
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
1988-92
1989-90
1992-94
1994-95
1995-97
1997-01
2001-02
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 パルチザン・ベオグラード
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 FKレオタル・トレビニェ
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 FKスパルタク・スボティツァ
ギリシャの旗 エトニコス・ピレウス
スペインの旗 アルメリアCF
オーストリアの旗 SKシュトゥルム・グラーツ
オーストリアの旗 アルンフェルス
2 (0)
13 (0)
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9 (0)
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監督歴
2002-04
2004-06
2007-09
2009
2011
2012-
オーストリアの旗 アルンフェルス
オーストリアの旗 パクヘリフ
セルビアの旗 ズラティボール・ヴォーダ
日本の旗 大分トリニータ
日本の旗 FC町田ゼルビア
日本の旗 FC東京
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月15日現在。
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ランコ・ポポヴィッチセルビア語: Ранко Поповићラテン翻字: Ranko Popović1967年6月26日 - )は、セルビア出身(資料によってはボスニア・ヘルツェゴビナ)、現オーストリア国籍の元サッカー選手(ポジションはディフェンダー(CB))、現サッカー指導者。

FC東京監督。

目次

[編集] 来歴

ユーゴスラビアコソボ・メトヒヤ自治州ペチ出身。

ブドゥチュノスト・ペチ(現KFべサ英語版)でユース年代を過ごし、ユーゴスラビア1部パルチザン・ベオグラード[注 1]でリーグ戦デビューを果たす[1][2]

その後はユーゴスラビアのFKレオタル・トレビニェ、スパルタク・スボティツァ(現スパルタク・ズラティボール・ヴォーダセルビア語版)、ギリシア1部エトニコス・ピレウスギリシア語版スペイン2部のアルメニアCF(現UDアルメリア)と各国のチームを転々とした[2]

1997年からオーストリア1部シュトゥルム・グラーツ[注 1]に移籍。在籍時にブンデスリーガ優勝、1998/99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場経験もある[1]。 2001年からライプニッツ郡にあるオーストリア4部リーグのTuS FC アルンフェルスドイツ語版プレーイングマネージャー、2002年から監督に専念し、同シーズンには優勝[1][2]

その後2003年から古巣シュトゥルム・グラーツのコーチに就任、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の片腕として働く。2006年6月、ペトロヴィッチのサンフレッチェ広島監督就任に伴いコーチとして来日[2]

翌2007年10月に退団[2]し、FKズラティボール・ヴォーダ監督に就任。同シーズンにはセルビア3部リーグに相当するヴォイヴォディナ地域リーグ優勝、2部リーグに相当するセルビア・プルヴァ・リーガへの昇格を果たした。翌2009年、チームがセルビア・スーペルリーガ昇格決定した時点で退団。

2009年7月14日大分トリニータを解任されたペリクレス・シャムスカ監督の後任として同クラブの指揮を執ることが発表された[3]。就任当初は戦術が浸透せず4連敗し、シャムスカ時代の成績もあってJ1で最初に降格決定してしまうが、後半戦に入って持ち直し、終盤10試合を負けなしで終えた[4]

J1残留こそ果たせなかったものの、劇的にチームを立て直した功績から続投が内定していたが、同年末、大分に10億円以上の債務超過をはじめとする深刻な経営難が発覚。全ての資金運営にJリーグの監視が入る状況下で、通訳なども含めたポポヴィッチへの高い人件費が問題視された。ポポヴィッチ自身は自ら減俸を申し出てまで続投を望んだが、結局コストカットのため、同年12月11日に契約非更新が発表された[5]

2011年シーズンから当時JFL所属のFC町田ゼルビア監督に就任した[6]。目標であるJ2昇格圏内入りを果たし、同年限りで退任。

2012年シーズンからFC東京監督に就任した[7]

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ユーゴスラビア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1988-89 (en) FKパルチザン プルヴァ・リーガ 0
1989-90 FKレオタル ドルガ・リーガ (en) 13 0
1990-91 (en) FKパルチザン プルヴァ・リーガ 0
1991-92 (en) 0
1992-93 (en) FKスパルタク・
スボティツァ
1993-94 (en)
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1994-95 (en) エトニコス・ピレウス アルファ・エスニキ
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
1995-96 (en) アルメリアCF セグンダ・ディビシオン 0
1996-97 (en) 0
オーストリア リーグ戦 リーグ杯 オーストリア杯 期間通算
1997-98 (en) グラーツ ブンデスリーガ
1998-99 (en)
1999-00 (en)
2000-01 (en)
2001-02 アルンフェルス ランデスリーガ (en)
通算 ユーゴスラビア プルヴァ・リーガ
ユーゴスラビア ドルガ・リーガ 13 0
ギリシャ アルファ・エスニキ
スペイン セグンダ・ディビシオン 0
オーストリア ブンデスリーガ
オーストリア ランデスリーガ
総通算

[編集] 指導歴

[編集] 監督成績

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 リーグ杯 オーストリア杯
2002 ランデスリーガ アルンフェルス
2002-03
2003-04
2004-05 パクヘリフ
2005-06
年度 所属 クラブ 順位 勝点 試合 リーグ杯 セルビア杯 (en)
2007-08 (en) リーガ・ヴォイヴォディナ (en) スボティツァ 優勝 79 30 25 4 1
2008-09 (en) プルヴァ・リーガ (en) ズラティボール・ヴォーダ 4位 60 34 17 9 8
年度 所属 クラブ 順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2009 J1 大分 17位 23 16 6 5 5 - 3回戦敗退
2011 JFL 町田 3位 61 33 18 7 8 - 2回戦敗退
2012 J1 FC東京
  • 2009年は7月に就任

[編集] 脚注

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注釈
  1. ^ a b イビチャ・オシム監督の下でプレーした経験がある。
出典
  1. ^ a b c サンフレッチェ広島アシストマガジン「assist」2006年秋号
  2. ^ a b c d e J's GOAL (2007年10月2日). “ランコ・ポポヴィッチコーチ 退団のお知らせ”. 2009年7月14日閲覧。
  3. ^ 後任ポポビッチ氏 シャムスカ監督 ついに解任 迷走大分フロント決断 18日浦和戦は松山・強化担当指揮 西日本スポーツ 2009年7月15日付
  4. ^ 復活へ 見せた結束 大分合同新聞 2009年12月06日付
  5. ^ 【トリニータ】「場当たり的経営」明記 大分合同新聞 2009年12月12日付
  6. ^ ランコ・ポポヴィッチ氏 監督就任のお知らせ FC町田ゼルビア オフィシャルサイト 2010年12月15日付
  7. ^ ランコ ポポヴィッチ氏 監督就任のお知らせ FC東京 オフィシャルサイト 2012年1月2日付

[編集] 関連項目

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